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「ファイロウの森」

 




 エカテリーナは薄暗い森の中で素早く本をめくる。木々が空を隠してはいるものの、光が全く届かないわけではなく、本を読むくらいの明るさはある。視力は落ちそうだが。


 魔界のことが詳しく書かれているというその本は、内容的には魔界全土の観光地図といったモノだった。


 魔界全土の地図を見開き2ページで表したページ(人間界で言うところの世界地図である)を開いてみると、エカテリーナの住む町の名前もちゃんとあり、自分の住む町の地図上での小ささと、外の世界の広さを比較することで、生きてきた世界の狭さを思い知った。


(魔界ってこんなに広かったんだ……!)


 驚嘆きょうたんし、感動し、色々魔界を見て回りたい欲求に駆られる。また1つ、死ねない理由が増えた。


 そんな感動は1度脇に置いておき、自分の現在地を探る。青年は「魔界最大の森」と言っていた。


(じゃあ……ここだ。ファイロウの森……)


 ファイロウの森。それが魔界地図の中で飛び抜けて大きな森だ。間違いない。そして、詳細が記されたページが存在するらしい。というか、全ての町や名所の情報が紹介されている。


「あった」


 ファイロウの森のページを開き、まずはこの森の紹介ページが3ページに渡ることを確認する。大丈夫。これくらいなら全部読んでもさほど時間はかからない。


 ページ数を確認したのには当然意味がある。今いるのは、危険(かもしれない)な森。長い時間読書をしている余裕などない。あまりにページ数が多いなら、最低限必要な情報だけを選び取るような読み方をしなければならないからだ。


 幼女は自身の頭をフル回転させている。孤独や恐怖で傷付いた心が、ヤスリで削られるようにじわじわと疲労していく。


『ファイロウの森は魔界で最も広い森であり、魔界で利用される木材の98%がここで採れるモノである』


 残り2%はどこから採ってくるのかとかは気になる話だけど、今はどうでもいい。


『森には野生のモンスターが生息しており、肉食のモンスターは襲い掛かってくる可能性がある為、入る場合には注意が必要である』


 やっぱり、モンスターがいるんだ……。食料確保もそうだけど、モンスターは特に危ない。血を多く流すようなケガをしたら治療する方法がないから、それだけで死んでしまう。出来るだけ、身を隠していかないといけない。


『また、ファイロウの森に棲むモンスターはその全てが昼間しか活動しない。よって、木材の仕入れ等も夜間に行われる』


 これはいいことを知った。身に付けていた時計を見れば、もう夜になる。時計を持ち歩く子供などエカテリーナ以外にはいないだろうが、門限を守るために持ち歩いていた時計がこんな形で役に立つとは。何が役に立つか解らないものだ。運が良かった。


『肉食のモンスターは主に3種類が生息しており、最も遭遇率が高いのはファイロウウルフである。大抵はファイロウウルフにのみ注意していれば問題ない』


 ご丁寧にもファイロウウルフの挿し絵がついている。四足のおおかみで、前足の爪が大きく発達している。この爪と牙で獲物を仕留めるのだそうだ。


『発達し過ぎた爪のせいで動きは速くない為、遭遇した場合も落ち着いて対処すること』


 落ち着いて対処。落ち着いて。逃げちゃえばいいんだもん。私は空だって飛べる。


 そうだ。もし遭遇そうぐうしても空を飛べば大丈夫。そして空からよく狙ってシェイドを撃てば、やっつけることだってきっと出来る。本には書いてないけど、もしファイロウウルフが食べられるなら食料問題も解決!


 希望が見えてきた。今から夜だし、少なくともここですぐに死ぬことはない。私は嬉しくなって、さらに本を読み進める。寝る時の注意とかも書いてあればいいんだけど……。


 エカテリーナが思っているほど、魔界最大の森は甘くない。彼女はそれを嫌というほど思い知ることになる。






 一方その頃、魔界の田舎町……エカテリーナの故郷では、ちょっとした騒ぎになっていた。


 エカテリーナが、まだ家に帰っていない。


 あの、門限を破るなんてしなかった礼儀正しいクズのような子供も、ついに改心したか。


 町の主婦の会話からそれを聞きつけたディロンはすぐに町中を探し始めた。あの子は、そんな子ではない。


「リーナ! 俺の声が聞こえたら返事をしろ! リーナ!」


 あまり広い町でもない。すぐに見付からないということは、誘拐されたという可能性も高くなる。


「クソ!」


 焦燥感しょうそうかんからくるいきどおりが、乱暴な言葉となって口をついて出る。リーナ……お前はどこにいるんだ……?


 あらかた探した表通りではなく、人気ひとけのない路地裏に入り、そちらも探そうと考えていたその時。


「やあ、ディロン」

「……何者だ」


 背後から声をかけられる。何者だ、と口では言いながらも記憶にあるその声に、ディロンは振り向く。そこには想像通りの人物がいた。


「……チッ」

「久しぶりに会えたのに、舌打ちかい? 傷付くなあ」

「……何の用だ。俺は今忙しい」


 青年だ。人間の姿を真似た、偽者の男。見たくもない顔に加え、芝居がかったその所作や口調がディロンのイライラを加速させる。


「君をさがしていたんだ。苦労したよ」

「……フン」

「あぁっ、待ってよディロン。君こそ、誰かを捜しているんだろう?」


 コイツにそれを教えてやる義理などない。俺はコイツが嫌いだ。……無視するか。こんなクソ野郎の用件より、リーナを捜す方が大事だ。


 が、無視しようとするディロンに対し、青年は薄く笑ってみせた。


「……エカテリーナ・テレサ」

「お前……何故知っているっ!」


 その名を、その男の口から聞いたディロンがえた。明確な怒りの目を青年に向け、殺意を放つ。しかし、青年は涼しい表情でその問いを無視する。


「僕は君に頼みがあってここまで来た。君はエカテリーナの居場所が知りたい。そして僕はエカテリーナの居場所を知っている。なら、取引が成立するよね?」


 リーナの居場所が知りたければ、提示する条件を呑め。そういう言い草だが、事実は違う。おそらく、リーナをどこかへ連れ去ったのはコイツだ。つまりこれは、ただの脅迫。……相変わらず卑劣なヤツだ……!


 俺は怒りをぶつけたいのをぐっとこらえ、ヤツの取引とやらに応じる。


「……俺は、何をすればいい」

「話が早くて助かるよ。……実は近い内に、天界から少しばかり攻撃があるかもしれないから、その時に手伝って欲しいんだ」


 リーナの居場所が解るならそれくらいしてやる。……本当はコイツとは関わりたくない。さっさと死ねばいいと俺が思っている、唯一の存在。だからこそ気付かれないようにコイツの前から姿を消し、この田舎町に隠れ住んでいたんだが……背に腹はかえられない。


「……解った」

「引き受けてくれるのか! いやー、断られたらどうしようかと思ってたよ」

「リーナはどこだ」

「んん? 随分彼女を気に入ってるようだね?」

「質問に答えろ」


 青年はつまらない反応だとでも言いたげに肩をすくめ、息をつく。


「カデシュ洞窟、ファイロウの森、カロイン山……そのどこかだよ」

「ふざけるな!」


 ディロンは青年の胸ぐらを掴む。殺意の眼が青年を真っ直ぐに貫くが、青年の態度はヘラヘラとしたそれだった。実に楽しそうな笑みを浮かべている。


「これはゲームだよ。君が彼女を助けに行くゲーム。少しは食料もあげたけど……早くしないと、死んじゃうよ?」


 ディロンは、青年を全力で殴り飛ばした。怒りに任せて殴られた青年は宙を舞い、叩き付けられた壁にヒビを入れる。……壁にめり込んだ青年を、闇が包み込む。


 くくく、と喉を鳴らす不愉快な笑い声を残し、青年は闇に消えた。あとには、肩で息をするディロンだけが残される。


 カデシュ洞窟、ファイロウの森、カロイン山。どこも遠く、ここからどこに向かおうと、距離はそう変わらない。また、地図で表すとこの3ヶ所は正三角形に近い形を成す為、効率的な回り方など存在しない。


(1回で当たりを引ければ半日で助け出せる。……だが、最後まで当たりを引けなければ4日近くかかる)


 大したモンスターはいない地域ばかりだが、危険なことに変わりはない。迷っている時間などなかった。


(リーナ……無事でいてくれ……っ!)


 片角の男は光の線を描き、飛ぶ。もう誰も死なせないと、あの時決めたのだから。






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