プロローグ「最強の女帝 エカテリーナ」
魔界。そこは、人間とは違う種族が跋扈する、忌まわしき土地。
そこに「魔族最強の女帝」と呼ばれるサキュバスがいる。彼女に関する嘘のような噂は、後を絶たない。
曰く、「現存する魔法の全てを会得している」
曰く、「強化を施さずとも、龍族を一撃で葬るほどの高い身体能力を持つ」
曰く、「あらゆる知識に精通し、天界、人間界を含め、知らぬことはない」
曰く、「あらゆる魔族を、あるいは天使や人間すらも魅了する美貌の持ち主である」
そして曰く、「昔はかなりの不良であった」
その女帝。名を、エカテリーナ・テレサという。
彼女は魔族最強の女帝として魔界に君臨し、さらには魔界有史以来最強とすら目されている。
この魔界では、下剋上など当たり前。寝首をかかれて最強の座を譲った魔王も少なくない。しかし、彼女は違った。エカテリーナが最強の座についてからは、誰一人として魔族最強を狙わなくなった。それほどまでに、彼女は恐れられている。
そんな女帝は今、小さな孤児院を訪れていた。人間や天使との戦争、事故、魔界では日常茶飯事の辻斬りで親を亡くした子供達。種族も違えば、年齢も様々な魔族の子供達がここにいる。エカテリーナは、孤児院の扉の前で1度深呼吸をする。
「さて……」
腰に届きそうな程に長い、艶やかな髪。魔族の証たる、捩れのある角。長い睫毛に縁取られた瞳。妖艶な女性らしい、魅惑的な顔立ち。露出の少ない服装でありながら存在を主張する胸。対照的に細く引き締まったウエスト。柔らかな肉感を見せる脚。
彼女は、美しかった。魔族天使人間の全てを魅了する美貌とは、あながち嘘ではない。
エカテリーナは口角を上げ、自然な微笑みの表情を作る。そして、あまり手入れされていない、古ぼけた孤児院の扉をゆっくりと開けた。
「こんにちは」
最強女帝エカテリーナ・テレサ。その来訪に孤児院の子供達は驚き、畏怖するかと思いきや……。
「あ! エリー姉ちゃんだ!」
「ホントだ!」
「お姉ちゃーん!」
魔族だろうと、人間だろうと、子供が無垢であることに変わりはなかった。エカテリーナの来訪を、子供達は無邪気に喜び、エカテリーナの所へと集まってくる。
「皆、元気にしてたかしら? 風邪とかひいてない?」
そう言って女帝は、あろうことか手作りのお菓子を子供達に振る舞うのだ。とても楽しそうに。まるで、子供達の笑顔を見られるのが楽しいかのようだ。
「食べる前にちゃんと手を洗うのよ?」
「はーい!」
エカテリーナの声に、素直に従う子供達。競うように手を洗いにいく。
「ふふ、可愛いものね」
小さく笑いながらその背を見送るエカテリーナは、魔族にあるまじき存在だった。
ここは、魔界である。魔界における常識は、当然ながら人間界や天界とは違う。魔界におけるエリートとは、悪事を平然と働くことの出来る者のことを指す。冷酷であればあるほど、無慈悲であればあるほど優秀な者であると認識されるのが魔界の常識。
つまり、魔界で最強の女帝が「孤児院の子供に」「自ら手間をかけたお菓子を」「無償で配る」など、普通は絶対にあり得ないのだ。ついでに言えば、子供を可愛いものだと言うのも非常識。風邪をひいた子がいないか心配するのも非常識。モノを食べる前に手を洗うのも非常識。
彼女は、あらゆる点において異端の存在だった。
エカテリーナ・テレサは、誰もが畏れる、魔族最強の女帝である。
心優しく、真面目な、聖女のような女帝である。
種族は平凡なサキュバス。特殊な血など一切引いておらず、特殊な能力も有しておらず、生まれた土地も、育った環境も、一般的なそれに過ぎない。
ただ他の魔族と違ったのは、彼女が底抜けに優しく、真面目であること……つまり、長い魔界の歴史において類を見ない札付きの不良だったこと。
しかしそれでも、彼女は女帝として魔界全土に認められる存在であり、尊敬と畏怖を一身に受けている。
幼少期、学生時代、就活……一般的過ぎるほど普通の経験を経て今に至る彼女には、優しい性格に生まれてしまったが故、多くの苦労があった。
これは、最強女帝エカテリーナの、不思議な人生の物語である。