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綺麗に輝く星も、夜道を照らす満月も、暗雲が立ち込めたかのように隠された。
開け放たれたままの窓から届かなくなった月光に、シヴァはベッドの上でまぶたを開ける。
外から、数人の地に降り立つ音が聞こえた。
シヴァは音を立てずに、ベッドから降りて出入り口まで移動する
壁に身を隠しながら外の様子をうかがうと、巨大な影が建物の頭上で浮遊しているのがわかった。
星や満月を隠したのは、どうやら雲ではなかったらしい。
「チッ、飛行戦艦か。なんでこんな所に……」
少しだけ焦りの色を浮かべるシヴァは、暗闇の奥へと目を凝らす。
すると、大小二つの人影が確認できた。
二つの影は真っ直ぐにこちらへと向かって来ている。
狙われているのは何か、なんのためにここへ来たのか。
シヴァにはわからないことであったが、ここに居るのは彼一人だけではない。
少年のような少女の顔を思い出して、シヴァは息を吐き出すと外へ飛び出た。
正体を探るか、はたまた一瞬で終わらせるか。
シヴァは考えながら、稲妻のように地を駆け抜ける。
万が一に備えて右腕に電流をまとわせると、大柄な人影の方が身構えた。
「シキさんっ、専行します!」
その場から飛躍したのは大柄な男。
弱々しい顔つきとは裏腹にそのガタイはよく、両腕に橙色の光をまとわせると地面を思い切り殴りつけた。
「はあっ!」
男が殴りつけた地面に橙色の波紋が広がり、そして大地が震え出した。
震源地からバキバキと亀裂が走り、それはシヴァの足元を目がける。
「肉体強化……シナムと同じ異能か」
建物内で眠っているであろう少女を思い出して、シヴァはその場から飛び退る。
だがあまり下がるわけにはいかない。
何せ彼の後ろには、その少女が眠る家があるのだから。
「エディル、慎め」
「大丈夫ですっ。これくらい、おれでも……!」
上官の指示を無視して突っ込んで行くエディルは、目前の男の撃破しか考えていなかった。
この男は、数々の違反行為をして来た罪人なのである。
だがしかし、彼はいささか頭に血が上ってしまっているのかもしれない。
「きみはだだの罪人、破壊者だ!」
「誰が破壊者だ! オレは、自分の信じることをやっているまでだ!」
「それが、貴族の屋敷を破壊し、関係ない人々までも巻き込むことだと言うのか!」
エディルの猛攻は止まることを知らない。
自身の肉体を極限にまで強化した彼の身体は、まるで鋼のように丈夫で岩をも砕くことができてしまうのだ。
しかしそんな男の異能を、シヴァはかすることもなく身軽に避ける。
慣れているような青年の動きに、捉えることのできないエディルは焦燥を覚え始めていた。
「くっ、こいつっ」
「生憎だけど」
「っ!?」
「テメーのそれは、人様から勉強済みだぜ」
エディルが腕を伸ばした一瞬のうちに、シヴァはその懐(ふところ)に入って来ていた。
殺られるという言葉が、エディルの脳内を支配する。
「くたば――」
「静まれ」
シヴァが異能をまとった腕を振り上げようとした時、エディルの背後から凛とした男の声が響き渡った。
その瞬間、二人の足元に蒼い波紋が広がり、エディルの驚きの声と共に二人は地面に叩きつけられる。
正確に言えば、重たくなった空気に押し潰されているのだ。
「なっ……」
「シ、シキさん! なんでおれまで!」
エディルが抗議の声を上げる中、蒼い瞳の男が無表情で二人の元へと歩み寄る。
「喧嘩両成敗だ」
「そ、そんなぁ……」
「うちの部下が粗相をしてしまってすまない。大丈夫か」
「シ、シキさん!」
慌てる大男を尻目に、シキはシヴァの目の前で方膝をついた。
そして二人にかけていた異能を取り消し、エディルはますます慌て出す。
驚いたシヴァは警戒心を持ちながらも、腕にまとわりつく異能を取り消した。
それを確認したエディルも、シキの視線を気にして渋々と異能を解除する。
「なんだ、オマエたち」
今にも噛みつきそうな目つきの青年に、シキは感情の見えない瞳を細めた。
◆
建物内へと二人を招き入れたシヴァは、明かりでシナムが起きないように彼女の部屋の出入り口の布を下げた。
外でどんぱちと激しい戦闘が繰り広げられていたにも関わらず、シナムはまったく気づいていないようだ。
「悪いけど、飲み物とかはオレは出せないぞ」
「構わない。すぐに終わる」
給仕が得意ではないシヴァは、気恥ずかしそうに視線を逸らした。
シキは椅子に座ることもなく、平然とした面持ちで口を開こうとする。
しかし言葉を発したのは、どこか落ち着きのないエディルだった。
「きみには逮捕状が出ている。だから、大人しくお縄についてもらうよ」
「はあ?」
気に食わない申し出に、シヴァは敵意を露にして食いかかる。
シキは難しい顔でため息をつくと、咳払いをして二人の意識を自分に向かせた。
「我々は政府直属の異能集団、ファカルの一部隊だ。俺はその一部隊の隊長を任されているシキ=リリナート。きみは、シヴァ=アルケイムだね」
無表情で淡々と言葉を紡ぐ男に、シヴァもエディルもどこか気圧されて黙り込む。
ようやっと落ち着いた二人を確認して、シキは目元を鋭く光らせた。
「部下のエディル=メイアが言った通り、きみには逮捕状が出ている。抵抗しないで身を差し出した方が、得策と言えば得策なのだが。はっきり言って、死刑は免れないだろう」
無慈悲なシキの言葉に、シヴァは驚くどころか忌々しそうにしかめ面をする。
反省の色が見えない青年に、エディルは不機嫌さを隠さずに彼を睨みつけた。
「きみはファカル上層部の許可もなしに、勝手に貴族の屋敷を破壊して回っている。そしてそれに飽き足らず、関係ない人々をも巻き添えにしているんだ! わからないのかい? きみの破壊活動
のせいで、行き場所を失ってしまった者も大勢いるんだ!」
エディルは、自分が怒りに任せて感情をぶつけていることを自覚していた。
だから上官の諌(いさ)める視線に気づき、一発触発になりかねない空気を作ってしまったことに後悔する。
しかし、シヴァは言い返して来ることもなく、どこか居心地が悪そうに顔を逸らした。
予想だにしていなかった反応に、エディルも困惑気味にオロオロし始める。
そんな二人を見ていたシキは、肩の力を抜くようにため息を一つついた。
「いいだろう。きみに罪の意識があるのなら、俺は全力で助力しよう」
「え、え? シキさん、それはどういう……」
「シヴァ=アルケイム。俺は、きみの力を必要としている。だから、俺の部隊に勧誘したい。きみの意志が確かなものなら、それを成し遂げるために、俺はきみの罪を共に背負う覚悟はある」
彼の表情はまったくもって読めない。
だがその瞳は逸らせないほどに真っ直ぐで、シヴァはこれが嘘ではないと瞬時に悟った。
「……オレがアンタの下について、なんの得がある?」
「どっちも得だ。俺はきみの力を有することができる。きみはやりたいことも自由にできるし、ずっと叶えられなかった罪を滅ぼすことだってできる」
シキが言い切ったところで、大きく見開かれたシヴァの瞳が揺れた。
「なんで、アンタがそれを――」
「さあ。なんのことかな」
突然に狼狽し始めた青年に、エディルはいぶかしげに眉根を寄せる。
しかしそれよりも、上官がこの犯罪者を勧誘する意味がわからないでいた。
自分は何も知らされていない……そう思うと、歯痒さが込み上げてくる。
「……少し、考えさせて欲しい」
シヴァは目元を伏せると、両拳を握りしめた。
先の交戦時のような獰猛さはどこへ行ったのか、今はただの無力な青年にしか見えない。
シキは目を閉じて息を吐き出すと、エディルに目配せをして出入り口へと向かった。
「いいだろう。ただし日が昇るまでには返事が欲しい。この船は目立つ」
そうして出て行く上官の後にエディルも続く。
しかし途中でシヴァを振り返り、憎らしげな瞳を向けた。
シヴァはそれを睨み返し、そして男達の背中が見えなくなったところで脱力しながらソファに座り込んだ。
「罪滅ぼし、か……」
ぼそりと呟いてゆっくりとまぶたをおろす。
腕で目元を隠して、もう片方の手で胸にさがる石を握りしめた。
◆
実のところ、青年にとってこの勧誘は考えるまでもないことだった。
彼の答えは初めから決まっていた。
真っ直ぐな蒼い瞳を向けられた時から、その言葉を聞いた時から。
彼は元々、そのために生きてきたようなものだったのだから。
まぶたの裏に映ったのは、大雨と共に雫を頬に伝わせる一人の少女。
青年は座り込むその人のナイフを持つ手を取って、自身の身体に深い切り跡を残した。
右肩から左の脇腹にかけて一本……これは戒めにして、償いの約束だ。
「シヴァ」
不意に降ってきた声に、疼(うず)く傷跡を撫でながらシヴァはゆっくりとまぶたをあげた。
いつの間にか眠ってしまっていたのか、脳が素早く回ってくれない。
ぼやけた輪郭がはっきりしてきて見えたのは、心配そうに覗き込んでくる少年のような少女の顔だった。
「シナム?」
「……ぜんぶ、聞いてたぞ」
顔を離してそっぽを向く少女に、シヴァは驚きに目を見開く。
その様子をチラリと盗み見て、シナムは呆れたようにため息をついた。
「おまえが何をしていたのか、何者なのか……ようやっと知ることができた。まさかおまえが、破壊者と呼ばれていた奴だったなんてな」
シナムの無垢な笑顔に、シヴァは苦しそうに視線を逸らす。
少女が知らずにかくまっていた男は、世間ではとんでもなく恐れられている人物だったのだ。
シヴァは自身が破壊者であることを認めていない。
しかしそう恐れられていることは重々に承知していた。
彼はそれを隠して、少女にかくまってもらっていたのだ。
だから素性がバレてしまった以上、もうここに居るわけにはいかない。
もうこれ以上、関係ない人を巻き込んではいけない。
「……でも、おまえはおまえだ。わたしは、おまえが悪いやつだなんて思っていない。今までも、これからもだ」
ところが少女は、彼の素性を知っても恐れてはいなかった。
呆れてため息をついたシヴァはおもむろに立ち上がると、少女の視線から逃れるように出入り口へと向かう。
「本当に、今まで世話になった。だけど、オレには死んでもやらなきゃならないことがある。それにオマエを巻き込む気もないし、巻き込ませもしない」
「待て!」
少女の悲痛な叫びも聞かず、シヴァは後を振り向くこともなく暗闇の中へと歩き出した。
背後から足音が聞こえて来るが、それを無視して歩みを速める。
自分のすべてを犠牲にしてでも、彼には成すべきことがある。
その信念はすべてを見透かす瞳の男に言われた通り、強いものだったのだ。
「来ると思っていた」
建物から出てすぐ、その男は暗闇の中にたたずんでいた。
夜空と同じ漆黒の髪を風になびかせる男は、澄んでいる蒼い瞳を鋭く細める。
「歓迎しよう、シヴァ。ようこそ、ファカルへ」
無の表情で迎えられたシヴァは、はやる気持ちにかすかに口角を上げた。




