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土をえぐり、草花をなぎ倒す暴風雨。
星も見えない夜空の下を、男は縦横無尽に駆けめぐっていた。
その動きはまるで雷(いかづち)のようで、動きを捉えることはままならない。
「ぐうっ、この、破壊者めええええ!」
男の前に立ちはだかる一兵士が、成す術もなく切り裂かれる。
断末魔と共に吹き出す鮮血に、その場に居た数人の兵士達は情けない悲鳴を上げた。
「骨がねえな。アンタの護衛共は」
男の声は、まだ年若い青年のものだった。
しかし暗闇のせいで、その素顔をうかがうことはできない。
「んな、何が望みだと言うのだっ。この野蛮人め!」
正体不明の青年と対峙している男は、側に居る護衛兵士達を盾にと前に押し出す。
「あっ、主様!」
「うるさい黙れ! お前達ゴミは、せいぜいわたしを護っておればよいのだ!」
兵士達の怯えた声に、男は怒声を投げつける。
そしてニヤリと笑うと、まるで椅子にでも座っているかのように胸を張ってふんぞり返った。
「お、おいっ! 巷(ちまた)で噂の破壊者とやら。何が望みなのか、言ってみろ。なんでも与えてやるぞ。だから、わたしの元で働くがよい。報酬はたくさんくれてやる。なんでも叶えてやる! 金ならいくらでもあるのだからなあっ!」
男は早口でまくし立てると、機嫌が良さそうに高笑いをした。
兵士達も安堵したのか、少しだけ緊張がほぐれたように見える。
しかし青年は歯軋りをすると、銀色の瞳を鋭く光らせた。
まさに獲物を狙う、野生の獣。
そんな錯覚を覚えた男は、震え上がりながらその場に腰をついた。
常人ならば足を取られてもおかしくない暴風雨の中、青年はゆっくりと、確実に男へ歩み寄る。
「なんでも望みを叶えてくれるのか。へえ……」
「そっ、そそそそうだ!
歩みを止めない青年に、兵士達は恐怖で無意識に道を開けてしまう。
呆気なく接近を許してしまった男は、額に青筋を浮かべて兵士達を睨み上げた。
「き、貴様ら、何をしている! わたしに危害が加えられたらどうするつもりだ! 護れ! わたしを護れ! 命をかけ――」
男の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
代わりに呻き声と、メキリという歯の折れる音が聞こえる。
「じゃあまずは、そのきたねえ言葉を吐く口を塞げ」
青年は握り拳を、男の口に思い切り叩き込んでいた。
空が激しく鳴いて、一対の光が近くに落ちる。
その瞬間、男はようやっと青年の素顔を見ることができた。
しかしその風貌は、どこからどう見てもただの若い青年だった。
いかつい体格でも、どこからか角や羽が生えているような異質な者でもない。
こんなのが破壊者と恐れられる者の正体なのかと、男は目を見開きながらも、酷くがっかりとした表情だった。
だがどうしてか、男の身体は震えが止まらない。
口に拳を入れられているからでもなく、青年の異名のせいでもない。
彼のあまりもの表情のなさに、恐怖が這い上がってくるのだ。
「ほ、ほはへは、ひっひゃい……」
「黙れっつってんだよ豚」
更に拳を押し込まれて、男は声にならない悲鳴を上げる。
兵士達は顔を見合わせるが、成す術もなく主が疲弊していくのをただ見ているだけだ。
「一つ」
「ひっ」
「テメーの屋敷はオレが破壊した。だからコイツら兵士は晴れて自由の身だ」
「?!」
青年の言葉に、男の護衛兵士達は驚きを隠さずに声を上げた。
しかし男は目尻を吊り上げると、もがもがともがき出す。
「二つ、もうこの村の人間には手を出すな」
「はひほふぁっへは!」
「三つ……また同じことを繰り返すようなら、今度こそ命はないと思え」
青年はそう言うと、意図も簡単に拳を男の口から引き抜いた。
男の血と唾液にまみれてしまった手を、至極嫌そうに目を細めながら振り払う。
そんな青年の後ろで、先に切られていた兵士がかすかに呻き声を上げた。
「い、生きてる……」
「なんだよ、破壊者って……別に殺さないのかよ」
あ然としている兵士達と、歯をほとんど折られてしまった男。
しかし安堵したのか、兵士達の雰囲気は穏やかになった。
青年はそんな彼らを背にして、何も言わずに去ろうとする。
だが、歯を折られた男は愚かだった。
「まっ、待ていっ、この愚民! よくもわたしの歯を折ってくれたな! お前達もだ! 誰が休憩していいと言ったのだ! お前らゴミの主はわたしだ! わたしの言うことを聞いていればいいのだゴミクズ共が!」
男の怒号が響き終わる時、青年はすでに男へと向き直っていた。
その右手はかすかな電流を帯びていて、動作を止めることなく地面へと手の平を置く。
手の中心から金銀に光る波紋が広がり、青年の背後にはいくつもの魔法陣が浮かんでいた。
「テメエはああああああああっ」
青年の怒りの咆哮と共に、宙に描かれた複数の魔法陣から、電流をまとった白銀の刃が現れた。
全長は二メートルを優に超える、金の模様が入った巨大な刃。
男の許しを懇願する声を聞くこともなく、青年は魔法陣からそれらを一気に放出させた。
暴風雨の夜空の下。
巨大な雷が、地から天へと昇った。
◆
シナム=ヒーリアが目を覚ましたのは、綺麗な朝日が昇る頃だった。
雨に濡れた青草の香りと、心地好い風が窓の外から流れてくる。
「ふぁああ~……よく寝た」
シナムは起き上がると、ベッドの側にある鏡に自身を写した。
寝癖の酷い短めの髪と、曇りのないくりっとした大きい瞳。
体型からして一見幼い少年のようであるが、正真正銘、年頃の女の子だ。
部屋を出て適当に髪の毛をセットし、顔も流して居間に出る。
そこでふと、ソファで人が寝ていることに気がついた。
シナムは不機嫌気味な顔をすると、足を忍ばせてソファに近づいてみる
そこには気持ちよさそうに寝息を立てている、淡い金色の髪を持つ青年がいた。
疲れ果てているのか、青年は少女の気配に気がつくことがない。
しかしシナムは肩をわなわなと震わせて、強く握った拳を振り上げて、そして落とした。
「いってえええええ!」
「馬鹿者! シヴァ、おまえまた朝帰りしたな!」
「くっそ~、この馬鹿力……」
青年――シヴァ=アルケイムは、拳の落とされた額を押さえて起き上がった。
その拍子に首元からチェーンにつけられた、水滴の形をした乳白色の石が滑り落ちる。
「ってて……」
「シヴァ、いい加減に吐け。おまえが夜な夜な、何をしているのか」
仁王立ちをするシナムは、心配そうな不安そうな視線を青年に向ける。
しかしシヴァはあっけらかんとあくびをすると、隈のある目元をこすった。
「別に、何もしてない」
シヴァはそれだけ言うと、胸元の服を掴むシナムを尻目に外へ出た。
夜中の暴風雨が嘘のように晴れ渡る空、澄み切った風。
蒼い空はどこまでも続いていて、果てしない彼方へと続いている。
シヴァはそんな遠くの彼方を見据えて、拳を握りしめた。
しかし途端に脱力感に襲われて、抵抗もしないままに草原の上へと倒れ込む。
激しい睡魔に襲われて、草花の青い香りに包まれながらまぶたを閉じた。
◇
ふとまぶたを開けると、そこは茜色に染まる草原だった。
まるで火にのまれているような感覚に、シヴァは自分の手が震えていることに気がつく。
どくんどくんと心臓が早鐘を打って、そしてとうとうその時は来た。
『やめろおおおおお!』
カンカンカンと警告の鐘が鳴る。
人々の叫ぶ声や断末魔が広がって、周辺は一気に火の海と化した。
「や、やめ――」
『きゃあああああああああ!』
シヴァの声と重なって、女の人の悲鳴が響き渡った。
いつの間にか辺りが真っ暗になっていて、目の前には血溜まりが広がっている。
『母さん、父さん……』
そしてすぐ目の前には、成す術もなく座り込んでいる少年がいた。
「やめ、ろ」
『シヴァ、逃げなさい』
「やめてくれっ」
『おまえは、強く生きるんだ』
血溜まりの上に、桃色の髪をした少女がたたずんでいた。
残酷なほどに無垢な笑顔を浮かべる少女は、女を庇うように重なっていた男の背中に刃を突き刺す。
鮮血が吹き出した時、幼い少年は走り出していた。
歯を食いしばって、情けなく涙を流しながら。
母親からもらったネックレスを大事そうに握りしめる少年が、シヴァの横をすり抜けて行く。
シヴァは、きっとこの少年を許すことはないのだろう。
『アハッ! キャハハハハハッ!』
桃色の少女が、お腹を抱えて無邪気に笑う。
「くっ……うあああああああああああああああ!」
歯を食いしばり血が滲むほどに拳を握りしめたシヴァは、やり切れない叫びを上げた。
◇ ◆
ふとまぶたを開けると、日の沈みかける空が見えた。
身体中から流れる嫌な汗に不快感を覚えながら、シヴァは重たい身体を無理やりに起こして額を拭う。
ポタリ、と地面に赤い雫が落ちた。
なんとはなしに額を拭った手の平を見ると、眠りながら拳を握りしめていたのか、爪先が赤く手の平が血で滲んでいる。
「いって~……」
ケロリとして手を振っていると、建物からおたまを持ったシナムが出て来た。
「おーいシヴァ、飯だぞ~。叫び声が聞こえたけど、なんかしてたのか?」
「いや、別に~」
近づいて来たシナムから手の傷を隠すように背中へ回し、シヴァは寝足りなさそうにあくびをする。
顔を逸らす青年に、不信感を抱いたシナムは口を尖らせた。
「おまえは、わたしに何も言ってくれないな……」
「…………」
「わたしは一体、おまえのなんなんだ?」
不安そうに両手を重ね握るシナムに、シヴァはバツが悪そうに頭をかいて立ち上がる。
無言で建物の入り口まで行くと、少しだけ振り返って肩越しにシナムを見た。
「行き倒れてたオレを助けてくれたことには、すごく感謝してる。でも、オレの目的にオマエは関係ないよ」
そう切り捨てるように言い放って、シヴァは建物の中に消えて行く。
沈み切った夕日。
穏やかな風が吹く夜空に、無数の星がまたたいていた。
「関係、なくなんかないよ……」
シナムは静かに涙を流すと、消え入るように呟いた。
◆
星空の下を浮かぶ、黒い飛行戦艦。
前方にある大きな窓ガラスの奥に、二つの影があった。
「シキさん。目標地点まで、あとわずかです」
エディルが気を引き締めて報告をする。
その言葉を背中で受け、シキは蒼色の瞳を鋭く細めた。




