第3話『桜花(1)』
登場人物の読み仮名を書いていなかったので、ここに書こうと思います。朱麗桜花仁胡芙蓉芹星龍毅です。
その日は朝から騒々しかった。
***
「ねぇ、そっちに行ってない?!」
「何が?」
その日は朝から騒々しく、普段は静かな館の中も人々の声や足音が響いていた。
「やっぱり、当日ともなれば騒々しいわね。」
そう気だるげに言ったのは、豊かな赤い髪を無造作に纏めあげた女だ。
「そりゃ、記念すべき百周年記念式典があるんだぜ。お祭騒ぎにもなるさ。」
と、ボサボサの砂色の髪にバンダナを付けた男が呆れたように答えた。
「あんたは何かしなくていいの?またあの子に嫌味言われるわよ。」
ぎくっと体を震わせる男に女は隠さず笑った。
「あぁ〜……、なんとかなる?」
「さぁ?あんたが自分の仕事やればいいだけだろうけど。」
「そんなぁ〜……。あの女苦手なんだよ。」
武道に優れる男の何とも情けない様子に笑いが止まらない。赤い髪の女、もとい、芙蓉は楽しくて仕方がなかった。
「きちんと仕事をしてればそんなことにはならないはずだろう?」
苦く歪んでいく男の顔を好勝手にいじめていれば、穏やかな男の声がかかった。
「朱麗〜……。領主さまの優しさを俺に示したっていいだろ?」
男のどこか懇願じみた気やすい口調に、朱麗は目を細めた。
「仁胡。私は、桜花に睨まれる愚は犯したくない。」
いっそ、清々しいほどきっぱりした口調。
「たしかに。関わらないのが身のためだわ。」
芙蓉の同意は、見た目にそぐわない仁胡の少しばかり傷つきやすい心を傷つけた。
「あら、いじけちゃったわ。」
しゃがみこんでぶつぶつといじけてるのは無視するに限る。何げに朱麗はひどい男だったりする。
「話は変わるが、桜花を見なかったか?」
本当に無視するのね…
「さっき、芹星と一緒に中庭に行ったみたいよ。」
「そうかありがとう。」
「どういたしまして。」
心なしか足取りの軽い男の後ろ姿を見て、
「あぁじゃなければ立候補するのに……」
何にとは言わないが、芙蓉は誰にともなく呟いた。
***
「いい加減に泣き止んだらどうです?芹星。」
領主の館は執務を行なう役所と、普通に生活する母屋にわかれており、桜花と芹星がいるのはその間にある中庭だった。
「……だって、…ヒック、…誰も、……誰も私の言うこと聞いてくれないんです……」
しゃくり上げながら一生懸命桜花に訴える芹星は可愛いのだが、さすがに疲れるものがあった。
桜花の無表情な顔は、芹星のことをとても可愛がっていると自覚していたから、少しばかり心配そうに歪む。
「強気で挑めばわかってくださると思いますよ。」
「きっと!きっと、止めてくれません!だって、龍毅は……龍毅は……私のこと好だって……言ってましたから………」
顔を真っ赤にして言う姿は確かに可愛いのだが、どこか憎らしい。
はぁ、とため息を一つついて、相談にのるのも師匠の務めなのかと諦めた。
「あなたはどう思っているの?」
純粋な興味と親心とも言うべき優しさを以て桜花は問い掛けた。
「………」
「黙っていてはわからないわ。」
芹星は桜花がたった一人弟子にした、才能溢れる子だった。大切に思っている子の役に立ちたいとも思うが、これは当人の問題だとも思う。桜花はどうするべきか悩んでいた。
「……お師匠様は、朱麗様をどう思っているのですか……?」
目も顔も真っ赤にして一生懸命に話す芹星のか細い声が、どこか昔の自分を思い起こして少しだけ笑った。
「私は芹星が副官のことをどう思っているのか聞きたかったのだけれど、言えないみたいね。」
「………」
「まぁ、いいんですよ。答えられなくても。
少し長くなるけど昔話を聞いてくれますか?」
「………」
無言でこくり、と一つ頷いて。
遠いあの時を思い出しながら、桜花はゆっくりと話し始めた……
***
私が朱麗様に初めて会ったのは今から百二十年ほど前のことでした。
その当時の私は、人は皆同じように私を気味が悪いと遠ざけるものだと思っていました。
私の体は十二才だと思えないほどガリガリでしたし、目ばかり大きい上に髪は中途半端な薄茶色。
目だけが爛々としていて、異様でしたから。
朱麗様は反対に、健康的な象牙色の肌に髪は真っ黒く艶々していて、それは近寄りがたく思ったものです。
朱麗様の周りには常に仁胡や芙蓉みたいな側近が傍にいましたし、私みたいなのが近付けるような人ではないって、正反対だと思っていました。
私は暗い道を行き、あの人は明るい道を歩んできたのだと思っていたのです。
ある日、朱麗様は私のもとにやってきました。
いくら汚れを落としてきちんとした服を着ていても、私には自分がひどくみすぼらしく思えて、私は朱麗様からできるだけ体を離して座りました。
私も一応は女としての自覚がありましたから。
私を真っすぐ見て丁寧に話しだした朱麗様の話を要約すると、私についてきてほしい、とのことでした。
私はすぐには答えられませんでした。
私の能力は確かに役に立つでしょう。しかし、朱麗様はその能力がほしくて私についてきてほしいなどと言ったわけではないことは聞かなくてもわかりました。
ではなぜ?
私の中でいくつもの可能性が頭の中で浮かんでは消え、浮かんでは消えていきました。
一瞬、朱麗様は私の目を強く見つめました。
私は見入られたようにその瞳から目を離せず、彼がとても近くまで体を進めていたことにも気付きませんでした。
「私はいつか、自分の故郷に帰って人々が幸福に暮らせるよう、私の全てをかけて民を治める領主になる。そのために、私には一人でも多くの信じられる仲間が必要だ。
然るべきその時に私の傍で私を補佐してくれないだろうか。」
一瞬、頭の中が真っ白になりました。浮かび上がった疑問は一つ消えましたが、また、何故?と言う想いが出てきました。
「どうして……」
私の声は擦れ体は震えていました。私の頭の中は期待と不安と、少しの恐れでぐちゃぐちゃになっていました。
「……いやか?」
いやだとかいやじゃないだとか、私には選ぶことができませんでした。ついていけば、飢えることも寒さに震えることもなく暮らすことができるでしょう。しかし、そこが私の居場所になるかなんて時が来なければわからないのですから不安だったのです。
私はただ黙っていました。何も言うことができなかったのです。
「………いやなら首を振って。振らないなら承諾したととるよ。」
朱麗様は言っていることは少し冷たく思えても声は暖かくて優しかった。
だからか、私は俯いた顔を上げて真っすぐに朱麗様の目を見ることができたのです。
朱麗様は微かに微笑んで、そっと、私の頭を撫でました。
そして、たった一言。
ありがとう、と。
そのたった一言が私の宝物になったのです。
初めの頃は何の知識も私には無く、朱麗様に字を教わって書物を読んでみたりして、知識を貯えていきました。書物から学べることも確かにありましたが、実際に体験することが一番大切なのだと知りました。
学問も勿論のこと、武術においても私は朱麗様を師として、力を付けていきました。
同時に、私は自らのある能力に気付いたのです。
ある日のことでした。
*