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ガリア戦記  作者: カルネ
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第1話『ある男女の話』

続きをすぐに出すつもりでプロローグを投稿してすぐ書き出したものなのですが、すごく時間が掛かってしまいました。プロローグと重ねて考えると少々違和感があると思いますが、読んでくださったら嬉しいです。それではどうぞ。


 私には大切なものが何もなかった。

 大切だ、ということが私にはわからなかったからだ。

 日常はいつも同じ事の繰り返しで、現実というものに然したる興味が無かった。


 ある日、いつもと変わったことが起こった。


 私は奴隷として売られることになっていた。奴隷商人に私を売ったのは他でもない父だ。

 父は私がいらない子なのだ、と言って何度も何度も叩いた。

 声を上げるともっとひどくなるから、私は下唇を噛んで声を出さないように我慢した。

 母はいつも父の後ろで私を冷えた目で見つめた。何かを言うわけでも止めようとするわけでもなく。

 私には父にも母にもまったく似ず、大きすぎる菫色の瞳にくすんだ薄茶色の髪だった。要するに、父と母には私の姿が醜く映ったのである。

 本当はそれだけじゃない。父と母が私を売ったのには他にも理由があった。


 私に人の未来と過去が見えたからだ。

 私は母が父ではない人との間に作った子供。二人いる妹とは半分しか血は繋がっていない。半分繋がっていても私には未来も過去も見えた。妹たちには見えなかった。

 これらが指すところには、母が浮気をして生まれた不義の子だということだ。


 父も母も貴族階級出身で、スキャンダルを恐れた。と、同時に気味悪かったのだと思う。


 そして、私は売られた。


 醜く、気味の悪い子供をだれが買おうか。

 私は当然のように安く売り出された。一番最初に売られることになったのだ。


 奴隷市場の一番奥まったところに、競りの会場があった。

 台の上から見ると人の顔が一斉に私に向いているのがわかった。


 私は不思議な気分にとらわれた。

 真っすぐ前を見ていると、このまま待っていれば誰かが助けてくれる、と未来を見ずともわかった。



 5・4・3・2・1……


 0で目を瞑り、耳を押さえてしゃがんだ。耳を塞いでても痛くなるような大きな爆音が聞こえた。

 その後、見えた通り私の頭上を柱の木片が飛んでいき、奴隷商人に当たって砕けた。

 もう自分のところには何も危険なものは飛んでこないとわかってたから、私はすっく、と立ち上がり、重い足枷と手枷を引きずりながら出口へと向かった。まったく食べていなくて、体力は限界だった。


 その時。


 私のところに待ちに待った人があらわれた。その人は、痩せた私の体に残った体力と気力が、どれほどのものか、わかったのだと思う。

 力強い腕が腰に差していた剣を抜き取り、手と足両方の鎖を切り取った。剣を鞘に戻した後、その人は私を軽々と抱き上げ、爆撃のために散らかった会場内をすいすいと、軽やかに抜けていった。

 私は抱き上げられた腕のなかで、朦朧とした意識を回復しようとしたが、すぐ眠りに堕ちていった。



 目が覚めたとき、その部屋には誰もいなかった。

 私は軋むような痛みを訴える体に鞭を打ち、然程遠くもないはずの出入口へと懸命に足を動かした。

 出入口の布の下を潜り抜け外へ出ると、そこら辺にいっぱいのテントが作られてあった。

 探していた人もすぐ目の前の焚き火のところで数名と談笑していた。

 本当は駆けていきたかったが、体力的に無理だった。

 覚束ない足取りでその人の方へ向かった。


「だめじゃないの!あなたが一番衰弱していたのよ。」


 大きな声で私を呼び止めた人は、恰幅が良く、あったかくてやさしそうなお母さんという感じがした。


「私は大丈夫です。」


 本当は話をすることさえままならないほどだったが、どうしても言わなければならないことがあった。


 自らの使命とも言えることを果たすために、力を振り絞ってあの人の方へ振り返った。

 あの人は女性と私のやりとりを静かに見守っていたようだった。

 私はその人の目を、有りったけの思いをこめて見つめた。


「東の方から、奴隷商人の一団が雇った傭兵達が、近づいています。奪われた十二名の奴隷の中に、貴族の家に高値で売るはずだった、柳憐がいるからです。傭兵達の数は三十七名。二時間後にはここに到着します。戦いは避けられないでしょう。」


 痛みと体調の悪さを堪えながら、意識を集中して、見えたものをその人に伝えた。信じないかもしれない、と思いながらも、この人ならばと一縷の望みを捨てきれなかった。


「どこでそれを。」


 咎めるわけでもなく、その人は静かに問う。

 私はそれに答えたいと思いながらも、すでに限界に達していた体は力を失い、その場に倒れこんだ。

 地面に衝突する前に、暖かな腕が私を抱き留め、ふわりと抱き上げてベットに寝かせたようだった。




 私が再び目を覚ましたのは、それからずいぶん時間の経った夕方の頃だった。

 柔らかなベットの中で暫し自分を取り戻すのに時間を要したが、声をかけられて一気に目が覚めた。


「…なぜ、ここに?」


 喉が乾いてひどくしゃがれた声しかでない。


「君がいったことは事実だったようだ。確かに、傭兵を送り込んで来たよ。」


 手に持っていた厚い本を、私が横たわるベットの横に置いた。ベットの端に腰掛けて私の額をそっと撫でやさしく微笑んだ。


「疲れただろう。もう少しお休み。」


 その声が不思議なほど心の中に染み込んで、私はほっと息を吐いた。




「あら、めずらしい。あなたがそんなに考え込んでいるなんて。」


 女の手入れされた美しい手が肩に掛かる。


「私が何も考えていないとも?」


 明らかに冗談とわかる口調で嘯いた。


「そうじゃないけど。」


 女は冗談だと思ったようだ。

 男はそんな女を、穏やかに微笑んでいる表情とは裏腹に、冷めた瞳で見つめた。


 女は高級娼婦であり、男は客だった。何度か足を運んだだけだというのに、女は男をさも理解しているように言う。


 男は嫌悪を抱く自分のことを嫌悪していた。罪の無い女に八つ当りしようとしたことにも。


 男の頭からある光景が離れなかった。

 倒れてしまった少女が言った通り、傭兵は二時間後にやってきた。男には造作もないような弱い連中だった。

 男は自分の傲慢さを自覚していた。だからこそ、少女の純粋な瞳を捉えたとき、目が離せなかった。

 少女のあの瞳に見つめられるにはあまりにも自分は汚く、あまりにも世慣れていた。汚さの中に染まっていた。


 男はあの瞳に恥じないようになりたいと思った。わけもなく。唐突に。



「すまないが、もう帰らせてもらう。」

 男は迷いの無いしっかりした声で女を跳ね除けた。

「ちょっ、ちょっと!」


 女の声に振り向く気はさらさら無く、さっさと部屋を出ていってしまった。


 あの女は自分の美貌と手練手管に掛かれば、どんなに恋人に心奪われている男でも、簡単に自分の言うことを聞くと思っているのだ。

 男は女のそういうところが気に入らず、会っても月が真上に昇る頃には帰ってしまう。本当は仕事でなければこんなところに来たくなかった。




 まだ真上にも達していない少し欠けた月。

 その美しさの中には隠しきれない淋しさと、太陽に対する思慕を感じた。どんなに会いたくとも会えない二人。


 月に重なる人の面影が、ひどく男の胸を苛んだが、男はそれが何であるのか知らなかった。


 男はそれを知りたくもあり、知らなくてもよいとも思った。


 嘘も真もそれを知りたいと思う人の影の中にしか現れないというのに。


 男はただ思った。真実は月の形をしていると……――



***


 どんなときでも決してそれに当てはまらない人がいるものだ。


 私の場合は決して私を地位というもので見ない人だった。

 経済的なものはただ跡を継いだだけだし、身分というものも親から子へ受け継がれていくものだ。

 自分の恵まれた境遇に感謝すべきだというのに、幼かった私はただ身分というものが煩わしく、何かをしたいという衝動に身をまかせ、同じように変革を望む若者とともに沢山のことをした。領主を弾劾したり、反乱の手助けをしたり。


 それは確かに充実した日々だった。表だって何かをするわけではない。しかし、何かをしているという実感があった。


 そんな日々の中でふと虚しさが胸の中を過った。

 私はそんなとき、本を手に取るようになった。どんな本でもいい。簡単なものでも難しいものでもよかった。

 知識に没頭し、現実を暫し忘れることが必要だったのだ。


 立場というものに甘んじ、人に頼っていたあの頃よりも本を読んだ。

 思えば、全てはいまに必要な大切な布石だったのではないか。そう思えてならない。全ては運命だったのだ。




 自分もまた、領主として人を治めるということに携わりはじめ、人のことを考えるようになった。


 何にもかえられない大切なものもできた。


 執務机からふと窓の外を見た。

 思わず顔が綻んでしまうほどの春。


 領地のあちこちに植えられた樹木の薄桃色の花びらが美しい絨毯を作る。

 領主として迎える百度目の春だった。


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