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空と彼女  作者: むぺぺ
8/17

ざわつく腕時計

僕が彼女を描いてから、七月に入り十を数えた。夏の本格的な到来を告げる蝉の声も最近はしきりに、耳に入って来る。


「…… 暑い」


 思わず、額の汗を手で拭う。この時期になると、毎朝の楽しみも少し苦痛に感じてしまう。持ってきた水筒に入ったお茶を口に運ぶと、ヒヤっとした感触が喉を走っていく。一息つくと、再び丘を目指し、前を向く。夏の空は湿度が高まるせいか冬よりも澄んだ空は見られないが、僕にたくさんの表情を見せてくれる。嵐を呼ぶどんよりとした黒い雲が浮かんだと思うと、片方では雲ひとつない、すっきりとした青空を見せる。日も長くなり、夕日の赤々した空も見ることも楽しみだ。本当に空には無限の楽しみが広がっている。


「今日の空は少し不機嫌か…… 」


 丘を登り切り、見上げた空には大きな入道雲が空を支配していた。色は白。けれど、どこか荒々しさを感じ、単色の色だけではなく黒…… あとそれから、黄色も少し混ぜるべきかもしれない。輪郭は濃く鉛筆で何度も上からかぶせる。そうしないと、今にも地球のすべてを飲み込んでしまいそうな圧迫感が表現できない。僕の頭の中に、描かれていく空。完成が近づくにつれ、ふつふつと湧き上がる僕の芸術欲。―― あぁ、だめだ。描きたい! 僕は座り込むと、スケッチブックを広げる。頭で描き上げた空を自分の手で、感覚で、形にしていく。自分が欲するままに鉛筆を動かし、この時間に入り込むものはなにもない。空と僕だけの時間だ。息をつく時間もなく仕上げていき、最後の一撫でが終わると、僕は鉛筆をスケッチブックから離した。その時やっと、僕は大きな息を空に向かって吐く。忘れていた暑さを思い出すかのように首筋にヒタっと汗の感触を感じ、耳にも蝉の鳴き声がしきりに急に入って来る。夢の中から、現実に引き戻されるときは、空から離れる寂しさと描き終えた達成感を同時に感じる。まだ、頭がボーとして、夢の余韻が残る。徐に、絵と今の空を照らし合わせる。フッ、ハハハハハハハ。全然、似ていない。自分でも呆れて笑ってしまう。だが、それが空の魅力だ。空は常に流動的だ。人のように時間によって支配されて動いているのではない。どこからか吹く風に流されるまま自由に動く。


 ピッ、ピッ…… プチッ。

 

  ハハハ。また、軽く笑ってしまう。本当に僕と空は似ていない。僕は時計のスイッチを切ると、スケッチブックをぶらりと手でぶらさげて丘を下りて行った。


「結城、おはよう」 


バス停で、バスを待ち合わせていると美咲に出会った。普段、こんな所で会わないので少し驚いて、まじまじと美咲を見てしまう。今日は眼鏡してないのか。美咲が眼鏡を外すと、文化部の感じがなくなり、はつらつとした女性の印象に変わる。


「おはよう、美咲。今日はバスなのか?」

「うん。さすがに、この暑さで自転車はきついかな」


 そう言って、美咲は手で自分を煽った。美咲は普段、自転車通学だが今日みたいな暑い日はバスで学校に通う。インドアな僕は常にバスだ。


「結城、調子はどう?」

「別に元気だよ」

「違うわよ。絵の調子のことよ!」


 分かっている。分かっていて、ボケたんだ。


「うーん。ボチボチかな……」

「—― そう」


 美咲に元気がない。


「どうかしたのか?」


 目に写る美咲が心配になり思わず、聞いてしまう。


「ねぇ、結城。結城が人を描かないのって、子供の頃のことが原因?」

「ど、どうしたんだよ。子供の頃って……」


 無機質な金属の感触がジンと伝わる。僕は無意識に自分の右の腕に付けた腕時計に触れていた。


「結城は何も悪くないんだよ」


 美咲が、僕の目を見てそう言う。


―― 何も悪くないか…… 


だとしたら、僕はどうしてこの時計を付けているだろう。どうして、こんなにも僕は息苦しく生きているのだろう。


「分かっている。大丈夫。美咲、ありがとう」


僕は無理にでも笑う。無理にでも笑えてしまう自分に腹が立つ。それでも、悔し涙なんて流さない。目を細め、まぶたの裏でせき止める。口も緩くなるが、奥歯を噛みしめる痛みが頭にジンとなじむ。


「そう。なら、いいのだけど」


 胸をなでおろすとまではいかないが、美咲はすっと目を下した。美咲とは、それから他愛もない話をした。今日の予習はしたとか、美術の好きな作品について話した。バスが到着し、バスに乗り込んでからは二人とも静かになった。美咲は好きな小説を読み、僕は好きな空を見る。美咲はすぐ、小説に影響されるタイプらしく今日は突然こう聞いてきた。


『ねぇ、結城が生きる意味って何?』


 表紙を見ると、『僕は生きる意味を探して散る』と書いてあった。あらすじを聞いてみると、余命が決まった男女が偶然の出会いを果たし、生きる意味を探す物語らしく、美咲はバスの中で涙を流していた。ハンカチを渡すと、ありがとうとまた号泣した。


―― 生きる意味か…… 僕の場合は償いかもしれない。


 学校に着いてからも妙に今日は気分が乗らなかった。授業の半分以上はボンヤリと僕の特等席から空を

覗いていた。今日の空はには薄くぼやけた雲がまばらに空を漂っていた。風に煽られいくつもの雲が僕の目の前にをボヤボヤと通り過ぎて行った。


 キンコンカーンと、授業が終わる最後のチャイムが鳴る。


 さぁ、今日はどこ行こう。彼女は今日も居るのだろうか…… 


 教室から下を見下ろすと僕はスケッチブックを片手に担ぎ、何かの引力に惹きつけられたかのように美術部に寄らず、教室を後にした。


 下駄箱に上靴を入れ、いつもの場所に向かう。もう慣れたものだ。僕とは程遠かった土の匂いや、暑苦しいほどの野球部の掛け声も僕の耳に体に馴染んできた。


 行く道中何人かの運動部のが僕を物珍しそうに見てくるがこれも慣れたものだ。彼らにも慣れてほしいものだ。


「あら、今日はいつもよりも早いわね。コーチ」


 僕の引きつった顔を見ると、フフフといたずらな笑みを浮かべる彼女、篠原空希は僕がいつも居る木の下に居た。今日も部活があるのだろうか、陸上部のユニフォームに身を包んでいる。


「その呼び方は絶対にやめてよ。今日は美術部に寄らず、ここに直接来たから早いんだ」


 一つ彼女に文句を言うと、木を挟んで彼女がもたれかかっている反対側に座った。はいはい、と彼女は言いながらもまた、コーチと最後に言った。僕の反応を楽しんでいるのか、僕がまずい顔をすると目を輝かせて僕を見て来た。


「君こそ、今日はどうしたの。いつもこの時間は跳んでいるじゃないか」


 僕はそっけなくそう言うと、持っていたかばんなどを下におろし完全に木に体を体に預ける。


「うーん、そうねぇ…… 今日は跳ぶ気になれないからね。まぁ、そのうちかなー」


 僕の後ろから、彼女の気が抜けた声が聞こえてくる。


「それ、先生に怒られないの?」

「大丈夫よ。だって、うちの陸上部の先生、私にはちょー甘いからさ。結城こそこっちばっかり来て、大丈夫なの?」


 彼女の声が弾んで僕の耳元に聞こえてくる。


「僕は怒られて、ここに居るからね。絵を描くまで僕はずっとここさ。だから、僕がこうしてさぼっていても誰も分からない」

「そうなんだ。で、君の前に居る人はその見張りかな?」


 僕の前に居る人?


「結城。ここで、何しているの」


 キュッと身が縮こまるような声が僕の前からした。


「美咲…… どうしてここに?」

「部長として、部員の様子を見るのもお仕事だけど…… おかしいことある?」

「い、いえ…… 問題ありません」


 はぁ。と美咲が溜息をつく。


「絵の調子はどう?」


 僕はその質問に思わず、美咲から目を離してしまう。それが僕の答えだ。もぅ、と美咲の口が動き出そうとしたとき


「美咲、お久しぶり」


僕と反対側に座っていた彼女がヒョコッと出てきた。


「あら、空希じゃない。久しぶりね」


「二人ともお知り合いですか?」








 







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