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空と彼女  作者: むぺぺ
10/17

空は晴れ、心は曇天

「それまだ持っていたの!」


 僕は急な古い記憶のフラッシュバックに思わず、驚きの声を上げた。


「あたり前でしょ! あぁーまさか…… 忘れた、とか! 言い出すんじゃないでしょうね!」


 美咲が今度は僕に詰め寄る。


「あはは、まさかー…… ね?」


 僕は美咲のきつい眼差しを一度外し、おどけた顔を美咲に見せた。


 ―― ッツ


僕の顔を見た途端、美咲の髪の毛がゾワッと先立った。そして、僕から距離を取ったと思うと、手をギシギシと握り始めた。


「ね? じゃないわよ! 本当に信じられない! 結城のバカ! 結城なんてもう、知らないから!」


 僕に返事の権利を与えることなく、美咲は僕の顔面めがけて言葉を投げつけた。そして、美咲はかばんを肩一杯まで掛け直すと、くるっと、僕に背を向け、じゃ、さよならと、背を向けたまま駆け足で立ち去った。


「おい、みさ……」


僕が引き留めようと右腕を伸ばすが、空しくも僕の右腕は美咲は足を止めることはなかった。


―― まだ、覚えていたのか……


 思わず、小言を言ってしまう。その小言は空に聞いてほしくもあり、そのまま風に流されてもほしかった。制服の内ポケットに手をやる。ゴソゴソと、手で二、三度探ると一つの鉛筆が僕の手に収まった。美咲と同じ鉛筆だ。小さい頃、おじいちゃんと思い出の丘の上で、僕と美咲は小さな約束をした。たわいものない約束のはずだったのに、今日に至るまで美咲と一緒にその約束が果たされたことはない。


取り出した鉛筆を遠い目で見つめる。あれから、もう十年は経っただろうか。


「女の子はそういうスピリチュアルな話は好きだから、しっかり覚えているもんなんだよ」


 どうやら、僕の小言は風に流されやっかいな友人を連れてきたらしい。


「貴己か…… 」


 貴己はサッカー部のユニフォームを着ていた。部活の途中なのか、終わった後なのか、首にタオルをぶらさげユニフォームを土で全身を汚していた。しかし、イケメンがなせる技なのか顔は清潔さを保っており、顔と首筋にじんわりと張り付いた汗がまた彼の顔の輝きを増していた。


「美咲のあんなに怒った顔を久しぶりに見たよ。まぁ、お前絡みだと思ったが、その鉛筆をお前が愛おそうに見つめるのは久々に見たよ」


「愛おしそう……て、そんな顔で見ていたか?」


 貴己が木の下に入ってくる。僕はもう一度、鉛筆を見つめる。

 

「見ていたよ。女の子と昔にした約束を今でも覚えていて、まだ捨てきれずにいる…… まるで、少女漫画の主人公のようだ」


 貴己は顔にはりついた汗をタオルで拭いながら、ふぅと一息つく。


「貴己、あんまり僕をからかうなよ。これでも、落ち込んでいるんだ」


 取り出した鉛筆を手の上で一回、二回と転がす。


「だったら、言ってやれば良かっただろ。お前がまだ、約束を覚えていて、大事に今もそのお守りを持っていることを」


「…… 言えないよ」


「どうして?」


「僕がまだ、本当の意味で絵を描けないから…… 」


 腕時計を軽く擦る。ジンとした冷たい感触、鼻につく鉄の匂いが何時でも僕の中の忌まわしき記憶をよみがえらせる。美咲と約束したのはこの時計を持つより前のことだ。


「芸術のことは俺にはよく分からないけど、お前が言いたいことはなんとなく分かるよ。まぁ、でもその気持ち…… きっと、美咲も知りたがっているはずだぞ」


 貴己が諭すように僕に言う。貴己は友達との距離間が上手いと思う。貴己は基本的に明るく誰でも話せるやつだが、こういうときにはあまり話を深く掘り下げず、適切な距離を保ってくれる。


「うん。いずれ、話すよ」


 僕はできるだけ、明るい声で貴己に返した。


『おーい! 貴己! 練習、再開だってよ!』


 グランドの方から野太い大きな声がしてくる。声をした方を見ると、貴己と同じユニフォームを着た一人が手を大きく振っていた。


「おぅ! 今、行く!」


 貴己は気合を入れるかのようにもう一度、スパイクの紐を結び直した。


「まだ、練習するのか?」

「大会が近いからな。試合、見に来いよ」


 僕は練習という言葉に頬がコケ落ちそうな思いになるが、貴己にはそんな思いはないのだろう。貴己は気合が入った表情をして、戻るグランドを見つめた。

 

「あぁ、行くよ」


 貴己はそっか、と笑顔で僕を見ると仲間が呼ぶ方へと走っていった。


「さて、俺も荷物を片した後、帰るとするか」


 僕は美術室に戻る中、空を見上げなかった。一度、見上げれば僕は空に心を奪われその場に立ち尽くしてしまうだろう。心は空っぽになり、晴れ晴れとした気分で僕は家に着く。いつもなら、それでよかった。けれど、僕が今抱えている心の曇りはきっとそうしてはいけないものなのだろう。




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