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9.崩れたピラミッドと埋もれたピラミッド(西暦二一一八年~二一二一年)

 初めて、リュウイチがトラオに会ったのは、彼が中学生の時だった。中学校から帰宅したリュウイチに

「初めまして、トラオ・タニヤマです」

そう言って応接室で手を差し出したのは、白髪の老人であった。

「リュウイチのお父さんだよ」

里親の女性がそう告げた。親の名前を知ったのは三年程前のことであり、立体映像通信で二、三度話して以来音信はなかった。トラオは木星系では著名な学者であり、忙しくて子のことなど構っていられないのだと思っていたし、まさか地球にやってくるなど想像していなかったから、親子の対面は寝耳に水であった。

「……」

リュウイチは手を差し出すことも忘れて、トラオを見つめた。

「よく似ている。わしの子供頃によく似ている。あっ、瞳の色が少しちがうな」

老人は手を差し出したまま呟いた。

「父さん?」

 眼前の老人は、立体映像で見た父と同じ外見ではあるが、暖かな空気を纏っていた。戸惑うリュウイチを優しく見守り、控えめに息をし、興奮を抑えている。そして、嗅いだことのないコロンの香りが漂っていた。

 リュウイチは、唐突に、老人がクローン親であることを理解した。老人の右手のほくろの位置がリュウイチと全く同じなのだ。

 瞳の色は確かに異なる。老人の瞳はブラウンであり、リュウイチの瞳はヘーゼルである。ただ、この程度の違いは珍しくない。特に自然受精世代とクローン世代では、遺伝子の発現の仕方に多少の差があるのは知られていた。

 リュウイチが中学生だった頃、すでに子供の大半は誰かのクローンであった。クローンであれば、遺伝子は同じで肉体的な特徴はよく似ている。ただ、遺伝子が同じでもその発現の仕方は異なるから、特徴が全く同じというわけではではない。瞳の色が異なってもおかしくはない。

「ちゃんと、ご挨拶なさい」

里親がリュウイチの肩を叩きながら促した。

「えっ、あっ、は、初めまして、リュウイチです。俺はあなたのクローンですね」

リュウイチは観念して握手をした。

「聡明な子じゃな。その通りじゃ」

まるで、弟子を褒める師匠のようにリュウイチを褒めた。


 二十一世紀に入って生命科学は爆発的に進歩した。大抵の病気は早期発見、早期治療ができるようになった。コールドスリープによる老化抑制効果も入れて人類の平均寿命は大幅に伸びた。更なる長寿命を目指して、科学者たちは、生まれてくる子供の遺伝子を操作した。病気因子を除去したのである。これによりある病気にはかかりにくくなったが、別の病気のリスクが増えた。遺伝子の作用、遺伝子の発現の仕方は、科学者の予想よりはるかに複雑怪奇であり、結局、遺伝子操作で寿命を延ばすことはできなかった。

 そこで、注目されたのがクローンである。遺伝子は全く同じで、発現の仕方も似ている。親の肉体の長所も短所もかなりの確率で再現される。親が心臓病のリスクが高いのであれば、クローン子でも心臓病を警戒すればいい。そうすれば、不要な検査によるリスクも下げられる。

 一方、旧来の父母の遺伝子を半々に混ぜる二性子は、どのような遺伝的特徴が発現するかが予測しがたくリスクが高いとみなされるようになった。例えば、父母が聡明壮健であっても子供がそうだとは限らなかった。その結果、クローン子が法定承継人として一般的になり、結婚制度が崩壊した。もちろん、親とクローン子の親子関係まで崩壊したわけではない。

 丁度この頃、原因不明の自然受胎率の低下もあり、二性子のリスクと合わせて、人類の出生率は著しく下降した。そこで、世界政府は、聡明壮健な人物のクローン子を半ば強制的に作り出し、その子らを育成専門の里親に預けるようになった。リュウイチはそんなクローン子の一人であった。

 そのような子は不幸であるとは限らない。実際、リュウイチは、経験豊富な里親の元で、のびのびと育てられた。


「何かの不具合で、つい最近、わしのクローンが居ることを知った。今頃、会いに来てすまんのう」

老人は目を伏せて謝った。

「それについては、あたしからも謝るよ。何度問い合わせても、里親協会は親の名を教えてくれなかったのだけれどね」

 里親も申し訳なさそうに言った。

 クローン子が遺伝上の親を知らないというケースは珍しくなかった。特に、法定承継人でない場合は、知らせることで遺産分割が円滑にいかないことが多く、遺産分割手続きが終了して初めて、親の名が明かされることがあった。あるいは、VIPのクローン子で、安全上の理由で、子が成人するまで、親の名が明かされないこともある。

「全く、不思議な事だが…… 今更、言っても仕方のないことだ。リュウイチ以外にクローン子はいないから、リュウイチをわしの単独法定承継人に指名するつもりだ。リュウイチに迷惑がかかることはないから安心してくれ」

 法定承継人がリュウイチ一人であるのなら、トラオの場合は、遺産分割を心配したわけではなさそうである。第一、クローン子の存在を親が知らないということは、制度上はあり得ない。もっとも、リュウイチがそれを意識したのは、ずっと後のことである。

「まっ、法律的なことはおいおい説明するとして、わしと一緒に木星系に来ないか?」

「木星系というとイオですか?」

 トラオはイオに設けられた天文台の台長である。リュウイチは、トラオが親だと知って以来、それなりにトラオについて調べた。そして、実の所、その仕事にあこがれを抱き始めていた。

「そうじゃ。イオ工業プラントの壮大さは一見の価値はあるし、通称マグマ宮殿と呼ばれる地下洞もある。何よりもジュピターの大赤斑やオーロラを間近で見られるのがいい」

「あの~、タニヤマ先生」

里親が心配そうな顔を見せた。

「ん?」

「リュウイチは、細胞年齢で十四歳です。まだ成長期ですので、低重力環境はいかがなものかと……」

里親が心配しているのは、リュウイチの肉体的な成長への影響である。

「ああ、そうだった。まだ、十四歳か? イオにも施設がないことはないが……」

トラオは耳たぶを引っ張りながら、歩き回り始めた。これが、彼が思考する時の癖なのだろう。

「十六歳ならば、連れて行って下さっても、何の問題はないのですが…… それまでは地球で……」

「う~ん。もう数年、遅く来ればよかったのか! 失敗だったかな。子供がいると知った途端に、一刻も早く会いたいと思って来たんじゃが……」

 木星系は遠い。軌道上の配置にも依存するが、三年はかかると言われている。第一費用だって馬鹿にならない。大抵のエンジニアにとって木星系行きは、片道切符である。

「俺は、行ってみたいです! 母さんには申し訳ないけれど、今、大赤斑を間近で見られるのなら他はどうなってもいい」

 ここ十年程、大赤斑はホットな話題である。南半球の大赤斑はずいぶん前に消えてしまったが、北半球に新たな赤斑が出現し、年々成長していたのだ。

「まっ、短期間ならどうじゃろう。例えば、三カ月間とか?」

「イオでの滞在が三カ月といっても、往復で、六、七年はかかるのですよね」

里親は顔を一瞬しかめて、続けた。

「といっても、大半はコールドスリープで過ごすので、細胞年齢には影響しないのでしたっけ?」

「ああ、木星行きはレベルIIのコールドスリープ施設を備えているから、実質的に歳をとることはない。でなけれりゃ、誰も辺境まで行かない」

「それなら、私は構わないし、リュウイチにとってはいい経験になると思いますが……」

里親は渋い顔を見せた。

「大丈夫だよ。母さんはいつまでも若いから」

リュウイチが細胞年齢十四歳で戻ってきたとしても、里親は確実に老いているのだ。毎日の睡眠がレベルIのコールドスリープであったとしても、暦通りの生活をしている里親は、細胞年齢で四歳分は確実に老いているはずだ。里親はそれを嫌がっているのだとリュウイチは思った。

「いや、それはいいんだよ。いつかは皆老いるし、コールドスリープが普及して以来、年上、年下は簡単に変わるから、いちいちそんなことを気にしてはいられない」

 コールドスリープ技術が普及した現代では、暦上の年齢、経過年齢が意味を持たなくなった。意味があるのは、肉体的な成熟度合と老化度合を示す細胞年齢である。

 概して地球上では、昼と夜で決まる暦通りの生活が一般的である。従って、成人のコールドスリープも六時間程度と短時間である。一方、宇宙船上では、長時間航宙の大半をコールドスリープで過ごすから、経過年齢と細胞年齢が乖離する。

「それに、逆じゃないだけ、ましだよ」

子が先に老いるよりはましだと里親は言っているのだ。リュウイチは黙って頭を下げた。


     *    *     *


 まるで、今までの年月を取り返すかのように、トラオはリュウイチを連れ回した。

 イオの工業プラントは一○○キロメートル四方に広がっている。地熱発電所が蒸気を吹き上げ、精錬工場が常時稼働していた。プラントの隣には東西方向に延びる超大な電磁カタパルトが隣接し、時折、凍結燃料やらコンテナが秒速三キロメートルほどまで加速され、打ち上げられていた。

 プラントから八方にのびたベルトコンベアが大量の鉱石を運び込んでおり、鉱山ではロボット掘削機が砂塵を巻き上げていた。噴煙の下を縦横に行き交う無限軌道運搬車を巨大な大赤斑が見下ろしている。大赤斑の住みかは巨大な木星である。まるで電灯のように天に居座る木星は視直径二○度ほどで、それが二日弱で満ち欠けする。満ちては慈母のように暖かにイオを照らし、欠けては、新月刀のように見る者を鼓舞する。辺境の父であり母であるのは太陽ではなく木星であった。

 ちなみに、自転が公転に同期したイオでは、木星の方向は変わらない。南緯二度、西経一度付近のイオ工業都市の場合、木星はほぼ天頂に存在し続ける。

 イオ天文台は、北極に近い所にある。工業都市から、垂直上昇用スラスターを備えた四輪駆動車で四○時間もかかった。イオの両極は比較的地盤が安定していて、天文観測に適しているとされている。トラオ・タニヤマの仕事は、ここからの衛星の観測が主な仕事であった。総勢五○人のスタッフが居て、天文観測以外に、イオの地質調査を行い、巨大スーパーコンピュータを運用していた。

 リュウイチの心を捉えたのは、このコンピュータであった。太陽系一の演算能力を誇ると聞かされていたリュウイチはその無秩序さに唖然とした。

「どうだ? 壮観だろう。『崩れたピラミッド』と呼ばれる」

トラオはリュウイチに言った

 一辺五メートルほどの立方体がフットボール場四面ほどの敷地に無造作に積み上げられているのだ。綺麗に積み上がられたピラミッドが崩れたように見えることから、崩れたピラミッドと呼ばれるが、れっきとしたスーパーコンピュータである。

 キューブと呼ばれる立方体は、複雑なパターンで色とりどりの光を明滅させており、局所的には地球の繁華街のような猥雑さを醸し出しているのだが、全体の巨大さが威風堂々たるオーラを放っていた。

 言葉を失ったリュウイチにトラオは説明をした。


 スパコンの歴史は二十世紀にさかのぼる。初期には、スパコン専用のCPUが開発された。密度を高め、クロック数を上げ、メモリーを内蔵し、数値計算に特化した構造のCPUを製作したが、二十一世紀になる頃には、この方法での高性能化が限界を迎え、代わりに、多数のCPUを並べて高速のネットワークを構成することで処理能力を向上させた。そして、それも二十一世紀中葉には、建物という限界を迎えた。ごくごく単純な限界である。どんなにたくさんのCPUを用意しようと、雨風をよけ、それらを収納する建物が必要である。CPUを駆動するための電力が必要であり、排熱のための冷却能力も必要であった。スパコン専用のCPUが限界を迎えたように、スパコン専用の建物が限界を迎えた。

 一方、イオは特別であった。イオ工業プラントの旺盛な生産欲は、常に製造すべきものを求めていたし、千五百度のマグマと零下百度の宇宙という温度差は、理想的な発電を可能とした。そして、公社が考え出した解がキューブであった。

 一辺五メートルほどのキューブは、頑丈な耐熱合金の内部にすべてを収納した。計算を担うCPU、データを保持する短期・長期メモリー、電力を供給するための発電システム、排熱を制御する冷却システム、自動メンテナンスを行うメンテナンスロボット、約百年分の交換部品のストック。全てを包含した独立な小宇宙がキューブである。

 このキューブは、六つの面の一番高温の面を高温源とし、一番低温の面を低温源とし、熱機関が発電を行う。理想的な条件は、キューブの下面が高温マグマに接し、上面が零下百度のイオの平衡温度に接している場合であるが、実際のキューブは何段も積み重ねられており、各キューブは与えられた温度差で可能な電力を得て可能な計算能力を発揮する。

 六つの面は情報伝達の役割をも担う。赤外領域から紫外領域に渡る超広帯域発光受光素子を埋め込まれた面は光の届く範囲にある別のキューブと通信を行う。大規模計算に必要なデータ通信はもちろん、計算結果や、計算指令、全てのデータが可能な範囲でやり取りされる。


「今現在で、二○○○万個ほどのキューブがある。でも、この乱雑な配置はひどいだろう」

トラオは、無秩序に積み重ねられてキューブ群を指さしながら続けた。

「最初は、皆、不快な顔をみせる。でも、いくら綺麗に積み重ねても、地殻変動ですぐに崩れてしまうのだ。結局は、綺麗に配置することを諦めた。効率は落ちるんだけれど、それ以上に、プラントからキューブが供給されるから、性能はどんどん上がっている」

 一言で言うならば、イオ天文台のスパコンはこれまでの効率を追い求めたスパコンとは対極にあった。適度な効率で妥協し、製造できるだけ製造し、野積みし、管理をやめて、物量で勝負したのだ。その結果、太陽系随一の能力を持った。それが崩れたピラミッドである。

 リュウイチが訪れたころは、崩れたピラミッドの最盛期に近いころであったが、その後、大きな地割れが起き、大部分のキューブはマグマに飲みこまれた。天文台もそこで働いていた職員も飲みこまれた。トラオ・タニヤマも犠牲者の一人である。

 西暦二一七八年時点では、冷え固まった大地に数百のキューブが点在するだけである。驚くべき点は、それらのキューブのいくつかは地中に埋まったキューブ群と通信が可能な点である。推定で百万個ほどのキューブが細い通信路でつながっており、今でも計算が可能な点である。通称、埋もれたピラミッドと呼ばれるキューブ群は今でもスパコンとして稼働している。ただ、キューブ間の通信が不安定で、突然、計算が打ち切られたり、何年も前にオーダーした計算の結果が突然現れたりすることも珍しくなかった。


 リュウイチが目にしたイオの光景は、その後の彼の人生を方向づけた。父親のような学者にあこがれながら高校に通い、辺境に何らかの形でかかわりたいとう思いから宇宙工科大学を選んだ。そして、手に職をつけたいという打算からスペースエンジニアを選択した。学者でもないし、宇宙船に関わる操縦士でも航宙士でもない、その他諸々を引き受ける何でも屋、それがスペースエンジニアである。そして、念願の辺境に流れ着いた。


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