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8.スペースエンジニア(西暦二一七八年一二月)

 辺境作業船ドラゴンフルーツ号の前方のオープンプラットフォームに、白い宇宙服に身を包んだ人が二人立っている。一人は巨漢、もう一人は小柄である。

「サム、命綱の固定と、モードを確認しろ」

指示したのは小柄の方、リュウイチ・タニヤマである。

「僕の命綱は、プラットフォームに固定しています。反対側は背中の収納器に繋がっていて、スピードリミットモードで、最大速度は秒速五メートルです」

答えたのは、巨漢の方、サム・シケルである。

「よし。俺の方は、プラットフォーム固定確認。モードも同じでスピードリミット秒速五メートルだ。サム、それから、パーソナルスラスターの回転リミットをオン、出力リミットを三にして、手動制御にしておけ」

リュウイチはヘルメット内のモニターを視線と瞬きで操作しながら自身のスラスターの設定した。

「了解……って、回転リミットをオンにしておくとまずくない?」

「大丈夫、回転リミットが働くのは一分間に三回転以上回転した時だけだ。途中の姿勢反転の『倒立』はゆっくり行うから問題ない」

サムの問いにリュウイチが答えた。無重力遊泳で最も怖いのは回転である。ただでさえ、方向感覚がない所で、身体がぐるぐる回転しては、容易にパニックに陥る。

 靴底、肩、腰にしこんだスラスターは、圧縮空気を噴き出して宇宙服に力を加える。推力としてはたいしたことはないが、回転防止を含む姿勢制御には必須である。

「よし、じゃ、飛ぶか?」

リュウイチは頭上の岩塊を指さした。カルポ、エウアンテのインパクトで生じた破片の内三番目に大きい破片のKE-IIIである。破片といっても、差し渡し八百メートルほどの灰色の岩塊である。そのKE-IIIに、ドラゴンフルーツは四カ月ほど加速して、ようやくランデブーした。

 リュウイチの問いにサムが親指を一本立てる。


「ブリッジ、これから飛ぶ。目標は、真上。サンドスラスターAから五十メートルほど離れた所だ」

すでにサンドスラスター四基は、KE-IIIの表面に着陸させてある。

『こちらブリッジ。了解。現在、サンドスラスターの放熱パネルの温度は自動ですが、手動で、温度を落としましょうか』

応答したのは、パトリシア・フェルミ。医師兼通信士であるが、今回のサンドスラスター設置作業のアシスタントである。木星系では余分な人員は皆無である。一人が何役もこなすのが普通である。

 リュウイチ一人でできる作業にサムが加わっているのは、サムの船外活動経験を増やして、ライセンスを取らせるためである。

「そうだな、少し眩しいから、温度を下げてくれ」

『こちらブリッジ。では、八百度に下げます』

頭上でヒマワリのような大釜が輝いている。花びらに当たるのが放熱パネルだ。その光が見る見るうちに減光していく。

『こちらブリッジ。このぐらいでいいかしら』

「ああ、これでいい。これなら、ランディング地点もよく見えて、丁度いい」

『余った電力は蓄電池に回しますが、充電池がフルになるまで一時間ほどです。それまでには、放熱パネルの温度を戻さないといけないので注意してください』

「ああわかっている。これさえ、なければ原子力電池は完璧なんだけれど」

リュウイチは呟いた。

 原子力電池は、プルトニウム238の自然崩壊で出て来るアルファ粒子を電気に変える電池である。プルトニウム238の半減期は九十年だから、ほぼ一定の電力を出し続ける優れたエネルギー源である。唯一の欠点は、電力を止めることが出来ない点である。そこで、使わない電力は貯めるか捨てる。貯める役割を担うのが蓄電池で、捨てる役割を担うのが放熱パネルである。

 放熱パネルは、パネルを灼熱させることで、その放射熱でエネルギーを捨てる。パネルの温度を下げて放射光を減光することは可能だが、その分、排熱量が減り、蓄電量が増える。和が一定の単純な足し算である。ただ、蓄電量に限界がある。それを超えると熱で電池が溶け始めるから厄介なのだ。

『こちらブリッジ。ぐずぐずしていると、リュウイチの愛する電池がメルトダウンするわよ』

「ちっ、勝手にほざいていろ!」

もちろん、そのような事態になれば、放熱パネルの温度が自動的に上がって、メルトダウンを防ぐようにプログラムされている。とは言っても、すぐそばで放熱パネルが温度を上げ始めたら、恐ろしいのは間違いない。最高温度は千二百度なのだから。

 常に機嫌をとならなければならない電池は、もしかした女心よりも厄介かもしれない。


「サム、行くぞ」

ぶっきらぼうにリュウイチが言い、

「了解しました、チーフ!」

サムが元気よく答えた。

「よし、サムが先に飛べ。思いっきり真上にジャンプだ。地球上で垂直跳びが五十センチなら秒速三メートルは出るぞ」

「地球上で垂直跳びですか…… 僕は地球に行ったことがありません」

サムが声を落として言った。

「あ、悪い。今のは忘れてくれ。遊戯室での訓練を思い出してくれればいい。あれは難しくなかっただろ?」

先日、無重力遊戯室で、サムにパーソナルスラスターの使い方を一通り教えて練習させた。もっとも、後半は、自主訓練をさせたから、どこまで上達したかは確認していない。

「えっ、ああ、む、難しくなかったよ」

パーソナルスラスターは一度経験すれば、それほど難しくないはずである。リュウイチ自身も、まともに教えてもらった覚えがなかた。唯一の気がかりは、迷子になるかもしれないと言う恐怖感である。だが、今回は命綱が本人と船の間に張られているから心配はない。

「とにかく思いっきりジャンプだ。俺がサムに合わせるから」

サムは内向的な気分屋である。ちょっときついことを言っただけで、落ち込むから、気をつけないといけない。

「わ、わかりました。それじゃ、サム・シケル、飛びます!」

サムが真上のKE-IIIに向かって移動し始めた。秒速二メートルも出ていない。それでも、背中につけた命綱がぐんぐん伸びていく。

「そ、それでいい」

リュウイチは舌打ちしたいのをがまんして言った。

「リュウイチ・タニヤマ、飛びます!」

リュウイチもプラットフォームを蹴った。


 頭上のKE-IIIまで、凡そ二○○メートル。辺りは漆黒の宇宙。真空で温度は絶対零度に近い。何かの拍子に命綱が切れて漂い出せば、迷子になり、永久に発見されないことだって有り得るのだ。それを意識すれば、本当の孤独が理解できる。

『こちらブリッジ。二人とも、速度、方向共に順調よ。もう少しで中間地点だわ』

パトリシアの細かな指摘をうるさく思ってしまうことはあるが、誰かが見守ってくれるという安心感は貴重だ。

「ありがとう、パトリシア。そのまま、モニターしていてくれ。

 サム、ここで、方向転換だ。最初は自動がいいだろう。アイコンタクトでパーソナルスラスターのメニューを開いて、姿勢制御セットから、『倒立』を選んで実行しろ」

「えーっと…… これかな? オプションがいくつかあるけれど……」

「オプションは、回転する時の方向と速度だ。今は意識しなくていい。オプションなしで『実行』だ」

「了解。実行します。三、二、一、ゼロ」

前方を行くサムが突然左方向へ進路を変え、横向きに回転し始める。

「えっ、何これ!」

サムが驚いて手を振った。

「ちっ、こら馬鹿サム! 手動でスラスターをふかしやがった!」

倒立メニューを実行するはずが、靴底のスラスターをオンにしたのだ。

「リュウちゃん、回転リミットが働かないよ!」

リュウイチは靴底のスラスターを手動で吹かして、サムを追いかけ始めた。

「大丈夫、慌てるな、そんなに速く回転していないってことだ!」

回転リミットは、身体の回転が速すぎる時に、自動的にスラスターが働いて回転を止める機構だ。

「……いや、リミッターが働いていない?」

リュウイチは小声でつぶやいた。サムの回転は速い。リミターが設定されていなかったか、故障しているのだろう。サムは、側転で一秒間に一回転はしている。

「怖いよ!」

サムが身を縮めた。途端に、回転が速くなる。

「あのバカ! スケーターか」

リュウイチはエウロパの巫女の氷の舞を思い出していた。スピン中に腕を折り曲げることで、回転半径を縮めてスピンアップする。それと同じ原理でサムの回転速度が上がった。

 回転が速いと遠心力で血が上る。もはや、サムは正常に判断できないのかもしれない。

『こちらブリッジ。進行方向にサンドスラスターあり、放熱パネルに触れないように注意して…… 船長は黙っていてください!』

パトリシアの通信が入る。背後で船長がわめいているに違いない。だが、今回の作業チーフはリュウイチである。横からの口出しは現場を混乱させる。パトリシアもわかっているのだろう。

「ああ、地獄の炎が見えるよ。ブリッジ、あと何秒かかる?」

「こちらブリッジ。二○秒程です。それから、命綱の遠隔操作はできません」

「ああ、わかっている」

ブリッジから、遠隔で命綱を巻き戻せば、サムのサンドスラスターへの衝突は避けられるはずだが、生憎、リュウイチの判断で、遠隔操作はできないようになっている。

「サム、命綱を巻き戻せ!」

「……」

「おい、聞こえているか?」

「……」

「ちっ、ダメか。これだからお子様は……」

とにかく、回転を止めないといけない。リュウイチは手を伸ばしながら言った。

「お子様じゃない!」

怒ったサムが急に体を伸ばした。回転速度が落ちたが、伸びたサムの足がリュウイチを蹴った。おかげで、サムの回転はピタリと止まり、代わりにリュウイチが前方へ押し出された。

「危ない!」

パトリシアが叫んだ。

 リュウイチの目前に灼熱した放熱パネルの一枚が迫る。人一人がすっぽり収まってしまうほどの大きさの板である。触れれば、火傷では済まない温度だ。宇宙服ごと炭になるのは間違いないし、後で誰かが放熱パネルの汚物を掃除しないといけない。

『リュウイチ!』

メイファンの悲鳴が聞こえた。パトリシアのそばでリュウイチ達の作業を見守っていたのだろう。リュウイチはゴクリと喉を鳴らして、ベルトのスイッチを押した。

 途端に腹を殴られるような衝撃がリュウイチをおそい、体が止まった。命綱にロックをかけたことで、伸びが止まったのだ。ピンと張った命綱がリュウイチを放熱パネルからゆっくり引き離した。

「た、助かった……」


「この、ど阿呆!」

早々に作業を切りあげた二人を船長の怒声が待っていた。

 その後、リュウイチはマイケル・リサール船長にたっぷり絞られた。問題になったのは、サムが自主訓練をおざなりにしたことではない。リュウイチがそれを見逃したことである。

「貴様、経験者なら、新人の教育ぐらいしっかりせんか!」

何度目かの船長の叱責にも、リュウイチはただただ

「申し訳ありません!」

と謝るしかなかった。そして、そんな怒りがいのないリュウイチに、

「ただでさえ、貴重なマンパワーなんだから……」

と船長はこぼした。


「全く、命を粗末にしてくれるなよ。お前は大事な息子なんやから」

船長は最後に小声でそう呟いた。

 船長の息子という言葉に引っ掛かりを覚えたリュウイチはその呟きを心中で反芻しながらブリッジを後にした。


 リュウイチの父親のトラオ・タニヤマは、イオの天文台に勤めていた著名な惑星科学者であったが、イオの大地割れに飲み込まれて行方不明になった。もう六十年近くも前のことである。母親はもともといない。リュウイチは父親のクローンであるから。だとすれば、船長の言った『大事な息子』とはトラオの大事な息子という意味になる。

 トラオが行方不明になった時、リュウイチは、まだ地球で高校生だったし、木星系に来ることはもちろんのこと、スペースエンジニアになることも夢想していなかった。むしろ、父親のような学者になることに漠然と憧れていた。 

 船長も木星系で半生を過ごしたのは確かだろから、何かの機会に、トラオからリュウイチの面倒をみてくれるよう頼まれていたのかもしれない。だが、船長からメールをもらったりしたことは無かった。

 船長が本当にリュウイチのことを気にしていたのなら、トラオが行方不明になった時や、宇宙工科大学を卒業して小惑星系開発公社で働き始めた時や、木星開発公社にエウロパ潮汐発電プロジェクトの発電機設置技師としてスカウトされた時に、声をかけてもよかったはずである。

 ドラゴンフルーツ号のクルーにリュウイチがなったのは、偶然である。それまでは、サンドスラスターの開発者自らが性能試験をしつつ、カルポにサンドスラスターを設置し、操作していたのだ。ところが、ある時、突然、自然受胎、自然分娩をしたいと言い始めて、船を降りたのだ。

 そして、代わりにクルーとなったリュウイチを、迎えた船長は、最初はずいぶんとよそよそしかった。それが、いつの間にか、罵詈雑言を浴びる仲になった。

 トラオは船長の親友だったのだろうか。そして、リュウイチはトラオの大事な息子なのだろうか。

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