6.重力の魔術師(西暦二一七八年一○月)
ドラゴンフルーツ号の展望室は回転ハブの前にあり、多機能窓の向こうには、パイプで組んだオープンプラットフォームが見える。慣性航行中は無重力であるが、今は、化学エンジンとイオンエンジンの生み出す推力が○・○五Gの重力を作り出している。プラットフォームには、二月後に用いる四基のサンドスラスター50が固定されている。
「糞船長め!」
リュウイチは船軸の梯子を手の力だけで登りながら毒づいていた。
「俺が誰と話そうが、船長には関係ないのに、まったく、わけわかんねぇ!」
船長に、リュウイチが巫女と個人的に通信していることが露見し、こっぴどく叱られてリュウイチは腐っていた。そういう時に、向うのが展望室である。
「それにしても、『エウロパの売女』はひどすぎる」
リュウイチは、今日のように気分が荒れた時には、ここへ来て相棒のサンドスラスターを眺めるのだ。静かに鎮座する相棒の姿は、すやすや眠っている恋人のようで、見ているだけで安心できる。もっとも、本物の女性とそのような関係になったことは数えるほどしかないから、そのような比喩は彼の虚勢に近い。
展望室は、リュウイチにとっては聖域であるが、その聖域を侵す先客がいた。可愛い少女という外見を持ち、重力の魔術師という二つ名を持つメイファン・グェンである。もしかしたら、二十世紀生まれかもしれない彼女に、どうしてそんなに若く見えるのかという問いは禁句である。
彼女は、展望室に入ってきたリュウイチを横目で見て口を開いた。
「意外に上手くいったわね」
「上手くいってねぇ!」
「えっ、何言ってんの?」
「んっ? 船長のことじゃなくって?」
「船長? ああ、また船長に可愛がられたのね」
「可愛がられてなんかいない!」
「おお、怖っ。まるで、親に反抗する思春期の少年ね」
「違う!」
「それは置いておいてー 私が言いたかったのは、ミッションのこと。サンドスラスターのメンテナンスも燃料補給も、一応、間に合ったということ」
「ああ、そのことか。KE-IIIとランデブーできるのが、二月後というのは上々だと思う…… ちょ、お前っ、蒸留酒なんか飲んでいいのか?」
リュウイチは眉をひそめた。メイファンは、琥珀色の液体の入ったカットグラスを握っており、頬は赤く染まっていた。酔っているのは確実である。
「何か問題でも?」
前髪の奥からきらりと瞳を輝かせて、彼女は言った。
「確か細胞年齢は一三歳……」
青年の言葉を遮るように、彼女は下唇を突き出して
「フーっ」
目にかかった前髪を吹き上げた。それが低重力でゆっくりと落ちていく。
「な、なんでもありません!」
青年は慌てて視線を逸らせた。操縦士兼航宙士の機嫌を損ねるのは得策ではないと彼の経験が警告する。
「飲む?」
「飲みます。飲みます。是非、飲ませてください」
青年は、揉み手をしながら、天才航宙士の機嫌を取った。グラスをカチリと鳴らせば、機嫌が直るのは何度も経験している。
「そんなに、警戒しなくてもいいわよ。だいたい、そんな弱腰じゃ、もてないわよ」
「いや、別にもてなくても……」
青年は、グラスホルダーに手を伸ばした。
「エウロパの巫女を振り向かせたいんじゃないの?」
「えっ!」
青年はびくりと体を震わせた。その拍子に取り出したグラスが宙に浮きあがった。それが、ゆっくりと落下し始める。
「落ちるわよ」
低重力といえども、繊細なカットグラスに落下衝撃は禁物である。
「おっとと、俺としたことが……」
青年は、大げさな動作で空中のグラスをつかんだ。まるで、意中の人の名など聞かなかったかのように。
メイファンは、そんな青年をじっと見つめながら
「もしかしたら、エウロパの巫女も私と同じかもしれない」
と言った。話題を変える気はないようである。
リュウイチは、背を向けて、ボトルを手に取った。ウィスキーである。合成コルクの栓を抜いて、台の上にそっと置いた。完全な無重力の時は、あらゆるものを常に固定しないといけないし、グラスを使う事もできないが、今は弱い重力がかかっている。
「ストレート、シングルでいいわよ」
メイファンがリュウイチの飲み方を指定する。ダブルを指定しない所をみると、機嫌は悪くないらしい。
メイファン・グェンは、操縦士としても航宙士としても華々しいキャリアをもっている。エンジンの暴走で地球に落下しそうになった核燃料輸送船に別の船でランデブーし、連結し、落下を食い止めたのが伝説の始まりとされている。
当時、二○八○年代、世界政府は地上の核兵器を廃棄し、使用済み核燃料を処分するために、それらを電磁カタパルトで次々と地球周回軌道に打ち上げていた。それらを軌道上で回収して輸送船で木星系に運んでいたのだが、ある時、一隻の輸送船のエンジンが暴走し、地球へ落下する軌道に乗った。その落下を食い止めたのが彼女であり、一躍、救世主として名を上げた。
その後も、デブリ帯に迷い込んだ輸送船を救出したりしたが、華やかな活躍が嫉妬を産み出したのかもしれない。メイファンは失踪した一隻の核燃料輸送船の探索に駆り出されて、二○年程を棒に振り、人々の記憶から消えていった。そして、忘れ去れたが故に伝説となり、今も現役の操縦士であると知るのは、プロだけである。
リュウイチはドラゴンフルーツ号に乗り込むにあたって、クルーの情報を調べたことがある。それによれば、メイファンが操縦士として活躍し始める数十年前に、NASAという組織に同姓同名の科学者がいて、超技巧的なスイングバイを何度も成功させていた。それが本当の伝説の始まりだとすると、彼女の経過年齢は百五十歳以上のはずだ。だが、眼前の彼女の外見は少女である。
「聞きたいことがあるのでしょう?」
メイファンは、窓の外の明るく輝く衛星カリストに目をやった。視力が良ければ、かろうじて大きさがあるのがわかるはずである。
上気した頬、ぷっくりとした唇。あどけない少女の顔であるが、その闇のような瞳は、カリストの遙か先を見ているようだ。
「いえ、別に……」
と言って、リュウイチは、グラスにウィスキーを慎重に注いだ。
「それじゃ、一人ごとを聞いて」
グラスを舐めるようにウィスキーを口に含み、ふーっと息を吐いて彼女は語り出した。
「ルナクルという薬があるの。今のマツシタラボが開発した薬で、何種類もあるけれど、皆、神経系疾患の特効薬だわ。アルツハイマー病、運動ニューロン病、パーキンソン病。その他の疾患にも効いたわ」
「薬ですか?」
「単純な薬じゃないわ。一時期は、高密度メモリーにもつかえるという話もあった。確かルナクルVcだったかしら」
「聞いたことがあるような……」
「あるはずよ。だって、イオのスパコン、『崩れたピラミッド』に実装するプロジェクトだってあったのだから。丁度、中学生だったリュウイチが、見学しに行ったころの話よ」
「そう言えば…… 聞いたことがあるような、って、なんでメイファンは知っているんだ? 俺が中学生のころに、イオに行っただなんて! まさか、メイファンはストーカー?」
『コツン』とグラスを静かに置いたメイファンは目をすがめていた。
その眼力は老成した魔女のようである。
「な、何も言っていません! メイファンがショタコンだなんて言ってません!」
「リュウイチ! 私の話を聞く気があるの!」
「あります! あります! 是非お聞かせください!」
リュウイチは慌てて言った。
「…… まあいいわ。とにかく、それらの薬で財をなし、マツシタコンツェルンが造られていった。マツシタコンツェルンは知っているわよね」
リュウイチは黙って頷いた。
「医療機器から、宇宙機器まで。うちで使っているコールドスリープ装置も、それ用の薬なんかも、あそこの製品だし、木星系開発公社にもずいぶん出資していたと思うわ。そして、拝律教の最大のスポンサーだったこともある」
リュウイチは首を傾げた。スポンサーの話は初耳であった。
「あら、知らかった? 意外と有名な話なんだけれど…… マツシタラボの何代か前の所長にプラントルという男がいた。中興の祖と言ってもいいぐらい有能な男だったわ」
「プラントル所長のことは知っている。パシファエ灯台を作った人だろ?」
パシファエ灯台は、衛星パシファエにある施設で、拝律教の聖地だ。木星系であれば、ちょっとした望遠鏡でその火を見ることができる。
「よく知っているわね」
「だって、三年前にニアミスをしたじゃないか」
「そうだったわね。六○○万キロまで近づいたのだったかしら」
「それに、おやじの最期のボイスメールでパシファエ灯台に触れていたし」
「最期の?」
「おやじは、イオの大地割に飲み込まれたんだ」
「あのイオ入植始まって以来の大災害ね」
「そう。丁度、天文台が沈下していく最中らしくって、ひどく混乱した声だった。パシファエ灯台の火は消さないと、と言っていた。俺に言った言葉なのか、それともそばにいた同僚に言った言葉だったのか、今となってはわからないが」
「灯台の火を消せと? どういう意味かしら? 遠く離れたパシファエの原子力の火が、イオの大地割れを引き起こすはずもないし……」
「そうだよな。使用済み核燃料を熱源にしているという意味で珍しいけれど、二○○○万キロも離れていては影響を及ぼしようもないと思うが…… そう言えば、メイファンは燃料の輸送に関わったんだよな。核兵器落下を防いだ『重力の魔術師』という二つ名があるぐらいだから」
「あら、ずいぶん昔の話を知っているのね。確かに、地球周回軌道辺りでは、核輸送の仕事をさせてもらったけれど…… 木星系に、私がたどりついた時には、全てが終わっていたから、私は、記者会見でプラントル所長の顔をちらりと拝んだぐらいよ」
「プラントル所長か。一体、どんな人だったんだ? パシファエ灯台を作ったぐらいだから拝律教の敬虔な信者だったのか?」
「聖律教の中でも過激な真理派だったという噂もあるけれど、見た目は真逆ね。敬虔な信者というよりは、やり手のビジネスマンと言った方がいいわ。そもそも、世界政府を説き伏せて、すべての核兵器と使用済み核燃料を木星まで運ぶと言いだしたのは彼よ」
「つまり、世界政府から多額の報酬を得て財をなした?」
「半分、当たっているわ」
「半分?」
「そう。実は、世界政府は報酬を渋ったのよ」
「ずいぶんケチだったんだな」
「まあ、核燃料を木星系まで運ぶのにかなりお金を使ったから、余裕がなかったのは確かね」
「じゃ、もうからなかった?」
「そんなことないわ。もうけは原子力電池から出た。イオの工業プラントで使用済み核燃料を精製して作った。実際に製造したのは、子会社化していたシンセイ・アトミックス。それでも、木星系の会社は多かれ少なかれ潤ったわ。そもそも、原子力電池が無ければ木星系の開発は頓挫したかもしれない。あなたの大好きな原子力電池は太陽みたいなものよ」
リュウイチは苦笑した。大好きという表現は子供っぽいが、原子力電池が無ければサンドスラスターは無かったと言っていい。第一、木星系の軌道船は、皆、原子力電池を積んでいるから、木星系の開発そのものが原子力電池で成立しているというのは誇張ではない。もっとも、原子力電池に適しているのは、プルトニウム238であって、大部分の核燃料は原子力電池に向いていない。
「なるほどね。有用なプルトニウム238を抽出して、使い道のなくなった核物質を外軌道のパシファエに運んだ」
「そう。核物質を静かに静かに燃やすのがパシファエ灯台。といっても核物質を置いているだけなのだけれど。燃え尽きるまで何百年もかかると言われているわ」
「核物質の自然崩壊熱を使ってプラズマを生成・放出し、その光がまるで灯台のように見える」
リュウイチはグラスをゆっくり掲げた。照明光を散乱し、琥珀色にキラキラと輝く光は、灯台の色によく似ている。
「そう。それが、パシファエ灯台」
「しかし、やり手のビジネスマンが、なんでまた役にも立たない灯台を作ったのかな?」
「さあ、どうかしら? 最初は別の目的があったのかもしれないけれど、娘を弔う聖地にしたかったのかもしれないわね」
「娘を弔う?」
「プラントル所長には一人娘がいて、施設建設中の事故で亡くなったそうよ。確か、2090年ごろだったと思う。灯台に自分の娘の名前をつけようとしたぐらいだから愛娘だったのでしょう」
「娘の名?」
「カタリナよ。今では『パシファエ灯台』と呼ばれているけれど、ファーストライトの記者会見では『カタリナの火』と発表したわ」
「そうか……」
パシファエは直径六○キロメートルの衛星で、木星系の中では比較的大きい。ただ、木星から光速で一分以上かかる。イオの軌道半径の六○倍の位置にあるから、辺境の中の辺境である。リュウイチ達がインパクトを引き起こしたカルポ、エウアンテよりもさらに遠い。娘を弔うにはあまりにも遠い地である。
そんな、遠い所に核燃料をおかなければならない程、核物質は嫌われていたのだろうか? 辺境の辺境に置けば、誰も兵器に転用しようと思わないと世界政府が考えたのだろうか? 昔は、地球上のあちこちに格納されていたというぐらいだから、イオ工業プラントのそばに置いておけば、便利な熱源にはなったはずである。
「丁度、私が小惑星帯で失踪した核燃料輸送船を探していたころよ…… あの頃服用したルナクルIVの副作用で……」
漂っていくリュウイチの思考にメイファンの声は引っかからない。
「これ以上若くならないように……
コールドスリープを……
女性ホルモンを……
例えば、男と寝るとか……」
メイファンは、上の空のリュウイチのすねを蹴った。
「痛っ!」
「まったく、女心が分からない男ね!」
いつの間にか、グラスを洗浄機に入れて、彼女は展望室を出て行った。
「あっ、あー 怒らせた? それにしても、なんでパシファエ灯台の話になったんだっけ?」
リュウイチはグラスをそっとテーブルに置いた。低重力下で、わずかに残ったウィスキーの液面がゆっくり揺れる。まるでイオでの地震の時のように大きく液面が揺れた。
「確か、薬のルナクルの説明をしていたんだっけ…… しかし、今どき、女心なんて死語だぞ!」
ほぼ完璧な肉体の性転換が可能な時代において、男女の性に拘る必要はない。もっともリュウイチ自身は純性者である。
純性者とは性転換を一度も経験していない者のことであり、経験した者を変性者と呼ぶ。その区別は、生殖細胞を自ら作り出せるかどうかを意味し、かつては、それなりに意味のある区別であった。だが、自然受胎が困難になった現代では、生殖細胞を使わないクローンによる法定承継人の創生が一般的である。だから、純性者、変性者の区別に意味はないし、そもそも、結婚という制度自体が消滅していた。




