4.メンテナンス(西暦二一七八年八月)
ドラゴンフルーツ号のオープンプラットフォームで二人のスペースエンジニアがサンドスラスター50の口縁に取り付いていた。
「リュウイチ、ボルトを落とすなよ。タービンの奥に入ったら厄介やからな」
白い宇宙服を着た一人が、もう一人に電動トルクレンチを渡しながら言った。
「船長、今は慣性航行中ですよ。落とすじゃなくて漂わすですよ」
「いちいち、細かいことを言うな! こういう時は落とすってのが船乗り言葉や!」
「はあ」
リュウイチが気のない返事をし、船長がため息を吐く。
「とにかく、タービンの下には、原子力電池が収納してある。万が一落として、そのそばで長時間作業するのは気分がええもんやない」
「船長、放射線を心配しているんですか? この電池はアルファ粒子が主ですから、遮蔽は十分ですよ。漏れることを心配するぐらいなら太陽からの宇宙線を心配した方がいいですよ」
電動トルクレンチのヘッドが回ることを確認しながら、リュウイチは言った。この原子力電池はプルトニウム238を燃料にしており、出てくる放射線はアルファ粒子である。だから、ガンマ線と違って遮蔽は容易だ。
リュウイチは電動トルクレンチに漂流防止の紐をかけながら、続けた。
「生の使用済み核燃料と違ってガンマ線はほとんど出ませんから心配ないです。あっ、そう言えば、船長はパシファエ灯台の建設に関わったのでしたっけ?」
「……いや、そんな記憶はあらへん」
船長は、一瞬間を置いてパシファエ灯台に関わったことを否定した。パシファエ灯台にはガンマ線を出す核物質は大量にあるはずで、関係者はそれなりのリスクを負ったはずだし、核物質に過敏になるのは自然である。
「パシファエ灯台は、確か、崩壊熱で直接プラズマを生成して、上空へ吹き上げて…… 一種のイオンエンジンみたいなものだな」
リュウイチはパシフェア灯台と活躍の場面のなかったサンドスラスター01が似ている気がした。
「リュウイチ! おしゃべりもそこまでや! さっさと始め!」
「あっ、はい、船長」
「船長やない! 今は、チーフと呼ばんか、このアホ!」
今回のブレード交換では、船長が作業チーフである。指示をしながらリュウイチをサポートすることになっている。
「了解、チーフ。それじゃ、ステップ1、電動トルクレンチ無負荷試験始めます」
リュウイチが赤いボタンを押すと、ヘッドが独楽のように回り始めた。最初はゆっくり、それから速く、そして最後はゆっくりと。回転速度があらかじめプログラムされているのだ。
「電動トルクレンチ、正常!」
「よし、次、ステップ2や」
「ステップ2、一本目の取り外し。まずは、ボルトヘッドの目視点検。OKです。次、電動トルクレンチのセット。チーフ、ブレードの端を持っていてください」
「こっちは、ええで」
「電動トルクレンチON!」
リュウイチは一枚のブレードを固定しているボルトの一つを外し始めた。
「どうや」
船長が覗き込みながら尋ねた。
「スムーズですね。もう少しスピードを上げてもいけそうです」
「プラス二○%ぐらいでどうや?」
「いいんじゃないですか。はい、一本目外れました」
「パトリシア!」
船長がインカムに向かって吠えた。
「はい、チーフ。そんな大声を出さなくても聞こえています」
「小声で聞こえないよりはましやないか。とにかく、聞いとった通り、電動トルクレンチの回転速度を二○%増しや!」
「了解、チーフ。しばし、お待ちを…… できました」
あっと言う間にパトリシアが設定を変えた。
リュウイチが外したボルトを船長に見せた。長さ一○センチほどである。
「ボルトを無限袋に収納しろ」
「はい」
リュウイチは腰の袋にボルトを入れた。無限袋という名のついた袋は、一見するとダダの袋だが、口の所に細工がしてあり、一度入れた物は、こぼれ出ないようになっている。
「刃こぼれして鋭利になったブレードがあるかもしれないから気をつけや!」
「了解」
「今回は時間があらへんから、急がず、焦らず、遅滞なく、素早くこなせ!」
船長がいつもの標語を叫んだ。
「了解!」
リュウイチは一基三○○枚、四基で合計一二○○枚の、最初の一枚を外し始めた。
サンドスラスター50の心臓部であるターボ粉体ポンプは、巨大扇風機のようなものである。動翼の直径は八メートルで、一枚一枚の翼は細長く、硬さと剛性を備えたニッケル合金でできている。テニスラケットのように砂粒を叩くのがこの翼の役割であるが、摩耗のために定期的に交換しなければならない。摩耗するのは粉体ポンプのブレードだけではない。衛星の地表を削り取る掘削用の刃も摩耗する。これは、炭化タングステンを主原料とする超硬合金製であり、硬さと粘りの両方に優れた合金であるが、それでも摩耗する。こういった摩耗部品を交換するのが、サンドスラスターの主なメンテナンス作業である。
そして、メンテナンスを終えたサンドスラスターを、カルポ・エウアンテのインパクトで生じた破片天体の一つのKE-IIIに設置し、その軌道をほんの少し変える予定である。
KE-IIIは、差し渡し八百メートルほどの灰色の岩塊である。現在の軌道は、非常に細長い楕円軌道を描いており、遠木点が元のカルポ軌道に近く、近木点はイオの軌道の内側にまで入る。公転方向は順行で、公転周期は一七七日。軌道傾斜角は小さくエウロパに衝突させるには都合のよい天体である。また、ほとんど自転しておらず、サンドスラスターには好都合である。自転していると、ほとんど噴射方向を変えられないサンドスラスターでは、一方向への推力を維持することが出来ない。こういう都合のよい天体が、カルポ・エウアンテの衝突で生み出された。偶然ではない。綿密な現地調査と膨大なシミュレーションの産物である。
カルポ・エウアンテのヘッドオンインパクトから始まったエウロパ潮汐発電プロジェクトを、人類の英知の結集と賞賛する者は多い。特に木星系を約束の地と見なす拝律教幹部は、予言を成就させるため事業だと説いて、かなりの寄付金を集め、プロジェクトを推進する公社の転換社債を大量に買い入れていた。
「リュウイチ、もう少し、速うならんのか?」
リュウイチが一層目の五○枚のブレードを外し終えた時に、マイケル船長はいらだっていた。予定時間を超過していたのだ。
「これでも、前回よりは速いですよ。いっそのこと、加速航行中にも作業をしてはどうでしょう?」
「それは、あかん!」
「どうしてですか? 加速と言っても精々○・二Gですし、命綱があるから、遭難することもないですよ」
「あわててボルトを落としたらどうするんや。ここで、ボルトを落としたら船尾まで二○○メートル弱。○・二Gでも、それなりの速度を得るで」
「よほど当たり所が悪くない限りに大丈夫ですよ」
マイケル船長はため息をついた。
「リュウイチ、コロンビア号の空中分解を知らのか?」
「コロンビア号? 飛行船でしたっけ?」
「違う! それは、ヒンデンブルク号!」
「豪華客船?」
「アホ! それは、タイタニック号や。もも、ええ! 全く、最近の若いもんは何も知らへんなあ」
「す、すいません。教えてください」
「コロンビア号の空中分解は、宇宙開発黎明期の事故や。打ち上げ中に燃料タンクの断熱材が落下して、主翼の耐熱パネルが破損したんや。そしたら、大気圏突入時に、それが原因で、船は空中分解したんや」
「燃料タンクの断熱材? 主翼? その、コロンビア号は、ロケットだったんですか? それとも、飛行機だったんですか?」
「あほう! 宇宙往還機! 打ち上げと着陸に同じ機材を使った宇宙船や。まだ、キリマンジャロ山の電磁カタパルトもなかった頃の話や」
「ああ、そうでした。昔は、電磁カタパルトが無かったのでしたね」
今では、キリマンジャロ山に巨大な電磁カタパルトが設置されている。キリマンジャロは、赤道に近く、自転のスピードが生かせ、さらに標高が高いために、空気抵抗が小さい。もちろん、加速路は減圧されていて、加速中の空気抵抗は無視できるが、カタパルトから射出されて、空中に飛び出せば大きな空気抵抗を受ける。だから、なるべく高い山に設置される。キリマンジャロの電磁カタパルトの発射出口の標高は八○○○メートルである。
「そうや、だから、軌道に上がるのにロケットが必要やった。そして、地上に滑空して降りるために翼が必要やった」
「あれ、でも翼は、降りる時だけしか使わないのですね。わざわざ、地上から翼を持って行かなくても、月面の工場、ルナ工業プラントで翼を作って、軌道上で船に取りつけなかったのですか。一Gの重力井戸の底から持って上がるよりも、○・一七Gの月で作って、持って行った方がずっと易しかったのに」
「この、どあほう!」
船長が手動のトルクレンチでリュウイチを小突いた。
「いてっ!」
「ルナ工業プラントも無かった頃の話や! とにかく、今は、急がず、焦らず、遅滞なく、素早くこなせ!」
どうやら、船長はかなりイライラしているようだ。
船長が焦るのには理由がある。KE-IIIに追いつくにはできるだけ早く、速度を落とさなければならない。ドラゴンフルーツの次の減速航行までの時間的な余裕があまりないのである。
予定では、サンドスラスターのメンテナンスが終わり次第、ドラゴンフルーツの軌道変更を再開する。特に今回は途中で、イオの電磁カタパルトから送り届けられる凍結燃料とランデブーして、燃料補給をする予定であるから、タイミングを逸するわけにはいかない。
* * *
巫女とのおしゃべりは、大抵、たわいもないうわさ話である。ドラゴンフルーツでの地味な仕事も、巫女の儀式も、狭い世界の出来事である。彼らにとって、互いの生活は、目新しさが無くなってしまえば、強いて尋ねることもない。うわさ話は、多岐にわたる。イオ工業都市の新たな遊園地、月面都市、ルナホープ・ワンの流行のスポーツ、火星探査の歴史。どれも、今の二人には手の届かない世界である。もちろん、何年かすれば、イオに戻れるリュウイチと、エウロパを離れるあてのない巫女では、世界の遠さが違う。
うわさ話が一段落し、二分間の時間遅れに黙り込んでしまうこともある。そんな時、漆黒の宇宙よりも濃い闇が二人を包む。
「ねぇ、リュウイチにとって記憶って何? 前にも話したけれど、私には過去の記憶がない。どうやって、このエウロパに来たのかも、どういう経緯で巫女を務めることになったかもわからないの。皆は、記憶があるのでしょ。親、あるいは里親の愛情の記憶。子供の頃に喧嘩したこととか、初恋、故郷、学校、そんな思い出があるのでしょう。思い出のない私には、生きてきた証がない。楽しい思い出も、悲しい思い出もない……」
二分遅れのおしゃべりは、ひとしきり一方的にしゃべってから、相手のターンとなる。言葉を選び、相手の反応を予想し、勇気を出して、次の手を指すゲームのようなものである。しかも、二手先を予想しなければならないから、時に、思わぬ話題になる。
「えっ、記憶? 記憶か―」
受け答えに間があってはいけない。何故なら、その間が二分間に足されるからである。リュウイチは、言葉を紡ぎながら、素早く頭を回転させる。
「まず、記憶と思い出は違うと思う。思い出は…… もっと、色というか…… そう、感情。感情が加わったものが思い出だ。それと、もう一つ。姫に記憶がないわけじゃない。前にも言っていたけれど、夢を見るんだろう。今とは場所も時間も違う夢を見ると言っていたよね。それは、立派な思い出じゃないかな」
「もしかしたら、私は人間じゃないのかもしれない。人工的に作られた…… 最初から、大人として作られた人工生物かもしれない……」
巫女の呟きが挟まる。
「人工生物だっていいじゃないか。思い出なんかこれから作ればいい。俺との会話だって、つまらないかもしれないけれど、思い出だよ。なにより、思い出も記憶も姫が独占することはない。姫とのおしゃべりは俺には宝のような思い出になるし…… 姫の儀式は、何十億という人々の記憶となり思い出となる。その思い出は、彼らの子に伝えられ、儀式の映像は未来の人類に残される。そうやって、巫女の記憶が皆に託される」
「記憶と思い出は違うのかもしれない。でも、どちらも私にはない。のっぺりとした、紙のように薄い存在が巫女の私。声もなく、色もない、祈るだけの存在が私かしら? もしかしたら、私は、できの悪いAIなのかもしれない」
「そ、そんなことはないよ! 姫には色があり、艶がある。声には、母のような温かさがあるし、哀切を湛えた青い瞳はどんな宝石よりも輝いている。僕には、人間のような女神、いや、女神のような人間? んっ、どっちだ? と、とにかく、昔の記憶はないのかもしれないけれど、今の姫を形作った経験と記憶は確かにあったんだ。じゃなきゃ、俺がこんなにときめくはずがない」
二分遅れの会話では、ついつい、喋りすぎてしまうことがある。この時のリュウイチのように。
「記憶が託される?」
少し前のリュウイチの言葉を巫女が繰り返した。
「ん? ああ、そう、託される。いつかは、姫も俺も老いて土に還っていくだろう。最後は誰もが土に還っていく。だけど、俺達の為したことも、為さなかったことも、言葉にしたことも、言葉にしなかったことも、有形無形の記憶として、未来の俺達と俺達の子に託される。そう思えば、姫に過去の記憶がないことなんて些細な事じゃないか」
「あっ、リュウイチ……」
スクリーンの中の巫女は、急に頬に手をやり黙り込んだ。そして、徐々に上気していく。
「ときめくって……」
「ん? あれぇ?」
今度はリュウイチが顎に手をやって黙り込んだ。何をしゃべったのかを必死に思いおこす。
「まるで、私にプロポーズしているみたい……」
「プロポーズ?」
巫女の言う『プロポーズ』には古い意味がある。今では使われない用法であるが、結婚を勧誘する時の言葉であることは、知識として、リュウイチは知っていた。
「俺達の子って、まるで、リュウイチと私が結婚して、子を作るってこと?」
それがどういうことなのかは、クローン子創生が一般的な現代でも、巫女には理解できたし、想像もできた。それゆえ、巫女の頬はますます赤くなった。
「いや、まっ、その……」
そして、リュウイチも顔を赤くした。顔を赤くしたが、自分の発言を取り下げるような恥ずかしい真似はしたくなかった。だから黙っていた。
「……」
巫女も黙っていた。
「……」
二分間のタイムラグを二回分沈黙で過ごした彼らは、同時に口を開いた
「会いたいね」「会いたいわ」
簡単には会えない距離。どんなに二人の恋が燃え上っても、二人が逢うことはかなわないのかもしれない。星の運行でも変わらない限りは。




