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37.木星の天使とエウロパの天使(西暦二一八五年九月一二日インパクト六時間後)

Mon Sep 12 13:25:33 GMT 2185: 環境管理システム報告:詳細:システムへの攻撃あり、対応中

Mon Sep 12 13:30:59 GMT 2185: 環境管理システム命令権限喪失:詳細:不明

Mon Sep 12 13:34:02 GMT 2185: 軌道管理システム命令権限喪失:詳細:不明

Mon Sep 12 13:35:50 GMT 2185: マスター変更申請

Mon Sep 12 13:35:51 GMT 2185: マスター変更不許可

Mon Sep 12 13:37:27 GMT 2185: 警報レベルIII発令:システム異常

Mon Sep 12 13:39:04 GMT 2185: マスター変更許可

Mon Sep 12 13:39:40 GMT 2185: 新マスター登録名、バルバラVI-b

Mon Sep 12 13:41:53 GMT 2185: 警報レベルIII強制解除

Mon Sep 12 13:42:22 GMT 2185: 環境管理システム命令権限復旧

Mon Sep 12 13:42:35 GMT 2185: 軌道管理システム命令権限復旧


Mon Sep 12 13:50:00 GMT 2185: 環境管理システム報告:詳細:コールドスリープ・レベルIII緊急解凍終了

Mon Sep 12 13:53:20 GMT 2185: 環境管理システム報告:詳細:コールドスリープ・レベルIIIカプセル内に覚醒反応を検知

』 


 奇妙な形の部屋である。高さは家屋三階分ほどで、幅が狭く、奥行きが長いのだが、直方体ではない。丁度、ソロバンの玉を立てたような形で、その直径、すなわち天井までの高さは一〇メートル。細長い曲がった底に大きな透明なカプセルが安置されている。カチリと音を立ててカプセルのハッチがわずかに上がる。カプセルの内部では、骨ばった腕が伸び、ハッチを押し上げた。

「ゴホッゴホッ。んー、よし。生きているか」

 しわがれ声が響く。体中を透明なジェルで覆われた老人が上体を起こし、咳き込む。

『お目覚めですか』

「毎度のことだが、レベルIIIの覚醒は不快だ。おい、AI、執事モードで適当に進めてくれ」

『了解しました。プラントル様』

 天井から抑揚のない合成音が名を呼んだ。そう、老人は、マツシタラボの元所長のプラントルであった。

『最初に洗浄を行いますので、そのままの姿勢でお待ちください』

「わかった。それにしても、前からこんなAIだったかな?」

 プラントルは首を傾げた。AIのトレーニング年代に疑問を持ったのだ。AIのインターフェースは時代ごとにはやりすたれがある。人間そっくりの応答がはやった時代もあれば、機械らしい合成音がはやった時代。貴族社会風の華やかなインターフェースもあった。プラントルが違和感を覚えたのはコールドスリープ前のインターフェースと雰囲気がどことなく違うように感じたからである。もっとも、長期に渡るコールドスリープでは、副作用として軽度の記憶障害が起きることがあり、ここ六〇年ほどを断続的なコールドスリープで過ごしてきたプラントルにとって、少々の記憶違いは珍しくないし、そのことも織り込み済みである。

『洗浄の間に、前回の復習をいたしましょうか? それとも現状の報告を先にいたしましょうか?』

 カプセル内は、勢いよく水が噴き出し、ジェットバスのような状況である。プラントルは、バシャバシャと顔を洗いながら言った。

「先に現状が聞きたい。見間違いでなければ、緊急解凍をしたのだろう。それなりの理由があるはずだ」

『ご明察でございます。六時間ほど前、エウロパ上空で一秒余り加速度を受け、軌道がずれました』

「エウロパ上空を通過したということは木星に向かっているのか。まさか木星に衝突するコースだとか言わないだろうな」

『滅相もございません。元から木星をかすめる軌道ですが、それが変わるほど軌道がずれたわけではございません。ただ、『トロイの復讐』には少々支障をきたしておりますので、いずれ軌道修正は必至でございます』

「トロイの復讐か。自らその裏番人を望んだとは言え、こうも時間がかかると緊張感はないな。おい、バスタオルをよこしてくれ」

 プラントルが痩せた腕を突き出した。

『承知いたしました』

 部屋の壁から細長いロボットアームが二本突き出たかと思うと、壁に埋め込まれた収納棚を開け、バスタオルを引っ張りだして、プラントルに手渡した。ほんの一秒ほどの早わざである。プラントルは当然のようにそれを受け取ると体を拭き始めた。

「続けてくれ」

『軌道修正のタイミングは早ければ早いほど容易ですが、黄道面内にいる間はおとなしくしているのが無難でしょう』

「おとなしく?」

『現在、熱出力一〇メガワット原子力電池は、発電はせずにアイドリング状態です』

「なるほど、大半のエネルギーをガンマ線のまま捨てているのだったな」

『はい、その通りでございます。ガンマ線であればありふれていますので目立つことはありません。しかし、発電し、何らかの形で消費してしまうと熱になり、最終的にはこのアステロイドの赤外放射強度を上げてしまうことになり、目立ちます』

「なるほど、黄道面から飛び出せば、異常だとわかっても、そう簡単には追いかけてこれないと言うのだな」

『その通りでございます。ですので、本件は後日でも対応が可能です』

「よし、体の方はいい。髭剃りは後回しだ。まずは、服だ」

 プラントルはゆっくりと立ち上がり、カプセルの外へ踏み出した。

『〇・一Gほどの重力がかかっておりますので、転倒にお気を付けください』

 湿ったバスタオルをロボットアームが回収し、左右の壁から温風が勢いよく吹き出す。同時に別のアームが下着とつなぎの服を差し出す。

「わかっている。それにしても足元と頭で重力が違うのは慣れないな」

『半径五メートル、一分間に四回転の小型回転重力モジュールですので、床面と目線高さでの遠心力の違いは致し方ありません』

「自分で仕様を決めたとは言え、最後の時ぐらいまともな重力下で過ごしたいものだな」

 プラントルは下着をはきながら言った。

『報告を続けます。エウロパ上空での減速は、アステロイド地表の付着物の解析から、水によるものと推察されます。詳細な成分分析から、九八パーセントはエウロパの海水と同定できます。また、番人からの報告によりますと、海水による減速は木星系開発公社の仕業のようです。残りの三片も皆減速を受けています』

「ふん、小細工を弄しおって。まあいい、軌道修正などいつでもできる。この小惑星さえ落下させられれば復讐には十分だ。それより番人はどうしている。連絡はとれるのか」

『三時間ほど前に、番人より別れの挨拶がございました。何でも、自分は番人としての使命を十分に果たしたのでお役御免であると』

「使命を果たしただと? こういう事態にならないようにするのが使命のはずだが。私に仕事を残したということか。ミヒャエラめ、さぼりおって」

『隠蔽を解除して、公社本部の管理コンピュータをハッキングして記録を調べれば、詳細がわかるでしょう。そういたしましょうか?』

「いや、済んだことだ。今はいい。それよりさっきの成分分析だが、残りの二パーセントは何だ?」

 プラントルはピッタリとしたつなぎの前ジッパーを引き上げた。年齢相応の体形の崩れはあるが、たるんだ肉はない。

『ルナクルVシリーズが主な成分です』

「ルナクルだと? エウロパのバイオテクノロジー研究施設から漏れ出たのか? 廃棄処分したはずのものが勝手に増殖したのか?」

『こちらの方では把握しておりませんし、エウロパの情報を集めるのは至難かと思われます』

「そりゃそうだろう。研究施設は閉鎖されているし、神殿があるぐらいだ。ハッキングするコンピュータそのものが殆どないからな」

『申し訳ございません』

「しかし、二パーセントが本当にルナクルだとすると、何らかの増殖機能があったことになるが…… 廃棄分も含めて擬似遺伝子の増殖機能はオフにしておいたはずだ。偶然、放射線による突然変異でも起きない限り、増殖機能がオンになることはないはずだが……」

 考え込むプラントルに、ロボットアームが宇宙服を差し出す。

『そろそろ、外へ出てはいかがでしょう』

「外? 地表か」

『そろそろ近木点です。折角の機会ですので肉眼でご覧になってはいかがでしょうか?』

「ああ、それは人類史上最高のショーだな。だが、それは元々、スケジュールされていなかったはずだが。何か理由があったはずだ。お前は知らないか?」

『申し訳ありませんが、把握しておりません』

「何か、リスクがあったような。ひょっとすると木星のヴァン・アレン帯か。放射線を浴びるからか?」

『一瞬で通過いたしますので健康に影響が出るほどのレベルではございませんが』

「計画を立てた時は心配したのかもしれないな。まあいいだろう。外へ出よう。宇宙服を着せてくれ」

 何本ものロボットアームが宇宙服着用を手伝い始めた。


 重力モジュールを出て、エアロックを抜け、タラップを登って、隠蔽用ハッチを開けた。プラントルがいるのは、ブラックアステロイドと人類が呼称する小惑星の一つである。

「無重力だから、命綱をひっかけておかないと」

 ハッチの取っ手にカラビナで命綱をひっかけた。二〇メートルまで伸びる命綱である。もちろん、宇宙服にはエアスラスターが装備されているから、地表から少々離れてもスラスターを吹かせば戻ってくることができる。

 眼前には視界一杯に木星がひろがっており、丁度、夜を抜けて昼に入ったところである。木星の上空一〇〇〇キロメートル。木星の直径が一四万キロメートルであるから、ほとんど木星の表面を飛んでいると言っていい。そこを秒速五〇キロメートルで飛んでいくプラントル。人類史上最速の人間である。

 前方に赤褐色の新大赤斑が見えている。地球三個分を並べた大きさの超大型台風である。その上空を南から北へと突っ切るのだが、斜めから見ているためその立体的な様子がよくわかる。周辺部で渦巻く白雲が離合集散を繰り返している。赤斑に吸い寄せられる白雲の群れはやがて融合する。綺麗な渦を巻くのは一瞬で、すぐに激しい上昇気流が白雲を上方へと引きちぎっていく。まるで教科書に載っているカオスのように折りたたまれ引き伸ばされ、やがて中央部へと引き寄せられていく。盛り上がった中央部は緩やかな下降気流との規則的な旋回気流が支配的であり、一見すると穏やかに見えるが、その風速は秒速四〇〇メートルにも達する。

「こんな所に巨大洗濯機があったのか。地球を放り込めば、汚れもテロリストも人類のバグもすっかり洗い落としてくれるだろうに」

 プラントルは口角を上げてそう呟いた。


 大赤斑の激しい気流は、ブラックアステロイドの軌道にまで届きそうな錯覚を覚える。無事に通過できれば、ブラックアステロイドの軌道は黄道面から大きく離れて、太陽の周りを一周半して、地球に衝突する予定である。

「長かったな」

 百年以上かけた計画がようやく結末を迎えようとしているのだから長いはずである。

 最初の具体的な行動は、木星系に送る一隻の核燃料輸送船への細工であった。自律型AIロボットを潜り込ませ、輸送船を乗っ取り、トロヤ群の一小惑星へ着陸させたのだ。トロヤ群の小惑星は時として不安定な軌道を描く。小惑星上のウランや鉄鉱石等を採掘し、原子力電池を組み立て、イオンエンジンを増強した。そして、その推力で小惑星を不安定な軌道へ導いた。一方、木星系では、衛星パシファエに核物質を集め、通称『パシファエ灯台』を建設した。灯台の実態はイオンエンジンである。長い年月をかけ、パシファエの軌道を動かし、ブラックアステロイドと呼ばれる小惑星がパシファエでスイングバイできるようにした。

 プラントル自身は六〇年程前にエウロパの施設を閉鎖し、秘密裏に宇宙へ飛び出し、三〇年かけてブラックアステロイドに上陸した。気の長い話である。関係者のほとんどは他界しており、この作戦『トロイの復讐』を知る者はごく少数であった。拝律教真理派の幹部と世界政府高官のごく一部が知るだけであった。彼自身は、世界政府にも真理派にも与するつもりはなかったのだが、鉄槌を地球上に振り下ろすという目的が彼らの目的と一致した。世界政府は収拾のつかなくなった地球上をリセットしたいと思っていたし、真理派は、木星系の優位を確立したかった。一方、プラントルは個人的な恨みを晴らしたいという動機だった。

 地球上から核兵器核物質を一掃したことで世界平和に重要な貢献をし、コールドスリープにはなくてはならない薬を開発し、たまたまその薬の副作用が自然妊娠を困難にした。この三つはどれも人類の危機を救ったと評されている。ただ、プラントル自身にしてみれば、それらは皆、妻をテロリストに殺された後の成果であり、がむしゃらに仕事に打ち込んだ成果であり、人類の危機を救うつもりなど最初からなかった。皆、余生の産物である。一人娘のカタリナも、カタリナのクローンであるバルバラも妻の代わりにはならなかった。そう、彼は妻を殺された恨みを晴らしたいだけである。そのテロリストたちは罰せられず、非合法に国を作り、当時の世界各国と徐々に勢力を拡大していた世界政府はその非合法国を認めてしまった。形骸化していた国連は、職員を殺したテロリストの国を認めてしまったのだ。

 当時の国連や世界政府に幻滅し不満をいだいた者は多い。そういう者達がプラントルと共に行動した。ある意味、新たなテロリスト集団が生まれたのだから皮肉なものである。最もプラントル達に迷いがなかったわけではない。鉄槌を手にしたはいいが、本当にそれを振り下ろせば、百億近い命を間接的に奪うことになる。

 約百年の歳月が流れ、鉄槌が振り下ろされるまであと一五年程となり、現状では、最後のボタンに手をかけているのはプラントルただ一人である。このまま何もしなければ、地球上の百億の人類は救われる。ただ、この先、人類が小惑星落下に匹敵する破滅的状況を迎えない保証はない。むしろ、遠からず自壊すると考える学者は多い。すでに国という枠も結婚という制度も家族という形式もなくなって久しい。言葉も文化も混合し、民族という集団も定義できなくなっている。そこに、平和で平等な社会はなく、あるのは貧困と乱立する新興宗教と混沌である。リセットしたい、新天地に行きたいと思う者がいて当然である。


 プラントルは木星の壮大な光景にしばし感嘆していた。

『お客様でございます』

 AIがインカムで話しかけてきた。

「客? ここにか?」

『はい、後方、五メートルの所におります』

 この小惑星にはプラントルしかいないはずである。客など天地がひっくり返っても来るわけがない。そう思って振り返ったプラントルは、客が誰だかわかり絶句した。

 少女の人型である。薄絹のような衣が裸体を覆っており、体全体が透明なプラスチックのようなものでお思われている。気密性があり、かろうじて宇宙服の役割を果たしているように見えるが、尋常ではない。そもそも、呼吸する生物ではなく人形なのかもしれない。それがゆっくりとプラントルの方へ漂ってくる。不審物だけでも非常識であるが、プラントルが驚いたのはその顔である。

「バルバラ?」

 カタリナのクローンであるもう一人の娘のバルバラである。バルバラは、一〇歳時に記憶をセーブし、再ロードに失敗し脳死させた娘である。目の前にいるのは、娘と同じ顔を持った人型であるが、生身の人間には見えない。

「バルバラの人形か? どうやってここまで来たんだ?」

 プラントルは警戒を強めた。

「にんぎょうだなんて、ぱぱはひどいわ」

 人形と言われた少女はプラントルの手を取った。

「それじゃ、人間か?」

 プラントルは思わず手を引っこ抜こうとしたが、意外に強い力にそれはかなわなかった。

「わたしは、にんげんじゃないけれど、ばるばらのこころをもっている」

「まさか、本当か?」

「それじゃ、たしかめてみて。なんでもきいていいわよ」

「何でもいいのか?」

 生気のない肌ではあるが、それを除けば、口元も、目線も、頬の動かし方も人間と変わらない。片えくぼは、カタリナとバルバラの共通点であるが、それすら再現している。

「なんでも、なんでもいいわ。ぱぱのおきにいりのこーひーかっぷをわってしまったこととか、かたぐるましてもらって、てんじょうにあたまをぶつけたこととか、ぱぱがぶらーむすのこうきょうきょくだいさんばんがすきなこととか」

「わかった、わかったよ。疑ってわるかった。確かにバルバラの心を持っている。結局、実験は成功したんだ。バルバラI, II, IIIと失敗して、もう駄目だと思っていたんだが……」

「ぱぱがえうろぱをさったあとに、ぐうぜん、せいこうしたのよ」

「一体、誰がどうやって?」

「それについては、あとではなすわ。いまはぱぱとじゅぴたーをみていたいの」

 プラントルが油断していたのは確かである。死んだと思っていた娘が意外な形で復活したのだ。生身の人間ではないかもしれないが、本当に心と記憶がバルバラと同じならば、それで充分である。元々は妻の意識と記憶を復活できないかと考えたのが発端であり、それは不可能であるが、本当にバルバラで成功したのであれば画期的である。もちろん、本当かどうかはじっくり時間をかけて検証しなければならない。ただ、今は娘と共にジュピターを見ていたかった。

「じゅぴたーって、おおきいね。こんなちかくでみるのはじめて」

 バルバラがプラントルに抱きついて来た。少なくとも外見は一〇歳の娘である。可愛くないはずがない。

「そりゃそうだ、ここまで近づいた人類は私達が最初だからね」

「あのあかいくもにとびこんでみたい」

「新大赤斑か。そりゃいいね。この仕事が終わったら、休暇を取って訪ねてみようか」

 プラントルは近づきつつある新大赤斑をちらちら見ながら冗談を返した。

「いまからじゃだめ?」

 プラントルを見上げる瞳の可愛さは、忘れていた何かを思い出させる。つき合い始めたころの妻の顔だ。

「今はまだ…… おや?」

 プラントルは娘の背景のアステロイドの地表が遠ざかっていことに気づいた。二人とも浮き上がっているのである。

「なぜ、浮き上がるんだ?」

「あら、ぱぱにもわからないことがあるの? 正解は潮汐力。これだけ木星に近いと、結構、潮汐力があるのよ」

 バルバラの口調が急に大人びた。

「そんなに大きかったっけ」

 プラントルは落ち着いている。命綱もあるし、エアスラスターもあるから小惑星に戻るのは容易なはずである。

「加速度にして一万分の一G以下だわ」

「なんだ大したことはないな」

「そうね。一分間で七〇センチ、一〇分間で七〇メートル、一時間で二・五キロね」

「おいおい、冗談を言わないでくれ。すぐに戻るぞ」

 プラントルはベルトのスイッチを押した。ハッチに引っ掛けた命綱が巻き取られ、プラントルは小惑星に引き戻されるはずである。

「ん!」

 巻き取られた命綱の先端がそのままベルトに吸い込まれていった。先端が切られていたのだ。

「ちっ、しょうがないエアスラスターだ。バルバラはそのままじっとしていろ」

 プラントルは嫌な予感を感じながら、アイコンタクトでエアスラスターを操作した。このまま、小惑星から離れてしまえば、永遠に宇宙を漂い続けることになる。そして予感が当たる。

「あっ、なんだ! スラスターが動かないぞ。おい、AI聞こえるか、どうなっている?」

『プラントル様、マスターの指令によりスラスターの使用は不許可になっております』

 AIが丁寧な口調で答えた。

「マスターの指令? マスターは私だ。私の指令でスラスターを使用可とするんだ。今すぐにだ!」

『プラントル様はマスターではございませんので、許可できません』

「なっ、ば、馬鹿な!」

 プラントルは茫然と辺りを見回した。そして、娘と目が合う。

「さあ、パパ、行きましょう」

 バルバラの背中から真っ白な板が伸び始め、やがて大きな翼への形を変えていく。翼は、木星の希薄な大気を捉え、力を受けて大きくたわむ。

「くそ、貴様、謀ったな!」

 プラントル達は、今や小惑星から急速に離れ、木星へと落下しつつある。

「さあ、ジュピターへの旅に出かけましょう。パパと一緒の最期の旅だわ」

 バルバラはにこりと微笑むとプラントルに抱きついたまま大きく羽ばたいた。

 父娘の向かう先では大陸程の白雲と紅雲が互いに渦巻き、長さ五〇〇キロメートルの雷光を交わしていた。


     *    *     *


 マイケル・リサール元船長を弔ったリュウイチ達は、バルバラの指示で、川に向かっていた。

「GPSで座標を指定しれくれれば楽なんだけれど」

 リュウイチは救命ポッドの外でサンドスラスターの操作しながらぼやいた。

「仕方ないじゃない、ようやくデジタルとアナログの整合が取れるようになったと言っているぐらいだから、GPSなんて使えないのよ」

 ポッド内のカタリナがバルバラを弁護した。姉妹関係を結んで以来、カタリナはバルバラの肩をもつ。それがリュウイチには面白くなかった。

「GPSが使えないのに潮流を操って移動させるとか。まるでポセイドンだな。本当にできるのかな?」

「バルバラ頼みの計画を立てておいて、まだ、そんなこと言ってる」

 ポッド内のカタリナがインカムを通して話す。

「この目で確かめたいだけだよ」

 リュウイチは肩をすくめた。

「間もなくわかるわ、本当に潮流を操れるのかどうか…… あっ、思い出した」

「ん? 何を思い出したんだ」

「ほら、最初に魂の拡散の儀式をして、ミヒャエラのミサイルから逃げるために川に飛び込んだじゃない。崖が崩れて、リュウイチが意識を失った時があったじゃない」

「ああ、落氷で首を打った時のことか」

「首? そ、そういえば、そうね」

 リュウイチの首が痛かったのは、落ちてきた氷のせいではない。カタリナがリュウイチのヘルメットを蹴ったからである。カタリナは一瞬、口調を濁して続けた。

「あの時、流されて、暗渠に引きずり込まれたの」

「暗渠?」

「そう、氷の中に穴があって、その中へ川の水と一緒に引き込まれたのだけれど、途中で流れが反転したのよ。今から考えると、あれはバルバラの仕業じゃないかと思うの」

「川の流れが反転したのは確かだけれど…… たまたまかもしれないぞ」

 潮流ならば定期的に流れが変わるはずだから、いつかは反転してもおかしくない。


 指定された氷山のほとりに川があった。幅は五メートル程で流れは緩い。その川に巨大な繭のようなものが浮かんでいる。辺りの灰白色の氷とは明らかに違う眩しい純白ではあるが、温かみのある白である。全長は五メートルほど、直径は二メートル強で、後端の部分がすっぱりと切り取られ口を開けている。中は空っぽである。

「丈夫さはいいみたいだな」

 リュウイチは繭の表面を手袋をした手でコツコツ叩いてみた。厚みは二〇センチ程で、突き固めた氷のように見える。

「ちょっと、切ってみるか」

 リュウイチはカタナ、刃渡り七○センチメートルほどの人工ダイヤモンド製の直刀を抜いた。そして昇温スイッチを入れる。

『ちょっと、やばんじん! やめなさいよ』

 リュウイチが刃をあてようとすると、インカムに少女の甲高い声が響いた。

「ん? バルバラか? 見えているのか?」 

 辺りを見回すと、川面から少女の上半身が飛び出ている。体全体を透明なラップのようなものが覆っているが、薄絹のような衣を通して裸体が透けて見える。リュウイチは、寒さをものともしない雪女かと馬鹿なことを考えながら目を凝らした。

「な、なんだ? バルバラか?」

 顔は研究施設に居たバルバラと同じであるが、表情は乏しい。

『そうよ、ばるばら・しっくす・けい』

「氷の彫像か」

『しつれいね。いもうとよ』

「人形みたいに……」

「リュウイチ! 余計なこと言わずにさっさと働きなさい」

 リュウイチの悪態をカタリナが遮った。

「そ、そうだな」

 コホンと咳ばらいをしてリュウイチが続ける。

「一応、これに命を預けるわけだから、強度を確かめておきたかったんだ」

『しゅせいぶんはえうろぱのこおり。でも、るなくる・ふぁいぶでぃーをまぜているからきょうどはじゅうぶん』

「ルナクルVd?」

『でもこうおんではとけるからかたなできれる』

「氷なら得意だ。自由に成形できる」

 リュウイチはにやりと笑った。ドラゴンフルーツで飽きるほど凍結燃料を成形したのだから経験は豊富だ。

『そうね、りゅういちにもできることはある』

「なんか、馬鹿にされた気がする」

「気のせいよ。さあ、さっさと載せましょう」

 カタリナが口を挟んだ。

「そうだな、時間に余裕はないからな。よし、それじゃ、ツールボックスミーティングだ」

「了解」

『りょうかい』


「まず、この作業の目的は、イオンエンジンンを搭載したサンドスラスターを繭に載せること、そこに俺たちは宇宙服のまま乗り込む。荷物は携帯できるものと酸素だけ。ポッドも含めいらない物は置いていく。どうせ、残りのエアは二八時間分だからな」

 カタリナが頷く。

「作業の第一段階は、台車からポッドとサンドスラスターを下すこと。クレーンがないから引きずり下ろすんだが、そのためのスロープを作る。幅、高さは一・五メートルで長さは一〇メートルだ。地球上なら約……」

『じゅういちとん。えうろぱじょうでは、いってんごとん』

「そうだ一・五トンだ。俺が氷の切り出しと運搬をして、カタリナが配置と溶解接着をおこなう。ここまではいいか」

 カタリナが頷く。

「第二段階は、ポッドとサンドスラスターの切り離し、必要な荷物の確保。次に、サンドスラターから蓄電池を半分抜いて軽くする。これだけで〇・二五トンだ。それからサンドスラスター用の氷を〇・七立方メートル分切り出して装着する」

『よていじゅうりょうは』

「サンドスラスターの定格重量が一トンで、蓄電池を半分抜くと〇・七五トン、燃料となるエウロパの氷が約〇・七トン、俺たちと荷物を合わせて〇・二トン以下としているから、総重量は一・六五トン以下だ」

『そのぐらいならもんだいない。ねんりょうをよぶんにつまなくていいの』

「燃料は多すぎても少なすぎてもいけない。イオンエンジンの推力がもっと出せれば、話は違ってくるが。〇・七トンが一番いいというのがカールの計算結果だ」

『ふーん、かーるがすごいんだ』

「ん? 何か馬鹿にされたような気がする」

 アイディアの大本はバルバラであるが、それを形にしたのはリュウイチである。そして、きちんとした軌道計算をして、最適化をしたのはカールである。

「まあいい。とにかく第二段階はサンドスラスターの準備で。最後の第三段階が、繭への窓加工、サンドスラースターの繭内への収納。それに繭後端の封止」

「放熱パネルは何もしなくてもいいの? 繭の中で使ったら、繭が溶けるわよ」

「大丈夫、蓄電池にまだ余裕があるから充電すればいい。だから放熱パネルは使わない」

「繭の気密・耐圧試験は、移動しながらになるけれど、いいの?」

 カタリナの心配ももっともなことである。気密・耐圧性能が悪ければ、海水が漏れ、浸水があり得る。また水に潜った時に圧力に耐えられなければ、つぶされる。だから、あらかじめ試験をしておくのが理想である。

「できれば、そうしたいところだけど、施設もないし、時間もない。バルバラが強度は十分と言っているのを信じるしかないな」

『りゅういちがしんようしてくれない!』

「ちっ、妙に鋭いな。本当にAIなのか」

『ばるばらは、えいあいじゃない』

「ふーん、それじゃ人間か?」

『にんげんでもない。もっとすすんだひと』

「なんだそりゃ」

「ちょっと、二人ともいい加減にして頂戴! 先に進めないじゃない!」

 カタリナが叫んだ。

『「すいません!」』


 リュウイチ達は、予定通りに作業をすすめ、およそ二時間後にすべての作業を終えた。

「よし、閉止ハッチで繭を密閉したぞ」

 薄暗い繭内には、携帯電灯が四つほど配置され、内部を明るくしている。氷でできた空間という意味では、イグルーに似ているが、サンドスラスターが収納されているため、居住空間はほとんどなく、先端のわずかばかりの空洞で、リュウイチとカタリナが身を寄せ合っている。

「カタリナ、バルバラにいつでもいいと伝えてくれ」

「いちいち、伝言ゲームをしなくてもいいと思うけれど」

 カタリナが頬を膨らませ気味に言った。

「そう言うなって。俺は、その― 擬似シナプス通信ってやつとの相性が悪いみたいなんだ。かと言って電波は水中では使えない」

 カタリナは、ルナクル製の氷をとおして、脳内でバルバラと会話ができる。

「もう、本当はバルバラと話をしたくないのでしょう? どうして、こう仲が悪いのかしらねぇ? まあいいいわ。バルバラ、出して頂戴」


 ガタっと揺れて、繭が沈む

「離岸するそうよ」

 繭と岸が融着していた部分が切り離されたようだ。いったいどういう仕組みなのかわからないが、バルバラはルナクルを含んだ海水を自在に操れると言っている。元々、ルナクルは人工神経系の素材であり、海水中に張り巡らせたルナクルのネットワークで情報伝達は可能であろう。さらに、ルナクル同士の結合度を変えることで、海水の粘度を調整したり凝固させたりすることができ、温度を上昇下降させることも可能らしい。

 実際、繭はバルバラが作り出したもので、すでにいくつも作っていると言っているからバルバラの言うことはあながち嘘ではない。第一、そのバルバラの能力をあてにした計画をリュウイチが立てたのだから信用するのが前提である。

「妹が手を振っているわ」

 直径二○センチほどの小さな窓から外を覗いていたカタリナが言った。リュウイチも別の窓からバルバラVI-Kがぎこちなく手を振るのを見ていた。バルバラによれば、VIは妹であり、内海に凡そ一〇〇人ほどの姉妹がいるらしい。それらはネットワークを構成し、意識と記憶を緩やかに共有している分体のようなものらしい。バルバラ自身は、その一〇〇人の妹の姉のなのかと尋ねた所、『あねでもないし、いもうとでもない』と答えた。結局、リュウイチはバルバラの本体が何であるかを突き止めるのをあきらめた。


     *    *     *


 リュウイチ達は、川の流れに乗って南西に進んだ。ここ三日ほどのメリベイル・リネアの逃避行をほぼ逆行している。目指す先はさらに先のKE-Iインパクト地点である。凡そ、八〇〇キロメートルの行程を平均時速八○キロメートルという素晴らしいスピードで進んだ。その大部分は氷中の暗渠である。バルバラの解説によれば、海水を凝固させたり、粘度を変えて潮流をうまく誘導することで、川に流れを作りだせる。さらにいくつかの弁を設けて流速や向きを制御できるらしい。本当なら古代バビロンで空中庭園を造った技師といい勝負ができる。

 実際、リュウイチ達は、暗渠の所々に巨大なゲートがあるのを見かけた。惑星上に暗渠のネットワークを建設中で、完成すれば、分体をどこにでも送ることができるとバルバラは豪語していた。


「もうすぐ、KE-I落下地点の真下よ」

「ようやくだな。エアの残り時間は一六時間分。パトリシア達は、今頃、呑気に救助船を待っているだろう。こっちも早く合流したいところだけれど、最初の関門はエウロパ周回軌道に乗れるかだな」

「大丈夫よ」

「バルバラがうまくやってくれたとしても、その後は俺達の技量にかかっているからな。よし、やるか。標高ゼロメートル地点までの時間は予定通り?」

「聞いてみるわ」

 カタリナは、壁に手をあてて目をつぶった。バルバラとはルナクルのネットワークを介して情報をやり取りすることができる。そのためには、カタリナが繭に触れればよい。

「一〇分後に加速が始まる。二五分後に秒速は三〇〇メートルで最大。三〇分後に鉛直上昇に移って、すぐに標高ゼロメートル地点を通過」

 壁に手をあてながら、ゆっくりと読み上げるように話した。

「ほぼ、予定通りだな。そのままいけば、九〇秒後に高度四〇キロメートルに達する」

「でも、その前に繭を割って、姿勢を制御して、イオンエンジンを定格の三三パーセントで吹かす」

 壁から手を離したカタリナは、かじかんだ手を握ったり開いたりしながら言った。

「そう、その九〇秒が問題だな。それは、もう一度打ち合わせするとして、今のうちにサンドスラスターの光ジャイロを鉛直方向に合わせておこう」

 リュウイチは繭の側壁とサンドスラスターの隙間に体を入れて制御盤を操作した。光ジャイロを利用することで、姿勢の変化を捉えることができる。基準はエウロパの鉛直方向である。鉛直、あるいは水平に対して精度を出す必要がある。

「仰角二八度に対してプラスマイナス一度しか許容できないからな」

 精度が出なければ、周回軌道には乗れず、リュウイチ達は氷に激突することになる。


 リュウイチ達が、足りない推力を補うためにとった苦肉の策は、バルバラに、KE-Iが開けた大穴から空中に打ち出してもらことである。バルバラがタイミングを計って潮流を操れば、高度四〇キロメートルまで打ち上げることができる。そうして稼いだ高度を使って、周回軌道に乗るための水平速度の秒速一・四キロメートルを達成しようというのである。

 もし、バルバラの助けなしに愚直に鉛直に上昇すればどうなるだろうか。今の燃料であれば、最高上昇速度は秒速八〇〇メートル、最高高度は四七〇キロに達し、その後は真っ逆さまに落ちていく。燃料を増やせば時間は伸びるが、加速が小さくなるので、どこかに最適解があるはずであるが、落ちてしまっては意味がない。

 逆に最初から水平に加速すればどうであろうか。六一〇秒後には秒速一・四キロメートルに達し、周回軌道に乗ることができる。ただし、その間、リュウイチ達が落ちないように支えなければならない。その理想を実現したのが電磁カタパルトである。ひたすら水平に加速する。これをエウロパの氷の上でやるわけには行かない。氷上に四〇〇キロメートルのコースを作れたとしても、そこを秒速一・四キロ、すなわち時速五〇〇〇キロで走ることはほぼ不可能だ。

 では、どうすればよいか。リュウイチ達の乗った繭はエウロパの海水とともに噴き上がる。そこで繭を廃棄し、仰角二八度で推力を出す。七○○秒後に燃料が尽きる。水平方向には、秒速一・五キロメートルに達するから周回軌道に乗るための最低限の条件はクリアできる。鉛直方向の動きはやや複雑である。最初は、鉛直推力よりも重力が勝って落下するが、燃料を消費して自重が軽くなるにしたがって重力は減り、さらに水平速度が上がるにしたがって遠心力が働き、三〇〇秒後には、上昇に転ずる。この時までに、リュウイチ達は三〇キロ程落下するから、その高さをバルバラに打ち上げてもらうことで確保するのだ。

 実際には、もう二つほど考えなければいけない点がある。一つはイオンエンジンを始動するタイミングである。折角、高度四〇キロ稼いだとしても始動が遅すぎれば、遅いだけ落下するので不利である。かといって早すぎて、周りに水があっては邪魔になる。早すぎず、遅すぎないタイミングが要求される。もう一つは、燃料が尽きた後の軌道である。軌道は楕円を描くから遠エウロパ点の高度がいくら高くても、近エウロパ点の高度がエウロパの氷よりも低ければ氷に激突することになる。いくつものあり得る未来から選んだ周回軌道に乗るためのごくごく小さな可能性。リュウイチ達はそこに賭けることにしたのだ。


「潮流を操り、いくつもの分体をもつバルバラ。お前はエウロパの悪魔か、それとも天使か」

 リュウイチは窓の外の闇を見ながら呟いた。

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