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35.ダブルインパクト(西暦二一八五年九月一二日)

 木星の順行衛星カルポと逆行衛星エウアンテの正面衝突でできた破片は、大きさの順にKE-I、-II、-IIIと名付けられた。この内、KE-IIIは、既にエウロパに落下させられ、赤道付近に大穴を開けた。そしてエウロパに天変地異をもたらした。神をも恐れぬ無謀な行為と非難する者が居なかったわけではないが、人類の大多数はそれを偉業と誇り、何十億人もの拝律教信者は、約束が果たされたと捉えた。

 大穴に設置される潮汐発電機は莫大な電力を生み出し、その電力でエウロパの氷がイオに届けられる予定である。木星系は繁栄し、最終的には虚数エントロピーを生成し、宇宙の膨張を阻止し、拝律の神を満足させると信者は信じている。政治家と商売人は、木星系は地球から完全に独立した約束の地(金のなる木)となるはずだとほくそ笑んだ。

 そして発覚したのが、ブラックアステロイドを地球に衝突させるという悪魔の計画。それを阻止しようと木星系開発公社が立案したのが『破魔の矢作戦』。ブラックアステロイドの四片への分裂を受けての改案が『トライデント作戦』。

 間もなく、KE-Iは、エウロパに大穴を穿つ。これはファースト・インパクトと呼ばれる。大穴から吹き上がる水氷がブラックアステロイドと衝突する。これはセカンド・インパクトである。それによりブラックアステロイドの軌道はわずかにずれる。わずかなずれは木星でのスイングバイで拡大され、地球近傍では何十万キロメートルにもなり、地球への落下は回避される。KE-Iを動かした者、ブラックアステロイドを動かした者。星を動かす者達の最後の決戦、『ダブルインパクト』が間もなく始まる。

 とは言っても、戦場のエウロパ圏に居る者は少ない。確実なのは五名。さらに、エウロパ圏内にいるかもしれない者が一名。その次に近いのが約七〇万キロメートル離れたイオに居る者達である。イオに居る者は、今はもう戦いの行方を鷹の目で見ていることしかできない。特別に優れた目を持った面々が揃うのはイオ新天文台である。この天文台はイオ工業都市から五○キロほど離れたルワ山の山頂近くにあり、各種望遠鏡を敷地内に有するとともに、イオの表裏各地の地震計から、果てはヒマリア周回軌道上の鉱物探査衛星までの膨大な観測機器群を操作しデータを集めている。


 地殻変動の激しいイオでは建物に工夫が必要である。最も一般的な建物は華奢な可変長脚を備えた高床式である。地面が傾けば脚の長さを自動的に調整して水平を保つ。比較的安定な地盤上のイオ工業都市やプラントの建物はこれで十分であるが、さらに地殻変動の激しい地域では、可変長脚の下に車輪を備えたトレーラーハウスが用いられる。地盤の隆起沈下が激し過ぎたり、傾斜がきつくなり過ぎた場合には、車輪で移動するのである。

 こうしてそれぞれの建物は高さを変えたり、移動したりするから、建物をつないでいる通路は伸縮できるよう蛇腹構造をもち、空気や水、電気などのライフラインは余裕をもっている。もちろん限界はある。


「カール、あちこちの通路が酷いことになっている。そろそろ移動しないとライフラインが切れるよ」

 トレーラーハウスの一室にやってきたのは、体にぴったりしたインナーを着た女性である。くびれた腰と豊かな胸のラインが露わになったインナーは、宇宙服の下に着るものである。宇宙服を脱いでそのままやってきたのだろう。

「ちょっ、サ、サラ! その格好!」

 驚いて一瞬椅子から浮き上がったのは、公社科学部天文観測班班長のカール・セルダン。

「これ? 急いで来たんだから、しょうがないじゃない」

「急いでって?」

「電磁カタパルトと昔の鉛直発射台を見てきたのよ」

「救助船を見てきたのか。打ち上げられそうか?」

 カールは視線をさまよわせながら尋ねた。

「鉛直発射台の方は、点検のライセンスを持っている人員がいないから使用許可は出そうもないよ」

「点検? そんなの総裁の一言で何とでもなるんじゃないのか?」

「人事部長がうんと言わないんだ。職員の安全が確保できない以上、認められないって」

「人事部長って、コレーの息のかかった部長に変わったんじゃなかったっけ?」

「そうだけど、頭ががちがちに固いんだ」

「そうか。それで、電磁カタパルトの方は?」

「レールの位置調整で苦戦しているよ。積載燃料を減らしてでも、次の打ち上げチャンスには一機目の打ち上げると運行部長は言っている」

 カールの隣に座ったサラは、持ってきた折り畳み・展開式ヘルメットを机の上に置いた。そのヘルメットは勝手に変形して、一枚の小型スクリーンとなった。そこにカスタマイズした情報ウィンドウが表示される。そのうちの一つが電磁カタパルト発射基地の中の様子を映し出している。発射のカウントダウンはまだ始まっていない。

「一機目というとパトリシア達の分だな。軌道はわかっているから燃料を減らしても行けると思うが、それだとリュウイチ達を拾えるかが微妙だな。あいつらの軌道はわからないし、そもそも周回軌道まで上がってこれるかもわからない」

「それじゃ、エウロパで待っていれば? そのうち緊急着陸離昇機を収納した救援母船を打ち上げるのだろ?」

「そうもいかないんだ。待てないんだ」

「どうして?」

「空気がないらしい。昔の研究施設をあさったりもしたが、残りは一・五日分だ」

「一・五日分! それじゃ、救助船もぎりぎりじゃないか!」

 イオから打ちあげた救助船がエウロパに届くには一日強の時間がかかるし、燃料を最も消費しない最適な打ち上げチャンスはイオの二日間に一度だけである。

「ああそうだ。だから、リュウイチ達は自力で、パトリシアの乗ったポッドに辿りつく必要がある」

 カールはため息を吐き、サラは眉をひそめた。

「メイファン・グェンは? 行方不明のメイファン・グェンは見つかったのか?」

「微妙だな。昨日、全天監視望遠鏡がエウロパ近傍で人工的な発光を捉えた」

「人工的?」

「七バンドスペクトルは凍結化学燃料の燃焼スペクトルと同じだった。位置は、元船長が乗っているドラゴンフルーツとは異なっていた。つまり、誰かが凍結化学燃料を使っている」

「しかし、メイファン・グェンは救命ポッドで放り出されたと聞いているぞ。しかもエウロパではなく、木星を回る軌道だった」

「不可能ではない。メイファン・グェンの救命ポッドのそばには、ドラゴンフルーツが使わなかった余った凍結化学燃料が漂っていてもおかしくない。そばと言っても一〇〇キロぐらい離れているかもしれないが、それを捕まえて使っている可能性があるんだ。そうは言っても推力のない救命ポッドで一〇〇キロも移動するのは不可能なんだけれどね」

「メイファン・グェンだったとして、今どこに向かっているんだ?」

「正確な所はわからない」

「わからない?」

「発光を捉えたところまでは良かったんだか、すぐに木星の向こう側に隠れてしまった。その後、発光は見つかっていない。きちんとした軌道同定はできなかったが、データ上はL2ラグランジェポイントに向かっているように見える」

「ラグランジェポイントって、エウロパ重力圏から外れかけているじゃないか?」

「燃料が足りないのかもしれない。それとも何か意図があるのか。通信が繋がれば、こちらも対応できるけれど、繋がらない以上、指をくわえて見ているだけしかできない。くそっ! もっとやりようがあったはずなんだ。元船長を鎖で拘束しておけばよかったんだ!」

 カールは拳をデスクに打ち付けた。そして、頭を抱えた。

「メイファンもリュウイチ達も、誰も失いたくない……」

 サラは、カールの頭をそっと胸に抱き寄せて口を開いた。

「まだ、できることがあるはず。貴方にしかできないことが」

「僕にしかできないことなんて…… 情報を集めて解析することかな」

 突然、カールは顔を上げ、サラを押しのけて背を伸ばした。

「そう。やれることはいっぱいある。まずは、ダブルインパクトとその影響の監視。こっちで把握している情報をリュウイチやパトリシアに送信する」

「メイファン・グェンは?」

「うーん。いそうな所に当たりをつけて送信かな? もしかして二〇〇ギガヘルツの長距離通信がだめでも、一〇ギガヘルツの短距離通信なら何とかなるかもしれない。電波望遠鏡を少しいじれば、それなりの指向性で送信できるはず。そこにありったけのパワーをつぎ込めば、こちらからの送信は届くかもしれない。よし」

 カールは一人でしゃべって一人で納得すると、勢いよく立ち上がった。

「どうするんだ?」

「電波グループに頼んでくる。サラは、ここでしばらく番をしてくれ。もうすぐリュウイチから定時報告があるはずだ。頼んだよ」

「番?」

「報告を聞いていればいいはず。終わったら、『トライデント作戦本部』になっている中央制御室に来てくれ。観測グループが集まっている。何か羽織るのを忘れないように。わかった? 絶対だよ!」

 サラの返事も聞かずに、カールは文字通り飛んで行った。

「まったく、男って、嫉妬深いな。もう自分の女にしたつもりなんだ」

 サラは腕組みをして正面の壁スクリーンをにらんだ。


 スクリーン上では、ラグランジェポイントL1の光学望遠鏡で撮影した画像が一分に一度更新されている。スクリーンの片隅にはカウンターが二つある。一つはファースト・インパクトと呼ばれるKE-I落下までのカウントダウンであり、残り時間は1時間ほどである。もう一つはセカンド・インパクトと呼ばれるブラックアステロイドとエウロパから吹き上がった水氷との衝突までのカウントダウンである。こちらは、さらに三〇分はど長い時間を示している。他にいくつものウィンドウが出ている。エウロパ近傍の立体軌道図にはブラックアステロイド、KE-I、パトリシアとサムの乗った救命ポッド、マイケル・リサール元船長の乗ったドラゴンフルーツの位置がリアルタイムで表示されている。

 通信ウィンドウは二つあり、救命ポッド内を映し出したものと、うすぼんやりとした谷の地形を映し出したものである。どちらも、三分に一度ほど更新されている。前者はパトリシア達の乗った救命ポッド、後者はリュウイチのヘルメットに内蔵したカメラから映した風景であろう。

 待つことが嫌いなサラは、スクリーン上の通信要求ボタンに触れた。

「こちらイオ新天文台。カールの助手のサラだ。リュウイチ・タニヤマさん聞こえますか? 定時報告をお願いしたい」

サラはそう言って、黙った。光速の伝搬だけでも往復で五秒ほどかかるから、応答をじっと待つ必要がある。

『はい、こちら改造救命ポッド1、リュウイチ・タニヤマです。えーともしかして、サラさんですか?』

 映像が二分割され、一方には今までの景色、もう一方には無精ひげを生やしたリュウイチの顔が映った。

「ああ、カールの助手のサラだ。そっちの様子は?」

『こっちは、色々問題はあるけれど、絶対安全圏まで避難できそうもないのが当面の問題かな』

「大丈夫か?」

『まだ一〇〇キロほど足りないが、インパクト地点からは、すでに八〇〇キロほど離れているから、このぐらいは誤差のうちだと思う』

「空気は?」

『空気の方は足りないけれど、手がないわけじゃない。コールドスリープ装置を使えば消費量は半分以下に落とせるし、他にも手はある』

 リュウイチがアイコンタクトで操作すると、インカムの参加者からカタリナが外され、サラとリュウイチだけになった。

『カタリナがコールドスリープに入ってから、俺の空気をカタリナに譲るつもりだ』

 そういって、リュウイチはウィンクした。秘密にしろという意味であろう。そして、素早く、カタリナをインカムに再参加させた。一瞬のことである。

『一番の問題は、エウロパ周回軌道まで上がれるかだ。イオンエンジンの電極が損耗していて、だましだまし使っているから、定格推力を出したらいつ故障してもおかしくないんだ。つまり、離昇しても、軌道に乗れず、エウロパに墜落する可能性がある。空気よりもこっちの方が深刻だ。そんな所かな。そっちはどう? 何か新しい情報はある?』

 サラは、深刻な事態を冷静に報告するリュウイチに感心していた。

「いや、特に新しい情報はないな。今の所、KE-Iの軌道も四つのブラックアステロイドの軌道も予測通りだ」

『ブラックアステロイドが変な動きを見せているわけじゃないということ?』

 ブラックアステロイドが独自の推進機を持っていて、軌道を修正したりすると今の計画は無意味になる。折角、エウロパ上空でブラックアステロイドの軌道を変えても、それを修正されたら意味がない。その可能性は検討され、万が一、そのような気配が見つかった場合には、ドラゴンフルーツがブラックアステロイドを追いかけ、上陸することになっていた。ところが、そのドラゴンフルーツはマイケル元船長に乗っ取られ、今はエウロパを周回している。結局、『破魔の矢作戦』は紆余曲折を経て矢を失うことになった。

 元々の作戦ではKE-Iでブラックアステロイドを打ち落とすはずであったが、ブラックアステロイドが四つに分裂したため、KE-Iでエウロパに大穴を開けて、そこから吹き上がる円柱状の水氷でブラックアステロイドを四片とも減速させることになった。それが、『トライデント作戦』である。KE-Iを用いたこのダブルインパクトが主計画であるが、副計画ではドラゴンフルーツがブラックアステロイドを追いかけ、臨機応変に対応するはずだった。こちらは保険であるから、何事もなければドラゴンフルーツは不要である。そうではあるが、保険を失ったことに不安を感じている者は多い。

「わかっているのは軌道が変わらないことと、推定熱源の上限がメガワットオーダーだそうだよ」

『推定熱源?』

「赤外領域での放射パワーと太陽からの入射パワーの差があったとしてもせいぜい数メガワットということ」

『なるほど、エネルギー源はあったとしても原子力電池で、、常にエネルギーを出しているはずだから、放射パワーに影響が現れるというわけか』

「その通り」

『しかし、メガワットならば、旧式のイオンエンジンンを使ったとすれば…… 軌道を修正できるのかできないのか、ちゃんと計算しないとわからないな』

「計算は済んでいる。その結果、エウロパ上空でのセカンド・インパクトによる軌道変化を修正できる可能性はゼロではないらしい」

『厄介だな。そうすると、誰かがブラックアステロイドを追いかけないといけない?』

「公社としては、やれることはすべてやったのだから、次の手が必要になるとすれば、地球自らが動くべきだというだろう」

『公安としてはどうなんだ』

「公安?」

『サラは公安官なんだろう。サラが公社に命令すれば』

「公安の所掌範囲じゃないよ。公安の仕事は、もっと小さな事件や犯罪だ」

『そうなのか』

「リュウイチは、人類を救ったかもしれないんだ。誇っていいぞ」

『生還できればね』

「……大丈夫。何とかなる」

 一瞬、言いよどんだサラは、笑顔で言い切った。


     *    *     *


 KE-Iの直径は一・二キロメートル。それが、相対速度にして秒速一四キロメートルでエウロパに衝突する。核爆弾三千発のエネルギーに相当する。人類が作り出したエネルギーとしては莫大である。人類は自然をも凌駕したのであろうか? 否、二一世紀初頭、極東の国で起きた地震のエネルギーの方がさらに一桁大きい。それでも、エウロパにとっては、ここ数億年で最大のイベントである。

 そのイベントを見守るのはエウロパ赤道上空一万三○○○キロのラグランジェポイントL1に滞留する通信中継衛星。今は、四台の可視望遠鏡をすべて南半球の落下地点に向け、合成開口法で分解能を三〇メートルにまで改善してある。気象観測用の多波長ドップラーレーダー等、他にもいくつかの観測機器があるが、地球の直径ほども離れているので、観測は中々容易ではない。そのために、プローブと呼ばれる小型気象観測ユニットをエウロパの氷上にばら撒いている。ユニット内には、氷震計がわりの加速度センサー、温度計、湿度計、圧力計、傾斜計、照度計といった単純な観測機器があり、永久蓄電池が電力を供給している。通常は、電力消費を抑えるために一時間に一度、データを送っているが、今は、インパクトに備えて、一分間隔でデータを送っている。さらに、イオの新天文台の大型光学望遠鏡、超長基線干渉計(VLBI)用の電波望遠鏡群、赤外望遠鏡等がインパクト予定地点やブラックアステロイドを監視している。観測機器が多種多様ならば、それらを扱う人種も多種多様であり、放置すればカオスが生じる。そこに秩序を作り出すはずの人物は、今回のイベント・コーディネータのカール・セルダンである。ブラックアステロイド迎撃する「トライデント作戦」の実質的ヘッドでもあるが、今は、鷹の目で獲物を見つめる観測者達の元締めである。


 サラが小さな教室ほどの中央制御室にやってきたのはファースト・インパクトの四〇分ほど前である。正面の壁は大きなスクリーンになっており、そのすぐ前で、カールがしゃべりながらハーネスを身に着けていた。

「さあ、今回は、データ量も多いし、速報も求められているから、気を抜かないように担当機器を監視してくれ」

 カールはコーディネータとしての第一声を発した。

「アリス、カウントダウンを開始してくれ。最初は五分毎でいい」

「了解!」

 制御室正面の真ん中に陣取っている金髪の少女が威勢よく返事した。今回のイベントのサブ(補佐役)である。

「正面スクリーンの上側メインはL1の光学望遠鏡の映像を出してくれ」

「光学グループ、了解しました。予測落下地点の南緯六九度東経四○度を中心に五〇キロ四方を出します」

 制御室の真ん中にいたイケメン青年が歯切れよく応答した。

「アリス、スクリーンのボトムは、ランダムに配置してくれ」

「五面出して、一分ごとにシャッフルするようにしますが、スティーブの多波長ドップラーレーダーは常時出しておかなくよろしいでしょうか?」

「ああ、それは大事だな。一番定量性があって、シミュレーションとの比較がしやすいのがドップラーレーダーだから…… スティーブ、いけるか?」

 カールは、制御室の右端でゴーグルを被って体をくねらせている美女に声をかけた。グラマラスな美女ではあるが転性者である。名前を女性風に変えれば、転性者とはわからないほどの美女ではあるが、研究論文のクレジット名を変えるのが嫌で改名はしていない。その美女がハスキーな声で叫び返す。

「まだ、いきそうもないわ。後で一発入れてくれる? 発情期、じゃなくて、発振器の調子が悪いみたい」

「調子が悪い? L1の観測機器は五年ほど前に一新したんじゃんかったのか? もうおかしいのか?」

 カールはスティーブの冗談には乗ってこない。

「地球製は高いから、金玉製に替えたのよ。そしたら調子が悪くって。やっぱり、浮気はだめのなのかしら?」

「金星製はやっぱりだめか?」

 カールはスティーブの冗談には乗ってこない。

「カール、付き合いが悪いわよ。コレーもサラも、いったいカールのどこがいいのかしらねえ」

「ちょっ、ちょっ、スティーブ! 滅多なことを言うんじゃない。サラが聞いていたら冗談じゃすまない…… って、サラ! 来ていたのか!」

 クールに澄ましていたカールは、不機嫌そうなサラを見つけて一気に冷や汗をかき始めた。

「さて、じゃ、僕はコーディネータとして飛び回らないといけないからね」

 カールは意味不明な言い訳をして、文字通り飛び回りはじめた。


 木星への彗星落下だったり、超新星爆発だったり、あるいは、木星の磁気反転などの短時間で多種多様な観測が必要な現象をイベントと呼ぶ。観測計画を立て、体制を整えるのがイベント・コーディネータである。観測機器を選定し、それを動かすモードを決める。一台の光学望遠鏡であれば、カメラを選定し、視野の広さを決め、露光時間と間隔を決める。実際には、何台もの異なる観測機器を扱わないといけないし、それを担当する人員の配置まで考えるから、経験の浅い者には務まらない。もっとも、経験豊富なベテランであっても一筋縄ではいかないのがコーディネータという役割である。

 中央制御室はそれほど広いわけではない。縦四列、横三列に長机が配置され、各机に一人か二人が座っている。左右の壁際には立ち席と呼ばれるスペースがあり、主として3D表示用ゴーグルを被った者が繋がれている。弱重力のイオでは、ずっと立っていることは苦ではないし、それが推奨される職場もある。特に3D表示用ゴーグルを好む者は、その世界に没入し、全身を動かしてコンピュータを操作する傾向があり、立ったままということが多い。その結果、3Dの世界に没頭した彼らが不用意に周りに衝突しないように鎖でつながれることになる。

 ともするとカオスになりがちな制御室の制空権を持つのがコーディネータである。皆の上空を自由に飛び回り、必要な指示を与えていくと言えばかっこよく聞こえる。実際には、走行横行が可能なクレーンに吊り下げられた荷のようなものである。横行の速度調整がなく、制振制御も甘いので、動きはぎこちなく、初めて使う者はイベント終了時には乗り物酔いを患うのが普通である。そんなわけで、人間クレーンゲームと蔑称されるこのシステムを今でも使うのは、導入したカールだけである。


「八分前!」

 アリスがカウントダウンを読み上げる。

「遅くなったけれど、発振器の位相ロックかかったわよ! 水氷噴速度と密度、粒径分布測定、全て準備オッケーでーす」

 スティーブが猫を被って叫ぶ。

「スティーブ、シミュレーションとの重ね描き(オバープロット)も忘れないように」

「カール、埋もれたピラミッドからシミュレーション結果の更新が来ていますが、いかがいたしましょうか?」

 カールの指示にアリスが待ったをかけた。

「どのくらい変わるんだ」

「一・四パーセント減るそうです」

「そのくらいなら、誤差のうちだろう。スティーブ、構わず重ね描き(オバープロット)してくれ」

 スティーブが無言でうなずき、傍らに座る青年に合図を送った。

「光学グループ。予定通りL1の可視光学系と赤外光学系の感度を三桁落とします。ファースト・インパクトの高発光強度をやり過ごしたら感度を元に戻します」

 制御室の真ん中あたりから声が上がった。

「了解」

 カールは人間クレーンゲームで滑空しながら答えた。


「七分前!」

「ところで、氷上グループはどうだ。結局、気象観測ユニットはどのくらい生きているんだ?」

 カールは制御室左端へ舞い降りた。熊のような大女が答える。

「既設が全球で約千基。そのうち九割ほどが生きているな。ファースト・インパクト地点の三〇〇キロ四方に打ち込んだ新設の百基は六割が正常で、一割が加速度センサーに異常があって、残り三割はロスト(通信不能)だ」

「歩留まりが悪い気がするが」

「まあ、予算もなく、降下減速をケチったから仕方ねえ」

大女は肩をすくめて言った。

「もともとはイオ自由落下でも歩留まりが九割以上だって仕様じゃなかったっけ?」

「それは開拓初期の建前上の仕様で、実際の歩留まりはそんなに良くなかったらしいぜ。その後、さっぱり売れなくなってた。それが、今回の件で、百年間も積み上がっていた在庫が一掃されたって、公社の孫請けが喜んでいたぜ」

「こっちは喜べないが…… ところで、潮位計は? プラント総部長の肝いりでKE-IIIの落下に合わせて何十基か配置したんじゃなかったっけ?」

「あっちは、もっとひでえな。水面にうまく着水してデータを送信し始めたのが、三三基。ところが、その後原因不明の故障で、今でも生きているのは一七基だ」

「あれはパッシブ・ドップラーを備えていて速い潮位変動もモニターできる優れ物だと、プラント総部長が自慢していた気がするが」

 大女は、自分の口からは何とも言えないとでも言いたげに肩をすくめてから口を開いた。

「ただ、不思議なのは、どの故障も、直前に急激な潮位変動と圧力変動があった。叩き壊されたような感じだな」

「ポセイドンかクラーケンが暴れたのでしょうか?」

 アリスが真面目な顔をして冗談を言った。

「がははは。エウロパの海には魔物が住んでいるのかもしれねえな」

 大女は、豪快に笑い、カールは眉をひそめた。


「六分前です。あっ、リュードベリ総裁からの立体映像通信の要求です」

 アリスが言った。

「取り込み中だから、通信は遠慮したいけれど……」

「不可能です。優先度4です」

「だろうね」

 カールは眉を寄せて、サラをチラリと見やった。

 正面スクリーンのすぐ前に立ち姿の女性が現れた。濃紺のスカートスーツに鮮やかな赤毛が映えている。コレー・リュードベリ総裁は襟ぐりの深いインナーを着ている。吊り下げられた高い位置から胸元を覗き込んだカールは、不可抗力だと独り言を呟いた。立体映像通信ならではの、よくあるハプニングである。

『リュードベリだ。科学部天文班の諸君、ご苦労である。概ね順調と聞いているが、ささやかな激励を送ろうと思う』

 辺りを見回したコレーは、視線の先にサラを見つけて眉をひそめた。

『約一名、泥棒猫がいるようだが、それは気にせずに、迅速で正確な観測に努めて欲しい。諸君の生み出す速報データは検閲もされずにすぐに配信されるから、十分に……』

 突然、プツリと立体映像通信が途切れた。

「アリス、どうなったんだ?」

「どうやら、優先度5で、通信が強制終了したようです」

「優先度5って、公安?」

 カールは入り口近くに立っているサラを見やった。時と場合によっては、総裁よりも強い権限を持つのが公安である。当然ながら、高い優先度を行使できる。公安官であるサラは視線をはずして素知らぬ顔をした。

「余計な茶々が入らなくていいのでは」

 アリスがカールに言った。そして続ける。

「それにしても、『泥棒猫』ってどういう意味ですか?」

「ちっ、ちっ、子供には刺激が強い話よ。それにしても一時は仲の良かったあの二人コレーとサラは、どうしてこうなったのかしら」

 スティーブが人差し指を振りながら余計なことを言った。

「コホン」

 カールが咳ばらいをして続ける。

「さあ、もうすぐファースト・インパクトだ。各々チェックポイントを報告してくれ」


「二分前です!」

「軌道グループ報告します。現在のKE-Iの軌道要素と予定値の差はすべて測定誤差内です。落下地点の誤差は南北にプラスマイナス二〇〇メートル、東西にプラスマイナス五〇〇メートルです。ついでにブラックステロイドの軌道は四片とも予測通りです」

「他のグループも準備状況を報告してくれ」

「電波グループ、全部オッケーでーす!」

 スティーブが形のよい尻を振りながら答えた。

「光学グループは可視も赤外も正常で、画像もスペクトルも正常です」

「氷上グループ。先ほどと変化なし、想定通りだ」

『シミュレーショングループ、いつでもデータ受け入れ・比較できます!』

 正面スクリーンの右の通信ウィンドウの中の中年女性が応答した。

「…… ん? おい、最後は救助班だぞ!」

 少しの間を空けてから、カールが別の通信ウィンドウに向かって言った。

『あ、はい、救助班です。報告します。リュウイチ達は絶対安全圏まで七〇キロほどですが、誤差のうちでしょう。それから、先ほど、メイファン・グェン船長のポッドらしき発光スペクトルをL2近傍に確認しました』

 通信ウィンドウの中の青年が慌てて答えた。

「L2近傍? 確実なのか」

『確度は高いです。どうやらL2に滞留する軌道を目指しているようです』

「ありがとう」

 カールはそう答えて、床に降り立った。さすがにずっと吊るされているのは疲れるのだろう。

「三〇秒前、ファースト・インパクトまでのカウントダウン読み上げます」

アリスが一秒一秒を読み上げ始めた。

「二六、二五、二四、……」

 カール、サラは正面のスクリーンを見つめた。

「五、四、三、二、一、ゼロ!」


 インパクト予定地点を中心に輝点が発生し、すぐにスクリーンがホワイトアウトする。

「カメラが飽和した?」

「いえ、生データは大丈夫多と思います。明るさを調整してもう一度再生しましょうか」

 イケメン青年が答えた。発光の収まったスクリーンでは、もくもくと蠢く雲のようなものが見え始めていた。

「そうだな。スクリーンを左右に分割して、左側では感度をオートにしてスローで再生してくれ。右側には現状を」

「了解」

 左側では、真黒な影が一瞬現れたかと思うと輝点が現れ、左側に発光が伸びていった。右側からKE-IIIが飛び込んで来て、衝突して氷を左側に跳ね飛ばしたのだろう。右側の画面では、弱い太陽光をキラキラと散乱する雲が成長している。雲の下半分、南側は影になっているのか漆黒の闇になっている。弧を描く明暗の境界が次第に大きくなっていく。

「電波グループ。氷の小片検出、平均粒径一〇センチ程、速度は、補正無しで秒速七〇〇メートル。補正すれば秒速一キロメートルぐらいかしら」

「エウロパから直接弾き飛ばされた氷片だと思われます」

 アリスがすかさず補足した。

「光学グループ。水分子の発光ラインを捉えました」

 スクリーンの右側で、明暗のコントラストが薄れはじめた。

「電波グループ。氷は消えつつあります。水滴検出しました」

「光学グループ。解離した酸素、水素の輝線を捉えました。波長のブルーシフトから相対速度は五キロメートルほどと思われます。波長のドップラー広がりから水素の温度は一万度弱です」

「ファースト・インパクトの初期ステージでの衝突蒸気雲の生成ですね。シミュレーション結果と、温度速度はそこそこ一致しています」

 アリスが手元のグラフを見ながら言った。

「本番はこれからだな。氷上グループ、氷震は届いているか?」

 カールが制御室左の大女に尋ねた。

「ああ来ている。インパクト地点から一〇キロ、二〇キロのプローブに、P波氷震が見えるっと、二五キロのものにも来たぜ。まあ、順調だな。振幅もシミュレーションと大差ねえな。二七キロ地点の潮位計は変化なし。こっちは応答が遅いからまだまだだろう」

「内海まで穴が開けば、そろそろだろう」

「VLBI画像来たわよ。スケール付きで正面スクリーンのボトムに出すわ」

 スクリーン下部に白黒の画像が現れる。モザイク状の粗い画像であるが、真ん中に黒い穴があるのが分かる。

「直径は東西が三キロで、南北は二キロ強か」

「シミュレーションでは四キロ、二キロでした」

 アリスが言った。

「ドップラー、穴内部の水面上昇を捉えました! 秒速一〇メートル」

 スティーブの隣の青年が叫んだ。

「一〇メートル? 随分遅いな」

「速度は上がっています。現在、三〇メートルです。あっ、五〇メートル。さらに上がります!」

「氷上グループ。氷震のデータと、氷の厚みをパラメータにしたシミュレーションを比較した。もっとも一致するケースは、氷の厚みが七・五キロのシミュレーションだな。事前に予測した厚みと大よそ一致するぞ」

 大女が顎に手をやりながら言った。この大女は男性から転性したのだろう。

「なるほど。そうすると、今の所、予測から外れているデータはないと言っていいのかな」

 カールはスクリーンに背を向けて、制御室の面々を見渡した

「カール、正面スクリーン!」

 アリスがカールに言った。

 正面スクリーンには、薄くなった雲を通して、真黒な大穴がぼんやりと見える。その穴がキラリと光ったかと思うと、穴から周囲に灰色の染みが広がり出した。

「穴から海水があふれたようです」

「二七キロの潮位計、水面の降下を捉えました」

「内海の水が動いてるのでしょう」

「ドップラーでの水面上昇は秒速三〇〇メートルです。まだまだ、速くなります!」

「いよいろ海水が吹き上がるぞ」

 カールがそう言うと、スクリーンの中で、薄雲を突き破って灰色の塊が現れた。

「光学グループ。反射スペクトルを確認しました。これは、エウロパの海水であることは間違いありません!」

「ファースト・インパクトの第二ステージ、噴出水塊確認! シミュレーションより一〇秒ほど遅れています」

 アリスが第二ステージを宣言した。ファースト・インパクトは第三ステージまで予定されており、これをクリアすれば、後はニュートンの法則に従うだけなので不確定性はほとんどない。

 スクリーンの中の灰色の塊はどんどん大きくなっていく。

「水塊の直径は八キロを超えました。スクリーンの左は、ズームアウト画像にします」

「了解。ドップラーは?」

 カールが青年に尋ねた。

「秒速五〇〇メートルを超えました! 多分、これから減速します」

「氷上グループ。水面の降下は三〇メートル強で、シミュレーションした海水の動きと合う。時間は少し遅れ気味だが…… ちっ」

「どうした?」

「一番近い潮位計ロスト!」

 大女が報告する

「ロスト? 故障か?」

「S波氷震で湖岸が崩れたか何かだろう。想定内だ」

「そうか、想定内ならいい」


 スクリーンの右側は今や灰色一色ののっぺりとした画像で、何も映し出していないようにも見える。

「そろそろ、断熱冷却で氷ができ始めるころです」

 アリスが手元の資料を見ながら言った。

「スティーブ、気象用多波長ドップラーレーダーは?」

「もう少し、密度が薄くなって、雲状にならないと使えないわ」

「うーん、そうか。おや?」

 カールが唸っているうちに、画像に変化が現れた。もくもくとスープの対流パターンのようなセル状の構造が現れ始めた。

「これは?」

「噴流不安定性でしょう。シミュレーションにはないですね」

 カールの疑問にアリスが答えた。

「シミュレーションにはない?」

「はい、不安定性まで入れると、数値誤差が大きくなりすぎて信頼性が落ちるそうです」

「しかし、それでは、困るんじゃないのか?」

 アリスの説明にカールは不満のようである。

「いくら、埋もれたピラミッドの計算能力が高いからと言って、なんでもかんでもシミュレーションできるわけじゃないそうです」

「そうか」

「出たわ! 氷滴が現れたわ。平均粒径は一ミリぐらい。どんどん成長しているわ」

 スティーブが体をくねらせて踊っている。

「よしよし、これで慣性運動に移れるな」

 カールがうんうんと頷いている。


「光学グループ。赤外での吸収スペクトルで測定した水蒸気密度が急激に減少しています。可視で見える雲の直径の成長も一〇キロで鈍化しています。成長率はほぼ一定です」

「膨張フェーズが終わって、慣性フェーズに移ったみたいね」

 アリスが嬉しそうに言った。

「ということは第三ステージに入ったということ?」

 カールが尋ねた。

「そう言っていいわ。第三ステージ、氷滴生成・慣性運動に移行」

「よし!」

 カールは思わず、拳を握った。

「セカンド・インパクトまで丁度一五分。ファースト・インパクトの総括をしていいころです」

 アリスがカールを促した。

「各グループ、現状報告をしてくれ。最初は電波グループだ」

 カールの指示にスティーブが答え始める。

「電波グループ、現在の水氷の推定密度は一立方メートル当たり約二グラム。上昇速度は約秒速四二〇メートル。最上端の高度は約九〇キロメートル。予想最高高度は二三〇キロで、全て想定範囲内だわ」

「このままいけばセカンド・インパクトでの水氷柱の密度も高度も十分ということだな。光学グループはどうだ?」

「可視雲の直径は一三キロメートルで、毎分六パーセントほど増加しています。インパクト時には目標の直径二〇キロメートルをぎりぎりクリアできそうです。雲の中心は西に二キロほどずれていますが、おそらく問題ないと思いまず」

「ぎりぎりか。軌道グループ、この分だとブラックアステロイドの四片とも当たりそうか?」

「はい、報告します。四片の南北の広がりは二〇キロで、ぎりぎりカバーできそうです。水氷柱とのインパクト時の予測高度は一二〇キロを中心に上下に二キロほど広がっています。東西の広がりは二五キロですが、進行方向が東西に近いので心配しなくていいでしょう。それと、四辺の真ん中と水氷柱の真ん中も大よそ一致していますので問題ないでしょう」

「よし、氷上グループは何かあるか?」

「潮位計と気象観測ユニットがかなりロストしている。氷上では氷震が猛威を振るっているのだろ思うが、これは想定通りだ」

「シミュレーショングループ、報告してくれ」

『そちらからのデータを順次確認していますが、今の所、想定内です』

「救助グループ、報告して…… いや、先に氷上グループに聞いておかないといけないことがあった。リュウイチ達の所に氷津波が押し寄せる心配は?」

「一〇〇キロ地点の気象観測ユニットが流されているようですが、速度も大したことはない。それから一五〇キロ地点は変化がないから洪水があったとしてもそのぐらいまでだろう。監視をしているから、問題が在ったら知らせるぜ」

「わかった。よし最後は救助班だ」

『特に、新しい変化は……』

『ドン!』

 衝撃がカール達を襲い、わずかに部屋が傾く。

「キャっ!」

 スティーブが小さく叫んだ。

「あれっ? セカンド・インパクト? じゃなくて、地震?」

 アリスが呟いた。セカンド・インパクトはイオから七〇万キロほど離れたエウロパのイベントである。偶々、イオで地震が起きたのだ。

「あはは、ひやっとするわよねー」

 スティーブが恥ずかしさをごまかすように笑った。

『ブーン』

 低いモーター音が響く。

「可変長脚が動いていますね。水平に戻そうとしているのね」

 アリスが冷静に呟く。

「あっ!」

 今度は制御室の明かりが消える。

「て、停電?」

「電力ケーブルが伸びすぎて切れたんじゃないか。さっき、カールに言ったんだけれど。あっちこっち限界に近かったよ」

 それまで、制御室の後ろの方で黙っていたサラが言った。

「あっ、そう言えばそうだった」

「どうするの?」

 サラが咎めるように言った。

「大丈夫、非常電源があるさ…… ほらね」

 部屋の明かりが復活した。だが、各種モニターは真っ暗なままである。サラはため息を吐いた。

「コンピュータは? データは?」

「おそらく大丈夫です。観測の設定はプレプログラムで決められていますので、こちらからの指令がなくてもそのまま観測を続けているはずです。とにかく、予備のラインを生かしますので、ちょっと待ってください」

 アリスはそう言うと、入り口に飛んでいき、小さな盤を開けた。しばらく思案してブレーカーを入れると、大小何十ものスクリーンが次々と明るくなった。

 五分もしないうちに停電前の状況に復旧した。もっとも、停電前の異様にハイなテンションは復旧しなかった。

「えーと、何も変わっていないようですね。慣性フェーズですので、変なことは起こらないはずですが、念のため、各自担当データを確認してください」

 カールは正面スクリーンの灰色の雲を見ながら言った。この時、カール達は、停電中に灰色の雲からいくつも白い光点が分離していくのを見逃した。後日、その怪しげな光点に気づく者がいないわけではなかったが、注目されることはなかった。


「コホン。セカンド・インパクト、一分前です。最終カウントダウンを始めます」

 アリスが咳ばらいをしてカウントダウンを始める。

「五七、五六、五五、……」

「えーと、皆さん、目の前に集中してください」

 緊張感のないカールの声が響く。

「三、二、一、ゼロ」

 一瞬、スクリーンが青白く光り、そして赤くなったが、それも急速に薄れていった。

「終わった?」

「セカンド・インパクトは終了しました」

 カールのどこか間抜けな問いに、アリスが冷静に答えた。

「えーと、各グループ報告をしてくれ」


 その後、各グループが観測データを報告した。その結果、ほぼ予定通りのセカンド・インパクトが起きたことが確認できた。肝心のブラックアステロイド四片の減速については、速報値は予測通りの減速を示していたが、精度の高い軌道決定のためには、さらに観測を続ける必要がある。減速はほぼ成功とカール達は思っていたが、八時間後の木星表面でのスイングバイ終了までは記者会見を控えることになった。


     *    *     *


真っ暗な小部屋にポツンとおかれた旧式モニター。突然、明るくなった画面がログを吐きだし始めた。

『 

Mon Sep 12 08:10:11 GMT 2185: 軌道管理システム異常検出:詳細:加速度閾値超過

Mon Sep 12 08:10:58 GMT 2185: 光学軌道測定システム起動指令

Mon Sep 12 08:13:02 GMT 2185: 光学軌道測定システムより隠蔽部分解除申請

Mon Sep 12 08:13:22 GMT 2185: 隠蔽部分解除許可

Mon Sep 12 08:15:42 GMT 2185: 環境管理システム報告:詳細:地表に付着物を検知

Mon Sep 12 08:19:31 GMT 2185: 軌道管理システム異常検出:詳細:軌道乖離閾値超過

Mon Sep 12 08:20:23 GMT 2185: 警報レベルI発令

Mon Sep 12 08:21:30 GMT 2185: コールドスリープ・レベルIII急速解凍開始指令

Mon Sep 12 08:25:00 GMT 2185: 環境管理システム報告:詳細:解凍所用予想時間は一〇時間

Mon Sep 12 08:30:14 GMT 2185: 環境管理システム報告:詳細:地表に動体、秒速一メートル、サイズ一メートル以上を検知

Mon Sep 12 08:31:20 GMT 2185: 警報レベルII発令

Mon Sep 12 08:31:50 GMT 2185: 原子力電池ガンマ線発電モジュール起動指令

Mon Sep 12 08:32:19 GMT 2185: 環境管理システムより赤外放射パワー隠蔽基準超過申請

Mon Sep 12 08:32:50 GMT 2185: マスター不在により赤外放射パワー隠蔽基準超過不許可

Mon Sep 12 08:33:10 GMT 2185: 原子力電池ガンマ線発電モジュール起動指令キャンセル

Mon Sep 12 08:35:30 GMT 2185: コールドスリープ・レベルIII緊急解凍開始指令

Mon Sep 12 08:39:07 GMT 2185: 環境管理システム報告:詳細:解凍所用予想時間は五時間

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