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30.三つ目の救命ポッド(西暦二一八五年九月一一日、インパクト一〇時間前)

 宇宙服を着たメイファン・グェンはヘルメットの望遠機能で赤、緑、青の明滅する光を確認していた。

「ターゲットは二三キロ先のホタル。くっきり見えるわね」

 二番救命ポッドの簡易エアロックから一歩踏み出せば、大地も何もない漆黒の空間である。メイファンの足はどうしようもなく震えていた。

「これまでのガイド無し遊泳の最長は二キロだから、その一〇倍以上ね。リンドバーグも真っ青だわ」

 メイファンは、はるか昔に大西洋を飛び越えたパイロットに思いを馳せた。もちろん、距離は全然違う。ただ、足元に大地のない恐怖感よりも、大地すら存在しない恐怖感が勝ると彼女は主張したかった。

「スラスターのエアを全部使えば、秒速九メートル、ホタルとの相対速度は遠ざかる方に二メートルだから実質的な速度は七メートル、遊泳予定時間は三二〇〇秒のはず」

 どうにか、酸素再生機の排出するメタンをエアスラスターのタンクに詰め込んでエアスラスターを使えるようにしたのだが、その推力は非力である。

 気体を用意するだけなら簡単である、飲料水を電気分解すれば、いくらでも酸素、水素を作り出すことができる。ただ、これを圧縮する手段がなく、スラスターのタンクに詰めることができなかった。一方、酸素再生機の排出するメタンは比較的圧力が高い。ただ、生成量はメイファンの吐き出す二酸化炭素量に依存しており、これまでに充填できた量は少ない。だからと言って十分に充填できるまで待つのは悪手である。ポッド備品の光学望遠鏡で観測したホタルは皆遠ざかっていたから、時間が経てば経つほど飛ばなければならない距離は伸びる。メイファンがターゲットとして選択したものは一番近いものであるが、それでも距離は二三キロもある。

 結局、メイファンは最小レベル推力でやりくりするしかなかった。

「バッテリーや工具を置いていくわけにもいかないし」

 推力が足りなければ、飛ぶ重量を減らせばいいのだが、それも限度がある。凍えないためのバッテリーや、現場で工作をするための道具は必須であり、これ以上荷物は減らせない。


 メイファンは記録のために明瞭な声を発した。

「ドラゴンフルーツ船長、メイファン・グェン。これより、燃料補給船第二三二号に向かい回収を試みます。予定遊泳距離は二三キロプラス六キロ、合計二九キロ」

 メイファンはもう一度望遠機能でターゲットを確認した。赤、緑、青の舷灯がまるでホタルのように明滅している。そして、ごくりと唾をのみ込んだ。

「行きます!」

 思い切りポッドの壁を蹴った。これで秒速二メートルは確保できるはずだ。もちろん、その反動でポッドは遠ざかる。再びポッドに戻ってくる時にポッドはほんの少し遠ざかっているはずである。それでもメイファンとポッドの質量比を考えれば無視できるし、そもそも、エアスラスターに往復分の推力はないから、燃料補給船の回収と起動に失敗すれば、ポッドの位置が少々変わっても戻れないことに変わりはない。逆に、もし回収と起動に成功すれば、メイファンは莫大な推力を得るからやはりポッドの位置が変わっても関係はない。

「さあ、私の呼気から作った一五〇気圧のメタンちゃん、精一杯働いてね。スラスターオン!」

靴底からガスが勢いよく吐き出され、メイファンの体が加速される。

「方向は大体よさそうね」

 メイファンはポッドと補給船を交互に見比べながらそう判断した。

 無重力、真空で進行方向は、相対的なものでしかない。目的地が二三キロも先であれば、それだけを見つめていても、そちらに向かっているかいないかはわからない。飛び立ったばかりのポッドならば、みるみる遠ざかっていくから進行方向はわかる。すなわち、遠ざかるポッドの向きと一八〇度反対方向に目的地があればいい。メイファンは素早く視線を巡らせて方向を確認したのだ。

「まあ、精度がないのは仕方ないわね。両目が頭頂と足裏についているわけじゃないし」

 向かい風も追い風もなければ、上下もない中で方向を見定めるのは難しいことである。

「どうせ後で軌道は修正しないといけないから、方向はいいとして、秒速は…… 体感で三メートルぐらい?」

 メイファンは遠ざかるポッドから、速度を目算した。

「問題は、ホタルとの今の相対速度だわ。ポッドの望遠鏡で求めた相対速度の秒速二メートルを引き算すればいいはず。だとすると、秒速三メートルから二メートルを引いて、相対速度一メートルでホタルに近づいている計算になる。これだと二万三〇〇〇秒で、だいたい六時間くらい。どんどん加速しているから実際にはもっと短い時間で到着するはず。上手くいけば一時間もかからない」

 もし、相対速度が遠ざかる向きならメイファンは永遠に到着しない。相対速度はメイファンの命の尺度と言ってもいいが、今のメイファンに、ターゲットとの相対速度を直接測定する手段はない。

 相対速度を割り出すには、距離の時間変化を調べればよい。ドラゴンフルーツなら高性能ドップラーレーダーで距離も速度も測れるが、宇宙服にそんな装備はない。それでも大よその距離は測れる。ヘルメットの望遠機能を望遠鏡代わりに使えばよい。これで舷灯の見かけの大きさから距離を計算することができる。三色の舷灯間の距離は約一〇メートルである。仮に、一〇倍の望遠機能で、見かけ上の大きさが〇・五度ならば、距離はおよそ一二キロメートルと計算できる。ちなみに〇・五度は地球から見る月の大きさである。

「何とか、距離を算出して……」

 距離を計算しようとしたメイファンは、もっと大事な事に気がつく。

「あれ、エアが止まっている! なんでー! まだ半分も噴射していないはず」

 思い当たる原因を探るが、焦りは思考を鈍らせる。

「パッキンが劣化していたとか」

 部品が劣化して、エアが漏れたりすることはあり得なくはないが、救命ポッド内の備品はすべて、経年変化も考慮して管理されているから、初歩的な不具合は排除されているはずである。

「このままだと、近くまでたどり着いて、そのまま通り過ぎてしまうわ!」

 メイファンは血の気が引いていくのが自分でもよくわかった。

 燃料補給船に近づいた所で、スラスターを吹いて軌道修正をしなければならないが、そのためのエアーがなければ、そばを通り過ぎていくのを指をくわえて見ているしかない。もちろん、わずかな軌道修正であれば、持っているドライバーやスパナを投げつけて推力を生むことはできる。だが、微修正で済むのかどうかはわからないし、一本や二本のドライバーで修正が済むはずがない。目測で二三キロ先の幅五メートルの的に着地するには、どうしたって何回にも分けて少しずつ軌道修正をしなければならない。

「方向も、距離も、速度も、何一つまともに測定できない!」

 ドラゴンフルーツが傍にあれば、サポートし調べてくれる仲間クルーがいるが、今、メイファンに寄り添ってくれる者はいない。船から放り出された船長ほどみじめなものはない。

 漆黒の中の孤独が、メイファンの精神をカンナのようにシュッシュッと削っていく。何もしなくても精神が刻々と薄くなっていく。

 恐怖の中で正気を保つには恐怖の発散が有効である。それは怒りの形であったりする

「糞が! これもミヒャエラの狙いか! どこまでも腐った女め! 生き残ったら、絶対アイツをぶちのめして奴隷にしてやる!」

 怒りの矛先が妥当でない場合、それは八つ当たりに分類される。

「生き残ったら、絶対、リュウイチを性奴隷にしてやる!」


     *    *     * 


『クシュン』

 リュウイチはぞくっとするような悪寒を覚えた。

「なんだか寒気がする。もう少し温度を上げてもいいかな」

「風邪? さっきの船外活動で体が冷えたの?」

 巫女はすかさず立ち上がって、リュウイチの額に手をあてた。

「そうかもしれない」

 ひんやりとした巫女の手は、風邪で寝込んだ時に看病してくれた里親を思い起こさせた。

「今度外に出るときは、抱き合った方がいいかな」

 リュウイチは前方をみつめたまま冗談を言った。リュウイチ達の改造救命ポッドは緩やかな勾配をゆっくりと上っていた。サンドスラスター01の吹き出す薄青のプラズマが安定した推力を生みだしている。

「エウロパの平均気温は、零下二〇〇度ですが、宇宙服の断熱性能が優れているので、抱き合ってもあまり効果はないでしょう。バッテリーがあれば寒いことはありません」

 ジュダスの真面目な応答にリュウイチは、一瞬、言葉を失い、巫女の方を振り返った。巫女は黙って肩をすくめた。有能なAIでも冗談を理解するのは難しい。人間同士でさえ、冗談が通じるとは限らないのだ。だからこそ、冗談の通じる相手は貴重である。

 その点、リュウイチと巫女は、電波を介してではあるが、およそ一〇年のつき合いである。顔を合わせて、親密度が上がりこそすれ、相手に幻滅したりはしていない。今のところはという但し書きがつくが。

「ジュダス、もうそろそろ最高地点かな?」

 リュウイチは話題を変えた。

「右手に氷段が見えますので、峠はもう間もなくでございます」

 ジュダスの言った氷段とは、氷でできた棚田のような地形で、高さ一〇メートル程の崖が段々になって二〇段ほど続いている。氷段は、地下の潮流の関係で氷が隆起・沈下した時にできた断層と推測されているが、詳しいことはわかっていない。氷段に限らず、エウロパは直線的な地形が多い。エウロパ表面を縦横に走るリネアはその典型である。

 メリベイル・リネアの場合、谷の両側は大抵高さ一〇〇メートル程の切り立った氷の崖となっており、荷車では崖を這い上がることはできない。所々で崖は崩れ、緩やかなスロープになっているのだが、そういった所は氷面が新雪のように柔らかく、荷車の重量に耐えられない。結局、リュウイチ達が通っているのは、傾斜の緩やかな遠回りをしたルートである。

「GPSの精度が悪いのかな? それとも、地図が少しずれている?」

 リュウイチはGPSの示す地図上の現在位置と実際の位置のずれが気になっていた。

「東西に一キロメートル近くずれているようです。エウロパの最新地図は二〇年前に更新されたものですので、それ以降の氷殻変動で地図の方が合わなくなってきたのだと推測されます」

「二〇年で、一キロも動いている? 地球のプレートよりよほど速いな」

「神殿のように安定している所もあるのよ」

巫女が口をはさんだ。

「あれ、だとすると、墜落地点もずれている? もしかして、カールはこのことを知らない?」

「そうね、言っていないから、気がついていないかもしれないわ。でも、カールは頭が切れそうだから……」

「どうせ、俺は、頭が切れないさ。脳筋操砂士さ」

 リュウイチはふてくされたように言った。一時は父親のような学者になることを夢見たこともある。何年というスケールで星を動かすサンドスラスター操作士に誇りを持っているのは確かだが、何かの拍子に学者になれなかったという劣等感が浮かび上がるのもまた事実である。

「あら、嫉妬しているの?」

 男という生物は、常に他の男を意識するものである。特に恋する女性を前にした時は。

「別に」

 そして、強がる。

 もっとも、簡単に性転換できる現代では、そういった固定観念は薄れつつある。


     *    *     * 


「登り切ったぞ。前方が目的地の南緯四八度、東経六〇度だ」

 霧はすっかり晴れ、広大な平原が広がっている。

「変わったものは、何もないみたいだけれど……」

「まずは、スクリーンにちゃんとしたカメラ映像を出すよ。ミラーリングするから、姫は目の前のディスプレイを見ていてくれ」

「了解」

「カールに天文台のライブラリーを調べてもらったけれど、該当する記録はなかったから、わかっている座標は親父の言葉だけだ」

 リュウイチが探しているのは、遺言で触れられていたエウロパに落下した物体である。発光スペクトルと加速度からイオンエンジン付き救命ポッドとトラオは推測した。そのイオンエンジンに、サンドスラスターの痛んだメッシュ電極と同じ部品があるかもしれないとリュウイチは期待したのだ。

「お父様の恋人の乗った救命ポッドが墜落したかもしれない座標ね」

 トラオが軌道を逆にたどった先は、パシファエであった。しかもトラオの恋人であるカタリナ・プラントルがパシファエで作業中に事故死したとされる時期に一致した。

「もちろん、カタリナが乗っていたかどうかはわからない。乗っていたとしたら、現場には氷漬けの死体があるかもしれないけれど、大丈夫か?」

「大丈夫よ。その時は、魂の拡散の儀式をおこなうわ」

「いや、そういう意味……」

「時間がないのなら、弔いの祈りだけで済ませるわ」

「あっ、あっ、そ、そうしてくれ…… って、それはいいとして問題は場所だ」

「場所?」

「親父の言葉、南緯四八度、東経六〇度が正しいとして、それだけだと場所が広すぎるんだ。四捨五入してこの緯度経度になるということはプラスマイナスで〇・五度の範囲、南北ならプラスマイナス一三キロ、東西ならプラスマイナス九キロ。親父の遺言では、イオの望遠鏡から小さなクレーターらしきものが見えたと言っていたから。クレーターが見えれば簡単に位置を決められるんだけれど、そう簡単じゃないと思う」

「どうして?」

「当時の親父は口径一〇メートルの望遠鏡を使ったんだけど、今の新天文台の最大の望遠鏡は口径八メートルだから分解能が少し悪い。第一、そっちはブラックアステロイドの監視に使われていて、今は使えない。それに六〇年も前の小さなクレーターなら風化や積雪で、今は見えなくなっているかもしれない」

「それで、カールに昔の地形を調べてもらったのね」

「そう、エウロパの地図は、測地衛星で測定した標高データから作られるのは知っていると思うけれど、この衛星は、木星系の開発が始まった頃から飛んでいる。仕様上では、水平方向の分解能は一〇メートル、標高の分解能は二メートルだ。光学的な衛星写真と違って標高が測定できるのが特徴だな。その地図からクレーター、あるいはポッド自体を見つけ出す。墜落前後の差を調べて、見つけ出す。標準的なポッドの直径は二・五メートルだから、その場所だけ標高が二・五メートル高くなっているはず」

「でも、水平分解能一〇メートルだとポッドの長さよりも小さいから、見つからないんじゃない? クレーターの方がずっと簡単に見つかるのじゃない?」

「クレーターと言っても、大きさも深さも何も情報が残っていないから、隕石によるクレーターと区別できない可能性が高いんだ。一方、ポッドの方は小さくて、ノイズに埋もれている可能性がある。まあ、その辺はカールの腕の見せ所だけれど、いくつかの手はある。第一に、欲しいのは差分だ。墜落の前後の差、墜落していないと思われるすぐ隣の場所との差。こういう差分に関しては、分解能はもっといいはずだ。それに平均化でノイズを小さくすることも可能だ」

「平均化?」

「例えば、墜落前の一〇年間の標高の平均と墜落後の一〇年間の平均を比較する。一年間に二、三回は同一地点を測定しているみたいだから、平均化でかなりノイズを抑制することができる」

「なるほど、リュウイチって頭がいいのね」

「まあ、このぐらいのことなら誰でも思いつくさ」

 同僚はめったなことでリュウイチを褒めないから、褒められるのは久しぶりである。そして、恋人の前でかっこいい所を見せられれば舞い上がるのは必至である。だが、そういう状況は長続きしない。


『こちらトライデント作戦本部、カール・セルダンです。ポッド1、応答願います』

 リュウイチ達に通信が届く。

「ちっ、こちら、ポッド1、リュウイチです」

 邪魔されたリュウイチは無意識に舌打ちをした。

『結果が出たぞ』

 ウィンドウに映ったカールは自慢げに話し始めた。

「手短に頼むよ」

『了解。まず、リュウイチが依頼した、地形の変化を調べた。ところが、最初から大変だったんだ。何せ、エウロパの潮汐力は半端じゃない。氷殻の下の海が干潮満潮で大きく変動するから、その補正をきちんと行わないと地形なんてとても無理だった』

「それは、潮汐発電プラントの立案時にさんざん計算したんじゃなかったっけ。その計算があったからこそ、大穴の中の海水面の動きを予測出来て、発電量が試算できたのだろう? それがなかったら、俺たちはKE-IIIを落として穴をあけるなんてことはしなかったぞ」

『リュウイチの言うことは正しい。だけど、問題は昔の地形なんだ。今とは、氷殻の厚みも配置も、その下の潮流も微妙に違うみたいなんだ。精度を気にしないのならいいんだが、今回は探しているものが小さいから、潮汐変動のパターンを解析しなおしたんだ』

「それで、結局、どうなったんだ?」

『その辺りは、サラが解析してくれて、精度一メートルまで詰めることができた』

「あれ? サラって、公安官なんだろう。天文台での助手は世間を欺く仮の姿だって言っていなかったっけ?」

『それは、半分本当だけれど。色々あって…… とにかく、今は、僕らを手伝ってくれている』

「手短に頼む」

『ああ、わかった。次に推定墜落年の二一二一年の前後で差分を取って調べてみたんだが、いたるところで地形が変わっていて、最初は何が起きたかわからなかった。何が起きたと思うリュウイチ?』

 ウィンドウの中のカールはにやりと笑った。この難問に答えられるのなら答えてみろと挑戦状をリュウイチに叩きつけているのだ。

「氷殻が動いているのだろう」

『わからないだろう? 難しくてわからないだろう?』

 リュウイチの答えを無視して自慢そうに言うカールにリュウイチはため息をついた。

「氷殻、地形全体が動いているのだろう」

『えーっ! 何でリュウイチが知っているんだ!』

「そんなのエウロパの常識さ」

 リュウイチは先ほど知ったばかりのことを常識と言った。

『そ、そうか、常識だったのか……』

 カールが落ち込むのを確認してから、リュウイチは口を開いた。

「で、結局、見つかったのか?」

『微妙だな。相互相関関数による地形の移動はかなり精度よく求められたし、数年にわたる平均化でのノイズ低減で、精度はかなり上がったはずだ。その結果、標高で一・五メートル以上の増加は何か所か見つかった』

「何か所も?」

 リュウイチは眉をひそめた。候補となる場所が何か所もあれば、探す手間がかかる。

「ただ、どれも、ハズレだと思う」

「ハズレ?」

『ああ、すべて崖沿いなんだ。崖の下側で標高が増えて、崖の上側で標高が減っている。つまり、崖が崩れたと解釈するのが妥当だ』

「測地衛星の方はだめかー それじゃ、光学衛星の方は?」

『可視光で二バンド、赤外光で二バンドの衛星写真を調べた。特に赤外の方は温度測定用で、もしかしたら原子力電池の発熱で局所的に温度が上昇しているんじゃないかと期待して調べた』

「原子力電池の発熱かー 言われてみればそうだな。イオンエンジンがあれば、原子力電池もあったはず。そして、常に発熱している。当時なら一〇キロワットぐらいの出力はあったんじゃないかな。さすが、カールだ」

『だが、何も見つからなかった。あたりの氷が溶けて池になっているかとも思ったが、その辺りに液体の表面はない』

「そうか。可視光の方は? 高精度衛星写真はなかった?」

『高精度とは言い難いな。当時の水平分解能は一〇〇メートルだから何もわからない』

「一〇〇メートルか、それなら、ラグランジェポイントL1の固定モニターの方がまだましだな。結局、手掛かりなしかー」

 リュウイチはため息を漏らした。

「そもそも、墜落の衝撃で粉々になっているということはないの? クレーターができたぐらいだし」

 それまで黙っていた巫女が口をはさんだ。

「もちろん、普通に考えたらそういう可能性もあるけれど、軟着陸した可能性もないわけじゃない。もし親父の話が本当なら、ポッドはパシファエから偶然エウロパに落下したと考えるよりも、精密に計算された軌道をたどってエウロパに着いたと考えた方が自然だ」

「どうして、エウロパだったの? 恋人のいるイオではなくエウロパだったの?」

「それは、わからないけれど。燃料が足りなかったのかもしれない。とにかく、計画的にエウロパに落下したとしたら、軟着陸を狙っていたはずだ。もちろん、推力の小さいイオンエンジンで軟着陸するのは易しくない。ただ、推力は、イオンエンジンの寿命を無視すればそこそこ出せるし、瞬間電力も当時すでに開発されていた高密度格子ひずみ蓄電池を使えば十分だ。それにサンドスラスターを転用した俺の場合と違って、専用のイオンエンジンが用意できれば、余分な重量がなくて軟着陸もできたかもしれない」

「それじゃ、とりあえず、走り回ってみる?」

「せっかくここまで、来たのだから親父の依頼をこなしたいけれど、今は、避難中だから、さすがにあてもなく二〇キロ四方を探すほど時間はないよ」

「それじゃ、諦める?」

「諦めるということは、俺たちのイオンエンジンに不安を抱えたままということだ」

 そうなれば、控え目の推力で、どうやってエウロパ周回軌道まで上がるかという難問に挑まないといけなくなる。リュウイチは何度目かのため息を吐いた。

『あんまり、期待できないけれど、一か所、可能性がないこともない』

 カールが口をはさんだ。

「一か所?」

『墜落直後の測定で標高が変動した所がある。ノイズレベルよりも飛び出ているんだけれど、それ以降の測定では見えなくなっている。偶々、ノイズが跳ねたのかもしれない』

 リュウイチは可能性に賭けることにした。


     *    *     * 


「クレーターね。でも底が真っ平らなのは、珍しいわ」

 リュウイチ達はカールが指示した地点で、船外に出てあたりを見回していた。差し渡し五〇メートルほどの場所が一メートル程くぼんでいる。あたりには薄雪に覆われた無数の部品が散乱している

「アタリみたいだね」

『ほら見ろ、僕の言った通りだろう』

 作戦本部からのカールの声が届くが、リュウイチ達は答えない。

「肝心のポッドが見当たらない気がするけれど」

 部品は沢山あるのだが、大きなものがない。

「とにかく、調べてみよう。イオンエンジンかその部品が埋もれているかもしれない」

 リュウイチは、凍結燃料用の刀を取り出した。温度を設定して、氷に埋まった部品を掘り出していく。二方向から浅く刃をいれてすくい上げるようにすれば、簡単に部品が掘り出される。

「これは? 木星開発公社のロゴ」

 巫女の抱える大きな破片に赤いロゴマークが見える。

「そうだね。結構大きなロゴだから、ポッドの外殻にペイントされたものかもしれない」

 リュウイチはチラリと巫女の方を見やってから、掘り出したばかりの四角い板の表面をこすった。

「おっ、これは、原子力電池の銘板だな。三〇キロワットと記されているぞ。製造はシンセイ・アトミックス。マツシタコンツェルン傘下のメーカーで、木星系の原子力電池はほとんどがこのメーカーのものだ。製造年は…… 二〇八六年だから、最初期のものかもしれない」

「三〇キロワットなら結構なものね」

 巫女はそう言いながら、ロゴマークのついた破片をそっと地面において思案した。ポッドの外殻がバラバラになっているのなら生存者は望めない。遺体がすぐそばに埋まっているはずである。誰にも弔われなかった遺体。氷の衛星に放置された遺体。せめてこの墓標だけでも立てておきたい。巫女は、破片を氷に突き立てた。

「それにしても変な気がする」

「変?」

「なんというか生活感というか、生命感というか…… 例えば、二酸化炭素吸収フィルター、飲料設備、あるいは固形食品とかゴミとか、人が乗っていた感じがしない。もちろん、そういったものはこの氷の中に埋まっているのかもしれなけれど……」

 巫女はそんなものなのか思うよりほかはなかったが、そうであれば、墓標も不要だ。


 クレーターの周辺部から中央へと一〇点ほど掘り出した所で、リュウイチは氷中の深いところまでまで見えることに気がついた。

「あれ、ここだけ透明度が高いぞ。随分深くまで部品が点々と見える」

 まるで、異世界に通じるトンネルのように、円筒の透明な道が下へ下への続いており、その壁面に壊れた残骸がちりばめられているのだ。

『照明だ。何か強力な照明を当ててくれ』

「言われなくてもわかっているよ」

 リュウイチは、カールに答えながらヘッドライトを取り外して、深くまで見えるように置いた。

「カール、見えるか?」

 リュウイチの見ている光景は、ヘルメットの撮像機能でカールに送られている。リュウイチの目で見える光景とほとんど同じ質の立体画像をカールが見ているはずである。

『よく見えるよ。透明度の高い領域は、直径二メートルほどかな』

「一度溶けたのね。エウロパの氷は、透明度が悪いのが普通だけれど、一度溶けてから。再凍結すると、気泡や不純物が抜けて透明度が高くなることがあるの」

 巫女はリュウイチの隣で下をのぞき込んで言った。

『もしかしたら、原子力電池の熱で溶けた?』

「チャイナシンドロームね」

「チャイナシンドローム?」

「昔のアメリカだったと思うけれど、原子力発電所の燃料格納容器が熱で溶けて、核燃料が地面に落ちると、そのまま地面を溶かしながら地下深くへ核燃料が沈み込み、そのうち地球を通り抜けて、反対側のチャイナまで届くという話よ」

「冗談だよね。いくら何でも地球を通り抜けるなんてありえない」

「もちろん、そんなことは起きないわ。でも氷なら別だわ」

「別?」

「原子力電池は常にエネルギーを出している。電力として使わなければ熱となるしかないわ。そうすれば周りの氷が溶ける」

「それで?」

「原子力電池やイオンエンジンといった残骸は比重の重い金属だから、水には浮かばない。だから沈む。結果的に残骸のすぐ周りの薄い層は水になって、ゆっくりゆっくりと沈んでいく。いつかは氷殻を抜けて海に入る。そうなると一気に海底まで沈む。途中で氷圧や水圧で押しつぶされるかもしれないけれど」

「チャイナシンドロームにはならない?」

「そうね。たぶん、海に入ったら、水冷が効くから、三〇キロワットでも大したことはないのじゃないかしら。きっと今頃、海底でバラバラになっているわよ」

「ふーん、なるほど。それにしても姫はすごいな」

「凄い?」

「博識だって言うことさ。チャイナシンドロームなんて知っている人はいないよ。カールは知っていた?」

 リュウイチの問にカールは首を横に振った。

「博識? そうかもしれない。でも、どうして、こんなことを知っているかしら。昔習ったことは覚えているのかしら。肝心なことは何も思い出せないのに。自分の名前も、親の名前も、恋人の名前も……」

「思い出さなくていい」

 リュウイチはきっぱりと言い切った。


 結局、イオンエンジンは、原子力電池と共に、海底に沈んでいるだろうということになった。つまり、イオンエンジンの部品を入手しようという望みはかなえられなかった。

「こ、これは!」

巫女は一枚のプレートをひろい上げた。

「ああ、それは、さっき掘り出した原子力電池の銘板」

「定格三○キロワット、製造シンセイ・アトミックス社!」

 巫女が大声を上げた。

「ん? さっき、俺はそう言ったぞ」

「違うの! この銘板、この銘板を見たことがあるの! 間違いないわ、これ、これよ!」

「何がこれなんだ?」

「私の記憶の中にあるの、この銘板を見たことがあるの!」

「いつ? どこで?」

「そ、それは……」

「姫は、シンセイ・アトミックスに勤めていたとか? 原子力電池を作っていたとか?」

「それは、ないわ。この銘板の原子力電池が救命ポッド内に収納されていたの」

「まさか、墜落したポッドに乗っていたというのか! いや、それはおかしいだろう。乗っていたら無事じゃないはずだ。第一このポッドはパシファエから二〇年ぐらいかけてエウロパまで来たんだ。仮にずっとコールドスリープだったとしても生きてはいない」

「違うの、ポッドには乗らなかったのよ」

「それじゃ、ポッドには何が乗っていたんだ。猫でも載せたのか?」

「猫? 猫じゃないわ。白い立方体のような…… そう、私の記憶、記憶をコピーして載せたのだと思うわ」

「記憶? そもそも、記憶をコピーすることなんてできるのか?」

「できるかどうかはわからないけれど、できたのだと思う」

「それだと、まるで記憶を失うこと知っていて、記憶をコピーし、残したように聞こえるけれど」

「そう? そう言われればそうね。記憶のコピーを残して後で回収しようとしたのかしら」

 巫女は銘板を抱きしめた。そして、突然、嗚咽をもらし始める。

『うっ、うっ、う』

 あふれだした涙が、そのまま顔をべたべたにしていく

「ど、どうして、私は何も覚えていないのかしら、私は、私に記憶を持ってほしかったのかしら。もしかしたら、私は罪人だったのかもしれない。それで記憶を、罪深き記憶を抹消したかったのかも。無垢な赤子としてやり直させる罰を与えたのかも……」

 涙をぬぐうことも、口元を覆うことも、ヘルメットが邪魔してできない。ひどい顔である。

「そんな深刻に考えなくても……」

 もちろん、リュウイチがハンカチを差し出すこともできないし、涙を止める言葉も思い浮かばなかった。

「私は私に生きてほしかったのかしら。それとも死んで……」

「もちろん生きて欲しかったんだ。記憶は回収するつもりだったんだよ」

 リュウイチは巫女を抱き寄せた。

「でも記憶は原子力電池とともにこの海に沈んだわ」

「大丈夫だよ、これから、俺が姫の記憶を造り出す。ずっとそばにいるから、二人で楽しい記憶を造ろう」

 リュウイチは、巫女の肩を抱えてポッドに戻っていった。


「ジュダス、聞いていただろう。何か言うことはないか」

 リュウイチは宇宙服を脱いで、すぐに強い口調で言った。

「ございません」

「姫はなぜ、記憶を失ったんだ? エウロパに来る前は、どこに居たんだ?」

「確かなことは言えません」

「なるほど、では、不確かなことや推測は言えるということだな」

「答えは保留させていただきます」

「では、ジュダスに命ずる。これより……」

『リュウイチ、大事な事を忘れているぞ』

 リュウイチはカールとの通信が繋がったままだったことをすっかり忘れていた。

「いま、いい所なんだが」

 リュウイチはジュダスを見下ろしながら腕組みをしていた。

『確認しなければならないことがある』

「確認?」

『そう、巫女様とカタリナ・プラントルは同一人物であるかどうかだ』

「えっ?」

「あっ!」

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