24.スパークリングワイン(西暦二一八五年三月)
イオの公社本部との作戦会議は、予定通り始められた。ドラゴンフルーツでのブレインストーミングは自動要約されて、先方に伝えられている。リュードベリ総裁の短い挨拶の後、科学部天文班長のカール・セルダンが話し始めた。
『なかなか、ドラゴンフルーツのクルーは優秀ですね。こちらの思いつかないようなアイディアもありました』
カールの褒め言葉はそれが最初で最後だった。そして、リュウイチ達の案をこき下ろし始めた。
誘導ミサイル案は、何桁も威力不足だった。ビリヤード案は、ブラックアステロイドの構造データがない状況では、衝突後の振る舞いが計算できないと一蹴した。何百本もの燃料をぶつける案は、破魔の矢作戦立案時に検討されたことがあった。ただ、本数の多さと、燃料がもろく、インパクトの大きさを予想するのが難しいという理由で採択されなかった。カールは、Xデーまで半年もない状況で、今更、詳細を検討し、準備する時間は無いだろうと唇を噛んだ。彼もまた、後悔しているのだ。もし、作戦立案時に、もっと深く検討していれば、状況は違ったかもしれない。
『四分割案はなかなか魅力的だが、君達の言うように、分割した後に四方に飛び散るという問題がある。だけど、発想を変えてみてくれ』
カールはにやりとした。
「発想?」
リュウイチは眉をひそめた。イオとの通信では、二○秒後にしか応答が返ってこないが、それでも、優越感丸出しのカールに反発したかった。
『経線に沿って切る限り、四片には互いに遠心力が働く。だけど発想を変えればいい。縦のものを横にする。つまり、緯線に沿って切ればいい。例えば、赤道、北緯三○度、南緯三○度に沿って切ればいい。四分割できて、しかも相対運動はしていないから、互いに力を及ぼすこともない』
「あっ、なるほど。そういう方法があったのか!」
言われてみればその通りである。遠心力は、地軸に垂直に働くから、緯線を横切る方向には働かない。緯線に沿って切っても、それぞれ、二○分周期で自転しているから、互いに動き始めることもない。リュウイチは素直に感心した。
「でも、その後が問題だわ」
メイファンがぽつりと言った。
『いいアイディアだと思ったんだが、その後が問題なんだ』
いつの間にか、カールもトーンダウンしていた。
『たとえ、綺麗に四分割できたとしても、自転が止まるわけじゃない。その四つの軌道をどうやって制御するかが問題だ。今のKE-Iは四基のサンドスラスターで何とか制御しているけれど、四つに分割してしまうと、どうやって制御する? それぞれにサンドスラスターを四基ずつ配置することなんてできない』
「それなら、自転を止めてしまえばいいのに」
サムが呟く。
「そう簡単じゃないのよ」
メイファンが答えた。
カールが続ける
『最初に自転を止めればよかったと思うかもしれない。もちろん、作戦立案時に一通り考えたさ。例えば、サンドスラスター四基を赤道に配置し、横にして噴射口を水平にする。そして自転を遅くする方向に砂を吐く。ただ、時間が足りない。赤道面の自転速度は、秒速三メートル。自転を止めるため必要な総推力は、KE-Iを所定の衝突軌道に乗せるための総推力の二割ぐらいが必要だった。特に最初の数カ月を、回転を止めるだけ費やすのはもったいなかった』
「そうだったのよね。回転を止めてしまえば、サンドスラスターを定常で稼働させることができたから、その分、楽になるのはわかっていた」
メイファンがぽつりと呟いた。彼女も作戦立案にかかわっていたから、回転を止めるかどうかは迷ったのだろう。
「だったら、なぜ、そうしなかったんだ? 先に回転を止めてしまえば、サンドスラスターの過負荷・変動負荷運転というリスクを冒す必要なんて無かった!」
リュウイチは、無駄な仕事をさせられた気がして、不満だった。
「あら、説明しなかったかしら?」
「説明は無かったと思う」
「そう。ごめんなさい。KE-Iの自転を完全に止めることを優先すると、その間、KE-Iの軌道修正は出来ないわ。だけど、そうすると、その後の軌道修正にしわ寄せが来る。軌道修正は早ければ早いほど楽だから」
「つまり、自転でサンドスラスターに無理な運転をさせるリスクと、自転を止めたことで軌道修正に余裕がなくなるリスクを比較したという事か?」
リュウイチがまとめた。
「その通りよ。もし、ブラックアステロイドが分裂しているとわかっていれば、自転を止める方を優先したわ」
「でも、そうしなかった」
「今から自転を止められないの?」
サムが口を挟んだ。
「ただでさえ、時間が無いのに、一体どうやって自転をとめるんだ」
「うーん。もっと、効率よく……」
サムが自信なさげに応えた。
「方法が無いわけじゃなかったわ。自転を止めるのに必要なのトルク。トルクは力と長さで決まる。その長さをかえるという案があったのよ」
「長さ? そうか、サンドスラスターを赤道上ではなく、もっと高い所に設置すればいいのか!」
リュウイチは目を輝かせた。
「そう。だけど、そう簡単じゃないわ。KE-Iの半径は六○○メートルだから、地平から六○○○メートルの所にサンドスラスターを設置できれば、KE-Iの中心からの距離は合計六六○○メートルで、一一倍になる。トルクは一一倍になるから、必要な総推力は一一分の一で済むわ」
「あっ、てこの原理だね」
サムが口を挟んだ。
「てこの原理と言えば、そうかもしれないけれど……」
「てこだよ。大昔には、てこを使って地球を動かしたって言うし」
「はあ? 地球を動かす?」
リュウイチは呆れ顔だ。サムのおかしな言動には慣れているつもりであるが、呆れることも多い。
「アルキメデスの話ね。『てこと足場があれば、地球さえ動かしてみせる』って言ったそうよ。実際に動かしたわけじゃないけれどね」
「そ、そうなんだ」
「それはいいとして、今回は、例えば、六○○○メートルの高さにサンドスラスターを設置しなければならない。そう簡単じゃないわ」
「んっ? でも、KE-Iは逆重力の世界だから……」
サムが自信なげに、何かを言いかけた。
「逆重力だろうなんだろうが、高さ六○○○メートルの鉄塔を立てるのは、無理だよ。資材がない」
「あの~ KE-Iでサンドスラスターを運んだ時に、遠心力で浮き上がらないように、ロープで地面につないでいたでしょ。という事は、そのままロープを伸ばせば、高い所まで、サンドスラスターを持っていけるんじゃないかと思うんだけれど……」
サムもいつも言い負かされているわけではない。
「なるほど、確かに、ロープさえ伸ばせばいいのか? 地球の商店で使うアドバルーンってわけか。だが、ロープだと曲がってしまうから水平方向の力、トルクはかけられない。やっぱり剛性のある鉄塔が必要だ」
「そ、そうですか」
サムは肩を落とした。
「だが、ロープさえ伸ばせばいいというのは、悪くない…… そうだ、いっそのこと、あっちこっちから
ロープを伸ばし、先に岩塊をつけたらどうだろうか?」
「先に岩塊? それでどうするのよ」
メイファンが尋ねた。
「四方八方に岩つきロープを伸ばせば、KE-Iの大きさが広がる。そうすれば、四つに分裂したブラックアステロイドすべてに衝突させることができるかもしれない。まるでクモが網を張るように」
「なるほど、KE-Iを四分割する代わりに大きくしよう言うのね。でも、どのくらいの大きさの岩塊をいくつぐらい用意すればいいのかしら? ロープには金属ワイヤーを使うとして、何トンぐらい必要なのかしら、岩塊は、サンドスラスターの掘削ユニットで掘りだせばいい?」
メイファン、リュウイチは黙り込んだ。吟味しなければならない点は無数にある。
現在のブラックアステロイドの四標的は、直径一○キロメートルの範囲に収まる。もし、KE-Iを直径一○キロメートルの円盤にまで大きくできれば、四標的すべてと衝突して、軌道を変えることができる。この案の最大の利点は、岩塊とロープさえあれば簡単にできるという点である。そして、利点があれば欠点もある。
『あの~ ドラゴンフルーツの皆様。そちらで盛り上がるのもいいけれど、少しは、こっちの話も聞いてほしいですね』
「ちょっと、カール! たまには黙ってくれない。こっちだって静かに考えたいこともあるのよ」
メイファンの苦情にカールがどう反応するかは、二○秒後にわかるはずである。ただ、それまでは、カールの言いたい放題である。
『なるほど、クモの網はなかなか面白いと思う。だけど、よほど岩塊が大きく、数がないと、効かない。つまり、柔な網ではすぐ破れてしまいます。それともう一つの問題は、網の方向』
「網の方向?」
『遠心力で広がるわけだから、網は赤道面と平行で地軸に垂直。KE-Iは円盤のように広がる。ところが、その面とブラックアステロイドの四標的の並びは垂直に近いんだ。いわば、ハエ叩きを縦にして使うようなもので、ハエを叩くには向いていない配置なんだ』
「ハエ叩き? モグラ叩きの一種かなあ?」
サムが呟くが誰も聞いていない。
「なかなかうまくいかないものね」
メイファンがため息をついた。
『というわけで、遠心力で網を張る案は上手くいかないと思う』
「KE-Iの大きさを大きくするという発想は悪くないわ。遠心力じゃなくて、もっと一様に、KE-Iをもっと大きな半径の天体に変えられればいいのだけれど……」
「だったら、サンドスラ―スターで砂をばら撒けばいいのじゃないかしら。KE-Iに砂雲を纏わせるの」
久しぶりにパトリシアの発言である。
「それは良いかもしないわね。砂が濃ければ、その砂の中を通るブラックアステロイドは減速される。力を受けるという意味では衝突と同じね」
メイファンが直ぐさまフォローする。
「う~ん、サンドスラスターをそのまま使うわけにはいかない」
リュウイチはほんの少し眉をひそめた。
「どうして?」
「定格運転では、砂を秒速一○メートルで吹き上げるんだが、KE-Iに自己重力は無いようなものだから、秒速一○メートルで吹き上げられた砂はそのままの速度で飛び去っていく。仮に速度ゼロの砂を吹きだしたとしても、自転の速度が毎秒三メートルあるから、やっぱり毎秒三メートルで飛び去っていく」
「ということは使えないのかしら?」
パトリシアが、残念そうな表情を見せた。
「いや、そうでもないかもしれない。自転を打ち消すように逆方向に毎秒三メートルで吹きだせば、速度はキャンセルされてゼロとなる。そうすれば、遠心力も働かないからKE-Iの表面に留まっていられる。もちろん、砂同士の衝突やなんかで徐々に拡散していくから、砂雲を纏わせるのは簡単じゃないだろうけど」
「でも、それだとサンドスラスター自体が危なくない?」
メイファンが言った。
「ん?」
「地平線に向かって投げたボールが、地球をぐるりと一回りして、後頭部に当たるようなものじゃない」
メイファンの比喩はなかなか的を得ていた。
「なるほどねえ」
「例えば、一秒間、秒速三メートル、三トンの砂を吹きだすとするわよ。速度がキャンセルされて、砂はそこに留まるけれど、サンドスラスター自身はKE-Iに張り付いて自転しているから、二○分後に、秒速三メートルで同じ場所に戻ってくる。そこには、三トンの砂が立ちふさがっているから、それなりの衝撃を受ける。サンドスラスターが無事で済むかしら」
「サンドスラスターの質量は三○○トンだから、三トンが一回なら耐えられると思うが、常時そんな状態なら壊れてもおかしくないかな?」
リュウイチは、砂嵐に襲われるサンドスラスターを想像していた。
「こういうのを天に唾すというのじゃなかったかしら」
パトリシアの比喩も中々である。ただ、いくら比喩が優れていても頭の痛いことには変わらない。クルー達は何度目かのため息を吐いた。
『ちょっと、ドラゴンフルーツの皆さん、聞こえていますか? 聞こえているなら、返事を下さい!』
「ちっ、全然、聞こえていないわ!」
メイファンは舌打ちしながら答えた。
* * *
作戦会議の結果、三案を詳細に検討することとなった。一つは、燃料を輸送船ごとぶつけるという案だった。必要な本数が多いことと、衝突時の不確定性のために、一度は断念した案だった。だが、電磁カタパルトの運用技術の向上により、これまでの二倍の重量の燃料を一度に射出できる目途がつき、衝突総質量の大幅増加が期待できた。これは、エウロパの発電設備の射出で経験を積んだことによるところが大きい。
もう一つはKE-Iに砂雲を纏わせる案である。十分に細かく粉砕された砂ならば、粉体として扱う事ができ、『埋もれたピラミッド』で計算が可能となる。適切な砂雲を纏わせる方法が見つかるだろうとカールは期待していた。もちろん、サンドスラ―スターが砂嵐の中で故障せずに稼働するかどうかという問題も要検討である。
最後の案は分裂した四標的の内の一つの迎撃を行い、残りは木星系内での迎撃を諦める。木星でスイングバイを受け、黄道面を飛び出してしまえば、迎撃はかなり難しくなるし、地球に近づけば近づくほど、大きく軌道を変えないといけない。だからこそ、木星系開発公社が無理をしているのだが、地球、月、金星の経済力と打ち上げ能力を用いれば、迎撃の可能性はゼロではない。どちらにしろ、四標的の内の一つでも迎撃すれば、それだけ、地球の被害は減る。作戦としは失敗であるが、何もしないよりはいい。
三案をまとめたカールは最後に懸念を伝えなければならないと言った。
『実は、ブラックアステロイドは活動しているかもしれない』
「活動?」
『赤外領域で観測すると、四標的の内一つだけが他よりも強い赤外線を放射しているんだ。赤外線放射は暖かいこと、熱源の存在を示唆する。ざっくり、熱源のオーダーを評価した所、使用済み核燃料一○○○トンぐらいに相当する』
「使用済み核燃料? まさか!」
メイファンは目を見開いた。何か心当たりがあるようだ。
『この熱は、二○八二年に失踪した無人輸送船が積んでいた使用済み核燃料の自然崩壊熱だと考えると説明できる』
「くそっ、あれか!」
メイファンは唸った。当時、彼女は小惑星帯で消息を絶った輸送船を二○年間探査させられた。
『単なる仮説にすぎないんだけれど、こんなことは考えられないかな。あの無人輸送船にはプラントル達の仕込んだウィルスプログラムが仕掛けられていた。行方をくらまして、木星軌道上のトロヤ群の小惑星にたどり着く。そこで、崩壊熱を熱源に、例えば、簡単な熱核エンジンを設置し、小惑星を動かす。そして、およそ百年かけて木星系まで持ってきた。丁度、パシファエを灯台が動かしたように。そんな事、あり得ないとは言えないだろう』
「無人のプログラムがそこまでするなんて…… でもAIを搭載した小型ロボットを一緒に潜り込ませたとしたら…… ブラックアステロイドに着陸して、資材のほとんどない状態から熱核エンジンを組み立てて、設置して…… 限りなく不可能に近いわ」
メイファンには、その難しさが理解できた。そもそも、核燃料輸送船にロボットや、熱核エンジンの資材を持ち込むという事は、重量が変わるという事である。キリマンジャロの電磁カタパルトでの打ち上げ、輸送船への積み込み、輸送船の加速。密送品が露見する機会はいくつもある。もし、それが本当なら、かなり規模の大きな組織的犯罪である。逆に、地球に小惑星を落とすには、小惑星と木星系で最初にスイングバイするパシフェアの両方を動かしてこそ、成立する計画のようにも思えた。
『だとすると、百年前の亡霊が、もう一度、暴れる可能性はないだろうか? もう一度、熱核エンジンを点火して、動き出すことはないだろうか? もちろん、積んでいた核燃料の量や半減期、当時の技術水準を考えれば、できることは限られている。それでも軌道を微修正して、四つの標的の間隔をもっと離すぐらいのことはできるかもしれない。今の所、光学観測で見る限り、エンジンが動いている可能性はないし、レーダーVLBIでもブラックアステロイド表面に人工物は見つかっていない。だが油断は禁物だ』
カールはそこまで言い終えると、隣に座っているコレ―・リュードベリ総裁に頷いた。総裁は作戦会議が始まって以来一度も口を開いていなかった。
『メイファン、マイケル・リサール元船長を尋問してくれ。ブラックアステロイドについて何か知っているかもしれない。公安官の尋問委任状も貰ってあるから、後でメイファン・グエン船長とパトリシア・フェルミ船医に送る。以上で作戦会議を終わろうと思う。次回はカールから連絡させるつもりだ。メイファン船長、意義があれば、三秒以内に返事せよ』
コレ―は、三秒だけ待つと言っているが、実際には、通信遅れの二○秒を加えると二三秒間待つと言っているのだ。
「尋問の件、作戦会議終了の件とも異議はありません。それでは、こちらから通信を切らせていただきます」
メイファンは、ニヤリと笑って、パトリシアに合図をした。パトリシアは慌てて、操作卓でスイッチを切った。
* * *
元船長は、コールドスリープ装置から半身を起こしていた。その青い瞳は、死んだ魚の目のように生気がない。その瞳を、リュウイチは難しい顔で見つめていた。騒動を起こして以来、顔を合わせるのは初めてである。
リュウイチにとって、マイクケル元船長は師匠のようなものである。辺境のイロハを教えてくれたし、船外活動のノウハウを教わった。実の父よりも父親らしいと思うこともあった。
その元船長が罪人なのだ。リュウイチの眼前で罪人であることを証明したから、それは疑いようもない。リュウイチは無力感に襲われていた。父トラオの時も、今回も、リュウイチは何もできなかった。
「しょうがないよな」
リュウイチは、頭を振って、呟いた。
「薬が効いているの?」
部屋に入ってきたメイファンは、バイタル信号をモニターしているパトリシアに尋ねた。
「効いていると思うけれど……」
パトリシアは、注射した薬液のカプセルを手に取った。空になったカプセルにはラベルが貼付されている。
「何か、問題でも?」
「自白薬感受分類で、元船長はタイプC(-)でした。このタイプはかなり珍しく、しかも、自白薬が効きにくいいとされています」
「効きにくいのかあ? 同じタイプの俺にはいいことかな?」
リュウイチが口を挟んだ。
「リュウイチも同じC(-)でしたね。珍しいタイプが二人も同じ船に居るなんて、隕石に当るようなものね」
パトリシアが軽く言った。
「どのくらいの確率なの?」
メイファンが興味を示した。
「他の三種に比べると圧倒的に小さいわ。確か…… 千人に一人もいなかったと思う」
「そうですか…… その話はおいておいて、早速、尋問を始めましょう。パトリシア、例の公安官の委任状の記載は読んだ?」
「はい、薬量は医学的に問題ないとされている上限値を指定されていました。船医関係はそのぐらいです。後は、船長への指示に、尋問時間、記録などがありましたので、船内監視システムを使って、すでに記録を開始しています」
「ありがとう、パトリシア。では、始めましょう」
メイファンは小さく咳払いをして尋問を開始した。
「二一八五年三月二四日○九時一五分二○秒(UTC)。これより辺境公安官委任状、二一八五の一三号により、私、メイファン・グェンが尋問を行う。被尋問者は、マイケル・リサール。立ち合い医師はパトリシア・フェルミ。その他の立会人一名はリュウイチ・タニヤマ。尋問内容は、ブラックアステロイド関連事項のみ。投薬等の被尋問者の身体管理については、別紙1を参照。尋問要領等については、別紙2を参照すること」
「割と面倒そうだな」
リュウイチは感想を漏らした。
「そうだ。別紙2のここは読んでおいた方がいいかしら…… なお、立会人は尋問によって知り得た内容に関し守秘義務を負う。特に、後日、被尋問者に関連する質問をしてはならない」
「船長、最後の部分はどういう意味?」
リュウイチはひっかりを覚えた。
「パトリシア、説明してくれるか?」
「自白薬は、表層ではなく、深層の心理や記憶を掘り起こす機能があるのよ。それが自白に有効なのだけれど。そして、尋問された本人は、どんな質問をされ、どんな風に自分が答えたか覚えていないことが多いそうよ」
「恐ろしいな」
「でも、深層心理や記憶を白日の下にさらすのは危険なの。それらが、当人自身に精神的なダメージを与えることは珍しくないわ。だから、尋問内容は忘れてくれた方が安全だし、後日、誰かが尋問を思い出させることも、避けた方がいいの」
「ふーん。そんなものかな」
尋問は一時間程かかった。結果的には、ブラックアステロイドに関する新たな情報は得られなかった。ただ、驚愕するような情報もあった。
マイケル元船長の回答によれば、プラントル元所長と関わるようになったのは、彼が、女性パイロットとして核燃料や資材を輸送していた頃である。当時、プラントルの指揮下で働いていた者は沢山いたが、その中でもプラントルの計画「トロヤの復讐」を知り、それに協力していた者は少数である。
マイケルは計画に加わるかわりに、プラントルと取引をした。マイケルに与えられた役割は、百年間、木星系に留まり、ブラックアステロイド落下計画の推移を見守るという努力義務であった。ひどく曖昧な役割であるが、百年間という期間を考えれば妥当なのかもしれない。実際、マイケルはここ百年程木星系に留まるだけでなく、破魔の矢作戦を妨害しようとしたのだから、プラントルの読みは当たったと言っていいだろう。
問題は、マイケルの得た対価である。
「トラオ・タニヤマ博士が関係ありますか?」
「ええ」
メイファンの質問に、抑揚のない声でマイケルが答えた。
「当時、あなたは、タニヤマ博士とプラントルの娘カタリナと三角関係にあった。間違いありませんか?」
「おそらくは」
「それで、カタリナの事故死を装った抹殺をプラントルに依頼したのですか?」
「依頼はしたけど、あかんかった」
「では、どうしたのですか?」
「プラントルの許可の元、ルナクルVを大量に摂取させ、記憶障害を起こさせました」
「殺すよりはましですが、プラントルは、よく自分の娘に酷いことができたものですね」
「元々所長は、カタリナの記憶を消すつもりやったようです」
「なぜ?」
「あいつが、ブラックアステロイド落下計画に強硬に反対しとったからですわ」
「それで記憶を消されたのね。という事は、カタリナは今も生きている、自分がカタリナであると知らないまま、今も生きているということ?」
「その通りですわ。カタリナは記憶を消され、教団本部に密送されました」
リュウイチは、マイケルの回答にひっかりを覚えたが、それが何なのかゆっくり考えることはできなかった。そのすぐ後に、驚愕すべき事実を知ったからである。
「で、結局、あなたの得た対価はそれだけですか? それとも、若返るかもしれないというルナクルIVの処方も対価だったのかしら」
「それもですが、もう一つありました」
「もう一つとは何です?」
「トラオのクローンです」
「えっ?」
リュウイチは思わず声を出した。それに構わず、メイファンは尋問を続けた。
「つまり、マツシタラボに、トラオのクローンを勝手に作ってもらったということ?」
「そうですわ」
「どうしてそんなことをしたのですか?」
「子ができたら、トラオが振り向いてくれるかもしれんと思ったんや」
「子ができたら、振り向く?」
「クローンゆうても、純粋なクローンやなく、一○パーセント、わしの遺伝子を混ぜてもらったんですわ。トラオとわしの子を見たら、トラオが振り向いてくれるかもしれんと思ったんや」
「なっ! それで、俺のクローン度が一○○パーセントじゃなかのか! ということは……」
「リュウイチ、黙っていて!」
メイファンは低い声でリュウイチを制した。
「では、なぜ、あなたは、その子を引きとって…… この質問は撤回するわ。ブラックアステロイドには関係ない質問でした」
「えっ、あっ、メイファン!」
「リュウイチ、黙りなさい! これで、尋問は終了します。パトリシア、後処置が終わったら眠らせて」
「はい、了解しました」
リュウイチとメイファンは、一筋の涙を流す元船長を残し、部屋を後にした。
* * *
ドラゴンフルーツの展望室で、リュウイチはウォッカと書かれた透明な蒸留酒を飲んでいた。
「まさか、船長が母親、いや、一○パーセントの親だったなんて。罪人の遺伝子を受け継いでいるかと思うと……」
珍しく、リュウイチは真っ赤になっている。
「遺伝子には罪もなにもないわよ」
メイファンが、リュウイチを慰める。
「そうかもしれなけれど…… あの船長が俺の母親? なんだか笑えてくるよ」
「……」
「最後に涙なんか流していたけれど、あれは一体何だったんだ? あの船長が涙なんて、似合わないな」
「……その話はよしましょう。もっと楽しいことを考えましょう。折角のお酒が不味くなるわ」
そう言って、メイファンはリュウイチのグラスに透明な蒸留酒を注ぎ足した。
「楽しい話なんてないよ。今は、砂嵐の中でサンドスラスターがもつかどうかを考えないといけないし」
「それもそうね…… サンドスラスターの耐砂性能は、リュウイチに考えてもらうとしても、適度な大きさで、濃い砂嵐を作れるかどうかが問題だわ。小さければ四つの標的に当たらないし、薄ければ、インパクトが小さくなるし、濃くて大きな砂嵐を作るのは難しい。お酒でも飲んでいないとやっていられないわね」
グラスに口をつけるメイファンは、ほんのり上気している。以前は、お酒をたしなむ幼女なんてと思っていたが、今の彼女はかすかに女の匂いを放っていた。胸も少々膨らんだようにも見える。
リュウイチの視線に、メイファンはにやりとして
「一四・五」
と言った。
「は? 何? 何の数字? アルコール度数?」
リュウイチは、咄嗟に思い浮かんだ事を答えた。
「一四・五歳。とうとう、私の細胞年齢が一四・五歳になったのよ。百何十年ぶりよ」
「えっ、あっそう。それは…… おめでとう」
「だから、ご褒美がほしいの」
「ほ、褒美って?」
「それは、もちろん…… 私を女にして」
そう言って顔を上げたメイファンは、小悪魔のようである。瞳は妖しげに光っているし、酒で湿った唇はそれだけで一匹の生き物のようである。
「えっえーっ! メイファンのためなら……」
リュウイチは血がアルコールになって体中を巡っているような錯覚を覚えたが、頭の片隅で警鐘が鳴っていた。
「だけど、俺には、エウロパの……」
リュウイチは頭を抱えた。
コツン。メイファンが静かにグラスを置いた。その目は不動明王のように燃えている。
「まだ飲み足りないようね」
そう言って立ち上がると、メイファンは酒蔵庫をあさり、一本の瓶を乱暴に取り出した。
「最高級ワインよ。開けて」
瓶を手渡すと、メイファンはリュウイチの横に座って、しなだれかかってきた。艶やかな黒髪がバラの香りを放っているし、リュウイチの腕には、小さなふくらみが押し付けられている。
「わ、わかった、開けるよ」
リュウイチは慌ててコルク抜きを手に取った。
ポンとコルクが飛んだかと思うと、シュワーっと中身が吹き上がった。
「「あっ!」」
超低重力で吹き上がった酒は、天井に当たり、黄金の飛沫となって辺り一帯に広がった。まるで、噴水の中にいるようである。
「スパークリングワインだったのね。禁止されていたはずだけれど、誰が注文したのかしら?」
注文したのはメイファンに決まっている。
辺りに甘い香りが漂う。しかも、瓶からの吹き上がりは中々収まらない。無数の黄金の飛沫が、ふわふわと漂いながらゆっくりゆっくりと下降していく。
「幻想的ね」
「エウロパのインパクトを思い出すなあ」
「エウロパのインパクト? KE-III?」
「そう。あの時は、KE-IIIの開けた穴からエウロパの海水が噴き出て、確か、二○○キロメートルぐらいまで噴き上がったんじゃなかったっけ? 上昇中に氷になって、白銀の雲ができていたじゃないか」
「雲?」
そう尋ねるメイファンの瞳には、無数の星が映り込んでいる。
「氷の雲だった」
「「あーっ!」」
一瞬、間をおいて、二人は同時に叫んだ。
「リュウイチ! これ、使えるかも!」
「そ、そうだよ。こんな手があったなんて……」
「ちょっと、ブリッジに戻って、イオのカールに話すわ」
メイファンが立ち上がった。
「俺も……」
立ち上がろうとするリュウイチをメイファンが制止する。顔を近づけ、リュウイチの額にキスを落とし、
「リュウイチは、展望室の拭き掃除よ」
と囁いた。
「ええっ!」
「それが終わったら、ご褒美! 船長命令だからね」
小悪魔のような笑みを浮かべたメイファンは、そう言い残して出ていった。
リュウイチは窓の外を見やった。漆黒の宇宙に巨大な木星が鎮座している。そのそばを煌めくブローチのようなエウロパが伴走している。
「姫、ゴメン。今日だけは君を忘れてもいいかな。船長命令だし……」
展望室には、嬉し悲しいなんとも言えない表情の青年がいた。細胞年齢は二七歳。迷いの多い年頃である。




