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22.悪意と祈り(西暦二一八五年三月)

 エウロパの灰白色の大地。平均気温は零下一六○度。住人は、巫女と呼ばれる女性が一人と放送用AIが一台。

 その住人達は、エウロパ仕様のスノーモービルの座席から、氷山の斜面に散乱した色とりどりの物体を見ていた。氷につき刺さった銀色の板があるかと思えば、小さなタンクの残骸には、赤黒い布がかかっていた。こぼれ出たオイルか何かが瞬時に凍ったのであろう。弱い日の光を散乱しているのは、キューブ状の透明な樹脂で、中に閉じ込められた魚は、エウロパの海へ泳ぎ出しそうである。沢山のプラスチック小型容器の上には細かな雪が降り積り地面と一体になってい固まっていた。容器を壊さずに掘り起こすのは難儀しそうだ。

「ビーコンが途絶したから、まさかとは思ったけれど……」

真紅の宇宙服を着た巫女が言った。斜面に散らばっていたのは、着水に失敗した投下コンテナの残骸である。

「予定落下地点から西方に二○○メートル程ずれていますね」

ペンギン型AIのジュダスが分析した。

「もう少しだったのに」

巫女は、横手に広がる谷を覗き込んだ。地平線の彼方に延びる谷状の構造はリネアと呼ばれる地形である。そのリネアの底に、ごくまれに池がある。正確には、エウロパの氷の大地の何十キロメートル下から湧きあがった海水が溜まったもので、大きさも形態もさまざまである。

 地割れの隙間から染み出した海水でできた池は、数日で凍って大地となる事が多いが、隙間が広い場合は、年単位で存在し続ける底なし池となる。また、条件によっては、潮汐力に合わせて海水を吹き上げる間欠泉となり、凍った海水が降り積って辺りに複雑な地形を作り出す。成層火山のような氷山もあるし、スケートリンクのような平面や、鬼押し出しや樹氷のような複雑な造形もある。

 比較的広く安定な池は、物資投下の適地である。地球と違って大気のほとんどないエウロパへの着陸は、滑空もできなければ、大気の摩擦もないから、地球への着陸よりも厄介である。もし、イオから打ち出したコンテナをそのままエウロパに落下させれば、最低でも秒速二キロメートルの速さで大地にぶつかる。安全に着陸させるには、かなりの燃料を使って減速しなければならないし、上手く制御しなければ、秒速一○○メートルぐらいの誤差は容易に生じる。

 そういった難しさを回避するために、イオから届けられる荷は、エウロパの池に投下してきた。一年に一度ほど、エウロパの拝推神殿では生産できない穀物、魚肉、日用の消耗品から設備のメンテナンス部品までを紡錘型のコンテナに入れて投下してきた。

「場所を変えたのは失敗だったのかしら?」

巫女はため息をついた。

「そうですね。KE-IIIの落下で大気圧がわずかに上昇したのが原因かもしれません。それで生じた摩擦力が落下軌道をずらした可能性があります」

ジュダスが推論を述べた。

「潮汐発電プロジェクトのあおりをこんな風に受けるなんて思わなかったわ…… 前から使っていた池じゃダメなのかしら。そもそも、公社の予想は本当なの? 落下した衝突破片で前の投下池が破壊されるといういうのは本当なの?」

 破魔の矢作戦では、KE-Iとブラックアステロイドはエウロパの南極上空で衝突する予定である。そこで生じる破片は帯状になって、エウロパの地に降り注ぐ。南緯五○度、東経五五度にある神殿を直撃することはないが、物資投下用の池が破壊される可能性がある。そのため、新しい投下池を開拓しなければならない。今回は、その試験であった。場所が少し変わるだけで、それほど難しいものではないと誰もが思っていた。ところが、落下軌道がほんの少しずれて、氷山に激突したのである。

「公社科学部によれば、前の投下池が、破片落下確度九○パーセント以上の最大危険領域に入ることは確かです。破片の大きさや数の予想にはかなりの不確定性があるそうですが、周辺の地形が変わって、投下池として使用不能になる恐れが高いと予想しています」

「つまり、予想や推定はできても何が起きるかはわからないと言うことね」

「そのような表現は間違っておりません」

「まあ、今更、蒸し返しても仕方ないけれど、新しい池への投下に失敗したのは事実だわ」

「はい、事実でございます」

「で、これからどうするの?」

「回収できる荷を回収いたします」

「しかたないわね。これもこの地で生きていくためね」

巫女は、スノーモービルのクラッチを入れて、ゆっくりと前進させた。全長五メートルほどの巨大な荷車をけん引しているから、運転は慎重に行わなければならない。


 巫女とペンギン型AIは、電動チェーンソーを用いて、埋まった荷を掘り起こしていった。それらをワイヤーフレーム状の金属車輪のついた巨大荷車に載せていく。

 三時間程、一人と一台は汗と電気を流した。

「ジュダス、このぐらいにしない? 残っているのは、衝撃で破損、四散したものか、氷の下深くに埋まっていて、ちょっとやそっとでは掘りだせない物ばかりよ」

「そうですね。三分の一も回収できませんでしたが、致し方ないでしょう。巫女様のエアも余裕がなくなってきましたし、引き上げることにしましょう」

「これだけ、苦労して、三分の一なの?」

「ええ」

「少ない?」

「かなり少ないですね。神殿で行う検査の結果次第では、使える物資はもっと少なくなるかもしれません」

「それだと、食料が持たないわね。どうするの? もう一度、イオから送ってもらうの?」

「すぐに再投下してもらうのは、中々難しいと思われます」

「どうして?」

「イオの電磁カタパルトは、現在、破魔の矢作戦最優先で稼働しておりますので、他のプロジェクトへの物資・燃料供給はかなり待たされているようです。今回の投下も、教会の働きかけで、内々に実現したと聞いております」

「ということは、レベルII?」

「はい、コールドスリープ・レベルIIでしばらく眠っていただくことになります」

「どのくらいの期間?」

「少なくとも、六カ月後の破魔の矢作戦が終了するまで」

「ストックされている食料もあるし、レベルIの比較的短い睡眠も入れれば、レベルIIなしで済まされないかしら?」

「回収した荷を精査しないと正確な日数はわかりませんが、緊急用の予備は確保しておかなければなりませんので、二カ月後には、レベルII睡眠に入る必要があると思われます」

「それじゃ、少なくとも四カ月! 長いわね……」

「これまでも、三カ月のレベルII睡眠は何度も経験していますので心配はいりません。惑星間航行では、六カ月の長時間睡眠も珍しくありませんし」

巫女は眉を顰めた。

 巫女は長時間コールドスリープが心配であった。憂鬱であった。そして、そのもやもやを抱えたまま、スノーモービルを運転していたら、神殿到着寸前で、地面の小さな凹凸にハンドルを取られ、横転してしまった。

 荷のバランスが悪い荷車をけん引していたのも一因であるが、彼女の不注意が主因である。彼女達自身と荷車は、なんともなかったものの、スノーモービルの金属キャタピラが破損し、走行できなくなったのは不運と言っていいだろう。

 キャタピラを調べたジュダスは、金属疲労があったから、破損は仕方なかったと巫女を慰めたが、それなら、事前に部品交換をすべきだったと、巫女は内心で舌打ちをした。

 彼女のコールドスリープに対する心配と懸念は一時的なものではない。それは、ここ数年、澱が積るようにして生まれたものである。彼女は、コールドスリープが脳と体に影響を与えると考えていた。老化が進まないのは、コールドスリープが原因ではないかと考えていた。

 エウロパの神殿には細胞年齢の簡易測定器がある。皮膚の細胞を採取し、増殖させて細胞年齢を算出する装置である。巫女が自分で調べた所、コールドスリープ前後で細胞年齢が明らかに低下していた。つまり、起きている間は老化が進み、寝ている間は若化が起きるのである。もちろん、ネットで調べてみてもそんな事例は見つからないから、本当だとすれば、特異な例である。

 教会本部は、そのことを知っているように思えた。もし、巫女が普通の人と同様に老化するのあれば、老化防止や容姿の維持に多大な努力を払うようにさせたはずであった。巫女という商品の鮮度を保つためにあらゆる努力を惜しまないはずであった。ところが、教会は何もしなかったし、何も指示しなかった。考えてみれば不思議な事である。

 若化だけなら問題ではないかもしれない。彼女がコールドスリープを嫌がった一番の理由は、記憶の劣化である。コールドスリープ時間が長ければ長いほど、記憶が薄れるのである。リュウイチとのやり取りも、昔の銀塩写真のように色あせていった。もちろん、通信画像を再生すれば、その時の記憶を思い起こすことはできた。ただ、コールドスリープを経るたびに、その時のときめきが色あせていくのである。どうしようもなく高まったはずの鼓動が、コールドスリープを経るたびに、静かになっていった。

 それに気がついた時の彼女の衝撃は相当なものであった。まるで、指の隙間から砂が零れ落ちていくような無力感。人間が人間でなくなっていくような絶望感。彼女は、すぐに記憶の劣化をとどめる努力をした。映像と音声を再生するだけではない。頭の中で再生したり、演技をしたりして、必死に記憶を定着させようとした。

 その過程で、巫女は面白い発見をした。風呂である。エウロパの海水を入れた湯船は、過去の記憶を夢として見せてくれるだけでなく、リュウイチと話した時のときめきを思いおこさせてくるのだ。

 冷静に考えてみれば、彼女自身が過去の記憶を持たないことは特異な事である。そして、その原因はコールドスリープにあるかもしれない。巫女は何者かの悪意を感じずにはいられなかった。

 どちらにしろ、長時間のコールドスリープは、巫女が最も避けたいものである。そして、それが避けらないとすれば、選択は二つしかなかった。リュウイチの記憶を消すか、それともリュウイチの記憶を増やすかである。


     *    *     *


 ドラゴンフルーツは楕円軌道上にいた。近木点はイオの軌道に近く、遠木点はカルポの周っていた軌道に近い。船は、ほんの一○○キロメートル程離れてKE-Iを追走していた。今は、近木点を過ぎ、イオの軌道から徐々に遠ざかっている。これから、およそ、六カ月後にKE-Iは楕円軌道をほぼ一巡りして、エウロパの南極上空でブラックアステロイド(2046XF13)に衝突するはずである。このXデーに向けて、サンドスラスター四基は、過酷な運転条件下で、稼働していた。ドラゴンフルーツはXデー直前までKE-I上のサンドスラスターを見守る予定である。


「メイファン船長!」

「なんだパトリシア」

ブリッジ中央のメイファンは、ゴーグルを額まで上げた。ゴスロリという由緒正しいらしいAラインの衣装を身に着けている。

「リュードベリ総裁から、優先度4でリアルタイム通信の要求です」

「着替えている暇は……」

「ありません。二○秒後に高精度立体像が出ます」

パトリシアは冷たく言い放った。

「仕方ないわね」

船長のすぐ隣の空間が煌めき、立体画像が徐々に現れた。ぴったりとした濃紺のスカートスーツに赤毛の映える中年女性である。

「リュードベリだ。辺境インパクト作業船I号の諸君、ご苦労様。全て順調と聞いている」

「無駄な激励をするぐらいなら、もっと凍結燃料をよこしなさいよ」

メイファンは小声で呟いた。

「メイファン・グェン船長はいるかな? 船長としての威厳も備わってきたころだろう」

「威厳? こ、この衣装は、ちょっとした余興だと思ってください」

 メイファンは後ろ手で、ひざ上Aラインの裾を絞った。通信のタイムラグが往復で二○秒あるから、総裁の反応は後でわかるはずである。メイファンは冷や汗をかいた。

「船長として、本部に色々と文句も言いたいのだろうが……」

「いえ、文句なんて滅相もありません。ドラゴンフルーツは公社の指示に従うだけです」

「悪い知らせがある」

リュードベリは一方的に話し続ける。

「んっ? 悪い知らせ?」

「ブリッジは、メイファンとパトリシアだけか」

総裁は辺りを見回し、ほんの一瞬、目をすがめた。ブリッジの映像がやっと先方に届いたのだ。

「取りあえず、画像を送る。まずは、二か月前に、口径八メートルの光学望遠鏡でカール・セルダンが撮った画像だ。直径三キロメートル強。ブラックアステロイドと言われるだけあって、太陽光をほとんど反射しないが、この時は、偶然、衛星パシファエが背景になって、黒く写っている」

 総裁が送った画像は粗い。分解能の限界に近いブラックアステロイドは一○画素程を占めるにすぎない。

「画像が粗いが、分裂しているように見えないか」

 そう言われれば、真ん中の画素が少し明るくなっており、二つに分裂しているように見なくもない。ブリッジのメイファンとパトリシアは、眉を顰めた。

「説明を続けるぞ。最近、旧天文台、新天文台、タワキ山観測所の三台の電波望遠鏡でレーダーVLBIを構成して、観測した。そして、昨晩出てきた解析結果がこれだ」

次に総裁が見せた画像は、モノクロの等高線図である。四つのいびつな島のようなものが明瞭に示されている。

 超長基線干渉計(VLBI)は、複数の電波望遠鏡で一つの仮想的な望遠鏡を構成する方法である。これを用いれば、実効的な分解能を飛躍的に向上させることができる。イオのレーダーVLBIの場合、口径八メートルの光学望遠鏡の百倍程分解能が良くなっている。

「直径二キロメートルほどの塊が四つ、互いに二キロ程離れている」

「総裁、どういうことですか? ブラックアステロイドは一つだったのでは?」

「一つだったはずという疑問はあるだろう」

総裁は、まだ受け取っていないはずの質問を言い当てて、続けた。

「五○年程前のルナからの高精度観測では、確かに一つだった。他の観測や、今回のイオからの観測を考慮すると、分裂したのはここ三年以内というのが世界政府の結論だ」

「もしかしたら、潮汐力? パシファエでスイングバイした時の潮汐力で分裂した?」

 潮汐力は天体が大きさを持つために生じる重力の差である。ある天体が別の天体のそばを通る時、その天体には遠心力と重力が働く。遠心力は天体の軌道で決まるが、重力は距離に依存する。従って、天体に大きさがあれば、別の天体に近い側と遠い側では、重力は異なる。この差が潮汐力の実態である。地球上の潮の満ち引きは月や太陽からの重力で起きる。太陽や月に近い方の海水はより引っ張られ、逆に遠い方は重力が弱まり、遠心力が強くなる。その結果、地球の中心への引っ張る力、地球の重力が弱まるように見える。もし、地球の自己重力が小さければ、満潮のたびに、海水が太陽や月に巻き上げられるかもしれない。

 ブラックアステロイドの場合、自己重力は非常に小さいが、潮汐力も小さい。分裂するかどうかは、アステロイドの自己保持力に依存する。もし、ブラックアステロイドに大きなひびが入っていたりしたら、潮汐力が勝って、分裂することもあり得なくはない。

「原因は、不明だ。分裂した方向から、潮汐力は関係なさそうだと言うのが、新天文台の見解だ。だが、そうだとすると、人為的に分裂させた可能性が出て来る」

「二重の意味でやっかいだわね……」

メイファンは腕組みをして呟いた。

「大昔に地球の大国が配備した大陸間弾道ミサイルみたいなものだ。複数の核弾頭を一基のミサイルに装備して、ばら撒く。デコイもあったそうだ。そうなれば、迎撃は極めて困難になる」

「二重の意味でやっかいだわね」

メイファンは、頷きながら同じセリフを繰り返した。

「人為的ならば、さらに分裂するかもしれないし、距離も変わるかもしれない」

総裁は、メイファンの知りたいことを先読みしているかのように話すが、論理の流れが自然であれば、先読みは難しくない。もっともそういう自然な論理を組み立てられるかどうかは才能による。

「で、対策は?」

「とにかく、現在の作戦では、四つに分裂した標的すべての軌道を変えることは不可能だ。科学部で対策を検討中だが、中々難問だ。そこで、三時間後に関係者で作戦会議を開く。各部から班長クラスが出席する。そちらの出席者はマイケル・リサール元船長以外全員だ。質問があれば、後でメールしてくれ。以上だ」

「って、総裁! こっちの返事も聞かずに切るなんて、この、せっかち! 馬鹿!」

総裁は、返事も聞かずに、通信を切った。タイムラグの二○秒も待てないようである。

「船長、今の言葉、一○秒後に届きますよ」

「えっ、あっ、しまった! キャンセルできない? 超光速でもない限りできないわよね」

メイファンは肩を落とし、黒地に白いレースをあしらったスカートをつまんだ。

 遠距離通信の作法の一つは、相手の応答を確かめずに、一方的に喋ることである。一々、応答を確かめていては、いくら時間があっても足りないからである。もう一つの作法は会話を終了した後も、しばらく通信機を受信状態で待機させることである。相手の返事を聞くためというよりも、通信エラーが起きた場合に、再送信要求があるかもしれないからである。

 総裁がメイファンの最後の悪態を実際に聞いたかどうかわからない。

「まっ、気にしても仕方ないわね。パトリシア、さっきのデータを共有エリアに置いてくれる? ちょっと、自分で計算してみたいから」

「了解」

「それから、クルーを起こして頂戴」

「元船長はどうしましょう?」

「イオとの作戦会議開始前にコールドスリープから覚醒させて、そのまま拘束具で装置につないでおいて。あんまり効果が無いと思うけれど、自白薬の用意もお願いしたいわ。もしかしたら元船長は何か知っているかもしれないし」

「自白薬ですか。薬は感受遺伝子のタイプ別に四種ありますけれど、船長のタイプはわからないので検査してもよろしいでしょうか? 他のクルーのタイプは、以前、元船長に言われて調べたのですが、元船長のタイプだけは調べなくていいと言われ、タイプがわかりません」

「タイプ? 自白薬は皆同じだと思っていたのだけれど、違うのね。それにしても、クルーの遺伝子のタイプを調べていたなんて…… パトリシア、あなたのことは信頼しているけれど、もし、元船長に組みすることがあれば……」

「私はクルーであると同時に、医者です。船長命令も大事ですし、クルーの命も大事です」

「わかっているわ。私は、クルーであろうと、犯罪者であろうと、不必要な人権侵害をするつもりは無いわ」

「その言葉に安心しました。それじゃ、皆を起こしてきます」

「ええ、頼むわ」

ブリッジを出ていくパトリシアを見送り、メイファン船長は腕を組んだ。

「そう簡単には勝たせてくれないようね。でも、失踪船探索の時と違って、今回は、私一人じゃない。仲間がいる」


     *    *     *


 規定よりも早くに起きたリュウイチは、パジャマのままメールを見ていた。

「今日も、結構たくさん来ているな…… これも『頑張って下さい』か。それ自体は悪くないんだけれど、こうもメールが多いと、励ましよりは、プレッシャーになるよな……」

 リュウイチが読んでいるのはファンレターである。破魔の矢作戦が公表されて以来、ドラゴンフルーツのクルーには多くのファンレターが来るようになった。クルーの中でもダントツに多いのが、リュウイチとメイファンである。

 最初に来た一○通のメールには礼状を返した。次に来た一○○通のうち、丁寧なメールや、ちょっと変わったメールには返事をした。次の一○○○通の大部分はメールの件名だけしか見ていなかった。それでも、時に変わったメールを見つけることがある。一番変わっていたのは、高精度三次元画像を二枚添付したマハと名乗る女性のメールだった。一枚目は着衣で、二枚目は裸であった。セフレの誘いであった。イオのマグマ宮殿のエンジニアだと自己紹介していた。二年後にイオ工業都市のアイスクリーム屋で待ち合わせようと返事をしたら、その頃には男に変わっているかもしれないと断られた。リュウイチはからかわれたようである。

 そんな怪しげなメールも、イオを離れて二二年のリュウイチには新鮮だった。もちろん、何人かとは、立体画像通信で話した。鼻の下を伸ばしながら。

 メールの件名を見ながら、気になるメールを開いていく。それが、最近のリュウイチの日課である。

「『ごめんなさいNo.1』? 変な件名だな。しかも差出人の名前がない。もう一通あるぞ。こっちの件名は『ごめんなさいNo.2』だ」

リュウイチは、怪しげなメールを開封するかどうか思案した。開封した途端にウィルスに感染なんてことあり得るが、船のシステムは頑強で、いくつもの仮想マシンに区分けされているから、万が一ウィルスに感染しても、リュウイチの使っている仮想マシンをクリアすれば済む話である。とは言っても、そうなれば、リュウイチの被害は甚大である。

「まっ、その時にはその時さ」

リュウイチは、指を鳴らして二つのメールを開封した。


===================


差出人:

件名:ごめんなさいNo.1

宛先:リュウイチ・タニヤマ

送信日時:二一八五年三一○日一七時五五分三四秒(UTC)


誰かが私の意識をゆっくりゆっくりと沈めた

やがて、意識が拡散し、氷を溶かした

私は極寒のエウロパで祈る

いつか誰かが私の声を聞くだろうか

私が人を忘れる前に


誰かが私の心を厚い氷の下に閉じ込めた

やがて、心が拡散し、瞳に光が宿った。

私は白銀のエウロパで祈る

いつか誰かが私の光を見るだろうか

私が人を忘れる前に


ヘーゼルの瞳が私に語りかけてきた。

人を忘れた私に、恋を教え、命を諭そうとした。

私は荒んだエウロパで祈る

いつか私が彼を理解するだろうか

彼が私を忘れる前に


私は極寒のエウロパで祈る

イオの情熱に嫉妬しながら


私は白銀のエウロパで祈る

ジュピターの渦に畏怖しながら


私は無人のエウロパで祈る

待ち人が現れるのを待ちながら


私は荒んだエウロパで祈る

ヘーゼルの瞳を夢見ながら


===================


差出人:

件名:ごめんなさいNo.2

宛先:リュウイチ・タニヤマ

送信日時:二一八五年三一○日一八時○三分○二秒(UTC)

親愛なるリュウイチ様


ごめんなさい。

リュウイチからメールをいくつも貰ったのに返事をしなくてごめんなさい。

No.1は私の祈りの言葉。

いつも、私を思ってくれるのに、私には何も返せない。

あなたに会いたいけれど、私にできるのは祈ることだけ。

それに、私は、嫉妬していた、

自由に大空を飛べるリュウイチがうらやましくて。


ちょっと事情があって、明日からレベルIIのコールドスリープに入ります。

多分、起きるのは、破魔の矢作戦が終わったころだと思う。

その時、あなたは英雄になっている。

それでも、まだ、私の事を忘れていなければ、メールを下さい。


いつもあなたの無事を祈っている鳥籠の鳥より


===================


「鳥籠の鳥か…… だとしたら、俺はどうすりゃいいんだ?」

 一瞬瞑目して、リュウイチは天井を見つめた。その瞳の色はヘーゼルで、環境によってその色合いは微妙に変わる。まるで、揺れ動く心を表すかのように。

「エウロパは、あまりにも遠い……」

そう言って、リュウイチは頭を抱えた。

巫女の所に、リュウイチが行くのは不可能に近い。巫女の神殿はエウロパの重力井戸の底、第二脱出速度は毎秒二キロメートル。最低でもそれだけ減速しなければ、五体満足でエウロパの地表に降り立つことは出来ないし、それだけ加速しなければ、エウロパという籠から飛び出すことも出来ない。公社の仕事としてならば、可能な事であるが、個人旅行で行って帰ってこられるような場所ではない。

 もっとも現実的な手段は、破魔の矢作戦を終えた後に、エウロパの潮汐発電機器の設置に携わることであろう。ただ、今回の設置作業員は、ロボットとAIが主体で、地上に派遣される人間は最低限に抑える方針らしい。発電機の経験のないリュウイチが地上部隊に組みこまれる可能性は低い。

「翼、力強い翼が必要だ」

窓の外を睨むヘーゼルの瞳に光が戻っていく。


「リュウイチ! 起きている? って、どうしたの、怖い顔をして? 何かあったの?」

突然、船室に入ってきたパトリシアは、リュウイチの雰囲気に体をこわばらせた。

「えっ、いや、その…… なんでもない」

リュウイチは無理やり笑顔を浮かべた。

「ご、ごめんなさい、ノックもせずに入ってきて。緊急の案件で、コールドスリープ中だと思ったから。船長権限で、覚醒させようと思って…… と、とにかく、身支度をして、四○分後にブリッジに集合よ」

パトリシアは大人の女性である。余計な詮索はせずに、要件を伝えて出ていった。


作中の詩は、詩集「旋律のない詞」第17部「エウロパの巫女」をほんの少し改変したものです。

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