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21.因縁(西暦二一八四年八月)

 リュウイチは眠れなかった。いや、眠る気になれなかった。本来なら短いコールドスリープを取っていなければならないが、この日は、コールドスリープ装置を起動する気にならなかった。遠足を前に興奮している子供と同じである。

 狭い船室の窓には半月状のKE-Iが見え、その風景が船室の回転とともにゆっくりと回転している。そこには、丁度二基のサンドスラスターが見える。灼熱した放熱パネルを広げたそれらは、まるで二輪の花のようである。力を溜めた魔人は五時間後には憤怒の砂を吹き上げ始める予定である。


「じっと見ていると目が回る」

 リュウイチはカプセルから抜け出した。そして、今一度、KE-Iをこの目に焼き付けようと展望室を目指した。サンドスラスターを稼働させている間、ドラゴンフルーツを最低でも五○キロメートル離れていなければならない。砂を浴びないようにするためである。サンドスラスター起動の一時間前には、ドラゴンフルーツは移動を開始する。そうなれば、サンドスラスターを肉眼で見ることは敵わない。リュウイチはその姿をもう一度見ておきたくなった。

 個人の船室は一分間に三回転する居住モジュールにある。遠心力で○・五Gの人工重力を作り出すためである。そこから展望室に行くには、まず、五十メートル近くの支持塔を昇って、ハブまで行かなければならない。といっても遠心力は○・五Gから徐々に弱まっていくので、たいしたことはない。ハブから船首側に行けば、展望室とオープンプラットフォームと呼ばれる荷台があり、船尾側に行けば、ブリッジや原子力電池のある円筒部がある。

 リュウイチは支持塔の最後の梯子を蹴って、ゆっくり回転するハブに漂い出た。ここの床は○・一Gもない。展望室へのハッチに手をかけたリュウイチはふと止まった。

「一応、サンドスラスターの電気出力を確認しておくか」

 リュウイチは展望室ではなく、反対側のブリッジに行った。


「あれ? 船長じゃないですか? 当直は不要じゃなかったでしたっけ?」

リュウイチの声に、マイケル・リサール船長がぎょっとした顔を見せた。船長は、ブリッジ左方の通信制御盤の所で何かをしていた。

 船が慣性航行中で、大型天体から離れている場合は、当直は不要で、クルーは定時にコールドスリープを取ることになっているから、全員就寝中のはずである。むしろ、コールドスリープを取ることが就業規則で定められているから、起きていること自体が規則違反である。

 辺境で最も不足しているのは、空気でも水でもエネルギーでもない。人材である。経験を積んだ人材を有効に使うために、木星系開発公社はコールドスリープを強制し、待ち時間と老化を最小限に抑えている。

「あっ、すいません。明日のサンドスラスターの起動のことを考えたら眠れなくなって……」

リュウイチの言い訳を苦々しい顔で、聞いていた船長は、ふっと表情をやわらげた。

「ふむ、そうか。まあ、たまにはいいやろう」

「えっ、ああ、す、すぐに自室に戻ります」

「ああ、そうしてくれ」

なんだか、船長に迷惑をかけたような気がして、リュウイチは船長の機嫌をとろうと口を開いた。

「船長、そう言えば、まだ、報告していなかったと思うけど、例のサンドスラ―スター01の件、上手くいきました」

「サンドスラスター01?」

「ずいぶん前に言われたサンドスラスター01のイオンエンジンの改造です」

「ああ、そんなことがあったわな」

「忘れていたんですか? 船長が出した宿題ですよ」

「そ、そうか」

「で、それが上手くいきました。噴射速度毎秒五キロメートルで、噴射量h毎秒一キログラム! その状態での推定寿命は一○○○時間以上。中々のものでしょ?」

「わかった。その話は後でたっぷり聞いてやるから、今は……」

「あれっ! 船長、イオとの通信機がエラーになっていますよ。しかも、二○○ギガヘルツ帯の二バンド両方とも落ちています!」

リュウイチは制御盤の警報ランプを見て言った。

「ああ、それで、どこがおかしいか調べていたんや」

「船長自らがですか? どうして、パトリシアやサムに頼まないんですか? コールドスリープを解除して、起こしましょう。両バンドとも使えないのは異常ですし」

「いや、すぐ直りそうやから、少し手伝ってくれ」

「しかし、下手に船長が触らない方が……」

「いいからこっちへ来い!」

船長は、制御盤の裏へとリュウイチを手招きした。

 船長の命令ならば従わなければならない。リュウイチは、滑るように船長の元へ飛んでいった。

「それでええ」

「で、何をすればいいんですか?」

「どうも、このフレームが曲がっているのが悪さしとるみたいなんや」

船長は、ラックの支柱を示した。いわゆるアングル材と呼ばれるL型のジュラルミン柱である。それが床から天井に伸びており、そこに横板を張り、様々な機器が取りつけられている。宇宙船の機器取り付けラックマウントとしては、どこにでもある標準品である。

「こんなもの曲がるんですか? それに、曲がっているようには見えないけど…… 」

そう簡単に曲がるものではないし、柱が曲がったからと言って、すぐに機器が壊れるわけではない。リュウイチの疑問はもっともである。

「とにかく、ここを引っ張るんや!」

「はい?」

「こうやって、結束バンドを柱に回して……」

 船長はどこからか取り出した、太さ五ミリほどの長いプラスチックの紐を柱にまわして、大きな環を作り、一端を他端のキューブ状の頭に差し込む。

 頭には爪がついており、差し込んだ一端は、環を短くする方向には動くが逆方向には動かない。決して、広がることの無い環ができる。結束バンドである。これは、かなり丈夫で、緩めることはできない。外す時には、大きな鋏やニッパーで切る使い捨ての結束材である。

 船長は手を動かしながら説明を続けた。

「えらい力が必要やから、リュウイチの手首にも結束バンドを巻いて、つなげるんや」

そう言って、船長はリュウイチの手首に一本の結束バンドを巻いて、柱に回した一本と繋いだ。

「せ、船長、これは無いんじゃないですか? これじゃ、まるで、俺が柱に拘束されているみたいじゃないですか」

「その通りや」

そう言って、船長は、リュウイチのての届かない所まで下がった。

「冗談じゃない。まるで囚人ですよ! 早くニッパーか何かで切ってください!」

リュウイチは腕を引っ張るが、バンドが切れることも無ければ柱が動くこともない。

「リュウイチ、ちょっと静かにしとれ!」

船長は、そう言って、ブリッジ中央の定位置にいくと、仮想スクリーンを出して、コマンドを打ち込んだ。船内監視盤に表示された地図中のランプが点滅し、リュウイチにも何が起きたかわかった。

「居室モジュールの封鎖?」

ハブの所で、居住モジュールへ繋がる支持塔のハッチがロックされたのだ。

「これで、邪魔する者はおらへん。コールドスリープ装置も働いとるし、万全やな」

「はあ?」

「リュウイチには大人しくしてもらわなあかん。他のクルーはどうでもええけど、リュウイチは別や」

そう言って、船長は、リュウイチの所に戻ってきた。

「他のクルーって、居室モジュールの封鎖も非常識ですけれど、何かあったんですか? 伝染病?」

リュウイチにも異常な事態が起きていることはわかった。ただ、事態の異常さはリュウイチの常識を超えていたから、理解できなかった。いや、理解したくなかったと言った方がよかった。

「コールドスリープ装置を少々、いじった」

「何をしたんですか!」

「睡眠時間を一八○○時間に変更した」

「一八○○時間! いくらなんでも長すぎますよ。レベルIのコールドスリープの上限は一○○○時間、およそ、四○日で、それを超えると、健康に影響が出ます!」

「構わへん」

「船長、一体、何を…… 」

「なに、この作戦には失敗してもらわなあかん」

「まさか、ブラックアステロイド迎撃プロジェクトを妨害するつもりなのか!」

「そういうこっちゃ。そのためには、犠牲は厭わん。クルーの命も、わしの命も」

「なぜ、なぜだ?」

「それが人類のためや」

「そうか、真理派か! 船長は、真理派のプラントルの部下だからか。だから、プラントルを遇しなかった地球に隕石を落として復讐するのか? それが真理派の望みか!」

「リュウイチは、少し勘違いしとるみたいやな。丁度ええ、本当のことを教えてやろう」

「本当のこと?」

「リュウイチ、今の人類の問題は何やと思う」

「ん?」

「増えすぎた人口や。人類の総数一○○億。その九割九分が地球に住んどる」

「だからこそ、真理派を含む拝律教が辺境への入植を後押しした。違うのか?」

「それは間違ってはおらん。確かに、人類は木星系、月、火星、金星と広がったけど、微々たるもんや」

「でも、今は、管理された法定承継人創生が普通だから、昔のような人口爆発は起こらない。何とかやっていけるはず?」

 リュウイチの自信のなさは、当然である。辺境に来て以来、地球の現状など全く関心が無かった。

「甘いな。この一○○年余り、世界政府は何とか一○○億を維持してきた。だが、いつ破綻をしてもおかしくない。例えばサハラ砂漠の太陽光発電」

「世界の電力需要の大半を賄っているという施設だろ?」

「表向きはな。砂をアスファルトで固め、鳴り物入りでメンテナンス不要の太陽光発電プラントを作ったはいいが、そのため気候が変わって、雨が降るようになった。その結果、発電効率は砂まみれの発電施設の方が良かったぐらいや」

「そんなわけ……」

「他にも綻びは仰山ある。一○年二○年なら少々の綻びは何とかなる。じゃが、それを永続させるには、根っこを変えんといかんのや。だから、世界政府は何としても人口を減らしたかった。一刻も早く人口を減らしたかった。拝律教は、その一環だ」

「えっ! 船長、今、なんて言いました?」

「拝律教は、世界政府の要請を受けてデザインされた宗教や」

「そんな馬鹿な! それは、神を冒涜、いや、宗教を冒涜している!」

「ほう、リュウイチもいっちょまえに言うようになったやないか。神も宗教も信じとらんくせに」

「ん? 結局、船長は神を信じているのですか?」

「そんなことは、どうでもええ。要は考え方や。わしにはわしの信念があるし、世界政府には世界政府の考えがある。そして、その考えが一致したんが、トロヤの復讐や」

「一致? はっ、反対だろ」

「いや、一致や。世界政府はブラックアステロイドの落下を望んどる。そうすれば、地上の人口は激減する」

「だけど、そんなことをすれば、一体何人の人が亡くなると…… 第一、世界政府自体が壊滅するぞ」

「リュウイチは知らへんのか? 世界政府は中枢機能を月面のルナホープ・ツーに徐々に移しとる。隕石が落ちて地球の環境が激変し、一○○億の人類が死んでも、何百年かすれば、緑豊かな環境が復元される。人類のいないまっさらな地球ができるんや。その地球に辺境や月に避難した者が入植して、新たな文明を築く。それこそ、神が我らに約束した地だ」

「えっ、拝律教の約束の地は、木星系だったはず」

「一般に流布している経典ではな。だが、真経典は違う。いいか、もっと先のことを考えるんや、リュウイチ。取りあえずなら、一○○億人が生きていけるかもしれん。そやけど、もし人類が千年万年と生き延びようとすれば、人口は多くとも一○億や、残りは不要や。ところが、医療が発展したおかげで、人間の寿命はどんどん延び始めた。しかも、忌々しいことに一部の人間は不老不死かもしれへん」

「だからといって、一○○億の人間を犠牲にしていいわけじゃない。もっとマイルドな人口減少…… そうだ。昔と違って、今は自然受胎がほとんどないから、人口のコントロールは可能だ。何百年も経てば、人口は適正な数に落ち着く筈だ」

「リュウイチ、一つ見落としているぞ、自然受胎が難しくなったんと、コールドスリープが普及したのは同時期や」

「ん?」

「そして、コールドスリープ時にはマツシタラボの薬を飲む」

「それがどうした?」

「それが自然受胎を妨げているとしたら?」

「馬鹿な、人口抑制のための薬だと言うのか? そういう成分も入っているのか?」

「偶然の産物、副作用と言われとるがな。だが、わしは、そうは思わん。これは神の意思であり、祝福やと思う」

「祝福じゃない。呪いだ!」

「そうかもしれん。コールドスリープは老化を遅れさせる効果があるから、子が出来ないぐらいで丁度ええやろ。誰だって、寿命が延びる方が、子ができへんよりもええに決まっとる。じゃが、それでは、遅すぎる。地球は耐えられへん。今すぐに人口を激減させる必要があるんや。世界政府と真理派は、もう一つの手を打つことにした。それが『トロヤの復讐』や」

「でたらめだ! 世界政府がそんなことをするわけがない」

「それじゃ、地球の庶民の危機感が薄いのはなんでや?」

「……」

「政府が報道統制をしとるんや」

「ブラックアステロイドを落とすなんて。狂っている! 船長は狂っている!」

「人類を生き延びさせるため、本当の約束の地を作るためや」

「けっ、何が約束の地だ。品の悪い選民思想にすぎない! クルー全員を殺して、迎撃を邪魔するつもりか!」

「全員を殺すつもりはない。少なくともリュウイチは殺さへん。これから、船を離す。クルーが目覚めたころ、七五日後には手遅れになっとるはずや。それに通信機器もダウンさせとけば、公社に船内制御を奪われることもあらへん。公社は何もでけへん」

「くっ、くそったれ。これまでの俺達の、そして公社の努力を無にするのか! 狂っている!」

「リュウイチ、よう考えろ。神は何をしてきた。人類を単に祝福したわけじゃない。試練を与えてきた。何度も何度もや!」

「……」

「マツシタラボの薬は最悪やった。確かに、コールドスリープを可能にし、数々の難病を治療した。だが、ごく少数の服用者にはとんでもない副作用があった。老化の止まった者もおったし、あろうことか若返った者もおった。それだけならいい。だが、わしの副作用は…… 老化の加速やった。おかげで、絶世の美女も台無しになったし、恋人は見向きもしてくれなくなった。結局、わしは女を諦めて、転性した」

マイケル船長は血管の浮き出た手を掲げた。

「そんなことが……」

「これは、神の試練や。それからや。この身は人類の未来に捧げることにしたんや」

「……」


「ふん、とんだ美談だわね」

少女の声がブリッジに響いた。

 リュウイチ達が振り返ると、ブリッジ入口に緊急用の簡易宇宙服を着た少女が立っていた。

「メイファン!」

リュウイチは、通信制御盤のかげから顔をだして叫んだ。

「お前、なぜここに。ハブへ通じる支持塔は封鎖したはず…… そうか居室モジュールの緊急エアロックを使ったのか、だが警報が鳴らないのは……」

 船長が視線を船内監視盤に移すと、警報ランプは二つほどついていたが、警報音は鳴動していなかった。

「音声は切ってあるわ」

「なるほど、中央コンピュータに侵入して、監視システムの一部を強制終了したのか」

「そんなことはどうでもいい。話は聞かせてもらったわ」

「最初から聞いていたのか?」

「ええ、リュウイチがコロッとだまされた所からね」

メイファンは頭に装着したインカムのイヤホンを指さした。

「いや、あれは、その……」

リュウイチが言い訳をしようとした。

「まったく、部下の信頼を裏切るなんて! 怪しいとは思っていたけれど、ここまでするとは思わなかったわ。これは、公社に対する明確な服務規程違反! 謀反と言ってもいいわ。序列二位の航宙士として、船長を解任し、拘束します!」

メイファンがブリッジ中央へ漂い出た。

「ほう、啖呵を切ったんはええけど、お前は、昔から甘いな。真理派が穏当に振る舞うと思っとるのか?」

そう言いながら、船長はペタペタと磁気ブーツを鳴らしながら、ブリッジ中央へ歩みを進めた。いつの間にか、その右手には五○センチほどのバールが握られている。

「物騒だわね」

「丁度、ええ。わしがこんな風になったのはお前のせいや! つぐのうてもらうで!」

マイケル船長は深いしわの刻み込まれた頬を撫でた。

「あら、あれは自業自得よ。二匹目のドジョウを狙って、わざわざルナクルIVを服用するなんて、血迷っているとしか思えないわ。どうせ、トラオ・タニヤマ博士の気を引くために、若返ろうとおもったのでしょ?」

突然出てきた父親の名前にリュウイチは首をひねった。

「うぬぬ、ど、どうしてお前がそれを知っとるんや!」

「マイケル、いや、ミヒャエラと呼んだ方がいいかしら。あなたは昔からちょろちょろ悪事を重ねていた。そういう事には頭がまわる。それに嫉妬深さは病的だわ」

「なんのことや?」

「私を、失踪した核燃料輸送船の探索行に追いやった。おかげで二○年間を棒に振った。副作用も被った」

「おいおい、当時のわしにそんな権限あるわけないやろう」

「普通ならね。だけど、あなたは色仕掛けでUNAAの運行部長をそそのかした。私を表舞台から消せば、輸送船の二つの失態は、うやむやになり、運行部長の地位は安泰だってね」

「おいおい、でまかせもいい加減にせいや」

「でまかせじゃないわ。証言も録音してある。もっとも、時効だけどね。それだけじゃないわ、プラントルの娘を抹殺した」

「今度は、所長の娘が出てくるんか」

「プラントルの娘、カタリナは恋敵だった。トラオを巡る三角関係ね。いや、もしかしたら見向きもされなかったのかもしれないけど」

「あっ!」

リュウイチは、はたと額を打った。トラオの遺言を思い出したのである。その遺言の中で、プラントルの娘、カタリナと恋仲だったこと、三角関係であったことを言っていた。カタリナは殺されたかもしれないと言っていた。冗談だと思っていたが、メイファンの話が本当なら、その三角形の最後の頂点が転性前のマイケル船長という事になる。

「いちいちむかつく事を言いくさって。お前の口を二度と利けんようにしたるわ!」

 船長がメイファンの所までの五メートル程を駆けだす。

 バールを振り上げながら、磁気ブーツで床を蹴り、すべるように加速し、メイファンに肉薄する。無重力の中で下手に飛び上がらないのは、上策である。飛び上がっては、慣性で飛ぶだけであるから、途中で曲がることも減速することもできない。

 一方、メイファンはわずかに腰を沈める。これも上策である。下手に床を蹴って、飛び上がっては、やはり慣性のため軌道は決まってしまう。老いたとはいえ、引き締まった体躯の船長は、力はもちろんのこと加速度でもメイファンを圧倒するのは確実だ。メイファンが飛び上がれば、すぐに船長が飛び上がり追いつくだろう。そうなれば、力に勝り、凶器を持った船長をやり過ごすことは不可能だ。

 だからと言って、床に留まればいいと言うものでもない。丈夫な盾でもない限り、バールの撃力を安全に受け取る術などない。

 リュウイチは、バールに砕かれる幼女を想像し、思わず目をつぶった。

「サム、今よ!」

メイファンがインカムに向かって叫んだ。

 ブンと低い唸りが聞こえ、船長がつんのめる。その勢いでバールが振り下ろされた。

 バールはメイファンのつま先から二○センチほど前の床を叩き、わずかに弾んで、ビシャリと床に張り付いた。同時にゴンという鈍い音が響く。

 いつまでたっても、メイファンの悲鳴は聞こえない。恐る恐る開けたリュウイチの目には、不自然な姿勢で顔を床につけている船長と、床に転がったバールが映った。そして、メイファンが船長の両手、両足を結束バンドで縛っている。船長は、気でも失っているのかメイファンの為すがままである。

「サム、減磁して、こっちに来て」

メイファンがインカムで通信した。

「さて、サムが来るまでに……」

彼女は、ぶつぶつ言いながら、バールを拾い上げ、その先で、船長をひっくり返し、床に押し付けた。そして、恐る恐る船長の顔を覗き込んだ。

「息はしているけれど、脳震盪かしら。それにしても悪人面ね」

バールの先を船長の体の下に差し入れ、バールの反対側を床に押し付けると、船長の体がぴょんと持ち上がった。浮き上がった体を軽く叩いて、腰のあたりの高さに浮かべた。

 リュウイチは、肉塊のような船長の扱いに顔をしかめつつも尋ねた。

「メイファン、一体、何が起きたのかを説明してくれ」

「見ていたでしょう。船長はあたしを殺そうとしたから、懲らしめてやったのよ」

「いや、まあ、それはわかるけれど、どうやったのかって……」

「サムに、床の磁場を五倍程強くしてもらったのよ。それで磁気ブーツが床から離れなくなって、勢いで、額を床に打ちつけたって所ね」

丁度、そこへサムが姿を現した。

「あれ、サムも簡易宇宙服を着ているけど」

「ええ。気がついた時は、支持塔が封鎖されていたのよ。そこで、居住モジュールの緊急エアロックを使って、船外に出て、支持塔を昇り、円筒部の放熱パネルの間をすり抜けて、後部エアロックから入った」。

「すごいな。命綱もエアスラスターもなしで?」

「船に結んだ命綱は使わなかったけれど、サムと私は結んでいたから、それが命綱みたいなものね」

「それでも、放熱パネルのそばは、かなり熱かったと思うけれど」

「まあね」

 メイファンはもちろん、黙って聞いているサムもまんざらでもない顔をしている。

「ま、冒険譚は後で聞かせるとして、サム、パトリシアを起こしてきて。現場に行けばマニュアルで覚醒させられるはずだから」

「支持塔の封鎖は?」

「あっ、そうだったわね。私の権限と奥の手を使って……」

メイファンはブリッジ前方の定位置に漂っていって、操作し始めた。

「なんとか、解除できたわよ。パトリシアに船長を診てもらっている間に、公社本部に報告して、船長権限をもらわないと、色々不便だわ。リュウイチ、回線を開いてくれる?」

「メイファン、その前に、これを何とかしてくれないか?」

リュウイチは通信制御盤の支柱につながれた手首を見せた。

「全く、情けないわね。コロッと騙されるなんて…… しばらくそうしていないさい!」

メイファンは冷たく言い放った。


 メイファンの報告にはかなり時間がかかったが、結局、序列二位のメイファンが船長を引継いだ。マイケル・リサール船長は、犯罪者として、コールドスリープ装置に入れられた。もちろん、一○○○時間ごとに起こされる予定だ。眠る直前に意識を取り戻した元船長は、びっくりするほどおとなしかったそうである。


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