20.試運転(西暦二一八四年八月)
半径六百メートルの岩塊に直径一○メートルの黒い大釜がへばりついている。遅硬化型ケミカルアンカーでKE-Iに固定されたサンドスラスター50である。KE-Iがおよそ二○分ほどかけて自転すると、黒い大釜の背景は、弱々しい太陽、巨大な木星、星々の輝く漆黒の宇宙へと移り変わっていく。その光景を初めて見る者は、自分が宇宙の中心にいることを実感するはずである。だが、今、大釜に張り付いている二人のスペースエンジニアの関心事は、別である。
「サム、設定を読み上げてくれ」
リュウイチはサムの後ろから現場制御パネルを覗き込んでいた。
「制御は現場制御で、モードは試運転モード、自動起動シーケンスです」
「現場制御はいいとして、試運転モードと通常モードの違いはわかるか?」
「緊急停止手順が違うのだったかなあ」
「そうだ。通常モードでは、緊急停止ボタンを押しても、決められたシーケンスで停止するから時間がかかる。そうだな、おおよそ一分ぐらいと思えばいい。一方、試運転モードでは、全てのユニットを即時停止する。試運転中には何が起きるかわからないから、即時停止はデフォルトだ。そこで、問題だ。即時停止のディメリットはわかるか?」
「さあ、わからない」
「機器の内部に砂が残っていて、それらを上手く排出するために、再起動はマニュアルでしなければならない」
「マニュアル? 全自動じゃないんですか?」
サムは、面倒そうな顔を見せた。
「スイッチ一つで全てが済んでしまう自動運転は便利だが、融通が効かないのが難点だ。そもそも、サンドスラスター50はこの宇宙に五基しかないんだ。もし自動運転が必要なら、それをプログラムしなければならない」
「ぼ、僕には無理ですよ」
「必要になれば、やるさ」
「僕がやるの? リュウイチがやるの?」
「ん?」
リュウイチは、サンドスラスターに触れていた手を引っ込めて、ゆっくりと腕を組んだ。
自身が言ったように、サンドスラスター50は五基しかない。その内、実際に稼働しているのは、リュウイチ達が使っている四基である。サンドスラスターの開発者はとうに引退している。本体を改造するしろ、プログラムをいじるにしろ、リュウイチが関わらないわけにはいかない。この宇宙に、リュウイチ以上の適任者は居ないだろう。
ちょっと前まで、太陽系一○○億の人類のほとんどが、見向きもしなかったサンドスラスターであるが、今は、一番ホットな機械であり、その唯一の正規オペレータがリュウイチである。そのプライドはある。だが、そのプライドは今に始まったものではない。
「そうだな、一番、経験があるのは俺だから…… やるとすれば、俺か。だが、もし、俺に万が一のことがあれば……」
リュウイチに万が一の事があれば、サンドスラスターを操作する者がいなくなり、破魔の矢作戦は失敗し、人類は存亡の危機に直面するだろうか。否、組織にしろ、種にしろ、一人が欠けた程度のことで立ち行かなくなることはあり得ない。もし、立ち行かなくなるのであれば、その組織や種は生き延びられないだろうし、生き延びる資格はない。
「俺に万が一の事があれば、サムがやるんだ。操砂士として」
そう、後継者を育成するのも、先輩の役割である。ならば、後継者を育成した後のリュウイチは、替えの効く取るに足らない存在なのだろうか。
「だが、あと百年は、俺が操砂士のトップだ」
否、たとえ替えの効く職人であろうと、何かしらのプライドを持っているのがプロである。その源は、ひとえに豊富な経験である。
「百年だなんて、リュウイチの言っていることは、妄想みたい」
「そんなものさ」
職人のプロ意識なんて、論理的なものではない。妄想かも知れない。だが、その妄想こそが、この辺境で一番大事なんじゃないかとリュウイチには思えた。妄想無くして、誰が好き好んで、木星を主とする辺境にやってくるだろうか。
リュウイチは、巨大な主をちらりと見上げた。北半球にできた大赤斑の大きさは、前世期まで存在した南半球の大赤斑を凌駕しつつある。それは、遠くにあっては慈悲深く、近くでは冷酷な視線をリュウイチに投げかける。今は、前者である。
リュウイチは、制御パネルに視線を戻し、口を開いた。
「サム、設定を読み上げてくれ」
「掘削ユニット数は一ユニット。掘削機の最大伸展距離は二○メートル。掘削速度は一、蠕動運搬部の出力は掘削量追従制御、第一段、第二段粉砕出力も入力量追従型です。最終段のターボ粉体ポンプは、回転数が定格値固定で、供給開口が自動となっています。これだと、放出速度が毎秒一○メートルで、推力は掘削量に比例することになります」
「うん、そんなものだろう。ふるいの設定はどうなっている」
「第一段のローラー粉砕機の出口メッシュも第二段の回転刃粉砕器の出口メッシュも再粉砕になっています」
「いや、それはいいんだが、メッシュの番数を読み上がてくれ」
「あ、はい。第一段出口が8メッシュで約二ミリ、第二段出口が200メッシュで約○・○七ミリです」
「これも予定通りだな」
「リュウイチ、第二段の200メッシュは粗すぎない?」
「ああ、わざと粗くしてあるんだ。どうしてだと思う?」
リュウイチは、サムに問いかけた。
「えーと、どうしてでしたっけ…… 再粉砕の割合を減らす?」
「そうだ。そうなるとどうなる?」
「再粉砕を減らせば、第二段の実効的な流量が増やせる?」
「正解だ! いいか、推力は、流量と噴出速度の積で決まる。サンドスラスター50の本来の定格は、毎秒百トンの流量と毎秒一○メートルの噴出速度の積の一メガニュートン、つまり一○○トン重の推力だ」
「一○○トン重って大きいの?」
「大きい。とてつもなく大きい。ちなみに史上最大のロケットエンジンはアポロ計画で使われたサターンVの第一段エンジンだ」
「アポロ計画?」
「はあ? アポロ計画も知らないのか!」
「知らない」
「まあいい。そのサターンVは五基の化学ロケットエンジンを積んでいた。その一基の推力は七○○トン重の推力だから、サンドスラスター50の七倍だ」
「それじゃ、そっちの方がすごいの?」
「瞬間的な推力では確かにそうだ。ただ、サターンVは三分間ほどしか稼働しない」
「どうして?」
「燃料を使い切ってしまうからだ。ところが、サンドスラスターは、衛星の地面を食って毎秒一○○トンの砂を作り出して噴射する。そのエネルギーは一○○年の寿命をもつ原子力電池が供給する」
「化け物ですね」
「そう、この大釜を化け物と言わずして何という」
リュウイチはそう言って、黒光りするサンドスラスターを叩いた。そびえたつ直径一○メートルの大釜は、今は、ひっそりと力を蓄えている。だが、一端、稼働し始めれば、魔人のように砂を吹き上げるはずだ。
「リュウイチ、説明の続きは?」
「ああ、悪い。で、サンドスラスターの推力を増すには砂の流量か、噴射速度を増やせばいい」
「簡単に増やせるの?」
「簡単ではないが、噴射速度は最終段のターボの回転速度が限界に近いからあまり期待できない。その代り、砂の流量を増やす。砂の流量は掘削量、第一段、第二段の粉砕量に依存するが、一番定格流量が少ないのが第二段だ。ここでの再粉砕を少なくすれば、実質的な流量を増やせる。KE-IIIでの実績を覚えているか?」
「いや、覚えていない」
「平均流量は毎秒七○トン。第二段の流量は九○トン」
「ん?」
「つまり、毎秒九○トンの砂が第二段から吐き出されて、毎秒二○トンがメッシュを通れずに再粉砕に回されていた」
「ああ、わかった。メッシュを粗くして再粉砕に回す量を減らせば、結果的に流量を増やせる」
「そう、その通り。だから今回は200メッシュを使う」
「それはわかるけれど、その分、最終段のターボに大粒の砂が混じることになるから…… ブレードの摩耗が激しくなるし、流量が増えた分、消費電力も増える……」
サムが首を傾げる。そこまで無理をして推力を増やす必要があるのか疑問なのだ。
「最低でも、定格の三割増しの推力が欲しい。時間がないし、ここKE-Iは条件が悪い」
リュウイチは母船のドラゴンフルーツを指さした。先ほどまで、頭上にあった船は、今は小さな地平線の向こうに半分隠れている。
「自転しているから?」
「そう、KE-Iは、自転している。この軌道をもう少し、木星側に寄せたい」
今度は、リュウイチはドラゴンフルーツとは反対側の地平線を指さした。丁度、木星が姿を見せ始めた所である。二○分に一度の木星の出である。
「一方、サンドスラスターの推力はほぼ上向き、可動範囲は天頂からプラスマイナス一二度だ」
「ん?」
サムがまたも首を傾げる。
「だから、所定の向きに向いた時にだけサンドスラスターをオンにする。この二号機の場合は約一○分間オンにして残り一○分間はオフにする。そして、オンの間は定格の三○パーセント増しだ」
「定格オーバー? それに出力変動がきついと劣化も速いだろうし、さっきのメッシュの効果でブレードの摩耗も激しいけれど…… だいじょうぶかな」
船内機器のメンテナンスを担当しているだけあって、サムの心配は的を射ている。
「仕方ない。KE-Iをブラックアステロイドにぶつけるには、少々の無理は仕方ない。それに、一年間、持てばいい。そのために、試運転で、定格オーバーと出力変動での部品の劣化度を測定する」
「それで寿命を推定するのか」
「ああ、そうだ。この魔人は身を削りながら、人類のために働くんだ」
リュウイチは大釜の側面をもう一度叩いた。そして、KE-Iの小さな地平線の向こうに広がる闇を見つめた。そこには、光をほとんど反射しないブラックアステロイドがあるはずだ。
KE-Iでブラックアステロイドを迎撃する『破魔の矢作戦』に地球の命運がかかっているのだ。もし、これが失敗すれば、ブラックアステロイドの衝突で巻き上げられた衝突噴煙は、地球の気候を大きく変えてしまうだろう。かつて、七万年程前に、インドネシアの火山噴火により人類は一万人以下に減ったとされている。その再現を世界政府は恐れている。その鍵を握るのがサンドスラスター50である。
「試運転開始!」
リュウイチは起動ボタンを押した。地球を救うために。
* * *
リュウイチは船室のスクリーンの前で唸っていた。映し出さているのはテキストメールの文面である。驚くほど少ないビット数で多くの情報量が送れる手段であるが、微妙なニュアンスを出すには工夫がいる。
「なんとなく不自然な気がするけれど…… 一年半近くも空いたからなあ」
大半をコールドスリープで過ごす船乗りにとって、一年半はそれほど長い期間ではない。結構あわただしい作業工程をこなした今回でも、細胞年齢にすれば、三カ月程といった所だろう。ただ、相手もそうだとは限らないから注意が必要である。もし、相手が内勤者、すなわち衛星や惑星表面に住んでいれば、十中八九、地球に合わせた二十四時間周期で生活しており、体感時間と暦上の時間はほぼ同じである。
「でも、姫の場合は、一月近く返事がなかったこともあったし、生中継だと言っていた拝水儀式も過去には三月ぐらい無かったこともある。それにレベルIIのコールドスリープ施設があると言っていたから、あの時のけんか別れは、つい先日のようなもの…… 一応、謝っておくべきか。いやいや、俺は悪くない……はず」
リュウイチは綺麗に剃った顎をさすった。
「もっと、強気な文面の方が、印象がいいかも。いや、強引な印象はよくない。って言っても、文才があるわけでもないし…… ああ、もう一時間も経ってる!」
リュウイチは黒髪をかきむしった。
「こういう時は、こうするに限る!」
咳払いをして、目の前の文面を音読し始めた。
「親愛なる姫様
お元気でしょうか。
あれから、もう一年以上になるけれど、こっちは、相変わらず、エウロパの外側を回っている。姫も知っていると思うが、例の破魔の矢作戦で、もう一度サンドスラスターを使うことになった。弾丸代わりのKE-Iへのサンドスラスターの設置と試運転は終わり。明日から本格起動の予定だ。
そうなれば、しばらくはゆっくりできる。だからと言うわけでもないけれど、以前と同じように低質立体画像通信で話がしたい。どうかな?
確かに、簡単に会うことはできない。いや、ほぼ確実に、一生会うことはないと思う。だからと言って、話をする意味がないとは思わない。
俺は、姫のことをもっと知りたい。知りたがっている人間、見守りたいと思っている人間がいるという事を知ってほしい。それから、俺のことを知ってほしい。漆黒の宇宙にいつ飲み込まれてもおかしくない俺だけれど、そんな人間がいることを知っていてほしい。そんな人間を見守ってほしい。
そうやって、会ったこともない人が繋がること、これが人類の力だと思う。姫の祈りだって同じじゃないか。だから、このメールに応えてほしい。
リュウイチ」
最後のセリフは、半分、涙声になっていた。
「女々しいかもしれないけれど、これがギリギリ。このまま送ろう」
リュウイチは、これ以上のことは書けなかったし、これ以下のことは書きたくなかった。
「送信!」
* * *
KE-Iでのサンドスラスターの本格稼働の前夜、全クルーは、六時間の短いコールドスリープを取っているはずだった。
ソファーから起き上がったメイファンは、レベルIのコールドスリープ装置を見やった
「偽装プログラムは正常ね。ちゃんと偽信号を送っている」
正常なコールドスリープ装置は、装置自身のステータス信号だけでなく、利用者のバイタル信号を、船の中央コンピュータに送っている。万が一それらに異常があれば、しかるべき警報が発せられ、担当者が迅速に対応することになっている。ところが、メイファンの装置は、偽のバイタル信号、偽のステータス信号を中央コンピュータに送っている。
メイファンはこの船に乗り込んで以来、この偽装プログラムを使っており、コールドスリープ装置をほとんど利用していなかった。
「若化の副作用さえなければ……」
副作用のため、利用したくても利用できなかったと言った方がいい。
コールドスリープ時に服用する薬はいくつも開発されてきたが、コールドスリープ普及初期に用いられた薬、ルナクルIVは、稀ではあるが、奇妙な副作用を持つことが知られていた。副作用は千差万別で、個人により様々な症状を示した。今では、副作用のない薬が使われるが、当時、メイファンの副作用は、関係者に衝撃を与えた。
メイファンが、本格的にコールドスリープを用いるようになったのは、UNAA(国連宇宙開発機構)の命により、小惑星帯で失踪した核燃料輸送船を探していた時のことである。凡そ、三三歳で船に一人で乗り込んだメイファンは、二○年程の探索行の間に徐々に若返り、探索が打ち切られた時には、細胞年齢で二○歳になっていた。
当時、コールドスリープ中に老化が遅くなることはよく知られていたが、老化の逆の若化は前例がなかった。UNAAにとって、若返りは、宇宙開発よりも興味深かったし、マツシタラボは金の匂いをかぎ取った。その結果、両者は、メイファンを研究所の奥に匿い、実験をおこなった。また、メイファン以外の被験者も募り、密かに実験が繰り返された。
だが、成果はほとんど得られなかった。わかったことは、ルナクルIVの副作用により、ある者は、老化が停止し、ある者は記憶劣化がひどくなり、ある者は逆に老化が促進された。若化を被ったのはメイファンのみであり、実験が打ち切られた時には、メイファンは細胞年齢で一三歳にまで若返っていた。薬を変えた今もメイファンの副作用は続いており、彼女にできる対症療法は、コールドスリープを最低限に抑えることだった。幸いと言うべきか、マツシタラボは、コールドスリープ装置に偽装させる裏コマンドをメイファンに教えた。
そして、彼女は、ここ三○年程、他のクルーが長時間コールドスリープを取る中、六時間通常睡眠、一八時間覚醒という単調で孤独な日々を過ごしていた。
ただし、通常睡眠で、彼女の気が休まることは無かった。
「コールドスリープなら夢を見なくて済むんだけれど…… 悪夢の方が若化よりましかしら」
悪夢が彼女の精神を休ませなかったのだ。
「今日も、また、浦島太郎だったわ」
悪夢はいつも同じだった。若返った彼女が、船から降りて出逢ったのは、出発前に愛を誓い合った恋人であった。恋人はすっかり老いていたが、彼女は愛をささげるつもりだった。体は幼くとも、彼女の愛の障害ではなかった。ところが、障害は思わぬところにあった。恋人自身が身を引いたのである。
夢の最後に、浦島太郎は、いつもこう言う。
「わしと共に老いてくれればよかったのに」
メイファン達の例は極端だとしても、コールドスリープが普及するにつれて、似たような事情で破綻したカップルは珍しくなかった。さらに、クローンによる法定承継人創生の一般化もあって、結婚という制度が瓦解した。
「今では、結婚なんて、どこにもないけれど、一度ぐらいはウェディングドレスを着てみたかった」
メイファンは、フォトフレームをちらりと見やって、ため息をついた。そこには、三三歳の頃にUNAAのパイロット仲間と撮った写真が映し出されていた。彼女が最もセクシーだった頃の写真である。
メイファンはそこに写っていなかった一人の仲間の名を呟いた。
「ミヒャエラ、もし、あなたが写っていたら、今とは違った関係になったかしら?」
突然、コールドスリープ装置のパネルが明滅しだした。
「んっ! コマンドが送られてきている…… はあ? 睡眠時間の再設定? しかも、一八○○時間! 馬鹿な!」
メイファンは急いで、ゴーグルをかけた。
「やっぱり、本性を現したわね。それならば、こちらも切り札を一枚……」
ぶつぶつ言いながらアイコンタクトと指文字で操作を始めた。
「ちっ、船内監視ジョブの優先度が上げられている! これじゃ、スーパーユーザーの権限を持っていても、簡単には割り込めない。どうする……」
メイファンは、腕を組んでしばらく考え、
「肉弾サムに頑張ってもらうしかないわね」
と言って、ゴーグルをかけたまま自分の船室を飛び出した。
そして、隣室のロックをあっさりと開錠し、壁が二次元アイドルのポスターで埋め尽くされた部屋へと入っていった。




