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19.逆重力の世界(二一八三年一一月~二一八四年八月)

 一週間後、世界政府と木星系開発公社は、ブラックアステロイドの軌道とその迎撃プロジェクトを発表した。地球の住民の混乱は意外に小さく、むしろ、イオの住民の方がざわついていた。

 アイスクリーム屋は、早々に、アステロイドという名のフレーバーを売り出したし、ゲームメーカーは探偵ゲームに新たなシナリオを追加した。

 イオの庶民は、プラントルの画策した小惑星衝突計画を『トロヤの復讐』と呼び、迎撃プロジェクトを担うドラゴンフルーツを『破魔の矢』と呼ぶくらいの余裕はあったし、むしろ、プロジェクトを商機と見ているようである。

 破魔の矢と呼ばれたドラゴンフルーツのクルーは、公社の指令を素直に実行するだけであったが、マイケル船長は、クルーの危険性が高いと公社の指令に敢然と反対した。だが、指令は変わらなかった。

 公社が立案したブラックアステロイド迎撃プロジェクト、通称『破魔の矢作戦』は以下の通りである。木星の衛星カルポとエウアンテとの衝突破片の一つのKE-IIIは、エウロパに落とされ、大穴をあけたが、残りの破片の中でも、KE-Iは大きく、その近木点はエウロパ軌道付近である。これを、エウロパ南極上空を通過するブラックアステロイド2046XF13にぶつけて迎撃しようというのが公社の計画である。

 破片の軌道とブラックアステロイドの軌道を交差させるだけなら、十分な時間とサンドスラスターがあれば簡単であるが、同一時刻に交差点を通過させること、すなわち衝突させるのはかなり難しい。KE-IIIをエウロパに落下させた時には、綿密な準備と計算を行い、十分に練られた計画を立案し、それを時間をかけて正確にトレースした。

 今回の迎撃は、衝突後の振る舞いまで考える必要はない。ほんの少しブラックアステロイドの軌道を変えればいいのである。だが、時間が無かった。ブラックアステロイドは、パシファエのすぐそばまで来ており、そこでのスイングバイを防ぐのは不可能であった。そして、木星でスイングバイを受けて黄道面から飛び出して極軌道に入ってしまえば、それを追いかけるのはかなり難しいことである。その結果、迎撃に与えられた唯一期間はブラックアステロイドがパシファエからエウロパに達するまでの二年間であった。他にもいくつかの案が公社と世界政府で検討されたが、エウロパ上空でブラックアステロイドを迎撃する案が残った。

 ただ、KE-Iの自転という難点があった。そもそも、KE-Iがエウロパ潮汐発電プロジェクトに採用されなかったのは、KE-Iの自転周期が二○分と短く、サンドスラスターの設置が難しいからであった。船長は、設置作業時のクルーの危険性が高いと強硬に反対したが、世界政府も公社本部も、設置は些細な問題と見なした。とにもかくにも『破魔の矢作戦』は始動した。


 辺境作業船ドラゴンフルーツ号の前方のオープンプラットフォームに、白い宇宙服に身を包んだ二人のクルーがいる。

「それじゃ、押すぞ。せいのっ!」

リュウイチとサムが渾身の力を込めてサンドスラスターを押し出した。

「重いですね」

 サムが額の汗を拭こうとしたが、その右手がヘルメットにあたる。慣れたスペースエンジニアでも、時々やってしまう仕草である。それを黙って見過ごすのが先輩である。

「そりゃそうだ。三○○トンもあるからな」

「なるほど」

「よし、じゃ、俺はサンドスラスターに飛びつくから、サムはその場で、案内綱を繰り出してくれ。絡まないように注意!」

「了解!」

リュウイチは、サムが答えたのを確認して、動き出したサンドスラスター側面の取っ手をつかんだ。

 黒光りする直径一○メートルの円筒がゆっくりとプラットフォームから離れていく。それにつれて、リュウイチの体もまた引きずられていく。伸び切った白い宇宙服に太陽光がコントラストの大きな影を作る。そして、サンドスラスターとドラゴンフルーツを繋ぐ蛍光色の案内綱が延びていく。

『こちら、ブリッジ。リュウイチ、サンドスラスターの放熱パネルは閉じているけれど、まだ三○○度近くあるから触らない方がいいわよ』

ブリッジから通信が入る。

「わかっているよ、パトリシア。だが、他に気が付いた点は遠慮なく言ってくれ」

『了解』

 今回の作業チーフはリュウイチだから、全ての手順はリュウイチの頭に入っている。それでも、手順を見守りアシストするパトリシアの存在は重要だ。

「それじゃ、行ってくる。サムはそこで留守番だ。おっと、その前に案内綱の回転ジョイントを確認してくれ」

「はい、確認します」

サムは銀色に光る円筒状のジョイントを雑巾を絞るようにして回ることを確認した。

「大丈夫です。もうすぐ送り出します」

「よし、そろそろ、姿勢制御スラスターを噴かす。パトリシア、距離を確認してくれ」

 姿勢制御スラスターは、本来は、機体の向きを変えるための小推力ロケット群であるが、KE-Iの重力が無視できるほど小さいため、ちょっとした移動、着陸、離昇にも使える。

「船から三○メートル程離れているから大丈夫よ」

「よし、それじゃ、やるか」

 リュウイチはサンドスラスター側面の現場制御タッチパネルを操作し始めた。カルポの時もKE-IIIの時も、遠隔でサンドスラスターの姿勢制御スラスターを操作したが、今回のKE-Iは、自転しているので、リュウイチがサンドスラスターに張り付いて着地させる予定である。

「まずはサンドスラスターの向きを変えます。最初はX方向に四○度。三、二、一、スタート」

リュウイチがパネル上のスイッチに触れると、サンドスラスターの四方に設置された姿勢制御スラスターが青白い炎を噴き出した。そしてすぐに炎が消え、ゆっくりと向きが変わり始める。そして再度、炎を噴いて、サンドスラスターが停止した。

 さらに、二度ほど同様にして向きを微調整する。

「うーん、まだ、ずれている?」

『三度もずれていないと思うわ。墨出しレーザーを点灯させてみて』

「了解。広がり四度で点灯する」

 サンドスラスターの側面に設置されたレーザーが緑色の光を出す。そのビームはKE-Iのごつごつした地表に十字状に広がり、その十字の交点がサンドスラスターの真下向きを表す。予定着陸地点の北極点は、赤く点滅している。

「北極点ビーコンとそんなにずれていないね。二度強と言った所だな」

「なるほどー、墨出しレーザーとビーコンを合わせるように調整するのか」

それまで、黙っていたサムが呟く。

「サムは、これを見るのは初めてだったかな。マニュアルで調整するにはこれが良いんだ」

リュウイチが答えた。

『この角度なら、移動してもいいと思うわ』

パトリシアの声が聞こえた。

「了解。それじゃ、今度は真下に加速する。三、二、一、スタート」

今度は、五秒程炎が持続してから停止する。

「どうだ、パトリシア?」

『秒速三メートル強。もうちょっとスピードを上げて』

「了解。同じ条件で加速します。三、二、一、スタート」

先ほどと同じように炎がしばらく持続して消える。

『秒速六メートル。このまま一分ほど、慣性航行でお願い』

「了解。少しずつ軌道を修正した方がよくないか?」

『そうね。可能ならそうして頂戴。でも微妙だから、力積は最小単位で噴かしてね』

「了解。それじゃ、合図無しで微調する」

リュウイチは、墨出しレーザーと北極点のビーコンを見ながらタッチパネルを操作した。


『予定着陸地点まで、約一○○メートル。減速して頂戴』

パトリシアが指示した。

「了解。減速します、三、二、一、スタート」

『秒速四メートル』

そうやって、何段階かでゆっくり減速させる。軌道の微修正も行う。

「パトリシア、魔法使いの杖が眩しいから消してくれ。もう十分視認できる」

『了解』

 リュウイチの目に杖のようなビーコンがはっきり見えている。杖の先はKE-Iの地面に刺さっており、反対側には、赤く点滅する球がついている。リュウイチはそれを魔法使いの杖と呼んでいた。

 タッチパネルを操作し、サンドスラスターのレーザー距離計を作動させる。

「こっちの距離計の読み値で、距離一○メートル、秒速〇.一メートル。サム、案内綱にテンションをかけてくれ」

『了解』

質量三○○トンのサンドスラスターがわずかに減速する。

「距離五メートル」

 サンドスラスター自身に油圧緩衝着陸脚が備えられているから、それに頼ってもいいのだが、緩衝着陸脚には、縮んだ後に伸びようとする反動が少しあるので、リュウイチはそれが嫌だった。折角、着地しても反動で再び飛び上がっては困るのだ。重力のほとんどない天体ならでは現象である。

「距離二メートル…… 距離一メートル、あと五○センチ。サム、案内綱を放してくれ」

リュウイチの眼前で、着陸脚がKE-Iの地面に接した。

 わずかに砂埃が舞い上がり、そのまま四散する。そして、着陸脚の緩衝器がゆっくりと縮み、サンドスラスターが静止する。

「着陸! すぐにアンカーを打つ」

リュウイチはサンドスラスターの側面に固定していた銃を手にした。さらに、クナイのようなアンカーを素早く装填する。機器を床に固定するためのネジをアンカーと呼ぶが、今回リュウイチが使うのは先端が尖っていて、後端には環がついている物で、テントを張るペグに似ている。その環に綱をとおしサンドスラスターが浮き上がらないように固定するのだ。

 リュウイチは、片手で銃を構えて、地面に銃口を向けた。

「一本目、打ちます!」

引き金を引くと、無音で綱のついたアンカーが射出される。火薬が爆発したはずであるが、真空中で音は伝わらない。もちろん、反動はある。リュウイチは浮き上がる体を、サンドスラスターの取っ手をつかんで引き戻す。

 その結果、サンドスラスターには上向きの力が加わる。サンドスラスターが浮き上がらないようにするためのアンカーであるはずが、それを射出したことで、逆の効果が生まれるという、皮肉な状況である。もっとも、サンドスラスターの質量が圧倒的に大きいから、その動きは目に見えない程遅い。

 リュウイチは、地面に突き刺さったアンカーに繋がる綱を引きよせ、サンドスラスターに結ぶ。そうやって、三本のアンカーを打ち、三本のロープでサンドスラスターはKE-Iの地面に縫いつけられた。


「これで、一基目、終了! パトリシア、作業漏れはない?」

『ないわよ。アンカー銃だけ、持ち帰ってくれる? 予備のアンカーとロープは、どうせ、後で使うからそのまま置いておいて』

「了解」

リュウイチは背中に銃を縛りつけて、ドラゴンフルーツからサンドスラスターに延びる案内綱をほどいて両手で握った。

「よし、帰投準備完了。サム。案内綱の自動巻き取りを作動させてくれ。速度は三でいい」

『速度三、セットしました。巻き取り開始します!』

ピンと綱が張り、リュウイチが引き上げられていく。


     *    *     *


 一基目の着陸の後、リュウイチは 残り二基を北極に、最後の一基を南極に着陸させた。自転軸に着陸させたのには理由がある。

 KE-Iの半径はおよそ六百メートルでこれが二○分周期で自転しているので、赤道面であれば、秒速三メートルの速さで地面が動いている。一方、サンドスラスター一基の質量は、三○○トンであり、鉄道車両一編成ほどである。秒速三メートルという低速でも、瞬時に減速させるとするとその慣性力は馬鹿にできない。それだけの制動力発生させるカラクリをイオで製作し、テストし、KE-Iに届ける時間的な余裕はなかった。

 軌道船同士のランデブーのように、相対速度をゼロにすることは可能である。サンドスラスターを秒速三メートルで接近させ、その直線軌道が自転する円運動の接線となるようにすればいい。こうすれば、その接点で、その瞬間は相対速度がゼロになる。だが、一秒後には一センチ、一○秒後には一メートルもサンドスラスターが浮き上がってしまうから、その一瞬の間にサンドスラスターを地面に貼りつけなければならない。貼りつけるといっても大きな遠心力が働くから、それに耐えられるぐらい十分な強度で貼りつけなければならない。

 自転する天体での作業経験がない中では、赤道付近に直接サンドスラスターを着陸させる案はリスキーであった。結局、自転の速度が無視でき、遠心力も働かない自転軸に着陸させてから、所定の位置まで人力で運搬するという案が採用された。

 赤道での遠心力は-0.0017Gである。例えば、質量三○○トンのサンドスラスターが赤道面にあれば、約五○○キログラム重の上向きの重力が働くと考えればよい。遠心力のかからない極からゆっくりと運ぶのだが、赤道面に到達したころには遠心力で約五○○キログラム重の逆の重力がかかるから注意する必要がある。最初は無重量の状態で岩登りを始め、最後に五○○キロの重量物を抱えてオーバーハングの岩壁をクライミングするようなものである。公社からの作業方法の指示があった時、船長は再度反対したが、もはや、それを聞く者はいなかった。


 白い宇宙服を着た大柄な人物が、案内綱に沿って、KE-Iの北極に近づいていく、サンドスラスター三基がすでに設置されており、やはり白い宇宙服を着た一人が太陽光を片手でさえぎりながら、闇に浮かぶもう一人の人物を見上げていた。

「サム、そろそろだぞ」

「はい、反転します」

闇に浮かぶ人物は、案内綱を体につないだまま、器用に体に向きを反転させた。

「いいぞ、サム」

リュウイチが声をかけると、サムが直ぐに靴底のスラスターを吹かして減速し、案内綱を留めていたカラビナを外した。ほんの少し漂って、サムの隣に綺麗に降り立った。

「上手くなったな」

「さすがに、あれだけ絞られれば、僕でも上手くなります」

リュウイチの賞賛に、ヘルメットの中のサムが顔をほんの少し上気させて答えた。サムは、一度、危ない目にあって以来、真面目に訓練に励んでいた。

「ちょっと、そこの二人、頭上注意よ」

甲高い声に二人の男が見上げると、逆光の中から影が現れ

「えっ、あっ、何?」

とサムが驚く間に

「よし! 到着したわ」

小柄な人物が二人のそばに荒っぽく降り立った。

「メイファン! 早すぎるぞ」

「あら、ちょっと早いぐらいがいいのよ」

「案内綱上に同時に二人はいないようにと言ったはずだぞ」

「もちろん、チーフの指示は守っているわ」

「それじゃ、何で、サムのすぐ後に着けるんだ」

「そりゃ、案内綱を使っていないからよ!」

「はあ? 案内綱を使わなかった?」

「そうよ、直接、飛んできたのよ」

「ホントか?」

 方向感覚もない無重力を案内綱無しで飛ぶのは度胸がいる。下っ端のスペースエンジニアならともかく、操縦士や航宙士が宇宙遊泳を得意とすることはまずない。実際、今回の作業チーフを務めるリュウイチは、メイファンの遊泳ライセンスはペーパーライセンスではと疑っていた。

「メイファン、もしかして、」

『取り込み中、悪いけれど、すぐに始めて欲しいわ』

パトリシアの声がリュウイチのセリフをさえぎった。

「りょ、了解…… 手順通りに始めます」

リュウイチは、首を振って、続けた。

「サム、メイファン。支持ロープ束を用意してくれ。っと、その前に、肩の浮き上がり防止用のエアスラスター以外はロックしておいてくれ。ここは逆重力の世界だから、それ以外のエアスラスターは不要だ。ついでに出力は最低にしておく。浮き上がったと思ったら、まめに噴かせばいい。最低出力なら連続で噴かしても三時間は持つはずだ」

「「了解」」

三人はヘルメット内のディスプレイを見ながら、アイコンタクトで操作する。

「このアイコンタクト追随性が悪いわね……」

メイファンがぼやいた。アイコンタクトは視線と瞬きで操作するマウスのようなものである。慣れればマウスよりも高速な操作ができるが、普段から自分用にカスタマイズしたアイコンタクトを使っているメイファンには使いづらいらしい。リュウイチは、そんなメイファンをちらりと見やって無視した。メイファンに使いこなせないインターフェース等あるはずがないと知っているのだ。

「今回は、命綱無しで作業するから、なるべく、サンドスラスターの荷重を直接担わないこと。操作するのは、支持ロープのレバーとカラビナ、それに曳きロープだけだ。っと、後は補助ロープだけだ。わかったか?」

「「了解」」

「最初は、二号機から始める。ツールボックスミーティングで説明したように、俺が前側、サムが後側の支持ロープを担当し、メイファンは補助ロープを担当する。俺とサムのロープは荷重を担う。まずは、サンドスラスターと『線路』の間にロープを張る。最初は俺からだ」

リュウイチは、支持ロープの一端をサンドスラスターの側面に結び付け。もう一端を地面を這っている一本のロープにカラビナでつける。地面を這っているロープは一○メートルごとに、ケミカルアンカーでKE-Iの大地に固定されている。その先は、サンドスラスターの設置予定地点まで伸びている。これが、リュウイチが言うところの『線路』である。線路はロープウェイでゴンドラを支えるロープだと思えばいい。遠心力で浮き上がろうとするサンドスラスターは、支持ロープで線路に繋ぎとめられる。支持ロープと線路の接続にはカラビナが用いられ、適度な摩擦で線路をスライドする。つまり、線路に沿って移動する。カラビナには、線路に沿って曳くための短い曳ロープがついており、また、支持ロープの途中には長さを縮めるためのレバーがついている。

「次は、サム。それからメイファンだ」

 二人が作業を終えたのを見て、リュウイチはサンドスラスターを地面に固定していたロープを撤去した。それにより、サンドスラスターの荷重は、リュウイチとサムの担当する支持ロープを通して線路が支えることになる。メイファンの担当するロープはより長く、今は緩んでいる。万が一リュウイチとサムのロープが切れた場合は、メイファンのロープがサンドスラスターをKE-Iに縫いつけるはずである。

「よし、これで、準備が終わった」

リュウイチは、いつの間にかピンと張ったロープを叩いてテンションがかかっていることを確認した。

「まずは、俺が曳ロープを引っ張る」

そう言って、支持ロープの線路側、カラビナに繋がる曳ロープで引く。リュウイチがKE-Iの大地にしっかりと靴底をつけて力を入れていくと、三○○トンのサンドスラスターがゆっくりと動き始める。それを、線路を固定しているケミカルアンカーの所まで引っ張っていく。

「昇天しないように、すり足で歩くんだ」

リュウイチが思い出したようにつけ加えた。

 実は、この作業の意外な難しさは、KE-Iの地表を歩くことである。ほとんど無重力の世界であるから、地面を蹴る力がわずかでも上向きならば、浮き上がり、最悪、漆黒の宇宙に吸い込まれてしまう。これを『昇天』という。もちろん、浮き上がれば、肩のスラスターを噴いて地面に舞い戻ればいいのだが、そうすると一歩のたびにスラスターを使い、結局、上下にピョンピョン跳ねるようなことになる。かっこ悪いだけでなく、スラスターの無駄遣いでもある。

 リュウイチは、小惑星系で散々経験し、昇天しないすり足歩行を身につけているが、サムとメイファンには丸一日、歩行訓練をしてもらっていた。

「最初は、無重力だから軽い。サンドスラスターも安定しないが、赤道に近づくにしたがって、遠心力が逆重力を作り出す。そうすれば、摩擦が働くようになるから安定するし、曳きが重くなる」

「昔の船曳きみたいなものね」

メイファンが口を挟んだ。

「船曳き?」

「運河に浮かべた何百トンという船を岸から引っ張って人力で動かしたのよ。漕ぐよりも効率的だし、風を利用する帆よりも確実だわ」

「人力って、いつの時代だよ」

「さあ、三○○年ぐらい前じゃないかしら」

「無駄な知識は後で聞かせてもらうよ」

メイファンの妙な知識にあきれつつも、リュウイチは説明を続ける。

「こうやって、線路を留めているアンカーの所まで引っ張ったら、今度はカラビナをアンカーの向こう側の線路に移す。これはちょっとコツがいる。まず、レバーを用いて支持ロープを一○センチほど縮める。そして、レバーのラッチを外して、一瞬で緩める。こういう風に」

リュウイチがレバーの根元を操作すると短くなったロープが延び、支持ロープがたるんだ。

「この隙に、カラビナを線路から外して、向こう側の線路に繋ぎ変える」

リュウイチは実演しながら説明する。

「最初は、ほとんど力が働かないから、レバーを使わずに人力でロープを引き寄せて、カラビナを架け替えることができる。だが、赤道近くになれば、とてもじゃないが、人力じゃ無理だ。今のうちに慣れておくんだ。サム、わかるか?」

「大丈夫です」

「逆重力といってもせいぜい一Gの○・二%だから、短時間ではほとんど動かない。あわててレバーを操作することはない。むしろ慣性の方が大きいから、サンドスラスターの揺れが大きくなりすぎないように気をつけろ」

「それが私の役目ね」

メイファンが補助ロープを引っ張ってみせた。

「そう、補助ロープを使ってくれ。一番大事なことはサムと俺の支持ロープは、同時には動かさないこと。必ずどちらかが、支持ロープのロックをかけて線路に固定するんだ。わかったか?」

「了解」

メイファンだけが返事をした。

「どうした、サム?」

サムが手を上げている。

「えーと。体が浮き上がらないようにするために、線路に足を引っかけたり、曳きロープで体を支えたりしてもいい? まだ、すり足歩行がそんなに上手くないし……」

「ああ、構わない」

「ええっと、その時に、アンカーがすっぽ抜けるってことはない?」

「サム、昨日、俺が何をやっていたのか見ていなかったのか?」

「えっ、昨日?」

「昨日は、イオから送ってもらた簡易引抜き検査機で、アンカーの全数検査をしたんだ」

「全数?」

「そう、全部のアンカーに上方荷重をかけた。赤道近くは、七○○キログラム重、他は五○○キログラム重だ」

「ふーん、大変だったんだね」

「サム、何度も言っているけれど、先輩の仕事を見るのも経験の内だ。どうせ、また、変身少女のアニメでも見ていたんだろう?」

「ち、違うよ。船長から、仕事を頼まれたんだ」

「んっ、そうだったのか…… 疑って悪かった。今のは謝る」

リュウイチは、素直に謝罪した。

 船長からの仕事は口実だったのではないかという考えが、ちらりと頭をかすめたが、サムがそう言っているのであれば、それを信じることにした。船は、狭い世界である。同じ船のクルーならば、盲目的に信用できなければ、やっていけない。

「ところで、サムは、船長に何を頼まれたの?」

メイファンが尋ねた。

「ん? えーと、磁気ブーツのための床磁場発生回路が壊れたんだ」

「壊れた?」

「最近、不安定で、昨日は、船長がものすごい剣幕で、何とかしろって言って……」

「磁気ブーツなんて時代遅れのカラクリを使っているからよ。いい気味だわ」

「おいおい、船長の悪口は、回線をローカルにしてからにしてくれ」

リュウイチは、内心で賛同しながらもメイファンに釘を刺した。

「ふん、聞かれたっていいわよ」

華々しい経歴と、船長を凌駕するかもしれない経験をもつメイファン。船長とそりが合わないのは仕方のないことである。

「で、結局、サムが修理したのか?」

リュウイチは話題を戻した。

「うん。ブレカーが、いかれてた。で、丁度、定格の合う物が無かったから、大き目のブレーカーに置き換えたよ」

「無かったのなら仕方がないけれど…… いたずらができそうね」

メイファンはにやりとした。彼女が何を考えているか、リュウイチにも分かったが、今は、眼前の仕事に集中しなければらない。リュウイチは咳払いをした。

「さ、おしゃべりはそのぐらいにして、始めよう!」

「「了解!」」


 二本の支持ロープは、尺取虫のように交互に延びて、線路上を移動していく。それにつれて、直径一○メートルほどの黒光りするサンドスラ―スターも動いていく。巨大なフンコロガシが天体くそを徘徊しているように見えなくもない。そして、その昆虫の歩みは、赤道に近づくにつれて遅くなる。結局、北極から、赤道までの一キロメートルの距離を輸送するのに三時間かかった。

 二基目以降は、慣れと距離の短さで、あっと言う間に輸送できた。途中、ケミカルアンカーが一本、すっぽ抜けて、ヒヤリとした場面があった。アンカーを打ちこんだ地面が、一メートル程の塊となって、はがれたのだ。アンカーとすぐそばの地面に荷重をかける簡易引抜き検査には引っかからなかった事態であった。その一件を除けば、順調すぎるほど順調に作業が進んだ。


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