14.発掘された軌道(西暦二一八三年九月)
「ふーん。『次章はリュウイチが紡ぎ出せ』か…… 素敵なお父さんね」
メイファンは意外な感想を漏らした。
「素敵? 何だか言ってること全てが胡散臭いんだけれど」
遺書の内容をほとんどすべて語ったリュウイチは照れ隠しにブランデーをあおった。度数の高い酒がリュウイチの胸を熱くした。
「でも、リュウイチに残した遺書の内容は、総裁宛ての手紙や同時に出てきた『発掘されたデータ』と符号するわ」
「符号? 何が?」
「遺書の中に『トロヤの復讐』という言葉があったでしょう?」
「ああ」
「あの言葉は、一時、噂になったことがあるの。今世紀初頭かしら」
「ずいぶん前だな…… といっても、おやじが亡くなったのが二一二二年だから、その時のおやじにとっては、それほど昔じゃないか」
「トロヤって何だと思う?」
「うーん。木星系でトロヤと言えば、トロヤ群かな」
「正解! 木星と同じ公転軌道上にあって、六○度離れた位置、ラグランジェポイントL4にある小惑星群。その中の一つの小惑星が『トロヤの復讐』の登場人物A」
「……」
「ギリシャ神話のトロヤは知っている?」
「木馬で陥落した街だろう」
「そして、トロヤは復讐する」
「そもそも、誰に復讐するんだ? 神話の中の敵国に復讐するのか?」
「登場人物Bはマツシタラボの所長だったプラントルで、登場人物Cは世界政府ね」
「今回の騒動に関係あるのか? もしかして、AやCは関係ないとか」
リュウイチは、そう言ってブランデーの液面をゆっくりと揺らした。
「大ありね。その内容は、総裁への手紙と発掘されたデータに関係があるの」
「そのデータって何だ? シミュレーション結果か? 太陽が暗くなるとか、大赤斑が消えるとか? どうせキューブのアウトプットなんてそんなものだろ?」
「まあ、シミュレーションには違いないから、リュウイチの推定はいい線いっているわ」
「という事は別のシミュレーションか。どちらにしろ、キューブで計算したという事は、それなりに複雑な計算だったのかな」
「そうよ。計算が終了したのは、二年前らしいわ」
「という事は、六○年近くも計算していたのか!」
「そうなるわね。でも、仕方なかったのよ。元々は、千キューブ日クラスのジョブだったらしいのだけれど、六一年前の大地割れで他のキューブとのリンクが切れて、単独で計算を続けていたらしいの。地中に埋まって、十分な電力を確保できなかったのも、計算が遅れた原因ね。二年前に計算が終わって、出力先を探していた。そして、ついこの間の地殻変動で、別のキューブとのリンクが回復して、地表まで結果が上がってきたのよ」
「なんとも壮大な話だね。もしかして結果は42とか」
「はぁ? 馬鹿言わないで。軌道が出てきたのよ。高精度軌道計算の結果。多分、タニヤマ博士は、低精度での計算結果を確認するために、高精度で計算をし直したのよ」
「おやじの研究は、凄いかもしれないが。多分、俺にはわからん。だから、わざわざ解説しなくてもいいよ」
「リュウイチ! もっと自分の人生に真剣に向き合いなさい!」
メイファンは、グラスをあおって、リュウイチを睨んだ。
「ちょっ、な、なに急に怒っているんだ!」
「そんな事だから、巫女に振られるのよ!」
「お前っ、なんでそのことを…… メイファンには関係ないだろ……」
リュウイチは、メイファンを一瞬睨み返して、すぐに視線を逸らせた。
「男なら、一度くらい命をかけなさい!」
「今どき……」
リュウイチは、男ならなんて古臭いセリフは流行らないと言い返したかったが、できなかった。メイファンは彼に足りないものがあると言いたいのだ。それがリュウイチにはよくわかった。
「ふーっ、解説しなくて済むなら、こんなことになっていないわ」
メイファンは、小声で言いながら、展望室の外に目をやった。
ドラゴンフルーツの向こうに赤く輝くイオと白く輝くエウロパが見える。突然、リュウイチには、その二つがペアのように見えた。
赤茶けたイオの大地は決して、穏やかで優しい土地ではないし、白銀のエウロパは人を寄せつけぬ孤高の地である。その二つをペアとし、夫婦とすることで生み出される豊穣の地こそ、拝律教の言う約束の地である。リュウイチは拝律教を信じているわけではないが、自分にもやれること、やらなければならないことがある気がしてきた。そして、それには、巨大プロジェクトの中の小さな歯車となるだけではいけない気がしてきた。
「もっと、飲む?」
イオとエウロパを見ながら考え事をしていたリュウイチの視界に、ボトルが入った。
「いや、まっ、遠慮しておくよ」
リュウイチはグラスに手を置いて、続けた。
「第一、真剣な話なんだろ? 飲みながら話すような話題じゃないんだろう?」
「そうかしら、人類が滅亡するかもしれないのに、真剣に考えるのが馬鹿らしくなるわ」
顔を真っ赤にしたメイファンは泥酔しているようにも見えるし、全く酔っていないようにも見える。機嫌がいいようにも見えるし、悪いようにも見える。リュウイチには不可解な女性である。
「はあ? いや、滅亡はないだろう。というか、話が全く見えないんだけど、まともに説明してくれないか?」
「つまり……」
「つまり?」
「軌道よ」
「なんの軌道だ?」
「トロヤ群の小惑星だったブラックアステロイド」
「ん? 何だ、そのブラック……アステロイド? 黒い小惑星?」
「アルベド、反射率が小さく、観測が難しい小惑星をブラックアステロイドというの」
「それで、まさか、それが地球に落下するとか?」
「そうなのよ」
メイファンは淡々と答えた。
「だろ。小惑星はずっと監視していたんだから、そんなこと、起きるわけ…… そうなのかよ!」
一瞬、勘違いした、リュウイチは目を見開いた。
「皆、あり得ないと思っていたわ。小惑星は小さなものも含めて、発見し、軌道要素を求め、予測し、地球や他の天体に衝突する可能性を計算していた」
軌道要素が決まれば、太陽を焦点とする楕円軌道が決まり、小惑星は永遠に太陽の周りをまわり、その軌道が地球等の軌道と交わるかどうか、交わるのであれば、同一時刻にその交点に差し掛かるかを監視していればよい。
「でも、全ての可能性を計算できるわけじゃないわ」
「というと?」
「一つは三体問題」
メイファンは指を一本立てた。
「例えば、ラグランジェ点とか、君の得意なスイングバイ航法とか?」
「得意って…… ずいぶん昔の話ね」
「少々調べたことがあるんだ。重力の魔術師は憧れの人だからね」
「リュウイチも口だけは滑らかになったわね。でも、今は、こっちに集中して頂戴」
「はい、先生」
「素直でよろしい」
メイファンが素直なリュウイチのグラスにブランデーを注ぎ足す。それ以上、飲むつもりはなかったリュウイチは、なみなみと注がれたグラスを見つめて、溜息をついた。
「スイングバイは三体問題の典型ね。或る探査機が太陽の周りをまわっている。これは二体問題ね。そして、たまたま、ある惑星に近づく。その時に、惑星と探査機の二体問題と近似できる。惑星から見て、探査機は双曲線を描きながら近づいて、また遠ざかっていく。太陽から見れば、惑星が探査機というボールを打ち返したように見える」
「つまり、ドップラー効果みたいなものだな」
「よくわかっているじゃない」
「そのぐらいわかるよ」
「とにかく、太陽から見ると、惑星が走りながら探査機を打ち返すものだから、探査機の速度は、惑星の走る方向によって上がったり、下がったりする」
「そうやって、探査機のスピードを自在に操る様から、メイファンは重力の魔術師と言われたんだったな」
「イエスと言いたい所だけれど、女の歳をばらすわけにはいかないから、返事は保留するわ」
「で、その三体問題は、解析的に解けないから難しいということ?」
「一言で難しいと言ってしまうと面白くないわ」
「では、メイファン先生、その面白さを解説してくださいよ」
「よろしい。太陽系には登録されているだけで百万の天体がある。それらの間の二体問題は全部で五千億組! 複雑でしょう?」
「たった五千億だ。どうせ、コンピュータで計算するのなら、たいしたことはないのじゃないかな?」
「それじゃ、問題を言い換えるわ。ある都市に百万の人々が住んでいた。そこで、あなたが迷子になって家に帰れなくなった」
「俺は、迷子になるような子供じゃないですよ」
リュウイチは、まるで子供の用に口をとがらせた。
「いいから、そうだと想像して頂戴!」
「はい」
「迷子のあなたは、出逢った人に、俺の家は右ですか左ですかと尋ねる」
「出逢った人が俺の家を知っているとは限らない。全く、酷い尋ね方だ」
「そう、酷い話だわ。それでも言われた通りに行く。そしてまた誰かに出逢い、同じことを尋ねる。そうやって、あなたは、街中をさまよう」
「家にたどり着けないし、何処に行くかわかったもんじゃない」
「その通り。今回の騒動の元は、そんなブラックアステロイドよ」
「迷子の小惑星?」
「正式登録名は2046XF13。2046年に発見され登録されたトロヤ群の小惑星。小惑星同士の相互作用で2046XF13はカオス的な軌道を描いていた。そして、ある時、木星側へはじき出された」
「なるほど、それで、我々、木星系開発公社が関係するのか。あれっ、でもさっきは、地球がどうとか言っていなかった?」
「単純じゃないのよ。悪魔的に複雑なのよ」
「悪魔的?」
「木星系で最初に出逢うのが衛星パシファエ」
「パシファエ、というと例の『カタリナの火』、通称「パシファエ灯台」がある衛星だな。おやじのボイスメールにも出てきた」
「その火が問題なのよ。あなたの大好きなサンドスラスター50は、プルトニウム238を一○トン積んでいて、電気出力は約五メガワット。一方、パシファエにある核燃料は百万トン以上。大半は低濃縮燃料、使用済み燃料だから、実質的な核物質は数万トンじゃないかしら。それらが生み出す莫大な崩壊熱でプラズマを生成して噴射すればどうなる?」
「パワーがサンドスラスター数千基分だから、プラズマを噴射したとしてもサンドスラスター数十基分の推力はかせげるな。回転刃のような駆動部がなければ、メンテナンスは不要かもしれない」
「実際、ここ、百年程、無人で稼働していた。その間、パシファエに推力を与え続けていた」
「百年か、俺達がカルポでサンドスラスターを稼働させたのが、十年だから、積算推力はカルポの百倍くらいか」「かなり軌道が変わったわ。と言っても、ようやく観測にかかるぐらいかしら」
「もしかして、意図的な推力?」
「そうよ」
「何のために? まさかさっきの黒い小惑星? 小惑星に衝突させる?」
「衝突ではなく、スイングバイよ」
「スイングバイ? スイングバイして太陽系を飛び出す? パイオニアとかボイジャーみたいに」
「ほんとにリュウイチは古いことを良く知っているわね。でも行先は太陽系外じゃない。行先はエウロパ」
「エウロパというと、KE-IIIを落下させたエウロパか」
「そう」
「エウロパに衝突するのか?」
「おしいけれど、違うわ。エウロパの南極上空をかすめ、木星の南極上空でぐっと曲げられる」
「南極上空という事は、黄道面を離れて北へむかう?」
「そう。極軌道を経て、地球に落下する」
「まさか!」
「本当よ、三回のスイングバイと、一三年の時を経て地球に落下する」
「マジで?」
「マジよ」
「悪魔的!」
「悪魔的意図的軌道よ! それが『発掘されたデータ』、タニヤマ博士の計算結果」
メイファンはグラスの残りを一気にあおった。つられて、リュウイチもグラスを飲みほし、ごほごほと、むせる。すかさず、メイファンは体をほんの少し浮かし、弱重力の中でリュウイチの方へ漂っていった。そして、リュウイチの背に抱きついた。
「怖いのよ」
リュウイチは、背に暖かみを感じた。
「何が怖いんだ?」
「悪魔と…… 私達の運命が……」
「悪魔も運命も、俺にはわからんが」
「悪魔の名前は、マツシタラボの何代か前の所長、プラントル。彼が娘のカタリナと共にパシファエの灯台を建設し、稼働させた」
「でも、娘は建設中に事故でなくなり、プラントル自身もすでに亡くなったんじゃなかったっけ? 一体誰が、灯台のメンテナンスをし、稼働させたんだ。そもそもそんな複雑な軌道計算とパシファエの軌道調整は誰がやったんだよ。パシファエは無人のはずじゃなかったじゃ」
「無人のはずよ。でも、娘の事故死も不審な噂はあるし、プラントルは行方不明だわ。怪しい点はあるけれど、ずいぶん昔の話だし、色々とわからな点はあるの。例えば、拝律教真理派が悪魔の計画に噛んでいるかもしれないとか」
「真理派? 木星系から地球の影響を排したい真理派?」
「そう、拝律教の中でも過激な真理派は、地球の滅亡を望んでいるという噂もあるわ」
「いくらなんでも、それは無いんじゃないか? 地球が無くなれば、イオで生産できない物資…… 例えば、美味しい酒とかが入手できないよ」
「でも、プラントルは真理派だったわ。彼自身は世界政府に煮え湯を飲まされたから、相当、恨んでいたのは確かだし、ここ数十年、真理派は大人しくしているけれど、真理派が無くなったわけじゃないわ。公社の副総裁だって真理派だという噂だし、エウロパ潮汐発電プロジェクトが成功し、イオが豊富な水を手にすれば、水耕栽培だった可能になるはずよ。そうすれば、木星系は地球から独立できる。独り立ちできるわ」
「つまり、公社にも地球の滅亡を望んでいる者は沢山いるだろうということ?」
「そう。だから怖いのよ…… 忍び寄る闇に木星系が飲み込まれるのじゃないかと考えると……」
相変わらず、背中に抱き付いているメイファンの手にリュウイチは自分の手を重ねてみた。一○台独特の柔らかな感触に驚きつつも、冷静を装った。
「それで、結論は何で、俺達の未来はどうなるんだ」
「タニヤマ博士の予測は正しかった。ブラックアステロイド2046XF13は、今やカオス軌道を抜け出したし、パシファエの影響もほぼ確定している。そして、一年後にパシファエでスイングバイを受けて、エウロパに向かう。何もしなければ、さらに二度のスイングバイを受けて、地球へ衝突する軌道に乗る。今や、この軌道に不確定性はないわ」
「何もしなければ、という事は?」
メイファンはリュウイチの背から乗り出し、これ以上ないというほど、顔を近づけた。彼女の吐く息は、アルコール濃度が高い。
「ブラックアステロイドをあなたが撃ち落とすのよ」
目を見開くリュウイチの唇に、メイファンが酒臭い唇を押し付けた。




