13.発掘された遺言(西暦二一二二年五月、西暦二一八三年九月)
「リュウイチ、かなり不味いことになった。いや、絶望と言った方がいいじゃろう」
遺言のビデオメールの出だしは、そんなトラオのセリフから始まった。額に汗を浮かべた老人は、不自然に首を傾けている。
「残された時間は一、二時間という所だろう。ほら」
そう言って、トラオは、カメラを回した。建物の立体図がスクリーンに映っている。全体で一○層程の三角柱状の建物である。かつてリュウイチが訪れたイオ天文台本部棟であろう。
「色のついていない所は、通信の出来ない所だ。各区画とも電源を備えているし、回線はすべて三重化しているから色がついていないのは、押しつぶされたからだろう。つまり、未だに無事なのは、この辺りだけだ」
トラオの言う通り無事な区画は中ほどの三層である。
「まあ、無事な区画は、丈夫に作ってあったから、そう簡単にはつぶれない…… と思っていたが、こんなに大きく、深い地割れは想定外じゃった。まあ、今更後悔しても始まらぬ」
トラオはカメラを戻し、再び自分の顔が映るようにセットした。
ゴゴゴっと不気味な音が響いた。
「おっと、いけない」
トラオは辺りを見回し、異常がないことを確認した。
「もう、二○○メートルは落下している。だいたい一分間に五メートル程沈降している。それに、だいぶ傾いてきた。部下が計算した所によれば、あと一、二時間ほどしか持たない。その先は……」
トラオは肩をすくめた。意外に表現が豊かな老人である。リュウイチにとって、トラオは峻厳で威厳に満ちた父であったが、ビデオの中の彼は、冗長で気さくな老人であった。無垢な高校生の頃の印象と違うのはおかしなことではないのかもしれないとリュウイチは思った。
「というわけで、各自好き勝手にしてもらっている。大抵の者はこうして遺書を録画している。問題はこの遺書が届くかどうかだ。気づいた時には、短いボイスメールを送るのが精いっぱいで、脱出はおろか、外部とのリンクも直ぐに切れたから、遺書を届けようもなかった。取りあえず、今、アクセスできるすべてのキューブに遺書をセーブしておくから、その内、リュウイチに届くじゃろう。何せ、キューブには土中に埋まった事も想定して電波通信も使えるようになっている。電波だと少々の地層など透過できるからのう」
トラオはそこで、一端横を向いて、プラスチックボトルを取り、中の液体をすすった。
「さて、何を遺言しておくべきか…… 考える時間がないのが悩みじゃ。たった一時間足らずで身辺整理など、できっこないのはわかっている」
『台長! 例の件、ジョブを投入します』
だれかの声が入り、トラオが振り返った。
「予定計算時間は?」
『フル稼働なら一日程度ですが、この状況では予想しがたいですね』
「仕方ない。とにかく、計算を始めてくれ」
トラオは誰かと短いやり取りをした。
「すまん、リュウイチ。何を話していたっけ? そうじゃ、法定承継の話をしておかねばならん。財産は、多くもなく少なくもない。幸い借金はない。故郷に先祖の墓はあるが放っておいてもいい」
トラオの故郷は極東の島である。リュウイチは観光で一度行ったきりで、トラオの生まれ育った町も、先祖の墓も行ったことはない。
「取りあえず、さっき送ったボイスメールの『パシファエ灯台』のことなんじゃが…… 実は、リュウイチ宛ての遺書とは別に、公社総裁に手紙を書いたから、そっちを見てくれれば重要なことは書いてある。じゃから、ここでは、少し別のこと、昔のことも話そうと思う」
あの日、イオ天文台と崩れたピラミッドが大地割れに飲み込まれた日、リュウイチはボイスメールを受け取った。『パシファエ灯台の火は消さないと』それだけのメールだった。当時、高校生だったリュウイチには心当たりはなかったし、そもそもパシファエ灯台も知らなかった。だから、そのままにしていたのだ。もちろん、今のリュウイチは、それが、拝律教の聖地にある原子力の火だと知っている。
それでも、パシファエ灯台の火を消さねばならない理由など皆目見当がつかなかった。
「そもそもの発端は、先月、エウロパの表側にある物体が落下したことじゃった。いや、最初は隕石だと思ったんじゃ。エウロパのラグランジェポイントL1からの定時観測画像に燃える隕石が写っていた。それでおかしいと部下が気づいた。なぜ、おかしいかわかるか、リュウイチ?」
いたずら小僧のような眼を見せて、トラオは問いかけた。もちろん、長年スペースエンジニアをやってきたリュウイチにはすぐわかった。
「地球に落下する隕石なら当たり前じゃ。大気圏に突入した隕石は摩擦熱で、表面が灼熱状態になり蒸発し、尾を引く。だが、大気のないエウロパで隕石が燃えることはない。画像に映っていた発光のスペクトル解析の結果は驚くべきものじゃった。イオンロケットエンジンの噴き出すプラズマのスペクトルと一致した。しかも、現在、木星系で使われているイオンエンジンのスペクトルではなく、木星系開発初期のものと一致した。それから、わしらは、喜々として謎解きに取り組んだ。まったく、無垢な興味ほど、恐ろしいものはないわ」
トラオは、なぜか悲しそうな目を見せた。
「それから、色々と調べた。エウロパ上の落下地点をうちの口径一○メートル望遠鏡で覗いた。小さなクレータがあることはわかったが、それ以上のことはわからなかった。次に、あらゆる木星系の探査機、中継器、基地の静止画像を調べた。登録されていない星を見つけるという意味では小惑星発見と似てはいるが、小さなプラズマの光は暗く、ノイズとの区別も難しかった。最初は、藁山の針を探すようなものじゃったが、スペクトルを検索条件にしてからは、早かった。そうして、見つかった映像は、大抵は、星のような点像で、距離も進行方向も何もわからなかった。それでも、何枚もの静止画像をつなげて、少しずつ、その物体の軌道を逆に辿った。同時に発光強度から推力を推定し、加速度からその物体の質量を推定した。イオンロケットエンジンを使っていたから、ちょっとした軌道船じゃと思ったんじゃが、推定された質量はずっと小さかった。結局、今の結論は、救命ポッドだ。それも改造してイオンロケットエンジンを載せた救命ポッドじゃ。ありえないじゃろう?」
リュウイチは頭をひねった。今度は答えが浮かばなかった。
「そもそも救命ポッドは、そんなに長く使うことは想定していない。レベルIのコールドスリープ装置を積んでいたとしても、いい所、一月。長時間稼働が前提のイオンエンジンとは相性が悪い。エンジンを積むなら化学ロケットじゃし、そもそも救命ポッドにはエンジンすらついていないのが普通じゃ。驚くべきことは、それだけじゃない。エウロパまで旅してきた距離と時間じゃ。一番古い画像は二○年以上前。そして推定軌道の遠木点は丁度パシファエ軌道に達する」
やっと、パシファエが出てきたとリュウイチは肩をほぐした。
「とてもじゃないが、救命ポッドの主は生きておらんじゃろう。それでも気になることがあったんで、ある仮説を立てて計算した。三○年程前、丁度、パシファエ灯台を建設していた頃じゃ。ある人物がパシファエを周回する作業船から改造した救命ポッドで脱出した。まあ半分勘というか、半分は悪い予感と言うやつじゃ。救命ポッドのイオンエンジンの推力はほぼ一定じゃったから、軌道を追うのは難しくなかった。もちろん、木星だけじゃなく、大きな衛星の影響はすべて考慮して、現在から過去へと木星系の全天体の軌道を計算したんじゃ。そこで、思わぬ大発見をした」
大発見をしたというトラオは、全然嬉しそうな顔をしていなかった。むしろ、パンドラの箱を開けてしまったかのように悲壮な表情を見せていた。
「計算の正しさは、過去に観測した天体位置で確認した。そうしたら、ある天体を除いて計算は十分な精度が出ておった。上手くいかなかった天体は…… パシファエ! 普通なら気がつかないほどのずれじゃが、三○年分計算して初めて、おかしいとわかったんじゃ」
再び登場したパシファエにリュウイチは首をひねった。トラオの謎解きの行きつく先が見えなかった。
「もちろん、最初は計算方法が間違っていると思った。だが、何度計算しても合わなかった。計算した軌道と観測した位置のずれは、過去になるほど大きくなっていた。しかもずれの方向は変わらなかった。まるで何か大きな力、神の手が押しているように見えた。そう、邪神が居た。パシファエ灯台だ。まさか、邪神がいるとは思わなかった……」
本当に邪神に打ちのめされたようにトラオは俯いた。だが、その仕草には、どこか軽薄さと演技っぽさが見えた。そう思い始めると、彼の遺言自体がなんだか自慢話のように見えて来る。
「だが、わしらには正義の味方がいる」
案の定、顔を上げたトラオには悲壮感など微塵もない。
「という事で、この件は、総裁に任せた。それに、まだ時間はたっぷりあるから何とかなるじゃろう。高校生のリュウイチにはもっとふさわしい仕事がある」
ビデオメールが高校生のリュウイチに届くと思っているのだ。実際には、大地割れに飲み込まれてから六一年の歳月が流れているし、リュウイチは、高校生ではなく、プロのスペースエンジニアである。
「もう少し、デリケートというか、繊細と言うか…… グロテスクかもしれん」
なんだそりゃ、とリュウイチは内心で毒づいた。
「つまりだな。その~ 救命ポッドに乗ったのは、カタリナかもしれないと思っているんだ」
カタリナ? どこかで聞いた名である。
「その頃、彼女は、父親のプラントル所長と共にパシファエ灯台の建設に携わっていた。当時のわしは、年甲斐もなく若いカタリナに夢中になった」
そう、カタリナは、パシファエ灯台建設中に亡くなったプラントル所長の娘である。
「夢中になったのはアイツも同じじゃったが…… 事故で亡くなった。亡くなったと発表された」
トラオの目は深い悲しみを湛えていた。演技だとすれば迫真の演技である。
「だが、遺体は回収できず、葬儀も形だけじゃった。事故で亡くなったというのは、嘘かも知れん。本当は、救命ポッドで脱出したのかもしれん。惚れたわしに一刻も早く会うために救命ポッドを使ったのかもしれん」
自分で惚れたとか言うかよ、この爺さんは。
「まあ、それは半分冗談だ。つまり、残り半分は冗談じゃないということだ」
自信たっぷりに言うトラオはどこか滑稽だが、リュウイチにはない輝きを放っていた。
「仮にカタリナが救命ポッドで脱出したとして、その理由は二つほど考えられる。トロヤの復讐を阻止しようと邪神に反抗して、それを誰かに伝えようと救命ポッドで脱出したというのが一つ目」
トロヤの復讐というのがキーワードらしいが、リュウイチにはわからなかった。そもそも、トラオは、情報を隠している。まるで、子供にはすべては知らせないのが正しいと思っているように見える。
「もう一つは、ライバルに殺されそうになって逃げたという可能性」
『ライバル? 殺される?』
「今、リュウイチは、殺されるなんて、大げさだと思っとるかもしれん。じゃがな、女の嫉妬を甘く見ると痛い目にあうぞ。当時、わしに惚れていた女二名が骨肉の争いをしておった。わしは、仕方なく、二人の内の美人の方を選んだんじゃが、それが不味かったのかもしれんなあ」
トラオは目をすがめて、声を落とした。リュウイチにはトラオが大根役者に見えた。
「嫉妬に狂った女なら、ライバルを殺して、惚れた男のクローンを勝手に作ってもおかしくはない」
『ん?』リュウイチの意識に何かが引っかかった。
「というのは、冗談だ。わしが選んだのはカタリナ。ブロンドの下し髪、色づきのよい唇、完璧な曲線を描く身体、そして、何よりも魅惑的なのは、透き通った青い瞳。あっ! …… そう言えば、二人とも青い瞳じゃったな」
トラオの語る女は、エウロパの巫女を思いおこさせる。リュウイチの面食いは父親譲りだったわけだ。
「そこで、リュウイチに頼みがある。もし、おまえが将来、木星系に来ることがあったら、是非、救命ポッドの落下地点を訪ねて欲しい」
言われなくとも、リュウイチは既に木星系に来ている。
「座標は、南緯四八度、東経六○度だ」
『ん? 近いな』
リュウイチの記憶が正しければ、エウロパの拝水神殿にかなり近い場所である。
「カタリナのミイラが拝めるかもしれないし、もしかしたら、氷漬けの全裸の美女がいるかもしれん」
所詮、推力の小さい救命ポッドである。エウロパ地表に軟着陸できたとは思えない。激突すれば、悲惨なことになっているはずだ。全裸の美女と言うのは、レベルIIのコールドスリープの場合の話である。レベルIIはレベルIと違って、冬眠時に特殊な液体に裸で浸かる。そして、レベルIIであれば、何十年と言う歳月を冬眠状態で過ごすことも不可能ではない。ただ、救命ポッドに、レベルIIのコールドスリープ施設を収納することは、今も昔もできない話である。
リュウイチは、トラオの言う座標を訪れてみたいと思った。問題は、そうそう簡単にエウロパに降り立てるわけではない点である。もし、そんなことが簡単にできるのであれば、リュウイチは真っ先に巫女を訪ねたであろう。
「まっ、今のは、すべて冗談じゃ」
『んっ! すべて冗談?』
リュウイチは緊張が一気に弛緩したように感じた。
「わしは、親になって初めて親の気持ちがわかった。わしと同じDNAを持ったお前がいるという事がどれほど素晴らしいことか。同じDNAを持ちながら、わしとは全く違う生を歩む。まるでカオスのようにお前の人生は予測がつかない。そう、人の生という物語を今度はお前が担当するんだ。わしの章はこれで終わりじゃが、次章はリュウイチが紡ぎ出せ」
トラオはこれ以上ないほどの笑顔を見せてスイッチを切った。




