12.クローン度(西暦二一八三年九月)
「なかなか水蒸気圧が下がらないわね」
ブリッジの左端でパトリシアが、公社サーバーのデータを見ていた。エウロパ各地に投下したプローブ群の観測データである。
「下がらないと何か問題でもあるのか?」
パトリシアのそばに立つリュウイチはモニターを覗き込みながら言った。
「軌道船の遠距離通信バンドが二○○ギガヘルツで、丁度、水蒸気の吸収が大きい帯域なのよ」
「となると通信ができなくなる?」
「あまり水蒸気が濃いとね。でも、実質的には問題はないわ」
「実質的に?」
「来月、エウロパにやってくる調査船はもちろんのこと、降下準備をしている基地モジュールも一○ギガヘルツのマイクロ波通信設備を持っているから大丈夫よ」
「ふーん、でも、それなら最初から全部、一○ギガヘルツに統一してしまったらいいのに」
「そうもいかないのよ。遠距離の方は見通し通信、つまり直線的だから、何ギガでもいいわ。ただ、できるだけ小さなアンテナで指向性を良くしたいから高い周波数を使っている。一方、地上通信は、地形やなんかの障害物が多いから、回折しやすい低い周波数のマイクロ波を使うの」
「ふーん、なるほど」
「宇宙工科大学で習わなかった?」
「うーん、習ったような、習っていないような……」
リュウイチはそう言いながら、ブリッジ中央で繰り広げられるおかしな仮装パーティーを見るともなく見ていた。
ドラゴンフルーツ号が慣性飛行をしている時、クルーは私服を着ることが許されている。私服といっても、各自の役割をある程度考慮するのが普通だ。パトリシアは、淡いベージュのパンツと白いブラウスの上に白衣を羽織っているし、リュウイチは下にジーンズ、上にタートルネックのセーターを着ている。おかしいのは、メイファン航宙士とマイケル船長だ。
「なんてこと!!」
3Dデータ表示用ゴーグルをかけたメイファンは、叫んでいた。フリルのついた黒白のワンピースを着ており、無重力のブリッジを跳ね回るたびに、下着が見え隠れする。本人の解説によれば、ゴスロリという由緒正しい衣装であるそうだが、サム以外は白い眼でそれを見ていた。おおかた、サムの言う所の由緒正しい白黒二次元アニメにゴスロリが出てくるのだろう。指を素早く動かし、コンピュータを操作しているのだが、まるでニンジャが印を結ぶようなその指使いは、衣装と相まって、映画のようであった。
マイケル船長は、やはり由緒正しい船長の衣装だと言って、金モールと金ボタンで飾り付けられた赤地のコートを羽織っており、羽飾りの沢山ついた帽子をかぶっている。
船長は、空中に浮かべたパーソナルスクリーンを険しい目つきで睨んでいる。スクリーンは、他人には見えないように処理されているから、その内容はわからない。ただ、船長は、腕を組み、磁気ブーツの両足を床につけているから、機嫌は悪いのであろう。こういう時には、そっとしておくのが一番である。リュウイチはパトリシアの見せるグラフに熱中しているようなふりをした。
「おい! リュウイチ!」
船長が大声をあげる。
「は、はい何でしょうか?」
ブリッジに響く大声に、聞こえないふりをするわけにはいかない。
「リュウイチ、ちょっと話があるんやけど…… 来い!」
船長はブーツを減磁して、振り返りもせずに、出口に向かって漂い出した。
「はい!」
ため息をつきつつ、リュウイチは船長を追った。どうせ、ろくでもないことになるのはわかっている。そうであれば、素直に従う方が得策である。長年の経験がリュウイチの背を押した。
「失礼します」
「そこへ、座れ」
船長室はかなり広い、四つある居住モジュールの一つを占有している。
「公社から『発掘されたデータ』が送られてきたんや」
「発掘された?」
「ああ、リュウイチはあんまり馴染みがないかもしれんな」
「初耳です」
「イオにスパコン、通称、『埋もれたピラミッド』があるのは知っとるやろう?」
「ええ、インパクトでも活躍しましたから」
「いまだに、太陽系随一の計算能力を誇っているが、埋もれた経緯は知っとるか?」
「大まかな経緯は知っています。埋もれる前に見たことがありますし」
「そうか、まあ、一応、このデータの出所の説明もかねておさらいしとこう」
船長は、ブラインドを閉めてから、話し始めた。その大筋は、リュウイチもよく知っている話である。
かつて、イオ天文台には、『崩れたピラミッド』と呼ばれていた太陽系随一のスパコンがあった。最盛期には約二○○○万個のキューブがあり、乱雑に積み重ねられていた。ところが、二一二二年に、大規模な地殻変動が起き、天文台の主要施設と共に大地割れに飲みこまれた。もちろん、建物の中に居た職員も犠牲になったし、リュウイチの父もこの時に亡くなったはずである。
スパコンを構成していたキューブの大部分は、大地に押しつぶされたり、マグマに溶けて破壊された。破壊を免れたキューブも、その多くは通信リンクが切れた状態にある。現在、アクセスできるのは地表に近いキューブ約百万個である。これを『埋もれたピラミッド』と呼ぶ。そして、小さな地殻変動のたびに、あるキューブが行方不明になり、あるキューブのリンクが回復する。リンクが回復したキューブは半世紀以上前に与えられたオーダーの結果を吐き出した。それを『発掘されたデータ』と呼ぶ。大抵は無意味であったが、まれに有用な情報が吐き出される。今回、発掘されたデータは関係者に大きな波紋を呼んだらしい。
「まあ、色々、出てきたみたいやけれど、その中に遺書が仰山(ぎょうさん」含まれとった」
「遺書?」
「ああ、天文台職員が今の際に書いたんやろう。DNA認証がかかったファイルがいくつも出てきたんや」
「それじゃ、おやじの、トラオ・タニヤマの遺書もあったんですか!」
「タニヤマ博士の遺書らしきものは二つ。リュウイチ宛てが一つ。他に公社総裁宛てが一つ。こっちの方はDNA認証やなくて、職階認証やけど」
「俺宛てに……」
リュウイチが父トラオと過ごした月日は短い。細胞年齢に換算すれば、三カ月程である。それでも、自分に親がいるというのはありがたいことである。DNA設計図から合成されたデザインチャイルドではなく、DNAを引き継いだ親がいると実感した時の安心感は、思春期の安定剤であった。また、トラオが大地割れに飲み込まれた聞いた時の喪失感は、リュウイチが大人になる糧となった。
「どこにあります!」
だから、口調が強くなるのも当然だ。
「そう、慌てるな。さっき、メールで送ったわ。パトリシアに頼んで、DNA認証をして、ロックを解除してもらえ」
「はい、ありがとうございます」
席を立ち背を向けたリュウイチに、船長が声をかける。
「ちょっと、待て!」
「あっ、はい」
「トラオのファイルの内容で公社に関係しそうな情報があれば教えてくれ。あの人は有能やったから、公社の命運を左右するような情報を持っていてもおかしうないわ」
「はい、わかりました」
リュウイチは、ほんの少し眉を寄せてから答えた。船長の言葉に違和感を感じたのだ。公社の利益を考えることは、木星系では自然である。リュウイチが違和感に正体に気付くのはずっと後の事である。
「それから、大事なことを言い忘れとった。そのファイルは破損しとるかもしれん。その場合は、ロックを解除できないこともあるから、そん時は諦めろ」
「ええっ! 船長、それは最初に言ってくださいよ!」
リュウイチは足早に部屋を後にした。
医務室の所ではひと悶着があった。
「九○パーセント?」
リュウイチはパトリシアからDNAのクローン度の数値を聞いて声をあげた。
「正確には、九○プラスマイナス一パーセントだわ」
「どういう事だ? 何故一○○パーセントじゃないんだ! 誤差を入れても一○○パーセントに届かないじゃないか。大体その数値は信用できるのか!」
「落ち着いて、リュウイチ」
モニターを見ていたパトリシアは、ため息をついてから、リュウイチに向き直った。
「とにかく、説明してくれ。まるで、俺がおやじのクローンじゃないみたいじゃないか。納得できない!」
「言われなくても説明しますから、落ち着いて」
「……」
「まずは、クローン度という数値について説明するわよ」
「……」
リュウイチの機嫌は悪い。それは、そうであろう。誰が親かわからなくて随分悩み、それが、トラオがクローン親だとわかって、悩みが払拭された経験がある。今更、クローンでないと言われて納得できるはずがない。
「クローン度とは、どのくらいクローン親子関係があるかを示す指標よ。原理的には、クローン親子はDNA配列が完全に一致するわ。でも実際には測定誤差があったり、採取した細胞でDNAが変化していることもある。だけど、そう言った誤差も考慮すれば、クローン親子ではクローン度は一○○パーセントになる」
「そんなことは知っている」
「重要なのはここからよ。赤の他人の場合は、DNA配列の一致度合は、減少する。それでも、同じ人類であれば、かなりのDNA配列は一致する。そこで、赤の他人であれば、クローン度がゼロパーセントになるように調整するの」
「それが何の得になるんだ」
「そうすれば、男女のペアの両親から生まれた子、つまり、昔一般的だった自然受胎で生まれた子と親のクローン度は五○パーセントになるし、昔の祖父母と孫の間のクローン度は二五パーセントになる。つまり、クローン度は、親からどのくらい遺伝子を受け継いだかを表すの」
「という事は、俺の場合、どうなるんだ」
「リュウイチの場合…… トラオ・タニヤマから受け継いだ遺伝子が九○パーセントで、残りは……」
「赤の他人の遺伝子か?」
「そういうことになるわ」
「そんな馬鹿な。登録されていたおやじのDNA情報が間違っているんじゃないのか」
「その可能性が無いとは言い切れないけれど、登録情報は厳重に管理されているから、間違っているとは考えにくい。第一、それが間違っていたら、色々な契約の時の本人確認に支障をきたすわ」
「それでも……」
「それで、私からリュウイチに聞きたいのだけれど」
「……」
「あなたの父、トラオ・タニヤマはこのこと、つまりクローン度が一○○パーセントじゃないって知っていたのじゃないかしら?」
「それはどういうことだ?」
「例えば、法定承継人を指定し、法務局に登録する時、必ずクローン度を確認することになっているの。その時に、クローン度を調べたはずだわ」
「それじゃ、俺は、法定承継人じゃないってこと?」
リュウイチのトーンはどんどん下降していく。
「そんなことはないわ。今では珍しいけれど、クローン度が五○パーセントの自然受胎子が法定承継人になることもある。だから、法定承継人のクローン度自体に制限があるわけじゃないわ」
「どういうこと? 俺はおやじの法定承継人のはずだ」
「ということは、トラオ・タニヤマは知っていたのよ。あるいは、法定承継人登録時に知ったのよ。心当たりはないかしら?」
「心当たり?」
リュウイチを法定承継人として登録したのはイオ滞在の終わりに近いころだった。イオ工業都市の真新しい法務局でずいぶん待たされた覚えがある。無事に登録を終えて、トラオはリュウイチに『お前は確かに俺の子だ、クローン度なんて気にする必要はない』と言ったのだ。当時、中学生だったリュウイチには、さして気になる言葉でもなかったが、長く待たされた最後の言葉は覚えていた。
「それに、ここに証拠があるわ」
「証拠?」
「このファイルのDNA認証には、ロック解除条件として、クローン度が九○プラスマイナス二パーセントと指定されていたわ。解除できなかったら、わからない情報だけれど、タニヤマ博士はリュウイチのクローン度を知っていたのよ」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿な事じゃないわ。昔は、自然受胎子が一般的だったし、養子を相続人に指定することも珍しくなかった」
「相続人?」
「昔の法定承継人だと思えばいいわ。要するに愛情さえあれば、親子になれたし、遺産を相続させることもできた。今の、遺伝子偏重の方がおかしいぐらいよ」
「そんなの間違っている!」
「あら、間違っていたら、あなたが、法定承継人になっているはずがないわ。それに、クローン親子じゃなくったって、親子愛はあるわよ。例えば、里親と里子とか」
「……」
リュウイチにも里親はいた。地球で暮らしていた里親は、とっくの昔に亡くなっている。リュウイチがある小惑星から別の小惑星へ移動している時に亡くなった。丁度、レベルIIのコールドスリープの最中だったから、里親の死を聞いたのは、亡くなってから一年後だった。老衰とはいえ、その時の喪失感は、トラオの死よりも大きかった。
リュウイチは頭を振って、気持ちを切りかえた。
「わかりました。クローン度のことは納得しました。ですが、一つ確認させてください」
「ええ何でも聞いて」
「クローン度が九○パーセントということは、一○パーセント分、赤の他人の遺伝子を受け継いだという事ですね」
「そうなるわ」
「そういう中途半端なクローンは、デザインチャイルドにつながるから禁止されているのではなかったでしたっけ?」
「厳格に禁止されているわけじゃないわ。でも、普通の親はそんなことは許さないはずよ。そうじゃないと、かかりやすい病気も体質も予想できないものになる可能性があるから、そんなリスクは取らないのが普通よ」
「だけど、俺の親は……」
リュウイチは、はたと思い出した。そもそも、トラオはクローン子のリュウイチの存在を知らなかった。その存在を知って、中学生だったリュウイチの元に駆けつけたのだった。だから、トラオがわざとクローン度九○パーセントの子を作ったはずはない。
「あのー 親が知らないうちに勝手にクローン子を作ることは禁止されていましたよね」
「ええ、それは禁止されているわ」
「ということは……」
誰かが勝手にトラオのクローン子を作った。しかも、その際、赤の他人の遺伝子を一○パーセント混ぜたのだ。
「心配してもしょうがないことだし…… リュウイチはこうして腕利きのスペースエンジニアになったじゃない。また木星系に戻ってきたじゃない。今のリュウイチを見れば、タニヤマ博士は満足するはずよ」
「ん、ああ…… そうかな?」
「それより、早く、ファイルを開けてみたら? リュウイチのディレクトリに鍵を送っておいたから」
「そ、そうだな。わかった、ありがとう」
「どういたしまして」
「俺にとって、パトリシアは最高のドクターだよ」
そう言い残してリュウイチは駆けだした。
リュウイチは、居住モジュールの自室でファイルを開けた。
出てきたのはビデオメールである。圧縮度が高く、質は悪い。何かと容量を減らそうとする古い世代の特徴である。だが、リュウイチが閉口したのは、質ではなく、内容である。有能で威厳があり格調高い表のイメージとは真逆の内容だし、クローン度が九○パーセントの言い訳も無いし、最後の一言を除けば、親らしい別れの言葉ではなかった。
そんな肩すかしを喰らったリュウイチは、展望室で、ぼーっと荷台のサンドスラスターを見ていた。
「あら、しけた顔をしているわね。しかもしらふだし」
ひょっこり、現れたのは、ゴスロリ衣装のメイファンである。
「ん、まあ、そんなこともあるよ。メイファンも酷い顔をしているな。また、誰かに軌道計算でも頼まれたのか?」
「そんなところね。でも、結果は最悪だわ。お酒でも飲まなきゃ、やってられないわ!」
「おいおい、俺もつき合わさせられるのか?」
「なに、細かいこと言ってんの! 男ならどんと構えていないさい!」
「……」
メイファンは薄い胸を叩き、リュウイチは憐みの目を向けた。
「だいたい、リュウイチは折角の非番なのにー 仕事があるわけでもないし、冷蔵死体になっているわけでもないしー 人生を楽しまないと」
そう言って、メイファンは酒蔵を覗いた。冷蔵死体というのは、コールドスリープ中の人間のことを指すメイファン流の皮肉であるが、日々コールドスリープを体験している者には、聞いていて気持ちのいい言葉ではない。
「その、冷蔵死体ってのは、もうちょっと言いようがないのか?」
「あら、それじゃ、なんて言えばいいかしら…… 『ちょっとした上司の悪意で一生目覚めない哀れな子羊』とか」
「えっ、それって、船長ができの悪い部下を永遠に眠らせるってこと?」
「あら、さすが、できの悪い部下。よくわかっているじゃない」
「わらえねぇ! 悪い冗談はやめてくれ!」
「それじゃ…… 『何年も眠っているうちに恋人を寝取られるかもしれないお馬鹿なリュウイチ』」
「げっ、それ、もう一○年以上前のことだ…… って、なんでメイファンが知っているんだ!!」
「リュウイチのことは何でもお見通しよ。それにしても、最近、つれないわね」
跪いたメイファンは、うるんだ目でリュウイチを見上げた。
幼女体形だが、目だけは異様に色気があるメイファン。リュウイチは視線を逸らした。
「……」
かちゃりとグラスを鳴らす音がする。いつの間にか、メイファンはブランデーグラスを二つ取り出していた。
「取りあえず、飲みましょう。ブランデーでいい?」
冷静な口調は、メイファンのからかいモードが終わったしるしである。
「ああそうだな、それがいい」
リュウイチは受け取ったブランデーをテーブルに置き、ゴムのストッパーで固定した。
「でっ、何を悩んでいるの。タニヤマ博士の遺書?」
「うん、まあ、よく知っているな?」
「実は、別ルートで話があったのよ」
「遺書のこと?」
「遺書と言えば、遺書かも知れないわね。船長に話は聞いたでしょう? 『発掘されたデータ』はリュウイチ宛ての遺書だけじゃないわ」
テーブルのグラスに、メイファンがゆっくりと暗赤色の液体を注いでいく。弱重力中で、勢いよく注ぐのは厳禁である。
「まさか、そっちも、恥ずかしい話だったとか?」
「恥ずかしい話? そんなことはないけれど…… リュウイチ宛ての遺書は恥ずかしい話だったの? 聞かせて!」
「いや、まあ、おやじが恥ずかしかったかどうかは分からないけれど、老人の自慢話と未練たっぷりな悲恋話なんて…… 俺からすれば、恥ずかしい以外の何物でもない」
「悲恋? 聞きたい! 是非、聞かせて!!」
「そ、そうだな……」
いつの間にか、メイファンは跪いて目をウルウルさせている。
「しょうがないな~」
リュウイチは、持ち上げようとしたグラスを再び置いて、頷いた。親の色恋沙汰など、息子にすれば恥ずかしいだけであるが、それでも、そう言ったことを打ち明けてくれたのは、リュウイチが子だったからという事もわかってはいた。どんな父親であっても、彼には唯一の親であった。




