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1.ドラゴンフルーツ号(西暦二一七八年七月)

 うっすらと無精ひげを生やした青年は、狭い船室から大きな窓の向こうを見やった。ヘーゼルの瞳に映る景色は一分間に三回転している。漆黒の宇宙を背景に巨大な銀色の宇宙船がぐるぐる回転している。樽のような船体の側面には、灼熱した長方形の板が何枚もついていて、まるで父親の母国で見た回り灯篭のようである。

 その船を、ある者は、傘を開いた松ぼっくりのようだと言い、また、別の者は、ドラゴンフルーツに似ていると言う。実際、その姿から、この宇宙船はドラゴンフルーツ号と呼ばれ、正式な名称である辺境インパクト作業船I号を呼称する者は、木星系開発公社の役員ぐらいである。

 この樽のような円筒部は、ブリッジ、バイオ水槽、原子力電池とイオンロケットエンジンなどが配置された重要区画である。後方には巨大な凍結化学燃料と化学ロケットエンジンがあり、前方にはハブと居住モジュール、暴露荷台であるオープンプラットフォームがある。

 青年がいるのは円筒部の前面のハブにぶら下がっている居住モジュールである。一分間に三回転する事で、約○・五Gの重力を生み出している。その中に彼の船室がある。そう、回転しているのは景色の方ではなく、船室の方である。

 今は、化学エンジンも鳴りを潜め、無音が船を支配していた。嵐の前の静けさの中で、いつものように居住モジュールが回転している。


 全長二○○メートルのドラゴンフルーツ号は、四基の化学エンジンと二基のイオンエンジンを備えている。木星系の衛星軌道を行き交う宇宙船としては一般的な組み合わせである。短時間に莫大な燃料を消費し、大推力を生み出す化学エンジンは、二十世紀のUSAの乗り物に因んで『アメ車』と揶揄されるが、ここ木星系では、イオ工業プラントで有り余るほどの化学燃料が生産されるため、重宝されている。

 宇宙船に足りないのはエネルギーである。地熱発電の使えるイオを除けば、木星系はあまりにも寒い。太陽から五・二AUにある木星近傍での太陽光エネルギーは、地球での値の三十分の一ほどであり、エネルギー源としてはほとんど役に立たない。その結果、宇宙はひどく寒いのだが、その寒さゆえに化学燃料を凍結させることができ、燃料タンクが不要となった。それが、化学エンジンが普及している理由の一つである。

 化学エンジンの推力は巨大であるが、長期間の推力維持には向かない。そのために使われるのは、比推力の高いイオンエンジンとそれに必要な電力を供給する原子力電池である。原子力電池は核燃料の自然崩壊のエネルギーを用いる。最新のアルファ粒子捕集型は一キログラムのプルトニウム238(Pu238)で、○・五キロワットの電力を産み出せる。プルトニウム238以外の核燃料は使い勝手が悪く、電池としてはあまり用いられない。このプルトニウム238は核燃料中にわずかしか含まれていないが、木星系では、ある政治的な理由で核燃料が豊富であった。

 原子力電池の利点はメンテナンスフリーで電気を産み続けることであり、欠点は電気出力を止められないことである。そのため、余剰な電力は放熱パネルからの輻射で熱として捨てるしかない。もっとも、高密度格子ひずみ蓄電池が開発されてからは、数日分の容量の蓄電池を原子力電池と一緒に備えるのが一般的であり、原子力電池の欠点はかなり緩和されている。


「うーっ、やっぱ目が回る」

窓の外の自船の雄姿をしばらく眺めていた青年は目をつぶった。そして、ハンドサインでスクリーンのスイッチを入れた。窓が徐々に明るくなり、壁紙に変わっていく。明滅するカラフルな灯りの上空に巨大な木星が見える。

 スクリーンの壁紙立体動画は、旧イオ天文台の映像である。父親に連れられて旅行したイオの思い出の一枚である。

「やべっ、もうすぐ約束の時間だ」

 スクリーンの上部でアラームが点滅している。

「全面ミラー!」

スクリーンが一瞬で鏡に変わる。

 青年は鏡に向かって笑顔を作るが、逞しさは微塵もなく、可愛いと評したくなる顔である。

「やっぱり、コールドスリープ中はひげの伸び方が速い気がする」

青年は顎に手をやった。コールドスリープ中はすべての肉体的活動度が何分の一かになるのだが、ひげの伸び方だけは、それほど遅くなっていないと彼は考えていた。そして、ひげは男のシンボルだとも思っていた。

「まあ、こういうのも悪くないと思う」

手櫛で髪を整え、歯を磨く。そして、スクリーンのカウントがゼロになったのを確かめてから、青年はスクリーン中央の漆黒のウィンドウに向かって話し始めた。

「こんにちは、姫は元気? この間の拝水儀式はライブラリーで見たよ。丁度、サンドスラスターを回収していたから生放送は見られなかったんだ。サンドスラスターってのは、砂を吐く高出力粉体ポンプだ。電気出力は五メガワットで、毎秒一○○トンの砂を吐く。ちなみに、木星系での現役サンドスラスター操作士は俺一人で…… あっ、これは前にも喋ったかな。とにかく、これで衛星カルポを動かした」

そこまで喋って青年は待った。通信には往復で二分ほどの時間がかかるから、ある程度、喋ってから相手の返事を待つ必要がある。

 不意にスクリーン中央のウィンドウが明るくなり、モザイク状の画像が現れる。

「こんばんは、かしら? こちらはまだ、日食中で、ジュピターの影に居るわ。リュウイチは元気?」

しっとり落ち着いたアルトの声が聞こえ、徐々に低質立体画像が鮮明になっていく。その声にリュウイチはほっとする。公開されている儀式の放送には、一切音が入らないから、彼女の声を聞けるのはごく少数の者だけである。映像を見る者が何十億人もいることに比べれば、声を聞くことができる者は選ばれた者と言ってよかった。だから、リュウイチ・タニヤマは彼女の声が好きだった。その優しい声色が、居るはずのない母親を想像させる。

 ブロンドの下し髪、柔らかな曲線を描く顎、色づきのよい唇、透き通った青い瞳、それら全体が、神聖で儚い印象を与える。視点の自由度の少ない低質立体画像でも、彼女の美しさは疑いようがない。細胞年齢は二○代後半だと思われるが、リュウイチが木星系に来る前からエウロパの巫女を務めているから、経過年齢はもっと上のはずだ。名前はないが、リュウイチは姫と呼んでいる。


「ああ、俺は元気だよ。さっき、七○時間のコールドスリープから起きた所だ。二時間後に、インパクトがあるから、そろそろ準備しなくっちゃならないんだ……」

「そっちは、昼間なの? カルポとエウアンテの衝突はリュウイチの仕事なのよね。ほんとにリュウイチはすごいわ。教団本部からは、インパクトに合わせて儀式を行うように言われているの」

ウィンドウの中の尊敬の眼差しに、リュウイチはだらしなく頬を緩めた。

「姫の祈りに比べれば、俺の仕事なんて……… インパクトは、二時間後に、ジュピターの表側のトロヤ側で起きる。姫から見たら、ジュピターの東側三十度ぐらいの所で光るはずだよ。詳しい方向はこの間送ったメールに書いてある」

 往復で二分のタイムラグがある中での会話は、微妙に行きつ戻りつ、冗長になる。そのまだるっこさ自体、リュウイチには楽しいものだった。実際、巫女とのプライベートな会話は、彼の数少ない楽しみの一つだったし、割り当てられた個人通信量は、ほとんどが彼女との会話で消費されていた。

「あら、起きたばっかり? 道理でおひげが生えているのね。私の方は日食前から起きているわ…… 教団本部からいつもの日の出と方向が違うから気をつけろって言われているの。でも透明ドームにこっそりマーキングしてあるから、生放送で恥をかくことはないはずよ」

「見苦しい無精ひげを見せて申し訳ない。マーキングはいいアイディアだと思う。巫女の儀式はあとでしっかり見させてもらうよ」

「もらったメールの予想光度も考慮して、ドーム内の照明に反映させるから、きっと、綺麗な映像が見せられると思う」

画面の中の巫女は、信者間で女神の微笑と言われる表情を見せた。その微笑は間違いなく彼に向けられたものだと思うと、リュウイチは舞い上がりそうになる。

「ひ、姫の放送はいつだって完璧だ。インパクトの瞬間は、地球よりも三等級ほど明るいはずだから丁度いいかもしれない」

「それは、そうとリュウイチの乗っているドラゴンフルーツからの生中継はないの? 一番、インパクトに近いし、データ収集用のカメラも配置しているのでしょう。きっと、太陽系中の人が注目しているのじゃないかしら」

小首を傾げる巫女は、少女のようにも見える。

「生中継はないと思う。上の方がピリピリしているからね……」

「地球よりも明るいなんて、そうそうないから楽しみだわ」

ほんの少し、巫女は視線をさまよわせた。

「そろそろ、行かないといけない。船長は時間にうるさいから。それじゃ、また……」

リュウイチは、スクリーン上部の時計を見ながら、名残惜しそうに言った。

「そろそろ儀式の準備をするから切るわよ。次のリアルタイム通信の予定はメールで知らせて頂戴ね。それじゃ、さよなら」

 プツリと映像が途切れて黒いウィンドウに戻った。まるで漆黒の宇宙を映しているかのようなウィンドウに、リュウイチはため息を吐きつつも、顔はにやけていた。

 往復で二分遅れのリアルタイム通信は、終わるタイミングが難しい。大抵は、どちらかが一方的に通信を遮断することになるのだが、この所、リュウイチとエウロパの巫女の通信は、示し合せたようにきれいに終わる。

 リュウイチは、大きく伸びをした。

「よし、今日も一日、頑張って働きますか!」

そう言って、赤いロゴマークの入った白い作業着を取った。


 リュウイチは、彼女と個人的に通話する仲になったことが信じられなかった。彼女はエウロパの巫女であり、その儀式の無声放送を視ている拝律教の信者はこの太陽系に何十億人といるはずである。それに比べて、彼は、平凡で地味な男である。木星系で働く一介のスペースエンジニアであり、信者でもないし、有名人でもないし、ましてや、彼女と対面したこともない。もっとも、ここ数十年の間、彼女はエウロパの拝水神殿にこもっているから、彼女に直接会ったことのある人間はほとんどいないはずだ。

 神聖にして、謎めいたエウロパの巫女。会話から感じられる知性と幼さとまっさらな記憶。育った星も覚えていないと言う。祈るためだけの存在という信者のイメージはかなり当たっている。

 そんな殿上人にアプローチしたのは、リュウイチではない。彼女の方からアプローチしてきたのだ。発端は、サンドスラスターとリュウイチたちの仕事を紹介した番組である。

 サンドスラスターは、直径十メートルほどの黒い円筒形で、その上面には大口が開いていて、大きな釜のように見える。その口から毎秒一○○トンの砂を秒速十メートルで上空に噴射する事ができる。通常の化学エンジンが高温燃焼ガスを噴射するのに対して、サンドスラスターは、砂を噴射して推力を生み出す。

 砂は設置した衛星から調達する。大釜から八方にミミズのような採掘ロボットが延び、鋭いカッターで衛星の地面に歯を立てて、岩や土を削り取る。そして、それらは粉砕され、最終的には粒径○・一ミリ弱の砂となり、巨大扇風機で上空へ吐き出される。この推力で衛星を動かす。

 この大釜、サンドスラスター50は、木星系には、ドラゴンフルーツ号に積んだ四基とイオの整備工場にある一基しか存在しない。そんな珍しいサンドスラ―スターを衛星カルポで操作するリュウイチに、公社お抱えのフロンティアニュース社から取材があったのだ。もちろん、記者がカルポと並走する船に来たわけではない。そんなことができるほど、フロンティアニュース社に余裕はない。記者はイオ工業都市の事務所から、立体映像通信でドラゴンフルーツ号のリュウイチを取材したのだ。さらに、リュウイチや同僚が働いている映像が挿入されて、三○分ほどの番組に仕上げられた。

 リュウイチが後でその番組を見たが、映像の中の彼は地味であった。砂まみれになって大釜を持ち上げていた。無重力に近いので、それ自体はどこかの芸能番組と大差なかったし、説明する顔もしゃべり方も実に地味であった。番組冒頭の中性アナウンサーの華々しい紹介が、却って彼の地味さを際立てていたくらいである。そんな番組が配信され一年近く経った頃に、エウロパの巫女からリアルタイム通信で話がしたいとメールがあった。誰かの悪戯だろうとは思ったが、イオの投資話の勧誘も来ない外軌道宇宙船であったから、暇つぶしに話してみることにした。

 開口一番に巫女はこう言った。

「初めまして、エウロパで巫女をしている者です。どこかで会ったような気がするのだけれど、覚えはないでしょうか?」

もちろん、リュウイチには全く覚えはなかったが、心当たりがないわけではない。リュウイチの父、トラオである。正確には、リュウイチのクローン親である。トラオはイオ天文台長として有名であった。そのため、リュウイチはトラオに似ていると言われることがある。リュウイチは、またかと眉をひそめた。

「あら、瞳がヘーゼル。珍しいわね」

 ヘーゼルの瞳は自分の容姿の中で唯一自信のある特徴である。周りの照明によって、ライトブラウンに見えたり、ダークグリーンに見えたりする。クローン親と明確に異なる点でもある。クローンなのに瞳の色が異なることにリュウイチは落ち込んだこともあった。だが、遺伝子が同じでも発現の仕方が異なって、身体的特徴が異なるのはよくあることだと父親に言われて以来、リュウイチは瞳の色が気に入っていた。

「あ、ありがとう」

そういう父との違いに気が付いてもらえて、リュウイチは笑みを見せた。

 以来、なんとなく巫女との通信が続いている。続いている理由は不明であるが、強いて言えば、巫女とリュウイチは波長が合った。妙齢の男女のペアには、実に陳腐な言いわけである。

 リュウイチは、吹き寄せる風に舞う落ち葉のように、運命に翻弄されことになるのだが、その一因が巫女にあると判明するのはずいぶん後になってからである。


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