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午後6時20分。
最初にやってきたのは、恵美と忠志の二人だった。
二人ともラフな姿で、すぐ近くのスーパーで買ってきたと思われるメロンをお土産に持ってきた。
忠志とまともに顔を会わせるのは久しぶりだった。会社のなかでも出来る限り避け続けてきた。視線を合わせるのが妙に恥ずかしかった。
「恵美が時間前に来るなんて珍しいわね」
「私も進歩したでしょ」
涼子がからかうと恵美は笑って見せた。けれど、それが忠志の影響である事は涼子も知っている。昔から忠志は時間には厳しい人だった。
「食事会なんてすごい。藤井寺さん、料理の腕が上がったんだね」
忠志はそう言って笑った。
――涼子
昔はそう呼んでくれた。
『藤井寺さん』。別れてすぐ忠志は涼子をそう呼ぶようになった。それはごく当然のことなのかもしれない。だが、それが妙に遠く、そして悲しく感じられた。
それでも涼子は笑顔を作った。
「料理を作ったのは私じゃなくて奈津子さんよ。奈津子さんがいなかったら、みんなを招待したりしないわよ」
「奈津子さんは料理得意なのね? 今度、教えてもらおうかな」
恵美はそう言ってキッチンで働く奈津子の後ろ姿を眺めた。
「言ってくれればいつでも教えにいきますよ」
奈津子は振り返って答えた。その顔が嬉しそうに輝いている。
「本当ですか?」
むしろ忠志が嬉しそうな声を出した。
「なんであなたがそんな喜ぶのよ」
「俺だってたまにはインスタントじゃないものを食べたいこともあるってことだよ」
「いじわるね」
口を尖らせて、恵美はぱちんと忠志の肩を叩いた。
目を背けちゃいけないと思いながらも、涼子は思わず視線をそらした。忠志と恵美が仲良くしている姿を見るのは、涼子にはやはり辛いものだった。
全員が揃ったのは7時を少し過ぎた頃だった。
「遅れてすいません」
と、浦沢加奈子と安村剛史が二人で飛び込んできた。
加奈子は半年ほど前にも一度遊びに来た事はあったが、安村がここに来るのは初めてのことだ。
土曜で会社は休みだというのに、安村は律義に黒のダブルのスーツを着込んでいる。
安村は24歳で、入社してから2年が過ぎる。普通、2年もいれば打ち解けて話すようになるものだが、安村だけは大学でラグビー部に所属していただけのことはあって、上下関係にとても気をつかう喋りかたをした。忠志も背が高いほうだったが、190センチの安村は群を抜いている。小柄な涼子は安村の前に立つと見上げるような形になった。
「すごいでしょ。こんな時にまでスーツなんだから」
と加奈子も笑った。
安村を誘いたいと言ったのも加奈子だったし、一緒に現れたところを見ると二人は付き合っているのかもしれない。付き合っていないとしても、少なくともお互い好意を持っていることに間違いないだろう。
「これ、どうぞ」
安村は涼子にワインを土産に差し出した。「えっと、クロ……ド……」
「クロ・ド・ラ・ロシュ ドメーヌ・アルマン・ルソーです」
たどたどしい安村に代わって加奈子が横から口を出した。
「二人で買ってきたの?」
「そうですよ」
ツンと澄ましたように加奈子は言った。
「加奈子ちゃんは選んだだけだろ。お金出したのは僕ですよ」と安村。
「いいじゃないの、そんなこと言わなくても」
と加奈子はふくれてみせた。
「それって高いんじゃないの?」
驚いたように恵美が覗き込んだ。恵美は涼子と違ってワインには目がなかった。
「そんな気遣わなくていいのに」
「いえ、せっかく呼んでいただいたんですから」
安村はピンと背筋を伸ばして言った。
「それじゃさっそくいただきましょうよ」
誰よりも恵美が嬉しそうな顔をしている。
「皆さん、同じ会社なんですよね」
奈津子は皆の顔を見比べるようにして言った。
「でも私はもう引退したから」
ちょんと右手を軽くあげて、恵美が答える。
「結婚退社ですもん。いいですよね。川渕さんのことは女子社員みんな狙ってたんですよ」
まるでからかうように加奈子は言った。
「へぇ、俺もまんざらじゃないなぁ」
忠志が手を顎に当てておどけてみせると皆声をあげて笑った。
「川渕さん、今の仕事どうなんですか? 急にシステムに異動なんてみんなビックリしたんですから」
「そうか? でも、学生の頃は授業でプログラム組んだりしてたんだよ」
「そおなんですか?」
「成績だってそう悪くなかったんだ」
「何年前の話?」
恵美が横で笑う。
「でも、どうして今頃になってシステム管理なんですか?」
加奈子がさらに訊いた。
「ま、いろいろやらなきゃいけないこともあってね。初心に戻ってなかなか楽しいもんだよ。ただ、今の俺の技術じゃわからないことだらけで困ってるんだけどね」
明るく忠志が笑う。
そんななか、奈津子が声を発した。
「そのお話、ちょっと後にしてもらっていいですか? お料理できましたので。それじゃ運びますので、涼子さん手伝ってもらえますか?」
奈津子と涼子は皆がキッチンのテーブルにつくと料理をテーブルに運びはじめた。
鴨胸肉のロースト、白葱のポタージュスープ、カリフラワーのサラダ添え、牛テールを赤ワインで煮たものなどがテーブルに並べられる。
それは一見、本格的なイタリアンレストランにでも入ったかと思うほどの出来栄えだった。
「すごい!」
皆、感歎の声をあげた。
「どうぞ食べてくださいね。デザートも用意してありますから」
奈津子はその皆の表情を満足そうに見回した。
忠志の笑顔を眺めながら、涼子は食事会を開いて本当に良かったと心から思っていた。奈津子が何を考えているかなど、涼子には知る由もなかった。