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ルームメイト  作者: けせらせら
31/44

5-3

 焼香を済ますと、涼子は一人早めに葬儀場を後にした。

 昨夜降った雨のせいか、空気がやたら湿っぽく蒸し暑く感じられた。ほんの少し歩いただけでじっとりと汗がにじんでくる。

 運命の歯車はいったいどこで食い違ってしまったのだろう。

 一年前、忠志と別れた時、こんな日がくることなど二人とも決して想像していいなかった。

(あの人が死んだ)

 先日、遺体を見たときよりも、今日、遺影の写真を前にすることで、忠志の死を強く実感させられることになった。

 頭の芯を誰かに思いっきり殴られたような気分だった。

 足に力が入らなかった。

「藤井寺さん!」

 自分を呼ぶ声に気がついて涼子は振り返った。背後から、黒いスーツを着た男性が駆け寄ってくるのが見えた。それが同じ葬儀に出ていた参列者の一人の川村だということはすぐにわかった。

 川村敬吾は忠志の大学時代の友人で、やはり設計者として今は電気メーカーで働いている。忠志と交際している時には、川村の恋人も一緒に何度か遊びに行ったこともあった。二人とも同じような仕事をしているせいか、時には技術論を熱く交わすことがあり、そういう話題になると涼子は黙って二人を眺めることしか出来なかった。それでも自らの情熱を持って語り合う二人を見ていることは、涼子にとっては楽しい時間だった。

 川村とは、先日の結婚式で顔を合わせはしたが、そう多く話すことはなかった。

 涼子に追いついた川村は息を切らせていた。その額もにじみ出た汗で濡れている。

 川村は息を整えるよう、大きく深呼吸してから――

「藤井寺さんの姿が見えたから後で話そうと思っていたら、いつの間にか帰っちゃってるから焦ったよ」

「すいません」

「ちょっと時間、あるかな?」

 そう言って川村はすぐ目の前の喫茶店を指差した。

 涼子にとっても、川村と話したいという思いは強かった。川村とならば、素直に忠志のことを話せる気がした。

 二人は少し古びた喫茶店に入った。店内はエアコンが効いていて、心地良い乾いた空気が肌の湿気を拭い去っていく。

 店内にはジャズの軽やかな音楽が流れている。

 二人の他に客の姿は見えなかった。

 川村はアイスコーヒーを、涼子はオレンジジュースを注文した。

「普段、ネクタイなんて滅多にしないから苦しいよ」

 そう言いながら、川村は黒いネクタイをはずした。

 川村はあえて話を急ごうとはせず、当たり障りのない話題を口にしているようだった。それが川村なりの優しさなのだということは、涼子にもよくわかっていた。

 やがて店員が飲み物を運んでくると――

「こんなことになるとは思わなかったよ」

 しみじみとした口調で川村は言った。

「ええ」

 と涼子も小さくそれに相槌をうった。

「そもそも君とあいつが別れるとも思っていなかったけどね」

 そう言うと、川村は乾いた喉を一気に潤そうというように、ストローをはずしてコップに口をつけるとゴクゴクとアイスコーヒーを飲んだ。口を離した時には、もうコップのなかにアイスコーヒーはほとんど残ってはいなかった。

「いろいろありましたから」

 そう言って涼子もオレンジジュースを一口飲んだ。

「藤井寺さんの家のことでしょ?」

「……ええ」

 忠志は川村には何でも話していたようだ。

「あいつもずっと気にしていたよ。藤井寺さんとは同じような立場だったしね」

「同じ立場って?」

 涼子には川村の言葉の意味がわからなかった。

「あいつもいずれは実家を継がなきゃいけない身だったんだよ」

「どういうことですか? だって彼、次男だったじゃないですか? お兄さんは?」

 涼子は川村の言葉に驚いて訊いた。

「それが2年前に交通事故起こしてね。打ち所が悪かったらしくて、今は寝たきりの状態なんだ。ほら、今日の葬儀にも来てなかったろ」

 知らなかった。確かに結婚式にも出席していないことを不思議に思っていたが、たまたま都合が合わないだけかと考えていた。

 川村はさらに続けた。

「それまでは君と一緒になって婿養子に入ることも考えていたみたいなんだけど、兄貴の事故のせいで実家の親から帰ってきてくれと頼み込まれていたらしいんだ」

 忠志の父は、気仙沼で小さな印刷会社を経営していた。

「知りませんでした。忠志さん……実家に戻るなんて一言も言ってなかったし。恵美は知ってたんでしょうか?」

「奥さん? ああ、奥さんには付き合いはじめる時、それを前提に付き合うことをオッケーしたって言ってたよ」

「前提?」

「前提というか条件みたいなものかな。そもそも奥さんのほうからあいつに交際を申し込んだんだし」

 川村はほとんど氷しか残っていないグラスを小さく振った。氷がカラカラとわずかに音を立てた。

「そうだったんですか……」

 そのことも初耳だった。忠志が恵美と付き合いはじめて以来、涼子はそのことについて決して二人から話しを聞こうとはしなかった。

「ただ、最近になって奥さんの気が変わってきたって話してたな」

「え?」

「兄貴の面倒を見る約束だったんだけど、急に実家に帰るのを嫌がりだしたって困ってたよ。妹さんもそれで奥さんのこと嫌ってるんだ」

「そう……」

「それでも今年の秋には会社を辞めて実家に戻るつもりでいたらしいけどね」

 忠志がそんなことで悩んでいようとは涼子には思いもよらなかった。

「なんで言ってくれなかったんでしょう」

「それを言われても藤井寺さんだって困るんじゃないの?」

「それは……そうだけど……」

「あいつは君を悩ませたくなかったんだと思うよ。別れたからといってもたぶん君のことをずっと好きだったんだと思うしね」

「そんな……」

 ならば恵美はどうなるのだろう。まるで実家に帰らなければいけないから、恵美と一緒になったと言っているように聞こえる。

「そういえば――」

 と川村はふと眉をひそめた。「あいつ、誰かから相談受けてたらしいんだけど、知らないかな?」

「相談?」

「この前、仕事終わってから一緒に呑んでた時、あいつの携帯に電話がかかってきたんだ。『誰なんだ』って聞いたら『ちょっと相談されてることがある』って言ってたんだ。相手の名前とかは言わなかったけど、女みたいだった」

「女の人?」

「誤解しないでくれよ。浮気とかそういうんじゃないんだ。あいつ、昔から困ってる人を見ると放っておけない質だから」

「わかってます」

 忠志が浮気などしない人だというのは自分が一番わかっているつもりだ。

「ただ、ちょっと変な電話だったんだ」

「変?」

「口調からみて知り合いだと思うんだけど、今時、公衆電話を使う人なんて珍しいなと思って」

「公衆電話からだったんですか?」

「うん、電話かかってきたとき、あいつも相手がわからなかったみたいだから」

「でも、どうしてそんな話――」

「実は、その電話のなかでその相手と会う約束をしていたみたいなんだけど、それが――」

「まさか……殺された日?」

「たぶんね。話してた日付が平日だったから、てっきり仕事が終わってからの話だと思ってたんだ。あいつの性格からみて、誰かに相談されるなんてことは日常茶飯事のことだから気にもしてなかったけど、事件の後、あの電話のことかもしれないと思ってね」

「その話、警察には――」

「もちろん伝えてあるよ。警察も携帯の履歴やアドレスを元に調べてるみたいだ。ただ、あいつの場合、交友関係が広すぎて警察も手を焼いてるみたいだった。それに公衆電話からってことになると、相手を特定することも出来ないだろうな」

「川村さん、最近も忠志さんに会ってたんですね」

「時々ね。あいつに会って愚痴を吐くのが俺にとって唯一のストレス発散だったんだ。あいつ、良い奴だからいつも俺の話を聞いてくれてたから。ただ、最近は俺よりもあいつのほうがストレスたまってたんじゃないかな。あいつも立場的に大変だったみたいだし」

「立場って?」

「あれ? 知らないの? 開発中の製品情報がライバル会社に漏れて新機能を出し抜かれたって話」

「ああ……それって本当だったんですか? ただの噂なのかと思ってました」

 その話なら聞いたことがあった。

 昨年の秋、ライバル社がある防犯機器を発売した。それはこれまでとは違った画期的な仕組みを持ったものだったが、実はそのまったく同じ機能を持った機器をフォーライフでも設計をしていたのだ。

 総務である涼子は詳しい事情までは知らないが、社内に設計情報を持ち出した人間がいるかもしれない、と経営会議で問題になったことがあるという噂を聞いたことがある。

「川渕は設計主任だったんだろ? 難しい立場だったんじゃないか?」

「忠志さんがそう話してたんですか?」

「いや、あいつはそんなこと言わないよ。ただ、設計者として意見を求められたことがあったんだ。新機能を出し抜かれたのが、ただの偶然か、それとも情報漏洩なのかをね。それに俺も噂でそういう話を聞いてたからね。あれはたぶん内部の人間が設計情報を持ち出したのに間違いないと思う」

「でも、本当にそんな話があったら、警察沙汰になるような話ですよね。会社ではそこまで大騒ぎになってませんよ」

「そういう話は会社としても表沙汰に出来ないものなんだよ。会社のセキュリティが甘いってことを世間に知らせることになるからね。だから、よほど被害がしっかりとわかっていない以外、多くの場合は警察に通報することなく社内で処理されるんだ」

「そういえば忠志さんがシステム管理部に異動になったのって……」

 その噂が流れた頃と時期が同じだった。

「責任を取らされたのかもしれないな」

 呟くように川村は言った。

 確かに当時、忠志が毎日のように残業していたことは知っていた。だが、涼子は既に忠志とは別れていたため、話を聞いてあげることは出来なかった。

(聞いてあげられなかった)

 忠志の悩みに気づいてあげられなかったことが心残りだった。

 一瞬、仙道の顔が思い出された。

 仙道が知りたかったのはこういうことなのだろうか。すると、仙道は情報漏洩の件が忠志の死につながっていると考えているのだろうか?


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