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ルームメイト  作者: けせらせら
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 朝日がカーテンの隙間を縫って、ベッドで眠る涼子の顔を照らす。

 その眩しさに涼子は顔をしかめ、目を開けた。

 もう11時を過ぎている。

「うぅ……ん」

 涼子はそのままの姿勢で両腕を頭上にあげ、身体を伸ばした。

 ずきりと頭が痛む。

 やはり昨夜、飲めない酒を無理矢理飲んだ結果が出たらしい。

 ベッドに横たわったまま、朝日を避けるように身体をずらした。

 ほんの少し開けられた窓から、春の暖かな風が吹きこんでくる。暖められたその空気が肌をさわりと撫でるように通り過ぎていく。その感じが心地よかった。いつもならこんな良い天気の時はおもてに出てぱっとした気分になりたいところだ。だが、今朝はとてもそんな気分にはなれない。アルコール漬けになった脳のせいでもあったが、それ以上に昨日の出来事が尾を引いている。

 涼子はベッド脇に置かれた小さなガラステーブルの上に置かれたスナップ写真に視線を向けると、上半身を起こして手を伸ばした。

 親友、高澤恵美のウエディングドレス姿と、その夫となる川渕忠志の姿の寄り添う姿が奇麗に写っている。

 涼子はベッドに寝そべったまま、その写真をやるせない思いで見つめた。

 恵美とは短大に入学した時に知り合った。二人は出会ってすぐに打ち解け、翌年にはこの2LDKのマンションに二人で暮らしはじめた。しっかりものの恵美は涼子にとって姉のような存在で、いつも頼りになる親友だった。

 それから7年。恵美とはずっと親友として付き合ってきた。

 短大を卒業した後も、職種は違っていたが偶然にも二人は同じ会社へ就職することが出来た。涼子は総務、恵美は品質保証部の庶務としての就職だった。

(幸せになって欲しい)

 ウエディングドレス姿の恵美に、心からそう思う。

 だが、それでいて心の片隅に、相反する気持ちがわずかながら存在することも事実だった。

 恵美の隣に立つ川淵忠志の姿を見つめる。

 4歳年上の川渕忠志は会社の先輩であって、涼子の人生のなかで最も愛した男性だった。就職してすぐに知り合い、そして、半年後に二人は付き合いはじめた。180センチと背の高い忠志と156センチの小柄な涼子。まるで凸凹の二人だったが、いつしか二人はお互いを誰よりも必要とする間柄になっていった。

(この人しかいない)

 忠志を知れば知るほどに、涼子はそう思うようになっていった。

 それでも忠志との結婚を夢見ることだけは出来なかった。

 涼子の実家が京都にある昔ながらの呉服問屋で、一人娘である涼子がその跡取りだというのがその理由だった。涼子が仙台の短大に通うと決めた時も、両親はそろって反対した。それでも涼子は決心を変えなかった。一度だけでも家を出たいという思いが涼子のなかにあったからだ。決意の固い涼子に、両親は短大進学を許すかわりに26歳になったら実家に戻って家業を継ぐことを約束するよう条件を出した。まだ高校生の涼子にとって26歳という年齢は遥か遠い未来のように思えていた。いつかきっと皆、約束など忘れてしまって自由になれる日がくる。そんな甘い考えも持っていた。だが、年々、それは現実のものとなって涼子の心に影を落としていった。実家に帰る度に、両親は涼子に念押しするかのようにその約束を口にした。

 そのことをすぐに忠志には伝えることが出来ず、涼子はずっと悩みつづけた。

 そして、24歳の誕生日。涼子は一大決心をして忠志に打ち明けた。

「忠志はマスオさんになれる?」

 震える声を押さえながら、少し冗談めかして涼子は訊いた。

 忠志には5歳年上の兄と大学に通う妹がいる。気仙沼の実家の印刷会社は兄が継いでいるという話は聞いていた。

 この4年間、ずっとお互いを支えあってきたのだ。

 もしかしたら――

 小さな願望だった。

 だが――

「俺は婿養子なんて無理だよ」

 忠志は一瞬、涼子の顔を見たあとで呟くように言った。

 涼子の願いはその一言で終わった。

 その言葉を聞いて、涼子は忠志と別れる決意をした。このまま交際を続けても、お互い傷つくだけだと思ったからだ。忠志のほうも、まるで初めからそうなることを予想していたのように、涼子を引きとめようとはしなかった。

 昨年の春、二人は交際に終止符を打った。

 自分で決めたことだった。それ以外に方法はないとわかっていた。それでも未練を引きずり続けた。

(なぜ?)

 この四年間はいったい何のために存在していたのだろう。

 その苦しみに毎日のように泣き暮らした。

 そして一ヶ月後、忠志はこともあろうに涼子のルームメイトである恵美と付き合いはじめたのだった。

 そのことが涼子をいっそう苦しめることになった。

 涼子と忠志が付き合っていたことは、恵美も当然知っていた。

――私、忠志さんと付き合うことになったの。

 恵美はそう涼子に打ち明けた。

『そんなのだめよ!』

 そう叫びたくなるのを涼子はぐっと堪えた。

 どうして二人が付き合うことになったのか、涼子はあえてそれを訊こうとは思わなかった。

 それを聞いたところで気持ちが晴れるはずはなかった。

 仕方ないこと。そう思って受け入れることしか出来なかった。どうせ別れた二人なのだ。決して結ばれることのない二人なのだ、と自分に言い聞かせた。

 そして、一年後、――先日の結婚式を迎えた。

 涼子は複雑な思いで二人の姿を見つめた。

 なぜ、私はこんなところで二人を眺めていなければいけないんだろう。披露宴のなか。新婦の友人席に座りながら、涼子は惨めな気持ちで二人の姿を見なければならなかった。

 今日、二人は新婚旅行に出発することになっている。

(あと一年か……)

 涼子はぼんやりと二つの部屋を仕切っている襖を見つめた。

 襖の向こう側は、つい先日まで一緒に住んでいた恵美の部屋だった。二週間前、恵美の荷物は全て新居に運びこまれ、今、部屋は何もない状態になっている。

 一人で住むにはこのマンションは広すぎるし、そして、家賃も高すぎる。ただ、一年後に実家に帰ることを考えると今から別のところに引っ越すことも難しかった。

(どうしよう)

 ゴロリと寝返りを打った。

(いっそのこともう帰っちゃおうかな……)

 もうこの生活を続ける意味もない。きっと実家に帰れば両親は喜んでくれるだろう。今ならば、親の勧める相手と見合いをし、結婚するのも素直に受け入れられる気がする。

 でも、それで本当に幸せになれるだろうか。

 涼子は大きくため息をついた。

 ため息を一つつくたびに幸せが逃げるという。だが、すでにその幸せには逃げられてしまっている。

 そんなことを考えながら、涼子は――

「あぁ、幸せになりたい」と大きく呟く。

 その時だった。

 玄関のチャイムが鳴って、その音に涼子は起き上がった。

「誰だろう……」

 ふと自分がまだパジャマ姿でいることに気づき、慌ててジーンズとセーターに着替えるとキッチンを通って玄関に向った。

「はい――」

 ドアを開けると一人の女性が顔を覗かせている。肩までの長い黒髪は上品に軽いウェーブがかかっている。

 女性の顔には見覚えがなかった。

「こんにちは」

 女性はにこやかに笑いかけた。

「あの……どちらさまでしょうか?」

 訪問販売か、新興宗教の勧誘だろうか、と疑いながら涼子は声をかけた。その涼子の言葉に女性は困ったような表情になった。

「山辺です……あ……忘れちゃいました? 山辺奈津子。昨夜、会いましたよね?」

「えっと……」

 そう言われて涼子は昨夜の記憶をたぐりよせた。

「昨夜、『ZERO』っていうお店に来てましたよね。あなたたち結婚式の三次会って言ってました」

 そう言われて、涼子はやっと思い出した。

 二次会でカラオケに行った後、会社の数人でレストランバーに入ったところまでは憶えている。そして、カウンターで誰かと話をしていたことも。

「あーーーーーー!」

 と涼子は思わず声をあげた。あれが山辺奈津子だったかもしれない。だが、それ以外のことはほとんど記憶していなかった。

「思い出してくれました?」

 奈津子はほっとしたような顔をした。

「ええ……でも、今日はどうして?」

「え? 一緒に住んでいた友達が結婚して部屋が空いちゃったから、良かったら一緒に住まないかって……私のこと誘ってくれましたよね?」

 その言葉に涼子は戸惑った。まったく記憶していなかったのだ。だが、奈津子の真剣な表情から見て、それは間違いないのだろう。

「私、そんなこと話したんですか? ごめんなさい……憶えてないです」

 涼子がそう言うと、たちまち奈津子の顔は曇った。

「そうですか」

「それでわざわざ来きくれたんですか?」

「ええ……まさか冗談なんて思わなかったものだから」

 奈津子は再び困ったような顔になった。

「ごめんなさい……冗談っていうより、まるで記憶してないんです。何か困ったことでも?」

「実は……私、あなたと昨夜話をして、すごくその気になっちゃって……それで、今朝、大家さんにアパートを出ること話しちゃったんです」

「え?」

「急ぎすぎちゃいましたね。もともと引っ越すことが考えていたものだから、あなたの話を聞いて、良い機会だと思ったんです」

「とりあえず上がってもらえますか?」

 涼子は奈津子を部屋にあげることにした。

 言われてみればそんな話をしたような気がする。奈津子の行動もずいぶん軽率な気もするが、それでも酔った自分の発言が原因ならば奈津子を責めることは出来ない。

(どうしよう)

 やはり慣れないことはするもんじゃない、と昨夜のことを後悔した。もともと酒に強いほうではなかった。幸せな恵美たちを前に、なんとか明るく時間を過ごすために無理に飲みすぎてしまった。

「ここって良い場所ですね」と奈津子は言った。

 北仙台駅から歩いて10分。

 まわりには団地が広がり、すぐ近所にはスーパーやコンビニがある。環境的には申し分がない。部屋も、リビングやキッチンはわりと広めに作られ、それぞれの部屋も8畳もあって涼子にとって快適なところだった。

 これまでは恵美と二人で住んでいたために何かと便利だったと感じることも多く、誰かと一緒に暮らすというのは涼子自身望む事でもある。ただ、奈津子とはつい昨日あったばかりで、どんな人なのかもまったくわからない。

 涼子はリビングに奈津子を通すと、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出して奈津子の前に置いた。

「奇麗にしてますね」

 奈津子は部屋を見回して言った。

「まだ築8年くらいですから」

 そのうちの7年は涼子と恵美が暮らしていた。二人ともタバコを吸うこともないし、特に部屋を汚すタイプではなかったので部屋まだ新しく見える。

 涼子は改めて目の前のソファに座った奈津子のことを観察した。

 グレーのロングスカート。白いシャツの上に黒いカーディガンを重ねている。身なりは派手ではなく、落ち着いて身奇麗な印象を受けた。

 自分よりも年上だろうか。

 肩まである髪はうっすら栗色に染められ、顔もまだまだ若々しいが、どこか目元が疲れているように見えた。

「涼子さんは25歳でしたよね」

 涼子の視線に気づいたのか、奈津子は自分から歳のことを口にだした。

「ええ……」

「もっと若く見えますね」

 涼子は頭をかいた。

 そう言われることにはもう慣れている。初めて会った人と歳の話になると、その涼子の見た目の幼さにいつも驚かれる。おそらく小柄で丸顔というところがそう見せるのだろう。中にはあからさまに『学生かと思った』と言ってくる男性もいた。

 それは涼子にとってあまり嬉しいことではないのだが、男性は褒め言葉と思っているようだ。

「奈津子さんは?」

 昨夜も聞いているかもしれない、と思いつつも涼子は訊いいてみた。

 案の定――

「昨夜も話したんだけど忘れちゃったんですね」

 と言われてしまった。「27歳なんです」

「ごめんなさい……私、あんまりお酒強くないんです。それなのに昨夜はちょっと飲んでしまって……ちょっと憶えてなくて……」

 涼子は恥ずかしくなった。

 記憶を無くすまで飲んだのは初めてのことだ。もちろんバーを出たあとにタクシーを止め、一人で帰ってきた事はかろうじて憶えているが、誰と何を話したかまではまったく憶えていなかった。

「いえ、気にしないでください」

「あの……それで申し訳ないんですが……私、昨夜何を喋りました?」

 それを聞くのは怖かったが、このままにしておくのはもっと嫌だった。恵美や忠志に対する思いを口にしたかもしれない。

「えっと、友達の……恵美さんって方が結婚するってことと、部屋が空いてしまうからどうしようって……その程度ですよ」

「本当ですか? もっと他のこと喋りませんでした?」

「ええ……他には別に……」

「そうですか」

 涼子はホッと胸を撫で下ろして、麦茶をごくりと飲んだ。冷たい麦茶がすぅっと身体に染み込んでいく。

「あのぉ――」

 言いにくそうに奈津子は口を開いた。「やはり昨夜の話は……」

 そう言われて涼子は改めて、奈津子との約束をどうするか考えなければいけないことを思い出した。

「今、どちらに住んでるんですか?」

「苦竹のアパートに」

「どうして今のところ引っ越すことにしたんですか? さっき、もともと引っ越すつもりだったって言ってましたよね?」

「ええ。実は今のところを引っ越すことはだいぶ前に決めていて、新しい部屋をずっと捜してたんです。どこかいいところがないかって――」

「でも、取り消すことは出来ないんですか? 引っ越すこと」

「ええ。でも、大家さんも今のアパートは取り壊して新たにマンションを建てる計画があるらしくて、前から引っ越してくれないかって話もされてたんです。だから、今更、取り消すことは出来ないので、とりあえずどこか引っ越さないといけないかなって」

「……そうですか」

 ますます涼子は責任を感じた。

「実は、私も冬まで一緒に住んでた人がいたんですけど、いまは一人になっちゃって……」

 一瞬、奈津子の顔が悲しみに曇った。

(聞いちゃいけないことだったかな……)

 ただ、その言葉に涼子は自分と奈津子の間に一つの共通点を見つけ出していた。

 大切な人を失ったということ。

 ルームメイトとしての恵美の存在。

 誰よりも愛した忠志の存在。

 大切な人を失うのは辛い。

(この人となら――)

 支えあって暮らしていけるかもしれない、と目の前にいる奈津子を見ながら涼子は思った。自分にとってルームメイトが必要なことも事実だ。

「あの……」

 うつむく奈津子に涼子は声をかけた。「私、あと一年したら実家に帰らなきゃいけないことになってるんです」

「ええ、それも昨夜、話してましたね」

「一年だけ……という約束でもいいんでしょうか?」

「もちろんです」

 奈津子はぱっと顔を輝かせた。「いいんですか?」

「でも、その後のことは――」

「大丈夫。私もいずれ実家に戻るつもりですから。ただ、その前にやらなきゃいけないことが残っているので、その間だけでいいんです。ありがとうございます」

 奈津子はそう言って笑顔を見せた。


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