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人間、やはり向き不向きというのはあるのかもしれない。
奈津子が恵美に料理を教えるようになって3週間が過ぎようとしていた。
週に一日から二日のペースで奈津子は恵美のもとに通っている。そのつど新しい料理を教えているが、残念ながらあまり恵美の腕前は上達してるとは言い難い。それでも、恵美のその不器用さが、奈津子には逆に可愛らしかった。
奈津子はそんな恵美に、自分の学生時代の姿を照らし合わせていた。奈津子が料理を本格的に覚えはじめたのは康平と出会った頃だ。いつも康平に食べてもらうことをイメージしながら、料理をしていたあの頃が懐かしかった。
今日は恵美のリクエストでシフォンケーキを作ることになっていた。
「ケーキ作りなんて高校の時以来よ」
そう言いながら恵美は薄力粉をベーキングパウダーとあわせながらふるった。
奈津子はエッグセパレーターを使って卵を卵白と黄身に奇麗にわけた。エッグセパレーターは恵美が先週の日曜にスーパーで買ってきたものだ。奈津子にはそんな道具は必要なかったが、不器用な恵美なりに少しでも上手に料理を作れるよう工夫しているのだろう。
「恵美さん、本当に料理が苦手なんですね」
奈津子は笑った。
「今まではね。だって、私が作るよりもお店のを買ってくるほうがよほど美味しいんですもの。今まではずっと、どうして皆わざわざ時間かけてお菓子作りなんてするんだろうって思ってたの」
「手料理には手料理の美味しさがありますよ」
「そうね。でも、手料理は涼子がたまに作ってくれたから。でも、結婚したらそういうわけにいかなくて困ってたんです。奈津子さんが教えてくれるようになって、やっと私も料理って楽しいって感じるようになったんですよ」
「それは大好きな人に食べてもらえるからですよ。川渕さん、甘いものはお好きなんですか?」
「彼、けっこうスイーツとかも好きなんですよ。よくデパ地下でケーキとか買ってきてくれるの」
恵美は本当に忠志のことが好きらしく、いつも忠志のことを話すときは嬉しそうな笑顔を見せる。
「幸せなんですね」
奈津子は、卵黄をかき混ぜる恵美の姿を横目で眺めながら言った。
心の底から恵美のことを羨ましいと思った。だが、その奈津子の言葉に意外にも恵美の表情が曇った。
「……幸せなのかな」
「どうかしたんですか?」
「うん……ちょっとね……」
恵美の手がぴたりと止まった。「時々ね……どうしてあの人は私と結婚したんだろうって思う事があるの」
「なぜ?」
「あの人、他に好きな人がいたんですよ」
「え?」
誰? と、訊きたくなるのをグッと押えた。
「でも、その人とは一緒になれなくて、それで私と結婚したんです」
「恵美さんはそれで良いの?」
「だって、その人と別れたことを知って、強引に交際を申し込んだのは私のほうなの。だから、あの人は別に私の事を心から好きなわけじゃないんです」
「そんなことないんじゃありませんか。ご主人見てると、恵美さんのことを好きなんだなって感じますよ」
慰めるように奈津子は言った。その心のなかでは恵美の次の言葉を待っている。
「ううん、そんなことはないわ。でもね、私はそれでもいいの。何年かかるかはわからないけど、一緒にいることさえ出来れば、いつか必ず私のことを見てくれるって思ってるから」
「相手の人のこと……恵美さんは知ってるの?」
自分の言葉が不自然にならないよう、気を付けながら奈津子は訊いた。
恵美は一瞬、ふっと遠い目をして手元をじっと見つめ、それから気持ちを切り替えるように顔をあげた。
「ごめん……もういいの。私、早く忘れないと」
「そう……」
恵美はその相手のことを知っている。それは直感的にわかった。だが、その切ない思いを吹っ切ろうとする恵美の言葉を聞いて、奈津子はそれ以上訊けなくなった。
「さあ、次は何をすればいいの?」
卵黄と砂糖が溶け合ったボールの中身を奈津子に見せ、恵美は笑顔を作ってみせた。