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ルームメイト  作者: けせらせら
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プロローグ

   ルームメイト


   プロローグ


 雪が噴煙のように舞っている。

 ほんの十メートル先が見通すことが出来ない。

 ニュースではこの冬一番の寒波の到来を告げていた。

 長野県茅野中央病院では、今日が大晦日ということを忘れさせるほどに救急車のサイレンが響き渡り、玄関口は大勢の怪我人で溢れかえっていた。

 皆、上信越自動車道、横川SA付近で起きた地吹雪による玉突き事故の被害者だった。

 きっかけは一台の車が突然の突風に視界を奪われたことに驚いて急ブレーキをかけたことだった。急ブレーキによって、車はアイスバーン状態となっていた路面にタイヤを取られて体勢が崩れ、中央分離帯にぶつかりそうになった。

 それを見て、たちまち後続の車もブレーキを踏む。

 高速道路で急ブレーキが踏まれることなどまるで想定していなかった後続車たちは、一台のトラブルを起点に次々と面白いようにクラッシュを繰り返していった。

 大型観光バス2台、大型貨物トラック1台などを含む53台が関係する玉突き事故となった。二人が死亡したほか、重傷一人、軽傷は七十数名となった。それは記録的な数字だった。

 正面玄関の自動ドアが開閉するたびに、冷たい風が吹きこんでくる。

 救急隊員たちが慌ただしく動き回っている。

 待合室に置かれたテレビでは昼のニュースが放送されている。その放送のなかでも当然、事故の話題は取り上げられていた。

 そんななかで、一人の女性が待合室から離れた薄暗い通路の長椅子で顔を俯かせて座っていた。

(なぜ……?)

 包帯を巻かれた手が……いや、全身が小刻みに震えている。

 女性も事故の被害者の一人だった。割れたガラスで手と頬を切ってはいたが、ほんの軽症で身体に別段異常はない。

(なぜ?)

 山辺奈津子はその叫びたい気持ちをぐっと心のなかで押えながら自分の手を見つめた。この手のなかで最愛の子供が死んでいったのはほんの二時間前のことだ。

 夫の康平の実家に帰省する途中だった。

 いつもはもう少し早目に帰省するのだが、今年は康平の仕事が年末までずれ込んだため、大晦日の今日になって帰ることになったのだ。

 それが運命をわけることになった。

 事故が起きたとき、助手席に座っていた奈津子の手の中には、一歳になったばかりの息子の晋平が抱かれていた。もちろんチャイルドシートは後部座席に備え付けられていた。事故が起こる20分前までは晋平はチャイルドシートのなかですやすや眠っていた。

 だが、長い時間のドライブのなか晋平は目を覚まし、奈津子は仕方なくほんの一瞬のつもりで晋平をその手の中に抱いていたところだった。晋平を左手に抱きかかえながら、哺乳瓶にいれたミルクを飲ませていた。

 地吹雪が視界を遮るのを怖がりながらも康平は実家への道を急いでいた。

「あ!」

 その康平の声にハッとして前を向いた瞬間――

 衝突音、振動――

 強い衝撃が全身を覆った。

 気づいた時、その手の中から晋平の姿は見えなくなっていた。顔をあげた奈津子の目に飛び込んできたのは、運転席で上半身を鉄材に押しつぶされ、血で真っ赤に塗れている康平の姿だった。

 前を走っていたのが大型トラックだったことが明暗を分けた。トラックが運んでいた鉄材はもろにフロントガラスを突き破り、康平の顔面へと突き刺さっていた。

 悲鳴が遠くで聞こえた。

 それが自分の悲鳴だということに奈津子は気づかなかった。

 救急隊員によって車のなかから助け出され、初めて晋平がどうなったのかを知ることになった。

 奈津子に抱かれていた晋平は、大型トラックへの衝突の瞬間、フロントガラスを突き破って道路へ投げ出され、そして、次の瞬間、並列して走っていた車に轢き殺されていた。その姿は見るも無残な姿だった。そこについ先日一歳を迎えたばかりの愛らしい笑顔はなかった。

 奈津子が軽傷で済んだのは奇跡だったのかもしれない。スリップした車の角度がもう少し浅かったら、きっと奈津子も康平と同じ結末になったことだろう。

 だが、そのなかで生き残った奈津子にとっては、それもまた一つの地獄であることに違いなかった。

(なぜ私だけが生き残ったの?)

 青ざめた顔で震える手をじっと見つめた。

 この手の中に晋平の命があった。それが……今は消えてしまった。

 涙など出なかった。

 悲しみは涙を生むかもしれない。けれど絶望は涙さえも失わせてしまっていた。今、ここにあるのは空っぽになった抜け殻でしかない。

 いっそ自分も一緒に死んでいれば、こんな辛い思いをしなくて済んだだろう。

 たった二人の死亡事故。

 だが、それは奈津子にとっては最愛の二人の死だった。

(どうして私たちだけが……?)

 そんな奈津子の前を若者二人が通りすぎていく。その二人の足元が奈津子のうつむいた視線に飛び込んできた。

「予定潰れちゃったなぁ……もうスキーは無理だな」

 奈津子はうなだれたまま、その声を聞いていた。事故にあったとはいうものの、その若者たちの声は明るいものだった。彼らにとっては、スキーに行く途中での些細な事故でしかないのだろう。彼らの明るさを責めることは出来ない。

 だが、聞こえてきた言葉の一つが、奈津子をハッとさせた。

「二人死んでるみたいだよ」

「マジ? 二人? まあ、スキーに来て巻き込まれた俺も運悪いけど、そいつもよほど運悪いな」

「運の問題じゃないでしょ。ウチら巻き込まれたんだよ。ムカつかない?」

 若い男を諭すように女が言った。

「だよな。高速で急ブレーキ踏むかっつうの」

 かすかに聞こえた若い男の声。

「酷いよねぇ。後ろの車が自分のせいでガンガン事故ってんのに、自分だけ慌てて逃げたって話らしいよ」

 女の声が後に続く。

 思わず顔をあげた。

 スキーウェアを着た若者二人の背中が見えた。二人はそのまま大勢の怪我人がいる待合室のなかに消えていった。

 今の言葉を頭のなかで思い出してみる。

――自分だけ逃げたんでしょ?

 しだいに心のなかに言い知れぬ感情がこみあげてくる。

 奈津子はふらりと立ち上がると、ふらつく足取りでざわめく待合室のなかに足をすすめた。

(誰なの?……教えて)

 今の声が誰なのかを見つけようとキョロキョロと周りを見た。

 スキーに行く途中だった若者や、帰省途中の人々が待合室には溢れている。その人の多さに、さっきの声が誰なのかは奈津子にはわからなかった。

 また、フラフラと元いた場所に戻っていく。

(なぜ……)

 なぜ、こんなことになってしまったのだろう。

 一歩歩く毎に、さっきの若者の言葉が胸のなかに暗い影を落としていく。

 自分がやらなければいけないことが生まれたような気がした。


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