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異世界トリップで損したこと

作者: 黒川恵



 ──あの日、あの時、私は異世界トリップをした。



 その時の私の格好は、タンガリーシャツの上にライトグレーのトレーナーを着て、黒色のスキニージーンズに黒のスリッポンを履いていた。また、防寒用にミルクティー色したざっくり編みのスヌードと揃いの手袋に、黒色のキルティングのナイロンのパーカージャケットも身に纏っていた。

 所持品といえば、二つ折りの財布にスマホ。

 休日のお出かけに、私は鞄など持たない。ハンカチすら持たない。辛うじてアイメイクはしていた。だが、ベースであるファンデーションは塗っていない。だってマスクしていたから。……ああそうさ、手抜きメイクだよ。マスクしてるんだから、出てる目と眉さえ整えばいいんだよ。悪い? ……ん? つけまなんて仕事でもしないね。アイライン引いてマスカラは塗るけど、休日メイクはアイシャドウだけで十分。それだけでも耐えられる素地があるからいいの。もう何も言うな。



 それよりも、大事な事がある。



 女が三十路を越えたら、誰しも独りきりの寂しさと過ぎる時間を埋める為に、何かしらの趣味を持っているものだ──。



(そう、私には趣味があった)



 やなぎ佐和子さわこ32歳、デパート販売員。勿論、独身。性別女。



 ──趣味はパチンコ屋通い。



 財布にはパチンコ屋の会員カードが三枚。つまり行き着けの店が三軒あるということ。また、それぞれのカードにはいつでも換金ができる(但し、パチンコ屋の営業時間内)約10万程のパチンコ玉を貯め込んでもいるということ。

 ちなみに、私が異世界トリップする直前、新台入れ替えの初日の開店前に、常連のおっちゃんとおばちゃん、にいちゃんたちに混じって並んでいた。

 そう、エ◯ァの新台で9作目となる大人気シリーズを打つ為に並んでいたのだ。


 ……もう一度言おう。

 正真正銘、私の性別は女である。


 かつて若かりし頃、父親のパチンコ通いには否定的だった私が、今や大のパチンコ好き。

 酒やタバコはしないが、お一人様でパチンコ屋に朝から並ぶことはする。今年もあと半月というこの寒空の下、ホットの缶コーヒー(無糖)片手に常連のおっちゃんたち(お互いに名前は知らない)とパチンコ談義するくらいの可愛らしい趣味である。


 何度でも言おう。

 私の性別は、正真正銘、女である。


 そしてここは中世ヨーロッパ風の、剣や魔法ありきのファンタジーチックなこの世界。

 ……まあ、この地のトイレ様式にカルチャーショックを受けなかったのは、浄化槽を埋めて水洗トイレを備えてはいても、まだボットントイレを壊さずに使っていた我が家を思えば、屁でもなくて。

 洗濯機、冷蔵庫、エアコンといった用途の魔道具なる超高級家具が揃ったお貴族様のお屋敷に居候している身としては、十分快適に過ごさせてもらっているのである。



 では、何が言いたいのか。

 それは、とにもかくにも娯楽が少ないと言うことだ。

 ほんっ、とぉ、に、少ない。……少な過ぎるのである。



(トリップ特典か何だか知らないけれど、言葉はわかるんだよね。でも、文字が読めない。勉強するにしたって、ローマ字すら読むのをめんどくさがる私に、こちらの世界の文字を覚えられるもんか!)



 これでも数々のライトノベルやお堅い文芸誌、または無料ネット小説(ここで異世界トリップなるジャンルを知った)を嗜んでいた身の上である。

 未知の世界の書物たちには、我然かぜん、興味があった。けれど、アラビア文字にハングル文字を組み合わせたような難解な文字の前に、あっけなく撃沈してしまったのだ。

 結果、こちらの世界で読書を趣味にすることができない。ましてや、スポーツなんて乗馬というお貴族スポーツしかない。いわゆる狐狩りとかポロのようなものだが、運動全般壊滅的な私ができるわけがない。したくもない。てゆうか、もう二度とするか! 尻の皮がめくれるかと思ったぞ!



 趣味にスポーツを選ぶのは論外にして、読書が無理ともなれば、残る選択肢はパチンコしかない。

 しかし、ここにはパチンコがない。MAXやミドル、遊パチといった、分かる人なら分かる機種が揃ったパチンコ屋がないのだ。

 更に、アメリカとかのカジノにあるシンプルなスロットマシーン(日本のスロットは凄いよね! 私はパチンコ専門だけど)すらない。

 とは言え、こちらの世界にも賭事なる娯楽はある。チェスに似たボードゲームやトランプのようなカードゲームなのだが、こちらの世界の常識では、貴族だけでなく庶民ですら男性だけがたしなむお遊びとされているのだ。

 女が賭事なんてもってのほか──だなんて、いつの時代だ! ……って、封建社会だとそうなるよね。確かレディーファーストって、刺客やらの襲撃を防ぐ為に女を先に部屋に通したことが始めだって、元の世界で聞いたことがあるぞ。

 まあ、それは置いといて……。まあ、何だ。元々チェスや将棋に碁といった頭を使うゲームはからっきしだった為、封建的性差別に異を唱えてまでギャンブルがしたいとは思わないんだよね。これが。

 例え、昼飯すら忘れて(水分補給は別。砂糖とミルクを入れた珈琲で糖分も補給。お気に入りのワゴンサービス嬢のユーカちゃん(恐らく仮名。傍に来てくれるとめちゃいい匂いがするんだよなぁ。あと、メニュー表をサイドに斬り込むようにして提示ていじしてくるあの正確無比な俊敏さと事務的な鋭さが堪らん……っ)の売り上げ貢献!)パチンコにのめり込んでいたとしてもだ。

 残念ながら、こちらの世界の賭事一般に興味が持てないのだ。




 だからこそ、言いたい。

 声を大にして。

 今、すぐにでも……!




 迷い込むばかりか居候させて頂いているお屋敷の坊ちゃん(年齢20の金髪碧眼の美青年!)に手を引かれてやってきた、美しく整えられた庭先での強制ティータイム。


 ジリジリと灼けるような眼差しを向けてくださる坊ちゃん──アルフレッド・エヴィル・カビュド・クルーン氏から必死に目をそらしながら、私は現実逃避する。

 惚れた腫れたは、これまで経験してきてはいるけれども、こちらの世界でもそんな機会に巡り合えるとはついぞ思わなかった。

 恋の予感に胸を弾ませるより、強リーチのテンパイ音こそに胸を高鳴らせる私には荷が重い相手(カビュド・クルーン侯爵家の跡取り息子さん)である。


 色気ダダ漏れの眼差しを浴びている為の緊張からなのか、それともパチンコ依存症故なのか、震える指先をどうにかこうにか抑えながらカップを傾け、紅茶を飲む。



 ……味なんてしない。

 もう既に飲み干しているからだ。



 だって、傾けたカップの分だけ、アルフレッド坊ちゃんの視線から隠れていられるからだ。

 未だに慣れないドレス(因みにエンパイア風のドレス)の下でだらだらと冷や汗、脂汗を掻きながら、私は遠い目をする。



 あの頃の自由だった私よ──。



 くそ寒い早朝から新台入れ替えに並んでいたことが酷く懐かしい。



 本当に、何の因果で異世界トリップをしてしまったのだろう。

 剣も魔法も、実際に体験してみたら、前の世界とは全くの異質な定理と秩序に恐ろしくなった。

 居候でお世話になっているけれど、封建的な貴族社会は、近代日本人にとって理解が──できたとしても、納得が出来ない。

 恋愛も、結婚も、出産となると、いくら魔法医術があっても、めちゃくちゃ不安だ。



 ──嗚呼、絶対に損をした。



 いくら見目麗しいイケメンに恋されたとしても、まったくと言っていいほどにときめかない。



(……うう、異世界トリップするよりも、パチンコをしていた方が断然楽しいよ)



 あの日、異世界トリップしていなければ確実に打っていただろう(自分の前には三人しか並んでいなかった。新聞の折り込み広告には20台設置と書いてあったから、席取りは楽勝だったのだ)エ◯ァの新台でも必ず搭載されていただろう──あの血沸き肉踊るテンパイ音が恋しい。



(嗚呼……っ! 今、無性にパチンコがしたい!!)



 心からの叫び声だった。




ご無沙汰しております。

なのに今年最後の投稿がこれって(苦笑)

活動報告も無しで申し訳ございませんが、三時間でやっつけ短編を書き上げました。今、猛烈に眠いです。お休みなさい。

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