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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最後の初恋

作者: 海南 あらた

ある昼過ぎ。

チャイムが鳴った。この寂しい一軒家に住んでいる老夫は覚束無い足取りで玄関まで歩くと、その扉を開ける。

一人の若い警官が入った来た。軽く挨拶を交わす。


すみません。もう一度、山本敦司さんとのお話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか。


警官がそう言うと、老夫は静かに頷いた。


……わかりした。お話しましょう。


淹れたてのお茶からは湯気が立っている。少ない茶菓子が入れられた小皿が、机に置かれた。

老夫は一旦息を止め、深く吐き出した。



さて、何からお話しましょうか。きっとあなたにとって、あまり気持ちの良い話ではないかもしれません。もしかしたらご気分を害されるかもしれません。それでもよろしいですか。……。わかりました。

私と彼が初めて出会ったのは、小学生の頃でした。同じ学校に通い、何度か同じクラスにもなった事もありました。幼い頃の私は何も難しい事など考えずに、ただ、他のみんなと比べてよく目に着くなぐらいにしか思っていませんでした。

学年が一つ上がるに連れて、彼を目で追う回数は増えて行きました。そして、五年生になった春先、自分の気持ちに気付いてしまったのです。……嗚呼、やはりそんな顔をなさるんですね。いいえ、お気に為さらずに。私自身、初めてこの感情に気付いた時はあまりの気持ちの悪さに戻してしまいました。それから何日も何日も悩みました。誰にも相談ができません。唯一、いつだって私の悩みを聞いてくれた姉に相談しました。やはり姉も驚きはしましたが、私と同じくらい悩み、そして考えてくれました。

姉に相談してから何日か経ちました。私はもう、限界でした。余りの私の具合の悪さに、姉はとうとう言いました。正直に言ってみたら、と。私は考えました。それは余りにも危険でした。けれど、自分の想いをこのままにするのも危険だとわかっていました。そしてついに、私は想いを伝えることにしたのです。例えそれが砕けることになろうとも、隠し続けるよりかは幾らかマシだと、考えが行き着きました。

放課後に呼び出して。在り来たりすぎですよね。でも、あの頃の私にはそれが精一杯だったのです。彼は驚きました。だって男である私に呼び出されたのですから。私は一言発するだけでも、今まで感じたことの無い緊張のせいで死んでしまうかと思いました。

好きです。と、ただ一言言っただけでした。そのまま、私は私は石像のように固まりました。本当は逃げ出してしまいたかったのですが、足が地面に埋まってしまったかのように動かなかったのです。彼は返事はしませんでした。驚いていた顔をもっと驚かせて、少し困った表情で、数歩後ずさりした後に走り去って行きました。……今でも覚えています、あの小さな後ろ姿を。あの表情を。

それから、私たちは何事もなかったかのように過ごせば良かったのです。しかし、そういう訳にはいかなくなってしまいました。私の秘密の告白が、同じクラスの誰かに見られてしまったのです。たちまち、クラス中その話題で一杯になりました。当然、私はクラスの笑い者にされました。彼も、からかいの対象になりました。その時の、本当に困ったような、少し寂しそうな顔は、忘れられません。

いつからか、からかいはとうとう虐めに変わって行きました。そして、彼には同情を寄せる者も現れました。男を好くなんて気持ちが悪い。男に好かれて可哀想に。私はしばらく黙って虐められていました。それで彼が虐められないのなら、彼は気持ち悪い同性愛者迫られた可哀想な子でいられました。

しかし、私だって辛かったのです。この苦しみを姉に相談しました。姉はすぐに全てを両親に話しました。すぐに転校することが決まりました。私は泣いて嫌がりましたが、姉がそれを許しませんでした。きっと彼女なりの責任の取り方だったのでしょう。私は彼とは分かれたくなかったのですが。

小学校生活最後の一年を、全く知らない人たちと過ごしました。それでも、やっぱり彼の事は忘れられませんでした。

歳月が流れ、少年から青年、大人の男へと変わっても、やはり忘れられませんでした。

私はあの一件から、自分の性壁を隠して生きて来ました。何も知らない少女たちは、可愛らしい思いを各々の手段で伝えて来ました。けれど、どれも私には魅力的では有りませんでした。数多くの少女たちの思いを知りながらも、それを断っては泣かせた来ました。そして、少しでも彼に似ている男性がいれば、心を踊らせていました。まさに恋する乙女のように。

そうして、何年も過ごして来ました。

ある時、ある安いマンションに越しました。そこはとても楽しい住人が住んでいて、余りの非日常的な毎日に今までの悩みさえ小さい事に思えました。その住人の一人に、私と同じような同性愛者の女性がいました。

正確に言うと、彼女はバイセクシュアルでした。愛に性別を選ばない女性(ひと)でした。私はそこでも今まで通り、自分の秘密を隠していました。けれど、ある日彼女に言われました。

今のあなたは本物ではないわね。……とても驚きました。まるで全てを見透かされたようでした。私は偽らないで生きてるわ。そう言って妖艶に笑いました。確かに彼女はとても自由に生きていました。その姿に尊敬すらしました。誰かが私に石を投げても、構いやしないわ。だってそれが私だもの。

自分がとても恥ずかしく思いました。偽って、生き続けることの意味を考えました。そして決めました。私も正直に生きると。マンションのわ住人の誰も笑ったりしませんでした。彼女は誰よりも祝福してくれました。

それからは、体が軽くなったようでした。何も隠さずに人と話すことの楽しさを知りました。新しい恋も探しました。時たま彼女に恋愛の相談もしました。けれど、幼い頃の初恋は、消して忘れられるものではありませんでした。

そうして何年か過ごしたある日。彼女にも忘れられない初恋があったことを知りました。もう二度と恋なんてしないと言いました。私にはそれがとても寂しいことのように思いました。

彼女のよく言っていた言葉に、本当の愛に壁なんてないというものがありました。その愛が実らないのなら、それはただの一方通行な恋なのだ、と。私は稚拙な恋をしていたの、と彼女は泣き崩れました。初めて、彼女の涙を見ました。

私と彼女は結婚しました。お互いの、傷の舐め合いのような結婚でした。でも、それで良かったと思います。子供も生まれました。人並みの幸せは手にいれました。

私たちは確かに、幸せだったのです。けれど、それも永遠ではありません。彼女は少し前に、病気でこの世を去りました。私よりいくらか年上であったことから、それは当たり前の事でした。当たり前のように悲しみが襲いました。子供はとっくに結婚してもう家にも戻りません。私は残りの余生を、寂しく一人で過ごすことに決めました。

すると、今までは思い出として大切にしていた彼への思いが、また強く戻ってきました。あの幼い頃の、抑えられない気持ちが戻ってきたのです。

そんな矢先でした。彼から手紙が届いたのは。私は余りの驚きにそのまま点に召されてしまうかと思いました。その名前、手紙の内容から間違い無く彼であると確証しました。

だから、私は彼が自殺をしただなんて信じられないのです。そんな訳が無いのです。なぜなら、私と彼は彼が自殺をしてから二日後に会う約束をしていたのですから。



お茶を啜る音が響いた。茶菓子は全く減っていない。

警官が口を開く。


貴方のおっしゃっていた通りでした。山本さんは自殺ではありませんでした。


息が詰まる沈黙が流れた。


山本さんの息子さんの嫁による犯行でした。遺産目当てによるものです。あまりにも巧妙に偽装されていて、一目では気付けませんでした。


老夫は目を見開いて固まっている。その目には涙が溢れていた。

一雫、落ちる。


あなたのおかげです。ありがとうございます。


そう言って、深々と頭を下げる。

老夫はまだ涙が治まらない。


その遺産は、


老夫が口を開いた。そのまま続ける。


その遺産は、誰が相続するのですか


その質問に、警官は少し怪訝そうな顔を見せる。


あなたはやはり知らなかったのか。山本さんは、遺産の相続人にあなたを指名しました。遺書にそう、記されていたのです。


それを聞くと、老夫は声を上げて泣き出した。

警官は息を吐く。そのまま立ち上がると、帰る為の支度を始めた。


だからあなたと山本さんの関係を知るために今日来たのです。ただの同級生とは思えなかったので。


それでは、と警官は去って行く。老夫はまだ泣いている。


いつまでも、老夫は泣いていた。


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