相馬ってホモでロリコンだよね
今より一日前のことだった。
正確には、彼、相馬が金髪の幼女と出会う一時間前。
「うぉーーん!」
「いきなりどうした相馬。そんな今にもケツ掘られそうな声出して」
「どういう発想だよ!」
「いやだってケツ掘られたそうに見えたから」
「お前が!?」
「うん」
「ええええええ!?」
「それよりどしたの?」
学校の帰り道。
テストの点数にあえぐ普通の高校生、相馬は苦い面持ちで足を止めると、肩に引っ掛けたカバンから何かを取りだした。
その取りだされた紙をマジマジと覗きこめば、それは細長いペラペラの紙で、隣を歩いていた友達の奏夜純はその神に書かれた中身を読み上げる。
「えー何……国語の模試50点?数学49で生物70で化学は51。体育は90点と」
「体育はねぇよ! センターの模試の結果だよ!」
「数学は100点換算かな」
「……200点満点だよ」
「くっさい点数」
「匂うの!?」
「今すぐコンビニいってコピーしてきていい?」
「やめてよぉ! 何より隠さなきゃいけないものだよぉ!?」
「じゃあぼくの点数見たい?」
「歯ぐき潰すぞ!」
「いやぁ、でもリアルに苦い数字取ってしまったなぁ。これでオール0だったらまだ親も笑えただろうなぁ」
「その後、マッハオラが飛んでくるよ……」
「それで君はオーマイゴッドと言うわけだ」
「眼に浮かぶぜ……」
「これでも十分飛んでくるよ?」
「だよなぁ……」
「まぁ、いいじゃん帰ろうよ」
「軽いわぁ! ふわふわですやん!」
「マシュマロみたいにうんたらかんたら」
「どうすればいいのさッ。この点数で帰れと言うのか!?」
「模試なんて存在しなかった」
「ねぇよ。下手な言い訳して拳が飛んできたら、どうするんだよ。うちのおやじ本気で俺のこと殺しにかかるぜ」
「相馬のお父さん武道家だもんね。ぼこぼこにされて空に投げ飛ばされるかぁ」
「気道家だよ。なんか知らんけど、鼻息荒くして俺のこと吹き飛ばすぜ……」
「じゃあお母さんは?」
「……」
「あ。眼が死んだ」
「何笑ってるんだよぉ!」
「相馬のその泣きそうな表情を見て笑ってるのさ」
カラカラと快活に笑いながら、歩きだす純を恨めしげに見上げながら、相馬は重い足取りで駅までの長い帰り道をとぼとぼと歩いていく。
「どうしよう……」
「勉強すれば?」
「してるさ。結構俺家で寝る暇なく問題集は解いてるんだぜ?」
「家勉だろ? 予備校通えよ、結構捗るぜ?」
「金がない」
「相馬が稼いでるわけでもなかろうに」
「親が金を出してくれないんだよ。俺が不出来だから、全部できのいい妹に金をつぎ込んでおこうって魂胆だよ」
「あらら」
「今じゃ、俺より妹の方が頭がいい……」
「見捨てられてやんの」
「哀しくなるからホントやめて……」
「でも、それだと妹ちゃんは相当溺愛されてるだろ」
「おうよ。俺を平気で見下す程度にはな」
「そして家に居場所がなくて相馬君はたまに公園で勉強してると」
「なんで知ってるの!?」
「先月通報されたよ。あそこのパンダ公園でしょ根城は」
「ま、マジかよ……」
道の向こう、比較的大きな公園を指さす純に、相馬は愕然とした表情でうなだれると、くしゃくしゃともどかしげに髪を掻いた。
「なんでだよ……。俺がこっそり勉強してるから、か?」
「それで通報するのは、一部のヒステリーババアじゃない? 世間は案外普通の人が多いもんだよ。そう言う人が目立つだけで」
「じゃあ、なんだよ」
「女の子が一人、そこでふらついているって話でね、夜遅くになっても公園近くを出歩いているって事が何回かあったのさ」
「ふぅん……」
「やったね。相馬君。これで童貞卒業できるね」
「やかましいわ! ていうかなんでや! なんで俺が襲うことにきまってるわけ!?」
「だって相馬ロリコンだし」
「ええええええ!? お前だってさっき不穏当な発言してたじゃああん!」
「じゃあホモでロリコンってこと?」
「聞くなよ! そんな人種珍しすぎてギネスブックに載るわ! なんだよ幼女大好きで男も好き!? どんなねじれた人生送ってるんだよ!」
「ほんとどんな人生だろうね」
「こっちを見るなこっちをぉお!」
ジィっとこちらを覗きこむ純に、相馬は眼をむいて叫んだ。
その怒声が、遠くから聞こえる笑い声に重なり掻き消える。
「ギャハハハハハハハハッ、こいつ泣きだしやがった!」
「……うるさい」
「うわ、すっげぇ生意気。なぁ殴っていいか?」
「ひっ……」
「びくってなってやんの、アハハハハハッ」
「可愛いねぇ。君どこの子? ネェ俺らとどっか行こうよ、こいつら俺のダチだからさ怖くないって」
「だよぉ。俺らと面白いところ行こうぜ。こんなところで待っても人なんて来ないって」
「……来る」
「ほらいいからさ。もう暗くなるし一人は危ないって」
「やだ……やめて」
ひとしきり会話が聞こえてきて、公園の隅から、中を覗きこめば、高校生らしき風貌の男が四人。誰かを囲んでいるのが見えた。
声からして年はの行かない少女だろう。
囲まれて姿は見えないが、困っているような感じには見える。
純はフェンス越しに公園を覗きながら、苦い表情を浮かべては、ポケットから携帯電話を取り出そうとした。
「まったく世の中、総じて普通の人が多いと思ったけどさ……」
そう呟きつつ、純は隣にいる相馬を見る――――
「相馬。警察に電話するから、その間」
―----人影はない。
「あれれぇ?」
きょとんとする純の視界には、隣で草むらの隅から公演を見ていた相馬の姿は消えてなくなっていた。
代わりに聞こえるのは、草木を掻きわける獣のような素早い足音。
ハッとなってフェンスの方を見ると、純は苦い面持ちで持っていた携帯電話をおろして、そそくさと草むらから四つん這いになっていた身体を引いた。
「まったく……相馬は」
最後に見たのは、四人のうち、人の男が吹き飛ぶ様。
公園の遊具を台にして飛びあがる相馬の蹴りが鋭く男の顔にめり込み、男はゴロゴロと砂浜に転がりながら、その場に蹲る。
「いでぇええええ!」
「な、何だてめぇ!」
振り返った三人の視界には相馬の姿はなかった。
聞こえるのは背後で振りあげ風を着る木の棒の音。
「フォォオオオオオ! ケツバットぉおお!」
「でぇええええ!」
飛びあがって、その後その場に尺取り虫のように蹲る男を横目に相馬は、フンと鼻息荒く、残ったイケメン風情の二人を睨みつけた。
「よぉし、そこの髪の毛ツンツン男二人! 俺の前でその汚ねぇ言葉を吐くのなら相手になってやる!」
「てめぇやる気か!」
「鼻へし折られたくなかったら逃げやがれ。でないと帰宅部代表の俺が相手になってやる!」
「ええ!? 誇れもしねぇ!」
「なんだよ帰宅部代表ッて!」
「帰るだけが部活の最終目標の部活だよ!」
「だったらさっさと帰れよぉ!」
「てめぇらの腕へし折ったらな!」
「こ、このぉ!」
一人は立ち向かってくる。だが一人は逃げていく。
上出来だ。
心の中でガッツポーズをすると、相馬は手に持っていた木の棒を落とし、ゆっくりと手首をさすりつつ、男を睨みつけた。
その視線で、走ってくる男を捕えて息を吸い込む。
「いい子だ……親父の武道は一対一を想定したものだからな。二人いると途端にいらない子になる」
「な!」
ドンと土ぼこりをあげて大きく踏み出す一歩。
腰を落として身体をかがめて、高く降り出した拳を肩と背中に掠めながら、相馬は捻じり込むように躯体を男の懐へと潜り込ませて息を吸い込んだ。
そして吸いつけるように、そっと突き出す掌底。
その右手を支えるように左手で右手の甲を添えて、相馬はグッと身体ごと腕で男の胸板を押す――――
「くらえ……!」
「がぁ!」
ボンッ
空気の破裂するような音。
それは風が暴れる竜巻のような衝撃破。
胸元で膨らむ空気の塊に大きくくの字に曲がった青年の体は、相馬の掌に押し出されて、僅かに地面から浮きあがって、勢いよく空高く吹き飛んだ。
「がぁあああ!」
約10メートル。
僅かに空高く舞い上がった青年はそのまま、地面にたたきつけられて転がるままに砂場にうずもれ、身体を深く丸めた。
そうしてぴくぴくと痙攣すること五秒。
やがて気がついたのか、大きなせきと共に僅かにへこんだ胸元を抑え身を打ちふるわせる青年を見下ろし、相馬は鼻息も荒く、その腕をおろして手首をさすった。
「いてぇだろ。ガキ相手に変なちょっかい掛けてるからだアホが」
「げほげほッ……てめぇ……な、何しやがったぁ……!」
「心臓鷲掴みにされてまだ喋れるのか、タフな高校生だ。あんたも」
「げはっ……くそ、くそぉ……!」
「やめとけ。肋骨折ったし心臓にダイレクトに衝撃を与えた、心臓マッサージをするための業でな。普通の人間なら苦しくて動けないものさ」
そう言って、相馬は砂場の上で砂をかぶったまま丸まる男の下へと歩み寄ると、その横たわった男に前髪を鷲掴んだ。
そうして、男の頭を持ち上げると、苦しげに顔をしかめる男の眼を覗きこみ、相馬はささやく。
「特別に教えてやるよ。どうせ【忘れる】しな……」
「な、なんだよ……くそ、くそ!」
――――紅く変色する瞳。
「これは気道。相手に【気】を押し付ける親父の武道だ。人に触らずして人を殺す為に造ったと言う先祖伝来の術だ。親父はこれの達人でな、俺もよく習った」
見開く男の眼。
「あ……あ、あ、あ」
「その気になれば大地を激しく隆起させ神風を操る遠い先祖の秘術……その身を砕き、魂を破壊する」
「……」
霞んだ視界に捉えた相馬の眼は夕焼けを背にして、紅く変色していた。その日本人のそれとは違う色は血のように赤黒く、くわっと見開く男の眼に映った。
その紅い輝きが男の朦朧とする意識に食い込み、ばらばらにする。
そして精神が退化していき、男の心が真っ白になる。
そしてその顔は、まるで眠りに就く前の赤子のように弛緩しきった顔になる。
「……」
「眠りな。二度と今日のことを思い出すことなく、お前は新しい自分になる。それがお前の運命だ」
「……はい」
「素直でいい子になるんだぜ」
ぎらつく紅い瞳。
相馬のささやく言葉に、男は最後に無言で頷くと、見開いていた眼をゆっくりと閉じて、まるで電池が切れたように四肢をダラリとさせた。
相馬は安堵に溜息を鳴らすと、前髪をつかんでいた手を離して、男を砂場に放り投げて踵を返した。
そうして右目をこすり、瞼を開けば、黒い眼球が夕焼けに紅く滲む。
相馬は手首をさすると、苦い笑いをにじませながら、周囲を見渡しては声を張り上げた。
「いやあ、大丈夫だったか? 悪いな、途中で割り込んじまってよぉ」
「壁に喋ってるの?」
「あれ……?」
振り返れば、そこには誰もいない。
それどころか、相馬と砂場に横たわる男以外見えず、相馬はぽかんと口を開けたまま、拍子ぬけたように肩を落とした。
「あれぇ……? でもさっきこいつらが幼女を襲う声を聞いたんですけどぉ」
「それはあなたの幻聴では?」
「いやいやいやいや! 純、お前も聞いただろ!」
「はい」
そう言って純は携帯電話をいじくりながら、公園に立つ相馬のところに近付くと、同じく少し戸惑ったような表情をにじませた。
「さて、どこ行ったんだろうね」
「ちょっと待て、お前見てただろ! どこ行ったんだよ!」
「声は僕も聞いたよ。で草むらから顔を出して四人が何かを囲んでいるのは確認できた」
「そこからは?」
「君がドロップキックして、四人を散り散りにして、とうの囲われていた何かは、確認できなかった」
「……」
「ていうか一番近くにいた君が確認できなかったんでしょ?」
「……おう」
「ということは見なかった、ということ」
「じゃあこいつらは誰を脅してたんだよ!」
「さぁ」
「確かに女の声聞こえたろ」
「山彦じゃない?」
「周りの家の反響が聞こえるとかどんだけでかい声出してるんだよ、拡声器使っても出せないでしょ!」
「じゃあ周りの家のテレビの音量とが聞こえてきたとか?」
「……」
「じゃあ、彼らは無辜の人々と言うことで」
「……」
「あ、もしもし警察? 今」
「やめてぇええええ!」
「冗談だよ。じゃあ帰ろうか」
「……まじで何だったんだよ」
「それはここにいる全員が思ってるよ。彼らは倒され損で、君は逮捕され損で」
「えええええ!? 警察よんだのぉおお!」
「僕が呼ばなくても、遅かれ早かれ来るでしょ」
「ま、まじかよ……」
「公園で勉強していた君を通報したの。誰だと思ってるの? 公園周りの近隣住民ですよ?」
「……」
「周り、声も出た事だしもうずっと監視してるよ。視線ぐらい君も感じるでしょ、武道家なら」
「……。逃げるぞ!」
「帰るの?」
「泊めて!」
「やだ」
「お願い犬小屋でいいから!」
「うちの愛犬に失礼」
「ええええええええ!? 僕犬以下ですかぁ!」
「まったく帰るよ、相馬くん。うちの妹も最近君のこと気に入っているみたいだしさ」
「ありがてぇッ、行こう純ッ」
「はいはい。走ろう」
「おうッ」
少女のことなどすっかり忘れ、二人は駆け足で公園を走り去っていく。
その長い影が沈む夕焼けを身体に受けて伸びていく―――――
夕日の沈む街を見渡す人影が一つ。
それは駆けだす二人を見送るパンダ公園を見下ろす、住宅街の屋根の上に会って、小さな足を放り投げ座り込んでいた。
夕風に揺れる長い金髪。
ほどけたリボンを手につかみ、少女は幼い表情をこわばらせ、走る青年の背中をじっと見つめていた。
その快活な横顔が紅い瞳に映る。
彼が笑うたびに、少女は胸をかきむしる。
その声を聞くたびに、少女は眉をひそめ、幼い表情をしかめる。
乾いた唇から吐息が漏れる。
「……相馬」
「お嬢様ご無事ですか!?」
「……ん」
「よかった……お嬢様に何かあっては、私お父上様に申し開きができませぬ」
「……いつもお父様のことばかり」
「う……」
「……フェルトナは、お父様のペットだからね」
「も、申し訳ありません……」
「――――――私も欲しい」
「お嬢様?」
「私……あの人がほしい」
「で、ではお嬢様! この世界に来たのは!」
「……フェルトナ」
「は、はい!」
少女はスッと立ち上がる。
そのスカートをなびかせ、ゆっくりと振り返った。
「準備して……私……彼に会う」
か細く震えた声で少女は告げる。
その瞳は血のように赤く、少し強張って緊張に潤んでいた。
胸を小さな手で掻きむしり、フリルのついた黒と白のドレスを着たその立ち姿は、まるで英国人形のような可憐さだった。
「……ソウマ……ソウマ……うん……覚えた……忘れない」