それがあんたの正義か
木々が小波の如く、音を立て、宵の深き闇の底で大きく波立つ。
それは月明かりが照らす深紅の闇の中、妖が無数の手を振り上げて風の動きに合わせて腕を振っているかのようだった。
見渡すばかりに広がるは、城門の向こうの広大な黒い森。
まるで人を喰らうかの如く、広がる暗闇。
オルドラ深淵地帯。
侵入者を遮るアルドレシア城前、半径十キロにも及ぶ漆黒に染まる原生林地帯は、今夜も月明かりに照らされ赤黒く闇を染めて、アルドレシアの城への訪問を遮っていた。
今夜は特に風が強い。
そして月は血の如く紅い。
はためくスカートを抑えつつ、メイア・ランスロットは一メートル超の長剣を手に、身をひそめるように佇んでいた。
そこは、城門前監視塔屋上。
壁も天井もなく、石造りの手すりだけが僅かに風をさえぎる開けた空間の中、メイアは腰を落として闇に身をひそめる。
気配が感じる。
ゆっくりと深淵森の奥から誰かが歩いてくる。
この気配は、人に近く、人にほど遠く――――
「……」
「ついたぞ、ソウマ」
懐かしく声が聞こえる。
警戒心に顔はこわばったまま、妖しい紅の月明かりを背に、メイアは宵風に振り乱しゆっくりと立ち上がり振り返った。
そうして、突如広がった霧の中から這い出す人影に双眸を細めて囁く。
「来たわね、ソウマ・クガ」
「むず痒い呼び方だ」
「じゃあなんて呼べばいい?」
「ただのソウマだよ」
晴れていく白い霧。
夜風が吹き荒れる中、ソウマは風の勢いに目を細めて露を払うと、暗闇に佇むメイド服の少女を見つめてそう言った。
そうして、彼は後ろを振り返り、同じく霧の中から這い出すフェルトナを見上げて首をかしげる。
「ここかよ?」
「ああ。見えるだろう。広がる黒き森の庭を」
「前に出る」
「風に振り回されて城壁から落ちるなよ?」
「その時は土にでも埋めてくれたらいいさ」
肩をすくめやれやれといった様子でかたをすぼめるフェルトナを横目に、ソウマはそう言ってメイアの傍を通り、監視塔屋上の手すりに手を這わせた。
確かに広く暗い森。
月明かりも通さぬほどに、鬱蒼とした枝葉はまるで樹海と呼ぶにふさわしく、遠くに見える山の麓まで広がり、訪れる客を遮っていた。
そして、巨大な森の中に感じるのは無数の気配。
蠢く『魔』の匂い。
夜風が森の匂いを運ぶ。
人あらざるものが何かを求めて、紅い月の下、深淵の底を這いずり右往左往しているのを感じた。
そこは巨大な自然の迷路。
人を遮り喰らう、まさしく人喰いの深淵の底を覗きこみながら、ソウマは紅く滲んだ片目を細めて小さく息を吐き出し囁いた。
「……広いな」
「何が見える、ソウマくん?」
「魔物がざっと二千体。……まさか野生って事はないだろうな?」
「魔竜王様に仕えてる魔物ばかりよ。ただ森の中で自治を与えられて、一定の居住をなしているけどね」
「森の番人、か」
「ええ。その領域を侵犯している人が数人いるわ」
「……」
「フェルトナ様、私はそろそろ戻ります。場内警備をガウェイン一人に任せられないもの」
そう言って前掛け付きのスカートを翻すと、フェルトナを見上げてメイアは風に髪をなびかせそう言って手に持った剣を差し出した。
「これを」
「すまんな」
「……彼をお守りください」
「フフッ、殊勝な物言いをする。どうしたんだ?」
「何も。私でも、罪の意識はあるつもりです」
「人を斬るのはいつだって己の意思だ。私は彼に単なる執事や下僕であってほしくないと考えている」
「私の感情は無意味ですか?」
「背中を押すのは剣じゃなくて言葉だ。それでも、手向けにはちょうどいいがな」
「……ハルトディア様がよくお認めになられたものですね」
「気に入らんか?」
「はい」
「ふははッ。左様か」
フェルトナは満足げに笑みをにじませると、差し出された小柄な剣を手に取ると、深々と頭を下げるメイアに頷いて見せた。
「務め、御苦労」
「ありがとうございます。失礼いたします」
刹那、メイアの周りに広がる白い霧。
やがて濃霧が彼女の姿を隠し包み、吹き荒れる宵風と共に霧はゆっくりと四散していき、一人のメイドの姿と共に、宵の空へと運ばれていく。
そうしていなくなる一人の影。
フェルトナはグッと剣の鞘を握り締めると、屋上の手すり前に佇む青年の背中を見下ろし、低く囁く。
「もうすぐ、フィーナが装備を整えてやってくる」
「――――血の匂いがする」
そう言って、ソウマは踵を返すと、横目にフェルトナを見上げて首をかしげて見せた。
「……森には、何がいる?」
「泉の妖精族が守護をしている。そのほか、木竜たるメデューサ一族、後鉱物資源を採掘する為のフェルキン・ドワーフ一族だ。深淵の闇影の民も一部ボランティアで参加中だ」
「……。人の気配がする」
「だろうな」
「そう言うことかよ……」
「ああ」
「……。聞かせろよ」
深い溜息と共に、夜風に髪を抑えつつ、ソウマはスッと手すりに手を這わせつつ、広がるオルドラの深い闇の森を見つめる。
その背中を見つめ、フェルトナは頷いた。
「冒険者が数人、オルドラの森に入ってきた」
「……」
「本来なら、我らアルドレシアの者は、我らメイド部隊以外や、ワシのような人間以外は立ち入り禁止となっている」
「あんた、人間かよ?」
「渋いおっさんだろう?」
「嘘くささで鼻が曲がりそうだ」
「よく言う――――なので、基本的には、山にはウェアウォルフの一族が、森にはメデューサの一族が、空はハーピィの一族が、海はセイレーン一族が、それぞれ侵入した人間に警告し、最終的に追い返す」
「殺さないんだな」
「それも他国との条約だよ」
「……」
「ポールソン不可侵条約。我々が攻めない代わりに、人も我々を攻めない。我らを殺さない限り、我らも人を殺さない」
「……単純な話だ」
「どの世界も同じだ。互いに致死兵器をつきつけつつ、笑顔で円卓に上がる。さすれば、鮮血の開城は免れようものだ。それが本当に互いの平和を望むものであれば、な」
「……」
「だが人は得して、欲を出す。そして最後には平和を捨て去り、再び争いを生み出す。兵器が空を舞い、地上に血が流れ落ちる」
そう言うフェルトナの表情はどこか悲しげで、ソウマはふんと鼻を鳴らした。
「老人はよくも悪くも長話だ」
「長い間見てきたのだよ。どれだけ人を一つにまとめようと、結局裏切りと反乱で、国など脆く崩れていく。そうして積み上げられるのは死体の山と、赤さびた剣の山だけだ」
「血で血を洗う。だから戦争をやめさせ、国交を断絶する」
「争わなければ、平和だ。単純だが、それでいいと私は思う。自給自足は可能だしな」
「……」
「だが、それをよしとしない連中もいる」
そう言って、フェルトナは黒い森の底を指さし、ソウマは指さす視線の先を見つめて、風に双眸を細める。
「見えるか?」
「いや」
「本当か?」
「――――『血』が澱んで漂っている。匂いからして数体、ここから一キロ離れた地点で動物か、魔物が殺された匂いがする」
「彼らはウェアウォルフの死体を積み上げ、ドワーフ達を脅し、最後にメデューサの忠告を無視し、ここの森を進行している」
「……」
「最終的には、この城の城門を破り、中に入るだろう」
「そして、争いが始まる」
「所で、ソウマよ」
「なんだよ?」
「――――人を殺す覚悟はあるか?」
「ねぇよ」
「あの者達を殺さねば、姫様はいずれ殺される」
「なぜわかる?」
「彼らの目的は、姫様だからだ」
「……」
「詳しくは話せんよ。だが、確実にミィア様の首を取ろうと、今も血眼になって行軍しているのは、はっきりとわかる」
「嘘くせぇ……」
そう言って悪態をにじませるソウマ。
刹那、トントンと後ろから聞こえてくる軽快な足音。
その隠さず近づいてくる気配に眉をひそめつつ、ソウマはフェルトナと共に振り返ると、監視塔屋上の入口から飛び出す小さな影に目を細めた。
「ふ、フェルトナ様ッ」
「おお、フィーナか」
「……」
「ごめんなさい。遅れました、少し性能の調整をしてたら、なんかこだわっちゃってッ」
そう言って息を切らしてやってくるのは小柄な少女のフィーナ・ランスロットで、その手には、何かが畳まれて胸元に抱きしめられていた。
その足取りは息を切らしても軽く、一直線にフィーナはソウマの下へと駆け寄ると、胸元に抱きしめた光沢のない黒い布のようなものを、彼へと差し出した。
「えへへぇ、頑張って作りましたッ」
「……なんだよこれ」
「とりあえずきてみてくださいッ、私の自信作です」
「……」
鼻息も荒く、暗闇の中目を輝かせてそう言うフィーナに、ソウマは渋い表情をにじませつつ、グイッと押し付けられた布を広げて恐る恐る袖に腕を通した。
それは大きなコート。
後ろ首にフードの付いたそれは、真っ黒に身体を包んだ。
ソウマは戸惑いながら、自身を覆う黒い服を見下ろし、着なれないと言った表情で顔をしかめてフィーナへと振り返る。
「なんだよこれ……」
「対隠密作戦及び潜入作戦を目的とした、オーダースーツですッ。筋力増強と衝撃吸収、加重軽減はもちろんですが、その上に色彩透過による迷彩効果の向上と魔力強化による魔術強化が可能となっていますッ」
「……」
「特に衝撃吸収はかなりの広範囲かつ、高威力のダメージを吸収し、自身の足音すらも吸収しますッ。まさに隠密の為の装備ですねッ。」
「へぇ……」
「糸の一つ一つに魔術印を練り込んでいます。すごい時間かかったんですよッ」
「―――矢に対する防御は?」
「ないです」
「ナイフとかは?」
「ないです。基本布ですから。耐久性はありますけど、防御性能はほとんど向上させていません」
「よけて進め、か……」
「うん。あ、後銃のホルスターベルトも作りましたッ。しっかり巻いてくださいね」
はためく黒いコートを翻すと、ソウマは手渡されるままに、ホルスターのついたベルトを腰に巻き、拳銃を革のホルスターに押し込め、袖から顔を出した手首をさすった。
宵風に靡く黒いローブ。
時折、表面に赤黒く模様が闇に明滅する様は、ソウマの息づかいに反応しているよう。
まるで生き物のよう。
まるで、身体に吸いつくよう―――――
「……身体になじむ」
「まだ別の装備も準備段階で、作り次第順次渡しますねッ」
「おうよ……」
「では、私からはこちらを渡そうかな、ソウマ・クガ」
「……もったいぶった物言いだ」
そう言って振り返るソウマに、フェルトナは表情崩さず微笑みを浮かべると、戸惑いに目を見開く彼を見つめて、その剣をもった手をゆっくりと持ち上げた。
そうして差し出される剣は、粗布で柄を巻いた小型の剣だった。
大凡七十センチ程度の剣身。
黒い鞘に覆われたその剣は、鍔が金色に施され、柄に巻いた粗布が風にはためき、立ちつくすソウマの眼に映った。
それはまさしく、人を殺すために作られた剣だった。
「……」
「この剣は、持つ者に勝利を呼び寄せると言われる魔剣だ。
何百年という長い月日の中、血を吸い、恨みを喰らい、命を屠り、持つ者に絶対の勝利と、決して果てぬ覇道を与えてきた、恨み多し白き魔の剣だ」
「……持ったら匂ってきそうだ」
「勝利とは、争いにおいては他者を圧倒せねば、為し得ぬ。相手を倒し、相手を殺し、そうしてようやく勝ちというものが見えてくる」
「……」
「人を殺さねば、誰かは護れない。笑顔で円卓に立ったとしても、人は剣をもつことを忘れてはならぬ」
「平和を謳いながら、あんたはその剣で人を何百人と殺したのか?」
「ああ。積み上げたさ。夜明けの地平に何百何千という死体を無数の赤錆びた槍や矢、剣の墓所にな」
「それが、あんたの正義か」
「私の目的は、国を護ることだった」
「……」
「それは今も変わらない。王を護り、国を護る。その他は全て手段だ」
「俺もか?」
「しかり」
「ミィアもか?」
「――――――――」
「答えろよ」
「……。然り」
「俺にもそうしろ、と。あんたのように人を殺せと?」
「選ぶのは、お前だ」
「……」
「選べ。主はお前を待っている」
「……。貸せよ」
ソウマはグッと拳を固める。
そうして、目を背けて小さく息を吐き出すと差し出された、黒き鞘の剣を手に取ると、腰のホルスターベルトの間に捻じり込むように差し込みグッと粗布で覆われた柄に手を這わせた。
そうして、翻す長いコート。
スッと飛びあがって石畳の手すりの上に爪先を置くと、ソウマは腰を落とし、広がる黒い森の深淵を見つめる。
そして、恐る恐る胸に手を当てる。
息を吸い込み、考えをまとめる。
―――――なぜ、人を殺すのか。
誰かの為?
相手が戦うから?
生きるため?
それとも、ただ戦いから?
(親父……俺どうすればいいんだろう)
―――――気道とは、武道。決して隙を見せぬ無数にある暗殺術の一つ。人を殺すための術。
ふと、思い出すのは、父の言葉。
武術を師事した父の重たい言葉が胸に突き刺さった。
ソウマはゆっくりと、その紅い瞳を開いて胸に当てた手を下ろすと、俯きがちに口の端を歪めて、躊躇いがちにほくそ笑んだ。
(そうだな……)
――――お前は山にこもり、熊を殺し、猪の臓腑を抉り、動物を喰らい、自然の中に生き、野性と同化し、学んだはずだ。
決めたはずだった。
誓ったはずだった。
そのために、術を為すとも――――
―――――己の術は全て、自らの目的を為すための手段にすぎない。命を屠ることも、見捨てることも救うことも、自らの為に他ならない。
(気道とは――――『道』である。であればこそ、選ぶ義務がある。ああ、そうだよな親父)
――――ソウマ……私を……
(そして、俺は選んだ)
――――護って……!
「ああ。ミィア……」
ニヤリッ
頭の中に、今も眠る少女の寝顔がよぎり、ソウマは口の端を嬉しそうに歪めると、夜風の中ゆっくりと立ち上がって、フェルトナを横目に見降ろした。
そして、口を開いて牙を覗かせ、囁く。
「行くさ」
その紅い瞳は血のように澄み、その曇りのない様に、フェルトナは満足げに頷いた。
「敵の位置は把握しているか? よければグリフレットが索敵するが」
「いらん。六体、死体を積み上げて、それで終わりだ」
「ならば、武運を祈る」
「あんたが言うと皮肉にしか聞こえんな」
「フハハッ。まったくもって鼻につく坊主よ」
「行ってくる。戦って、敵を殺して、あんたの嘘を暴いて見せるさ」
――――フェルトナの顔がこわばる。
「なんだと……?」
「夜に冒険者が出歩くなんて自殺行為。やるはずがないだろ?」
「……」
「俺も大体予想がつく。だからこそ、自分の目的の為に殺さない相手だとするなら、戦ってくるさ」
そう囁くと顔をしかめて腕を組むフェルトを横目に、ソウマはグッと左手の甲を僅かに指でなぞり、祈るように眼を閉じて囁き念じた。
刹那、左手の甲の表面に紅い文様が円形に浮かびあがり、明滅する。
頭の中で何かが囁く。
コード名を入力しろと。
「……フィーナ、この武装の名前は?」
「えっと。強化霊術兵装って言っていいます。コード名は……月読ってつけました。昔日本って次元世界に行ったことがあって、そこに偉い神様がいて」
「いい名前だ」
「?」
「俺の故郷だよ。……『月読』通常起動、行くぜ」
――――赤黒く変化する黒いコート。
コートに内包された力が解放される。
刹那、足元から風が巻き起こり、舞い上がる赤黒いコートをはためかせながら、ソウマは胸に着けていた左手を赤く輝かせながらを下ろした。
噴きあがる熱風にはためく剣に巻き付いた粗布。
そして、見下ろすは眼下に広がる黒い森、オルドラの深淵地帯。
腰にさした剣の柄に手を添えると、ソウマは吸い込まれるように身体を、空高くから投げ出し、渦高くそびえる城壁を滑るように落下していった。
落下時間は約五秒。
風が身体を切り、地面がすぐ目の前に近付いてくる。
ソウマは息を吸い込み、足を地面に伸ばす―――――
(……気道とは、影道)
ドォオンッ
迸る衝撃。そして噴きあがる粉塵。
やがて城壁前に高々と噴きあがる土ぼこりを見下ろし、フェルトナは複雑な表情を浮かべて、気まずそうに銀の髪を掻きあげていた。
「……まいった、そこまで読まれていたとはな」
「何がですか?」
「……ソウマは、予想以上に頭がいいと言うことだよ」
「?」
「……。頼んだぞ、ソウマ」
宵風に霧散していく土ぼこり。
やがて闇を縫うように駆けていく黒い影を見つめ、フェルトナは紅い月明かりと碧い月の輝きを見つめて目を細めた。
ゆっくりと二つの月が西の空へと沈んでいく。
夜が深みを増していく。
オルドラの深淵森が僅かにざわめく―――――




