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□9 メシより宿

 やがて陽もすっかり傾いた頃、ある比較的大きめの平屋建ての建物の前で彼らは止まった。小さな窓と壁の隙間から、チラチラとゆらめく明かりが漏れていた。

 「これは宿チェーンなんだ。行きでも一泊した。ガイドブックによれば魔道教会と魔術同盟公認らしい」

 ヨウは宿屋のエントランス、と言うべきか通路と言うべきか判断がつきかねる場所にどすんと荷物を下ろした。「ああ、そう。なんでもいいですよ、もう。休ませて。疲労回復魔法とかないの」

 ヨウの泣き言にカリカは答えた。「あー、安易に期待するヤツいるんだよな。特に金持ちのドラ息子とか。普通に魔術師に頼んだら、回復魔法に幾らかかるか知らないだろ。相場はそうだな、大体165から180セツルってとこかな」

 「え、何が?」完全に聞き逃していたヨウは顔を上げてカリカの方を向いた。

 「回復魔法だよ」

 「ああ、それね」ヨウが記憶を探ると、標準的な夕食を外でとった場合、1セツルもしないらしいことがわかった。ちなみに、セツルとはこの世界の通貨単位だ。日本円にざっくり換算すると、180セツルというのが給料1ヶ月分に匹敵する結構な金額になることがわかる。

 「……ごめんなさい、じゃぁいいです」とヨウは神妙に要求を撤回した。

 そのとき、宿のカウンターに立ち寄ったエリアスの、緊迫した様子がヨウたちの注意を引いた。

 「車がない? 誰が持ち去ったのですか」

 領主の娘を前にして、受付の男が、恐縮したように背中を丸めている。「へえ、あんた様方の連れいう旦那方が村長のとこさきなすって、引き取っていきなさりました。しっかり修理が済んでたで、慇懃にお礼いってたそんです」

 「旦那って、どのような方でした」

 「どのようなって、教会の魔術師の方々が着なさるような外套でしたねえ。そいで、新しいフォーを1頭、お買い上げなすったそんですわ」

 カリカが宿の親父に向いてたずねた。「その連中はアクターボ方向から来たのか」

 「へえ、そのようで」厄介ごとに関わりたくないのだろう。受付担当者は、カウンターの裏にそそくさと戻っていった。

 「トレンチか。旦那方ってことは、あいつの仲間がどこかに潜んでいたんだな」とカリカ。

 「そうなりますね。全然気がつかなかった」エリアスがうなづく。

 ヨウはおそるおそる確認した。「ってことは、この荷物は明日も僕が持つの……かな?」

 「そうなるな」「そうなりますね」

 ヨウは明日の試練を思って身をすくめた。



 翌日の早朝。宿の目覚めは恐ろしく早かった。建物の脇の井戸では、数人の太ったおばちゃんたちが、群がって水を汲んでいた。明らかに滑車がメンテ不足らしく、酷使に対してキーキーと激しく抗議している。階段をドタドタ下る音や、何かを売りに来た少年の甲高い声も、窓から漏れ入ってきた。

洗練された優美をこらしたもてなしなど、ヨウも初めから期待してはいなかったが、こんな粗末な環境でもエリアスが平然としているのは不思議だった。相当なお嬢様だというし、そういう人種はもっと繊細なのかと、ヨウは思っていたのだ。

 笑い声に誘われて、ふと通りの向こうを見ると、皮革の仕着せを身にまとった男たちが、互いの肩を叩いていた。一見しただけでは、傭兵なのか商人なのか、それとも追剥なのかヨウには判別できなかった。彼らが握る手綱の先には、昨日見たグレアとは異なる動物がつながっていた。グレアよりも全体的にスマートな格好で、胴体は馬のように細長い。頭と首はない。胴体の上半分は黒、下半分と四本の脚は白――というより半透明だった。胴体の奥には、艶っぽく蠢くピンク色がのぞいていた。

 「あれがフォーだよ」カリカがあくびを漏らしながらヨウに近づいてきた。

 「あれも頭がない」ヨウは平叙文で見たままの事実を述べた。

 「そうだな。胴体の色の分かれ目の辺りをよく見てみろ。黒い斑点が並んでいるだろ。あれが目」

 「あれが目だって? うへぇ……」

 ホタテ貝の貝殻の端に並ぶ黒い点は、全て目だという。フォーも同じように、多数の目を持っているらしい。「僕の世界には、あれに少しでも似ている種は一つもなかった」

 「まあ、確かにフォーやグレアに似た動物はあまりいないよな。ああいう知恵がない生き物は、人間のために神様が創造した、と教会は教えている。お優しい神様は、痛みを感じない動物を人間に授けてくれたわけだ」

 ヨウは驚いて聞き返した。「フォーも痛みを感じないのか」

 カリカは首肯した。「生きたまま肉を切り取っても、ちょっとピクピクするだけで平然としているよ。あたしの実家でもあいつらを飼っていたからよく知っている。どうして神様が、鶏やリッパーもグレアやフォーみたいに痛みから解放してくれなかったのかはわからないけどな。アクターボに人間を襲うモンスター種族までご丁寧に創ってくださった理由もな。よーし、エリアスもすぐ来るから、飯にしようぜ」



 朝の食事(グレアのつみれ汁というメニューが出た)も済んだ頃には、宿の利用者のほとんどがチェックアウトしたせいで、建物は閑散とした様子になった。

午前中、宿の前を通る商人をつかまえて交渉したが、フォーもターパンも手に入らなかった。それらの荷役用動物は、繁殖力が低いせいもあって、とても高価らしい。だが、エリアスに表敬するために訪れた村長が、荷物運びとして屈強な村の青年を貸してくれた。“村から領主様への感謝と敬意の表れ”だそうだ。

 村長は慇懃にそう説明したが、締め切られた民家の窓や、母親が守ろうとするかのように抱きかかえた子供たちの視線を観察する限り、そうした好意は政治的な計算から導かれたものかもしれなかった。これではまるでエリアスたち一行が、あらゆ悪事に手を染めた西部劇の悪徳保安官のような扱いだった。

 ひょっとすると、この村で使役動物が手に入らなかったのには、純経済上の需要供給関係以上の、何らかの意思、ありていに言うと、悪意が働いていたのかもしれなかった。

 一晩休息してカリカの肩もだいぶ良くなったらしい。今日は歩みに合わせてちゃんと腕を振っていた。治癒魔法恐るべし、といったところか。治癒するのは肉体だけで、破れた衣服が元通りになるほどファンタジーではなかったので、ヨウは密かに安心していた。

 道中は割とあっという間に過ぎていった。

 植物の知識はないからわからないけど、道端の小さな花は普通のタンポポのようでいて実はディテールが異なっていたし、地面の石畳でエサを探す蟻は、同じようでいて、体節が普通のより多いようだった。そして南の空には、常に変わらぬ位置から2つの小月が見守っていた。

ヨウは高校で理系を選択していたからなんとなくわかった。このファンタジー世界は、植物学者や動物学者が見たら卒倒するほど面白いものだらけなのだろうということが。

 ――僕の代わりにこの世界に骨を埋めたいと願う研究者なんか無数にいるだろうになぁ……。

ヨウは大きく嘆息した。空中をひらひら飛ぶクラゲのような物体に向かって挨拶の言葉をかけた。

 「なにこの生物」



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