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□51 開花

 明け方の帝都スリミアは雨が上がったばかり。互い違いに置かれた石畳同士の隙間には、まだ雨水が残っている。まだ多くの人は寝静まっているが、道路には、荷車や出勤する人がちらほらと現れはじめ、街はまた活気に溢れる一日に向かって動き出していた。

 市内のあちこちでは、新しい建物が天を目指して毎日のように伸びている。また別の場所では、膨張する市街を収めるために、外壁の拡張工事や橋の建設が進んでいた。いまの帝国は、設備投資が設備投資を呼ぶ、高度成長期まっただ中なのだ。

 ヨウがもらたしが技術のおかげで、帝国の農業生産はこの30年で大きく伸び、農村では人口爆発がはじまっていた。農家の次男や三男は実家を離れて都会に流入し、飛躍的な発展を遂げつつある労働集約型の諸工業に、豊富な労働力を提供していた。新しく開発された鉱山は大勢の鉱夫を要求したし、活況を呈する建設業界は出稼ぎ労働者の無限に近い受け皿となった。

 かつて農家の余った子供たちは、傭兵になるかトラクトの原料になるかの二択を迫られる時代が長く続いた。だが新しい時代の帝国の若者は、大人になるのを待ちきれない勢いで田舎を離れ、より優れた選択肢から自分の将来を選べるようになっていたのだ。都会には、核家族世帯から成る、新しい消費者層が誕生しつつあった。

 先の戦争では、貴族たちが軒並みイウビレオ作戦で失われたために、一般市民や農民がマスケット銃を手に戦った。その結果、平民階級の発言力は大幅に伸張し、今や帝国等族議会にも平民の議席をよこせと主張するまでになっていた。

 ヒトの命の価値が重視されるようになると、当然の結末だが、メトセラ処置用のトラクトはもとより、魔力補充用のトラクトすら高騰し、手に入りにくくなってしまった。

 こうして魔術の戦力価値は主に市場原理によって低下し、費用対効果の面では通常戦力――即ち火力化した歩兵の有利に転換しつつあった。戦術的にも、魔術の価値が相対的に低下しつつあることは間違いなかった。近年登場した狙撃銃を使えば、デフレクトを解除した無防備な瞬間に、魔術師の頭を吹き飛ばすことだってそう難しくないのだから。

 産業活動に伴う副産物に汚されたスリミアの空は、煤煙に曇っていた。それでも夜になれば、帝国人が“乳”と呼ぶ天球上の光の帯――即ち“天の川”が、内側から光を発する雲のように、地上を柔らかく照らしてくれる。もうずいぶん昔のことだが、天にかかる乳が“銀河”であることを教えてくれた人物がいた。ニシミヤ・ヨウ。それが謎めいた人物の名だ。異世界から流されたと自称した青年。

 最初はこれまで嫌というほど見てきた、いかがわしいペテン師の一人かとも思ったが、ヒレンブランドの御仁の推薦だから謁見した。ペテン師という先入観は予断だった。実際のところ、大当たりだったと言える。 帝国が先の大戦を辛くも生き延びる上で、彼が果たした役割は大きい。今もなお帝国は彼の恩恵に与っている。もちろんそうだ。ニシミヤが残したノートがなければ、蒸気機関や電磁誘導理論の完成に何百年かかっていたかわかったものじゃない。

 空を切り裂いて黒々と伸びるいくつもの塔は、製鉄工場や製紙工場の煙突。遠くにひときわ高く伸びつつある塔は、大金が投入された驚異のハイテク、その名も“石炭火力発電所”だ。

 かつて、帝国の都市という都市を意地悪く見下ろしていた教会の古塔は、今や斜陽し力を失いつつある。巨大な煙突は、教会の古塔に代わるもの――あくせくと落ち着きなく利潤を求める、新たな時代の欲望の象徴だった。

全ては良い面と悪い面を蔵しているものだ。この黒々と日々伸び続けるニューシンボルの、歓迎できない影がいったいどこに差すことになるのかは、まだ誰にもわからなかった。

 おそらくは、とドゥーガル皇帝は考えた。

 ――ニシミヤ・ヨウならば、彼らの歴史の中に、その答えを持っていたのかもしれないな。

 皇帝は、久しぶりに外の風にでも当たろうと、半円形のバルコニーにお出ましになった。そして、生温かい空気を吸うやいなや鼻に皺を寄せた。近くを流れる工場排水で汚染された川の臭いが漂ってきたからだ。涙目でふり仰いだ木々の梢には、大きな蚊柱がいくつも群れているのが判別できた。

 皇帝は天を仰いだ。「これが皇帝の居城か」 

既得権益を奪われ不平を漏らす貴族階級には命を狙われ、過酷な労働と独裁的な政治体制を嘆く一般国民からも、常に反乱のチャンスを窺われる毎日。身の安全のためとはいえ、皇帝が窓から外を眺めるのにも不自由するとは、皮肉だった。

 皇帝の吐息に含まれる二酸化炭素でも感知したのか、蚊柱は上下にゆっくり揺れながら、皇帝の方に漂ってきた。それに目を留め、皇帝陛下は慇懃に挨拶した。

 ――おや、これは紳士淑女の皆さん、ご機嫌うるわしいようで何より。わたしが本日のホスト、皇帝です。血液のアペリティフに血液のフルコースはいかがかな?

 もはや、乾いた笑い声を立てる以外に、どんな反応をすればいいのかわからなかった。40年前のスリミア攻囲戦で第一の側近を失ってからは、胸襟を開ける相手もいない。

 ――思い返せば、あの頃は楽しかったな。

 ドゥーガル皇帝のどんよりした半眼に、青空を流れる光条が映る。一つ、二つ、連続して三つ。あれは流れ星なんかじゃない。明らかに、天から続々と舞い降りつつある、天人の仕業だ。

 天空に居座るあの連中を、ありがたがって“天人”と呼ぶおめでたい連中がいる。あいつらを「不死の皇帝による圧制を打倒する、天からの聖なる遣い」だとか、「伝統社会を損なう悪帝に、天罰を下しに来た神」だとか、勝手に崇めているらしい。民衆とは常に勝手なものだとはいえ、もう少し自分の頭で考えろ、とドゥーガルは叱責したい思いに駆られることもしばしばだ。

 人口爆発のせいで若返った帝国の民は、彼らの人生を縛る不条理が、とにかく我慢ならないのだ。齢を経れば見えるはずの、一見無関係な無駄や習慣に込められた、実際的意味が全然見えていない。性急に事を推し進めるばかりだ。全てはつながっているというのに。いわば、連なった重い鎖のように。それを引きずっていくのが、国家というものなのだ。

 数日前、突然居城の壁をぶち破り、無遠慮の概念を改革する勢いで目の前に現れた天人――“地球連邦渉外官”とやらと、言葉を交わした。彼らは宮廷専属の魔術師や衛兵の敵意を前にしても一向に動じない、それどころか、手を出せるものなら出してみろと言わんばかりに、余裕の薄笑いを浮かべた嫌味な男女だった。確かに、彼らは若い帝国の民には似合いの主人かもしれなかった。

 ドゥーガルは、昼なお明るく天の一角に居座るようになった真っ白な月を眺め、それを取ろうとするかのように手を伸ばした。指先が曲がり、老いたドラゴンの鉤爪のような、ごつごつした形をとった。

 かつて、殺された先代の代わりに、毒にも薬にもならない人物としてあてがわれた皇帝の座。その後、飽くことなく続いた後ろ暗い行いの数々。政敵を、仲間を、そして息子をも、必要だからという理由で消し去ってきた。皇帝の交代劇に伴う流血に比べれば、一人が長く居座るほうがマシだと、自分を誤魔化しながら。それは“認知不協和”と呼ばれる自己正当化の一種だと、ヨウなら教えてくれただろう。

 皇帝は懐中時計を手に取った。テクサカに急遽送り出した外交官からは、未だ連絡がない。天人の要求に対する返答期限は、今日の昼だ。まだ待つべきだろうか。いや――。

 ――もう十分だ。

 全てを投げ捨ててまで懸命に育んできた結果、短期間で誇るに足る発展を遂げたこの国を、まるで小器用なサルの芸のごとくに、せせら笑うのが天人の流儀ならば――連中による帝国の支配は、過酷なものになるだろう。しかし、新しい主人を国民の大部分が望むなら、よろしい、くれてやろうじゃないか。もとより、そろそろ限界だったのだ。民が要求する“共和主義”なるものが言うほど素晴らしい物ならば、私は自ら玉座を降りよう。天人の来訪は、不死がもたらす同族相食の伝統、この死の連鎖を断ち切る、良い機会かもしれなかった。無責任な人間にとっても、皇帝の地位は心をすり減らす過酷なものだ。少しでも責任感や希望を持っているなら、皇帝の地位は地獄にもなる。

  ドゥーガルは、天空の向こうで忙しく謎めいた活動をする天人への良い返事を、大きな喜びと、奇妙な喪失感に満ちた心で温めはじめた。いったん決心すれば、返事を返すのが待ち遠しい気すらしてくる。人生があと数時間で劇的に変わるのだ。どうして落ち着いて待ち受けることができよう。

 またもや流れ星がスリミアの上をよぎる。それには目もくれず、皇帝は有限の人生がもたらすであろう、ありきたりな悲哀についての夢想にふけっていた。


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