□49 5thE文明
――白月だ。
正面から見るその航空機は、どこか昆虫を連想させた。エリアスとカリカはヨウの前に進み出て、デフレクトの詠唱に入る。どうやら彼女たちは、今のヨウがエンテレケイアの使い手だということを失念しているらしかった。
「そんなもの無駄よ」その幼さが残る声は、ヨウたちの背後にそそり立つ、絶壁の上から降り注いだ。そこには、アエロプの残骸を調べていた白月と同じ、与圧服のような装備まとった白月が立っていた。いや、与圧服というより、ボディスーツと呼ぶべきだろうか。近くから観察すると、それは洗練された質感と、機能美を備えたデザインだ。
ヨウの体内奥深くで戦闘時反射機構が、発動しようと身もだえするのを感じた。右手がステルス銃の脇でピクピク震えるのを抑えられない。
カリカが叫ぶ。「一ヶ所に固まらないで。あたしはエリアスと組む。ヨウはサイン様と組んで」
強力な攻撃魔法で一網打尽されないように分散。攻防揃った2人組みを最小単位に、敵と相対する。傭兵出身のカリカがみせる落ち着きぶりに、ヨウは感嘆した。
崖の上に立つ白月が、まるで階段を下りるように何気なく、ストンと滝崖から落下した。高さ20エルはあるというのに。そんな芸当がまともな人間にできるはずはなかった。白月を間近で観察すると、明るい陽の下に立つ白月は――明らかに人間の女性だった。体にフィットしたボディスーツの大きさからして、サインより、いやエリアスよりも小柄な女。頭の部分はバイザーに覆われた上に逆光になって、中の顔は確認できない。
白月の女は、風鈴が鳴るような涼やかな声で問う。「念のために聞くけど、あんたらフィデスとお友達じゃないわよね」それは、返答を聞くまでもなく、既に自分の答えを持っている口調だった。
「なんだって?」ヨウは空耳かと疑った。
――フィデス? フィデスと言ったか、あいつ。
赤いシールドが一瞬消滅し、いきなり、ヨウだけが無防備に放り出された。皆が驚いて見守るなか、サインは指の関節をポキポキ鳴らしながら、数歩前に出る。
直後、ヨウに通信が届いた。
(ヨウ、ぼんやりしてないでシールド張りなさい。いまから、この生意気な女を教育してやるから、そこで見てなさい)
ヨウはあっけにとられてサインの背中を見送る。
「フィデスなんて名前の友人は記憶にないわね。お前たちこそ何者だ。なぜ我々に干渉する」とサイン。
白月の女は肩をすくめる動作をする。「我々は、この惑星に軍事基地の設置を求めているだけ――と言っても信じてもらえないでしょうね」
「当たり前だな。お前たちもワームトランスの技術を知っている以上、アルトゥリ・ムンディのことが気になるはずだ」
白月の女は、高慢そうに腰に手を当てる。「アルトゥリ? ああ、タップのことね」
「やはり知っていたか」
「あんたも知ってるのね。そっちこそ何者なの? オムニ帝国とかいうローテク連中とは、ずいぶんかけ離れた、ご大層なテクノロジーをお持ちのようだけど」嘲笑を含んだような声の調子は、挑発的だった。
「大きなお世話だ。お前たちはアルトゥリ・ムンディをどうする気だ」
白月の女は斜に構えて答えた。「さあ、どうするんだろうね」
「力ずくで聞いてやろうか」サインは両足を肩幅に開き、凶暴な眼つきで、相手の力を推し量っているようだった。
躊躇するように左右に揺れながら浮遊する、頭上の航空機から男の声が降ってくる。
「おい、やめろ。命令違反だぞ」
小柄であるにも関わらず、ヨウたちを睥睨するように仁王立ちになった白月の女は、声の主に向かって叫んだ。「命令? 命令は“5thEの潜在的未活用資源の調査”でしょ? いま実地検分中だから黙っていて!」
「はぁ……」諦観を含んだ溜息が、顔の見えない白月たちの関係を暗示していた。「悪い癖だぜまったく。俺は上空に退避する。下手打つなよ」
「さっさとケツまくりなさいよ。わたし独りで充分なんだから」
「はいはい」白月の航空機は速やかに上空に離脱し、小さくなっていった。
「大した自信じゃないか、白月のお嬢さん。念のために教えとくが、わたしら4人ともエンテレケイア使いだ」
正確にはそのうち2人は魔術師なのだが。
4対1だと告げられても、白月の女は動じた素振りもみせない。「ほー、なるほど、エンテレケイアね。ギリシャ語とは、マケドニア文明の末裔にはお似合いね」
「ふん、こそこそ調べ回っているようだな、私たちのことを」
「まあね。実際、大したもんよ、あんたたちの文明。感動しちゃったわ。だって、あたしらの世界より2000年も前に蒸気機関を発明したんだもの。ローマ時代に産業革命とは、恐れ入るわ」
「ローマ? 聖歴1800年頃に滅びた古代国家の名だな。それが何だ」サインは険しい表情だ。
「まあいいわ。あんたたちが足踏みしている間に追いつけたんだから。あんた、恒星間探査の生き残り、そうでしょう? だったら味あわせてくださいな、最盛期の5thE文明の力を」白月の女の周りで同心円状の光が満ち、蛇のように地を這う電撃が走った。
すんでのところで、ヨウは真紅のシールドを展開し、電撃の直撃を免れる。戦闘時反射機構がヨウの意識に作用することで、ヨウをとりまく空気が粘性を持つようにすら感じられるものに変化する。インターフェースの機能は、時間が相対的な概念だと実感させてくれる。
(カリカとエリアスを頼む)とサイン。
言われるまでもなく、ヨウは彼女たちをシールド内部にかくまっていた。攻撃担当にサインが立候補してくれたのを、ヨウは感謝の気持ちで眺める。
サインが加速状態のままステルス銃を放つ。インターフェースの作用により、ヨウの視野に合成されたステルス銃のビームは、空しく白月の女が直前まで居た空間を切る。突如、サインの睫毛に触れるほど近くに白月の女の顔があった。
「そのおっきな体じゃ、わたしの加速についてこられるわけないじゃない」
舌打ちし、地を蹴ったサインの跡を追い、白月の女は滑らかに平行移動して空中までついてくる。
「重力制御か!」サインは心の中でヒュウと口笛を吹いた。サインも重月にアクセスし、バリュテスを呼び出す。自分の頭上にも重力波を導き、重量ゼロになった身軽な体で、更に垂直に上昇した。この技は飛行を司るエンテレケイア、“フーガ”だ。
頭上高く飛び上がったサインに向かい、白月の女が銃を向けた。発砲と同時に、サインの周囲に真紅のシールドが花開く。それは魔術師がテルミヌスの力を借りて生み出す結界と、本質的に同じもの。
サインはエンテレケイア個人戦にかけては、自他共に認める、ちょっとした実力者だった。自信を持って、矢継ぎ早に次のエンテレケイアを構成する。フーガに使っていたバリュテスは、攻撃にも転用できる。その名はレグナム。それは相手を重力波のくびきで身動きできなくする技だ。目に見えない透明なレグナムに捕らえられた白月の女は、地上に向かい石のように落下する。
「これでも食らいなさい!」サインが伸ばした掌から、光芒が地を貫いた。熱月から得られたエネルギーが、ワームトランスを通って全てを焼き尽くす業火を成す。魔術師が使うトリプティックと本質的に同じ、エンテレケイアの“フロガ”だ。
網膜に焼きついた紫色の残像を払おうと、サインは数回まばたきする。爆煙に覆われた地上に、空を切って舞い降りたサインは、戦闘態勢のまま油断なく白月の女を探す。彼女から放たれているであろうGHz帯の電磁波、つまりエンテレケイアや魔法に使われるものによく似た、電磁波の漏出を探す。
突如、白月が張った真紅の球体が、煙を割って姿を現した。それは明らかに――サインやヨウのものと同じワームトランス・テクノロジーの産物だった。さっき直撃したはずのサインの攻撃は、白月の女に何のダメージも与えていないようだ。紅色の揺らぎ越しに、バイザーからのぞく白月の女の唇が、笑みの形になっているのをサインは目撃した。サインのこめかみを一筋の汗が流れ落ちる。
白月の女が楽しげに言う。「じゃあ、今度はわたしの番ね」
身構えたサインの背後から、強烈な一撃が襲った。背後の空間から、次々と火炎が“湧き出し”て、サインを包んだのだ。サインのシールドが過負荷のあまり、表面に濃淡を生じる。
まばたきする間に、白月のワームホール・シールドが変形して、鋭い針の形をとった。その先端が伸びてサインのシールドに触れる。すると、シールドの内側が輝いて、内破したかのごとくに、ヨウたちには見えた。その光景にエリアスがあえぎ声をあげ、カリカは目を見開き、指を曲げ伸ばししている。
シールドを槍代わりに攻撃する――そんな芸当が可能だということすら、ヨウは想像もしていなかった。ただの球体型シールドを張るだけなら簡単だが、その形を自在に変えるためには、相当な演算パワーが必要なはずだ。ヨウは心の中でつぶやいた。
――こいつ、バケモノか。
エンテレケイアの使用法に習熟していないヨウにも、白月の女の実力は理解できた。そして、同じ脅威をエリアスとカリカも肌で感じていた。目の前で展開される激しい戦いに、手を出すこともできない。ちょっとでも攻撃しようとすれば、うるいさいハエでも払うように蹴散らされることだけははっきりしていたからだ。その気持ちはエリアスたちも同じだったらしく、蒼白になりながらも、戦闘を観察していた。
(こちらヨウ、サインさん大丈夫ですか?)ヨウは使用可能なあらゆる周波数帯でサインに通信を送った。すると、ほっとしたことに、先ほどの攻撃から生還したらしいサインのシールドが、炎の隙間に垣間見えた。ヨウの耳に雑音混じりの通信が届く。
(ああ、無事だ――とは言えないな。悔しいが、こいつハッタリかましていたわけじゃないな。私のシールドが壊れるのを見ただろう? あの女、どうやってか私のシールドの内側にワームホールをくり抜けるんだ。そんなこと不可能なのに!)
サインの荒い息が、苦境を物語っていた。サインは切羽詰ってヨウに助けを求めた。(こんなべらぼうな敵があっていいのか! ヨウ、何かヤツを叩きのめす妙案はないか?)
(案と言われても……)残念ながら、ヨウはエンテレケイアのような超ハイテクに触れるようになったばかりの原始人に過ぎず、そんなもの思いつくはずもない。それでも困難な課題に挑戦した。
(――サイン、フェチーレはどうです? 僕が攻撃するふりをして、シールドを消して隙をみせます。ヤツが僕を攻撃するためにシールドを消した瞬間――)
(何を相談しているのかな?)その声は、白月の女の声。耳元で囁されたような感触に、ヨウの心臓が縮み上がる。
(きさま・・・・・・どうやってインターフェースの通信に割り込みしてきた?)通信規格の壁を乗り越えるだけなら、まだ不可能ではないだろうが、高度なセキュリティに守られているインターフェース越しに、部外者が通信を割り込ませるなど、絶対に不可能なはずだった。
白月の女は含み笑いを漏らした。「アハ。まだ気付いていないのね。あんたたちのテクノロジーが内包する重大な欠陥に。サインさんとやら、あなたのインターフェースは脇ががら空きね。しっかり肘を脇につけないと、あんたのインターフェースにウイルスお見舞いしちゃうわよ」白月の声は相変わらず涼やかで、からかうような響きを帯びている。
だが、どうしてだろう。ヨウはその声に胸の奥がざわつくのを感じていた。
――この声、どこかで聞いたことがあるような……。
そのとき、コツンと木槌で石を叩くような音が、ヨウのシールド内部で生じた。頬を撫でる風は熱した金属の臭い。音の方を見ると、白月の女が銃口をヨウたちのシールドに向け、ゆっくりと近づいてきていた。
ポコン。トリガーにかけた指が僅かに動くのと、ヨウのシールドが貫かれるのは同時だった。
「力の差がわかってもらえたかしらね、サインさん」ゆったりと歩きながら、微笑みながら、ヨウのシールドに銃を放つ白月の女。「かかってきなさいな。でないと、あんたのお仲間のドタマ、吹き飛んじゃうわよ」
ヨウのシールドが放つ赤い光が、間近まで歩を進めた女のバイザーを照らした。そして、真っ黒な銃口がヨウの方を向いたそのとき、弾かれたように白月の女が銃口を宙に向けた。
ヨウには、彼女がまさに飛び上がったように見えた。
影になったバイザーの奥が、一瞬だけ赤い光に照らされた。そこに垣間見えた、赤と黒が織り成すモノトーンの顔。形の良い眉と、ちょっと釣り目がちの目許、控え目な造りの鼻。その陰影に、こんどはヨウが飛び上がった。
その顔は――もしかすると――ひょっとして――まさか。ヨウは一歩、白月の女に近づいた。ためらい、また一歩踏み出す。そのまさかだ。それは紛れもなく人間の、しかも良く知っている少女の顔だった。
白月の女がバイザーをずらすと、夢見るような表情を浮かべた東洋系の女性の顔が、はっきりとヨウにも見て取れた。圧搾空気の漏れる音がして、ヘルメットも地面に投げ捨てられる。はらりと両肩に髪が落ちた。赤い光に照らされているのは、小柄な女性。
ヨウも少女の顔を信じられないという表情で見詰め、心の中で夢をみている可能性を検討し、ついには目の前の少女を現実と認めた。ワームトランス・シールドを隔て見詰めあう2人に、エリアスもカリカも、そしてサインも、ただならぬ気配を察した。
目尻に涙を湛え、白月の少女は囁いた。「お兄?」