□47 空宙戦
もともとは恒星船の一部だった平坦な装甲板に着陸したアエロプを、サインが出迎えてくれた。その彼女の後ろを、帝国風の正装をした外交官がついて歩いていた。外交官がヨウたちを一瞥する視線は、冷ややかだ。それもそうだろう、帝国からの亡命者を快く思う帝国外交官がいるはずもない。
サインは、アエロプに乗り込み次第、用意していたステルス銃をヨウに差し出した。「これを使ってね」
「僕たちには攻撃魔法がありますよ」そう言おうとして、ヨウはためらった。攻撃魔法は出力調整が難しい。鶏を絞めるのに牛刀を使う必要はないということだろう。
もう失くしてしまってから久しいけれど、地球から持ってきた荒い仕上げの安物の銃と、ステルス銃では質感が全く違う。ステルス銃には、プラチナの塊から彫り出したような高級感があった。錆とは永久に無縁そうに見える光沢のある金属でできており、見た目よりずっと軽い。その滑らかな銃把に触った瞬間、インターフェース越しに操作方法が頭の中に流れ込む・・・・・・というより、はじめからあったかのように、その知識がヨウの中に存在していた。
エリアスはオモチャのように軽い銃を、不思議そうにいろんな角度から眺めていた。カリカも同様だ。
「ヨウの銃とぜんぜん違うな」カリカはステルス銃に銃口がないことを指摘した。
「神経に作用する武器だからな」とヨウが言う。
「ふーん」カリカは本当に人を倒せる武器なのか疑っていた。真実のところ、ヨウのグロックよりもよほどデンジャラス極まりない武器なのだが。
サイン、外交官ら5人が乗ったアエロプは、静かに宙に浮き、機首を東に巡らせた。機内のコクピットにはほとんど何もない。そのシンプルさが、逆に洗練されたテクノロジーの存在を暗示しているし、実際その通りなのだ。
サインは背後のヨウたちに寛ぐように命じ、自身は椅子をリクライニングモードにして瞼を閉じた。帝国の外交官も覚悟を決めたのか、だいぶ寛いでいるようだった。
ヨウは壁の窪みに仕込まれた給水マシンで水を汲んでみせ、外交官にも身振りで勧めた。外交官は首を振り、無言のままカーゴスペースの小窓から外を眺める。
ヨウは外交官が聞き耳を立てているのを承知の上で、エリアスに同盟についての意見を聞いた。
「帝国とテクサカの同盟なんて、想像もできないわ。白月がどれほど恐ろしい人たちだとしても、帝国貴族がそんなこと納得するわけないですもの」
「いまの帝国は以前ほど貴族が力を持っていないようですよ。ドゥーガル皇帝ならなんとかしてしまうかもしれません」心もち声を低めて付け足す。「とはいえ、帝国とテクサカが同盟したところで、白月には到底歯が立たないでしょうね。セレリタスのテクノロジーを使えるといっても、軌道上の敵には手が届きません。それに核攻撃されたら、魔王城だって消し飛んでジ・エンドだろうし」ヨウには、白月の連中なら、その程度の蛮行を、あっさりやってのけそうな予感がした。
「なあヨウ、たった一度のカクコウゲキというので、本当にあの魔王城が粉微塵になるのか?」
カリカはまだわかっていないらしい。どうも、カリカは核爆弾を攻撃魔法の超強力バージョンか何かだと勘違いしているようだった。「まあ、恒星船は大きいからね。形は残るかもしれないけど、半径10トエル以内の人は誰も生き残らないと思う。トリプティック1万発が一度に押し寄せるようなものだからなあ」それとも100万発だろうか。
エリアスが小声で言った。「それでも、何とかしないと」
ヨウはうなづいた。「ええ。ドゥーガル皇帝は宿敵テクサカと手を結んで、そこまでして帝国を救おうとしています」どこの馬の骨とも知れぬヨウを使ったことといい、今回の帝国とテクサカの同盟話といい、皇帝陛下の柔軟性は、歳月を経ていささかも衰えていないらしい。
「さすがの皇帝陛下も、彼我の力量差までは読み切れないでいるのかもしれません。もし僕が彼にアドバイスできる立場なら、白月の要求をまず飲んで、それから反撃の機会を探りますね」
「そう……」エリアスが無念そうにつぶやく。ウルビス・フルメントム市で、昨日みせたような明るさは、エリアスから影をひそめていた。
仮眠をとっているかのように装っていたサインが、背もたれに体をゆったりと預けたまま、話に割り込む。「ひょっとすると、余計な心配かもね」全員がサインに注目した。「白月のやつらがどんなに間抜けだとしても、極月があと39年足らずで地上に落下することくらい目をつぶっていてもわかる。あいつらがアルトゥリ・ムンディに興味があるのだとしたら、放置した方がいいのかもしれない」
しかし、それは幾重にも重なった都合の良い仮定が、全て正しければの話だ。もし白月が悪意を持つ連中だったら、帝国もテクサカも地獄行きだ。地球に来たフィデスのような極悪異星人ではないという保証もない。
そのようなヨウの慎重な考えに、サインは賛意を示した。「その通り。だから私が自ら動いているの。潜在的な脅威には、直接的に接触してみるのが戦略的な最適解――」
サインが急に押し黙った。ヨウもまた同じように黙る。
「全員座って。急加速するかもしれない」コクピットに、抽象化された毒々しい赤の警報が踊る。それは、ハイテクに慣れていない者の目にも明白に、何か良くないことが起こっていることを伝えていた。
「未確認飛行物体が近付いてるます。危ないからじっとしていて」ヨウもアエロプのAIが提供するデータを感じながら、まどろっこしく感じられる自然言語で、エリアスたちに状況を説明した。サインは全然説明する気はないらしい。操縦に専念している。
セレリタスに残ったエルモの思考も、ヨウの頭に浸透してくる。(低軌道に小型移動物体接近中。気をつけろ)。エルモの方が、先に軌道上から降下する飛行物体を探知して、サインに教えてくれたのだ。
「加速! 席について!」サインが警告した。ほぼ同時にアエロプのコクピットが粘菌の一種であるかのように変形していく。サインが座る椅子も変形し、体を包むような形状で落ち着いた。
カリカが悲鳴をあげる。「うわあ、こいつ動くぞ。ヨウ、どういうことだ!?」
椅子がいきなりゾワゾワ形を変えれば、そりゃ驚くだろう。ヨウは同情した。獲物を探す粘菌のように蠢き、守るべき人間を探す椅子に驚いたのか、帝国の外交官がひっとうめいて飛びのいた。
「早く! 白月のミサイルが近づいてきてる!」鋭い警告の叫びに振り向いた外交官と、ヨウの視線が合った。そのとき、外交官は巨人に殴られたような勢いでカーゴスペースの奥に飛ばされてヨウの視野から消え――何かがぶつかる、湿った音がした。
ヨウは、エリアスたちが無事かどうか確かめることもできない。指先を上げることすらままならない程に、重くなった身体が悲鳴をあげる。アクティブ消音を止めたのか、それとも消音しきれないのか、轟音が周りじゅうから押し寄せてくる。警告音と同時に、大加速がヨウの身体を左右に揺さぶった。狂気のようなアエロプの機動は、永久に続くように感じられた。
◆
ミサイルの接近警報と同時に、戦闘時反射機構がサインの意識を、生体のそれよりも遥かに高速な機械の速さに近づけた。以前、ヨウと初めて出会ったときに発動したのと同じものだ。今回は、サインのインターフェースがアエロプの高速リンクを利用できるため、より高度な第二段階戦闘処理が発動した。
サインの脳が処理する問題の多くが、アエロプの情報処理系に移管され、遅々とした化学反応に囚われていた精神機能の大部分が、電子的に再構成された擬似生体脳環境で働きだす。
これは、本来苦痛も伴うストレスフルなプロセスであるが故に、感情制御及び感覚入力制御サブルーチンが、事前のセッティング通りに働いた。擬似的なエンドルフィンがサインの意識を妙にハイな多幸状態に遷移させる。サインが好戦的な幸福感に浸されたせいで、興奮気味に両手の指をワキワキと動かす。それと連動し、アエロプの可変角エンジンが生き物のようにのたうつ。
(もっと速く)サインの要求に機体は応えた。熱月から導かれたエネルギーがじゃぶじゃぶ投入されたエンジンは、ほとんど超音波に近い作動音を撒き散らして機体を前へと推進する。上空から迫るミサイルは、赤外線の軌跡を残して地上に激突した。
満足感がサインの心に閃いた直後、すぐに白月の第2波がアエロプの頭上に迫る。今度の攻撃は4発。これはミサイルではない。アエロプの予想進路と被さるように円錐形に放たれた、低軌道から降り注ぐ小さな矢。
セレリタスのエルモが、低軌道の赤外線マップを転送してきた。攻撃の源は、巧妙に隠された低軌道衛星だ。アエロプは音速の3倍余りの速度で高度をとる。包囲するように迫る白月の矢が突如分裂し、霧に似た無数のニードルに変化した。
(多弾頭か。やってくれる)サインは――というよりサインと半ば一体化したアエロプのは、急降下しつつUターンし、背面飛行を経て最初の進行方向とは270度の角度で離脱した。アエロプの構造上最も弱いエンジン接合部の応力が限界近くまで上昇、センサー情報が焦燥感を伴ってサインの意識に通知される。
サインが警告に気づいた時には、カーゴルームの生命反応が1人減っていた。激情がほとばしり、それもまたたく間に人工的な幸せに転化し、唇が笑みの形に歪む。減ったのが誰なのかまではわからない。この40年、セレリタスのコールドスリープ装置によって、“死”の瀬戸際で眠るヨウ、エリアス、カリカの寝顔を、ときどき眺めて過ごしてきた。あの子たちの誰かが失われたなどとは、考えたくもなかった。
悔やむ間もなく、今度は機体背面の温度が異常値を示した。何らかの電磁エネルギー兵器の攻撃だ。光速で照射される電磁波を避けることは、狭苦しい大気圏内ではほとんど不可能。窮余の策として、針のように細く長いワームトランス・シールドがアエロプを包む。その形状なのは、空気抵抗をできるだけ避けるためだ。高速で機動するアエロプを、軌道上からピタリとつけ狙うビーム。死の波長で鋭く迫る電磁波が、シールドを構成する無数のワームホールの泡にむなしく飛び込み、エネルギーのゴミ捨て場とも言うべき空月に転送された。
サインは忙しい機動の合間で敵を評価した。(こんな骨董品のアエロプ相手に手間取るなんて、白月はわたしたちよりテクノロジー的に劣っているのか。いや、侮るのは禁物。あまりこういう戦いに慣れていないか、こちらの対応能力を試していると仮定すべきか)
果たして、やはり敵の、白月のテクノロジーは侮れない水準にあることがはっきりした。アエロプの進行方向に天から降ってきたのは、キラキラと光の粒をまとったワームホールの柱――ワームトランス・シールドでできた長大なカッターだった。
(馬鹿な、宇宙戦闘用の兵器を大気圏で使うなんて……とんでもなやつら!)絶望に駆られながら、耐久限度を越えた機動で破滅から逃れようとあがき――いきなり何の抵抗もなくアエロプの小さな翼がエンジンごと失われた。エンジンは、ゆっくり離れながら本体と並行して飛び、視界から消え去った。
絶望を知らぬ戦術プログラムが、こういったケースの対応を編み出した。アエロプを包むワームホール・シールドの形状が変化し、片肺でもバランスを崩すことなくアエロプは体勢を立て直した。しかし……このダメージでは白月の攻撃から逃れられない。
(次の攻撃で、もう――)サインは心を満たす多幸感が煩わしかった。おそらく数秒以内に死ぬというのに、やっと死ねるというのに、幸せの内にだなんて。最後に残された貴重な経験を、無駄にしているように思えた。
光と音でサインにうるさく催促するアイコンが、視野の端で明滅していた。戦術プログラムだった。視野の中心にでかでかと、戦史に記録された大昔の戦闘記録が表示されていた。2000年近くむかし、まだ翼の揚力とプロペラで飛ぶ航空機が現役だった時代から、揺り起こされた過去の断片。
サインは笑いたい発作に襲われた。(こりゃあいい、AIこれを試してみる)
間髪を入れずに、転送機能をオフにしたワームトランス・シールドが傘のように広がり、アエロプは空気抵抗によってつんのめるようにして減速する。機体の奥の方――おそらくワームトランスデバイスの本体がある辺り――が伝達された応力に耐え切れず、恐龍のわめき声に似た破壊音を放出した。乗員の意識が飛ぶほどの強烈な減速がかかったまま、およそ7、8トエルも飛んで、アエロプは木々の茂る谷に墜落した。隕石のように落下するアエロプを守るために、球状に丸まったワームトランス・シールドが衝撃を吸収する。地でバウンド、大木を折り砕き、傷だらけの機体が柔らかい地面に沈んだ。
シャボン玉のようにか弱い主人たちを守り通し、アエロプはついに長い長い生涯を終えたのだった。