□45 行きて戻りし国
ヨウが操縦するアエロプ――大気圏航空機は、実に扱いやすいものだった。アエロプはサインたちから見れば、自転車のように素朴な工業製品のようだった。ヨウからすれば、途方もないハイテク製品だというのに。小ぶりな両翼に付属する円筒形のエンジンから湧き出す白炎は、アクティブ消音のおかげでほとんど蝋燭のように静かだ。しかも、インターフェースのおかげで、ほとんど考えるだけで操縦できる。適当に場所を思い浮かべて、「ここらへんで下ろして」と命じればOKだ。
また、ヨウを治療する過程で体に埋め込まれた――というより、ヨウの肉体修復のついでに新たに“生成”されたインターフェースというものは、アエロプなどより、よほどとんでもない代物だ。人間の能力を拡張するためのデバイスなのだが、その拡張範囲は広範だ。例えば情報処理能力の威力は絶大だった。
そのほかに体調管理、寿命延長、身体能力強化、精神能力の拡張、そしてワームトランス・テクノロジーを用いた“魔法”能力の獲得。すなわちエンテレケイアをも実現してくれる。
インターフェースを構成するのは、今やヨウの体を構成する血肉と同等の存在として、体の中を縦横無尽に走り回っているナノマシンたちだ。この無数の下僕たちのそれぞれが、ヨウの世界なら大学に設置されている大型コンピューター並みの演算能力を内臓しているらしい。こいつらが実行する分散コンピューティングの結果、ヨウの体は今や恐るべき合成演算能力を備えているらしい。
長い年月を経て変異し、新しい環境に適応したナノマシンを、帝国の魔術師たちも体内に飼っている。だからこそ、太古とは全く異なるユーザーの使用法にも柔軟に耐え、古代のエンテレケイアを現在も魔術として顕現させることができているのだ。
ヨウは手探り状態で、これだけのことをライブラリから探り出した。インターフェースの通信機能で集合知性ともリンクしているから、その気になれば、ヨウは集合知性のライブラリから知識を引き出すこともできる。地球にあったインターネットが仮に海ならば、その深遠さと広大さで宇宙にも例えられる、巨大な知識の泉。もっとも、多くの知識には、アクセスできないように制限がかかってはいたが。
セレリタスに残された最後の稼動するアエロプを駆り、ヨウたちが向かうのは帝都スリミア。音もなく視界から流れ来る森の向こうから、次々と耕された畑や白っぽい街が迫っては、背後に過ぎ去る。コクピットに映される映像は、まるで外が真昼間であるかのように補正・拡張されていた。
「アルトゥリ・ムンディは、“超越した場所”との間の栓なんですって」
エリアスがはじめた説明に集中するために、ヨウはアエロプの速度を音速以下に落とした。
「実のところ、サイン様の説明はわたしたちにはよくわからなかったのです。それでも良ければ説明しますよ」
ヨウに異存はなかった。どうしてテクサカが、サインたちがスリミアの地下にあるアルトゥリ・ムンディとやらにそんなに固執するのか。それは、テクサカと帝国の戦いの、そもそもの発端でもある。
「大昔・・・・・・といっても150年ほど前に、魔王様たちは地上に降り立った」
「十分に大昔ですって」
エリアスは苦笑した。「え、ええ、まあそうですよね」
おおまかな歴史については、ヨウも魔王城――つまり恒星船セレリタスで、ごく短時間ではあるが学んでいた。セレリタスが地上に不時着したのは聖暦3582年のことだと記憶している。
「そして、当時のオムニ王国を魔王様たちが訪問して、オムニ教会にアルトゥリ・ムンディの開示を求めました。まあ、後から考えると無謀の極みですね。でも、当時のアルトゥリ・ムンディは地表に一部をのぞかせたまま、野ざらしで、誰でも手を触れられる状態だったそうです。
「オムニ教会はサインたちを門前払い。その後は一切アルトゥリ・ムンディに近づくこともできなくなった。それでいいんですよね」
「はい。だから魔王様は周辺の蛮族や帝国からの亡命者をかき集めてテクサカを建設し、力ずくでスリミアを奪おうとした。その後は歴史にある通りです。私たちの魔力の源泉は空に常におわす13の月が源になっています。そして、この極月・・・・・・ええと、ジュンテンチョウエイセイと魔王様は仰っていますが、この極月がアルトゥリ・ムンディからの力をうまく受けられずに、地上に落下するのです」
「月が落下する?」あの直径何キロもある月が落下するともなれば、それはもう、地上は想像を絶する地獄絵図になるだろう。
「もし地上に落ちれば、何年も闇が地上を覆い、帝国・テクサカ双方が滅びる・・・・・・そのようなことを防ぐには、魔王様自らアルトゥリ・ムンディを直接触って直さなければならないのです。わたしたちは、そのような破局を阻止しなくてはなりません。帝国を、そんな目にあわせるわけにはいきません」
アルトゥリ・ムンディ。それは強大な過去の遺産。太陽のはらわたからエネルギーを汲み取る機能が、未だ損なわれていない、おそらく唯一の生き残り。
アルトゥリ・ムンディから動力を受け取っている、軌道を巡る月には、おそらく自動的に軌道高度を維持する仕組みが備わっているのだろう。その仕組みは何千年も壊れずに動き続ける設計だった・・・・・・でも、実際に数千年が経ってしまったのだ。「そんな理由があったのか」
エリアスは長い睫毛をパチパチさせた。「ずいぶんすんなりと理解するんですね。わたしは13の月が神様の御座所だと教わってきました。そして魔術師の力の源泉だとも。でも実際は、わたしたちが知っていたのは真実の半分でしかありませんでした」
ヨウは頭をかいた。「常識を打ち破るのは誰にとっても難しいですよ。僕はこの世界の常識から見れば、外野にいますから」
「齢のせいで頭が硬くなっているのかも」
「そんなことは――」
「おお、自虐ネタ」カリカがおどけた声で茶化した。「年齢ネタ解禁か?」
「まだ厳禁です! そういうあなただってもう――」
「みなまで言うな!」カリカがわめいた。
ヨウ自身も、考えてみるともう18歳だ。それとも40年間眠っていたんだから、58歳なのだろうか?
「まあ、どっちでもいいじゃないか。あんたはインターフェースのおかげで不死になったんだから」そう、カリカは軽く言う。現実主義的な考え方だった。トラクトによって割と簡単に不死が実現した社会に育った者らしい、割り切り方だった。