□43 真実
サインによると、魔王城の医療素材が底をついていたから、ヨウの体を分子レベルで再構築させる作業に何年かかるかわからなかったらしい。そして、テクサカに居る限りエリアスたちは寿命延長用のトラクトが手に入らない。エリアスも老いる一方。だから、冷凍睡眠を使って未来にジャンプすることにした。とはいえ、彼女たちも、ヨウが目覚めるまでにこれほど長い年月がかかるとは、想像もしていなかったようだ。
にしても、死んじゃったから分子レベルで再構成して復活させた。しかもその作業に40年もかかった。涼やかな風が、草々をさざなみのように渡る草原にたたずんでいると、ヨウにはそんな突拍子もない話はどこか別の世界の出来事に思えた。
「サインさん、今年は聖暦3736年ですか?」
「違う、3737年だ」サインが簡潔に訂正した。「あの後の歴史をかいつまんで説明しよう。我々は結局のところ、オムニ帝国を滅ぼすことはできなかった。そして、2度目のチャンスは再び訪れなかった。青年、お前が連中に余計なことを教えたせいで、わたしたちがアルトゥリ・ムンディを手にすることは、ついに叶わなかった。この数十年で、あのいまいましい帝国は魔法と銃で武装してしまったから」
そう言うと、サインは肩をすくめて溜息を深々と吐いた。だが、彼女の言葉には怒りなどの負の感情は感じられなかった。だが、快活な仮面の下は、ただただ疲れているように察せられた。
ヨウの遺産が帝国を救った。そのことを耳にして、ヨウの中に喜びがこみ上げてきた。彼が残した高校レベルの――地球でいうところの19世紀レベルの知識を記した冊子を、帝国が充分に活用したならば、蒸気機関を作り上げるくらいは10年もかからないだろう。
――自分がやったことは、完全に無駄じゃなかった。異世界の国を救うことはできたんだ……。
誇らしい気持ちと、説明しづらい満足を、ヨウは噛みしめた。
「お前の手書きのノートは、今ではクワナの大学でガラスケースに保存されているそうだ。大切なコピーの原本としてな。お前のノートは蒸気エンジンやライフル銃や地雷を生み出す悪魔の書だ。いまいましい」
ヨウはおずおずと尋ねた。「あのあと、帝国とテクサカの戦争は終わらなかったんですね」
「そうだ。ドゥーガルは今でも健在でせっせと軍備を蓄えている。ヤツは戦争準備だけは整えても、我々と事を構える気がないから、下手に暗殺するわけにもいかん。あいつのせいで、せっかく帝国に築いた諜報ネットワークもパーになるし、まったく食えないやつだよ」
ヨウは男爵イモのような――良く言ってもメイクイーンのような、皇帝陛下の顔を思い出した。不死の帝国貴族は、今も大勢生き残っているのだろう。おそらくはエリアスの父親もまた。
◆
ヨウは目覚めてからの数時間で、エリアスやカリカが学んだのと同じく、「真実」を学んだ。サインが提供したのは、ファンタジー世界向けにアレンジした童話のような“真実”ではなく、テクノロジーに馴染んだ人向けの無修正版“真実”だった。この世界の厳しい歴史、そしてサインたちの来歴をも包み隠さず。
サインとエルモは、かつて栄華を極めた文明が送り出した恒星間探検隊の一員だった。片道数十年もの快適な旅のために、一つの都市に等しい規模の恒星船を建造し、それを光速に近い速度まで加速させる。この一点だけ切り取っても、ヨウの世界が石器時代に思えるほどのテクノロジーが使われていたのだ。
セレリタスのような巨大な恒星船を駆動するために開発されたのが、ワームホール・エネルギー転送技術、即ちワームトランス・テクノロジーだった。我々の身の周りにある空間には、虫食い穴のような小さな孔が無数に開いている。空間に満ちた無数の孔から、両端が必要な場所に繋がっているものを見つけ出し、小麦粉から生パスタを作り出すように、長く引き伸ばすのだ。太陽表面の6000℃に達するプラズマまで、マイクロメートル・サイズのワームホールをくり抜き、熱を汲み出すドレイン機関。クリーンで無限、そしてどこにでも簡単にお届けできるとあっては、恒星船の動力源だけではなく、社会のあらゆる面にワームトランス・テクノロジーが普及するのは時間の問題だった。
はじめは各地の発電所、航空機、船などに搭載されるようになった。更に技術が進んでワームトランス・デバイスが小型化すると、最終的に人々は極小のワームホールを体の中で無数に飼うようになっていた。その変化は、かつてグラハム・ベルが発明した原始的な“電話器”が、インターネットに連なる遠い祖先であったのと同じように、大規模に、ドラスティックに、人々の生活様式まで変える力を持っていた。
惑星をリングのように巡る月が設置され、人々の体に埋め込まれた生体インターフェースに、膨大なエネルギーがワームホール転送されるようになった。ワームトランス動力受け取る無数のナノマシンが、人々を病気や寿命から解放し、永久の命を約束してくれた。
サインとエルモが参加した恒星間探検隊は、この繁栄の時代後期に出発したものの一つだった。目的地の恒星系を探検し、小さな記念碑を建て、母星への帰還の途についた。だが、順調にワームトランス機関が働いていたのは帰途の半ばまでだった。
船に備え付けられたワームトランス即時通信機は、星の大海原を孤独に進むセレリタスと故郷をつなぐ、情報の架け橋だった。探検隊が数十年も旅を続けるうちに、故郷から届く些細な情報の断片から、故郷が少しずつ変容し、奇怪な文化を形成しつつあることが察せられるようになった。強力なナノテクと生物工学が融合し、新たな人類や人工的な奴隷が生み出されていた。自己増殖するAIマシンが星系中の資源を母星に供給することにより、無限の富とエネルギーがもたらされ、労働を過去のものとした。
この時代の人々は、あり余る時間をもてあまし、ケガも死も恐るるに足らず、精神すら思い通りに抑揚をつけ、もはや魔法としか思えない力を指先一つで操る存在になっていた。ワームトランス・テクノロジーという強力な技術は、暇を持て余す人類の格好のオモチャと化した。手のひらに出現させた巨視的ワームホールから火炎を呼び出したり、生まれては消えてゆくワームホールを球形に配置し、攻撃から身を守ったり。そうした魔法のごときテクノロジーは、エンテレケイア――全的実現と呼ばれた。
やがて地道な科学的探究や恒星間探査が、時代遅れのロマンとして人々から失笑されるようになったのは――労働の苦しみを知らず、心地よく守られた環境と豊かな資源に囲まれ、全人類が怠惰な富豪となった時代の――必然の流れだったのだろう。
ある日、セレリタスにワームトランスされてきた母星からのニュースは、これまで何世紀も人類に服従してきたAIマシンたちが、次々と自らを壊し自殺しはじめたことを伝えた。やがて、何の前触れもなく恒星船のワームトランス機関が停止し、母星からの通信と動力の供給は、それ以後一切途絶した。
エネルギーの外部供給を絶たれたことで、このままでは探検隊は、その猛烈なスピードを落とすこともできずに母星系を通り過ぎてしまう事態となった。だが、こうしたトラブルに対処するために、この時代の恒星船設計者は、多重バックアップを用意していた。セレリタスは自らを原子レベルで改造し、自らの体を少しずつ削ってそれをエネルギーに転換して減速させた。セレリタスの集合知性は、予定航路を母星への直線コースではなく大きく湾曲した螺旋状にコースを変更、ゆっくりとした加速度で減速するために、母星への帰還予定は1500年も遅れることになった。
1500年後。セレリタスがやっとのことで母星の暖かな光の下に帰還したとき、そこは廃墟と化していた。第4惑星や小惑星帯には、低重力に適応した人々が住み着いていたはずだが、それらの居住地は消え失せ、あらゆる文明の産物が消滅していた。ガス巨星の衛星のいくつかからは微弱なエネルギー反応があったが、それは極寒の厳しい環境で人間の生存を可能にするほどのエネルギー量ではなかった。おそらくは無人の自動システムが、長い年月を経てなお生き残っているものと考えられた。
出発時の質量の数十分の一にまで縮んだセレリタスが、貴重なエネルギーをチビチビ使いながら注意深く母なる惑星に接近する。母星を巡る軌道上に置かれた月――即ちワームトランスデバイスを詰め込んだ巨大なエンテレケイアシステムは、いずれも太古の昔と変わらずに存在していた。サインたちが出発したときとほとんど変わらぬ姿で。それに勇気づけられ、希望を込めて惑星表面を観察したセレリタスのクルーたちは、ほどなく落胆することになる。彼らの母星は無人と化していたのだ――ほとんど。わずかに、粗末なボロ服を着た異形の人々が、地表に棲みついていた。
これからどうすべきか悩んだクルーたちが、投票するために全体会議を開催し、無防備になっていたちょうどそのとき――大月の北極付近に突然高エネルギー反応が出現、セレリタスを攻撃した。目に見えないビームに抉られ、セレリタスは母星の大気圏に叩き落された。動力が不足しているために、大気との摩擦をワームホールシールドで逃がすこともできない。セレリタスのひたすら頑丈な船殻も暗赤色に鈍く輝く。2つのミレニアムをまたいで、恒星間の真空と高エネルギーの放射線に耐えてきた船殻表面のセンサーや付属装置は溶け崩れ、消滅した。
だがセレリタスの集合知性は立派な仕事を成し遂げた。人間にはとうてい不可能な正確さで姿勢制御ジェットをきらめかせ、出航当時と比べ縮んだとはいえ今なお巨大な恒星船を、地表に着地させたのだ。残念だったのは、着陸時の衝撃のすさまじさから、結局生き残ることができたのはエルモとサインの2人だけだったということだ。
長い昔語りは終わった。だがここに至っても、謎は一つだけ残っていた。