□4 トラクト
対モンスター用のトラップが発動するやいなや、全員が素早く腰を上げた。カリカがすばやくウォルカをブートして、小規模なオーレオールを召喚する。彼女のてのひらに現れた青白い光球は楕円形になり、次いで光の柱にように、手のひらが向く方向を照らし出した。まばゆい光芒に照らされて、たくさんの揺れる双眸が木々の奥にうごめいていた。異形の者、モンスターだ。
「そんな」エリアスが小さくつぶやいた。「ブラインドの術をかけていたのに。どうしてみつかったのかしら」
「間違ってたんじゃないの。まったく、これだからお嬢様は甘いんだよ」カリカの言葉は厳しいが、さほど険はない。
「まぁ、見つかったものは仕方がありませんねぇ。そこがモンスター、私が蹴散らしましょう」芝居がかった動きで剣を抜いたトレンチ。緊張感がないにもほどがあった。「ゲント、力を貸してくれ」
ゲントはうなづき、防具を被った。
「エリアス様はそこでブラインドをかけなおしてお待ちください。では」
走りだしたトレンチの背中に、カリカが言う。
「ちょい待ち。私がモノプティックで――待てっての!」
トレンチはカリカを完全無視でモンスターに向かってゆく。彼の背中を追って走りながら、ゲントは召喚したオーレオールを中に放り投げた。コロコロ転がり、地面の上で強烈な白光を放ち続ける。
エリアスはシレノスをブートして、ブラインドの呪文を唱えていた。森の縁にさしかかる二人の背中を、オーレオールで照らしながら、カリカが毒づく。「チッ、仕方ねぇな」
同時に彼女は、ヨウと名乗った少年が、真っ先にモンスターの襲撃に気づいた事実を考えていた。自分の背後で、奇妙な衣服を濡らしたまま怯えている少年は、何者なのか。緊張しているのだろう、少年は、手を握りこぶしにして身構えている。
トロルやパペット、ギガスのような、いわゆるモンスター種族は魔術を使えない。そのための知識がないから。それに理解する知力もない。よって“超越した場所”から魔力を引き出せない。人族やドワーフ、エルフ、フェンリルも、誰もが多かれ少なかれ魔力を備えており、どうしてもいくらか魔力が漏れる。時には赤ん坊からだって魔力は感知されうる。だからこそ、シレノスをブートすれば人探しの術ができるし、更には魔力の漏出をトラップに応用もできる。
――まさか、このヨウとかいうやつは、モンスターの放つごく微弱な魔力を、ブートなしに感じたのか?
カリカは首を振って疑惑を否定した。そんな芸当は、どんな大魔術師でも不可能だ。「まさかな」そうぶやくと、再び森の奥に注意を向ける。
そのとき森の奥がざわめき、甲高いモンスターの鳴き声と、木を叩くような音が伝わってきた。黒い粒のように見える鳥たちが、ギャーギャーと抗議をわめきたて、森から飛び去った。音の方向に光を向けるが、カリカたちは何も見えない。
いきなり青白いサンダーが森から湖に伸びて、水面で爆発した。着弾点周辺で、マッシュルームのような丸々とした水蒸気が沸き昇る。
「あら、大きなサンダーですね」
「いいな、私も撃ちたい」うらやましそうに指を噛むカリカ。
数分で勝敗は決したらしく、始まったときと同じようにモンスターたちは去っていった。人間を襲うくらいだからよほど飢えていたのだろうに、やけにあっさりとした引き際だった。
「おーい」遠くから発せられたのは、トレンチの声だ。足を引きずったトレンチが森との境目から姿を現した。
「怪我したのか」とカリカ。
彼は返事代わりに腕を高く掲げて手招きした。「来てくれ、ゲントが」
「ゲントが?」
「すまない、俺がいながら。奴は、クソ、とにかく手遅れだ」
「そんな馬鹿な」
彼はあの程度のやつらにあっさり殺られるようなヤツじゃない。数歩踏み出した後で、カリカは振り返ってヨウをあごで示した。「エリアス、こいつを見ていて」
草原と森の境からさほど離れていない場所に、トレンチが立っていた。カリカは彼の横に駆け寄ると、そこでゲントをみつけた。白く強烈なオーレオールの光束が目に痛いほどだった。カリカは手を頭上に掲げ、木々からの照り返しで周囲を間接的に照らすように調整する。
彼は血のついた葉の下に倒れ、首には折れた木片が刺さっていた。その目は、突然の死に驚いたかのように見開かれていた。死人にはどのような治癒魔法も利かない。完全にアウトだった。
「ゲントまで」なぜ、こんな雑魚どもに。口をついて出そうになった言葉を、カリカは飲み込んだ。例え死んでいても、戦士の前で言ってはならないことがある。カリカの頭上で、風が木々の葉をざわりと揺らした。後悔と、理由のない迷信的な畏れがカリカの胸にこみ上げて、思わず頭上に視線をさまよわせた。
とにかく、彼をそのままにしておいてパペット化させるわけにはいかない。全員で1エル強の深さの穴を掘り、そこに埋葬した。念をいれて、サンダーを穴の底に横たわる仲間に落とした。
――これで何度目だろう。
カリカは嘆息した。傭兵出身のカリカは、アクターボと呼ばれる無人の土地での作戦行動中に仲間を失うたび、こうして死体を焼いてきた。そうしなければアクターボの毒にやられて、死体もいやらしい種類のモンスターになってしまう可能性があるのだ。
汚れた手を湖で洗い、くたくたになって焚火のところに戻ってきた一行は、言葉もなく座った。独りヨウだけが、少し離れて皆を注意深く観察している。体が濡れ、寒い様子をみせていたヨウも、体を動かしたことでむしろ汗ばむほどになっていた。
「もうたくさんです、撤退しましょうよ」疲れと心痛ですっかりしょげ返ったトレンチは、気が進まぬ様子でエリアスに頼んだ。
困ったような表情を浮かべたエリアスは、カリカを正面から見つめた。まるで縋るように。
少し間を置いて、カリカは言った。「私は……トレンチに賛成だ」
エリアスが苦しそうに眉を寄せた。「カリカ……」
カリカは重い口を開く。「あなたの父を思う気持ちは良くわかる。でもこの旅は異常だ。ゲントは私のマークス・ギルドにいたわけじゃないけど、それなりに腕は立つ方だと思う。それがあんな戦いで逝くなんておかしい」
トレンチも加勢する。「そう。城からここまで二人も死んでいます。こんなの異常ですよ。空から変なやつまで降ってくるし。そもそも、“癒しの錠剤”なんてものが本当に――」
エリアスの口調が冷気を帯びた。「あなた、いまさらそんなことを? 伝説に過ぎなかったアロンの杖だって、本当に発見されたじゃない。帝国じゅうの古代遺跡を記したレコール伝承列伝によれば、このあたりには有望な遺産が眠っているはずです」
トレンチはばつが悪そうにうつむく。「それはそうですけど、現実問題、ゲントがいなくなった今となっては、やつの大荷物まで持までちきれませんよ。秘蹟の遺物にたどりつく前に、俺たちレグナム食らった蛙みたいにぺっしゃんこになっちゃいますって」
「荷物なら、えと、ほら、この人がいます」いきなりエリアスに指差されたヨウは、意味もわからずに愛想笑いを浮かべていた。
「ヴィア魔道教会に、いや、オムニ教会にでも突き出すべきだ」カリカは厳しい意見を出した。「こいつが空から落ちてきてすぐだったな、モンスターが現れたのは。そんな偶然があると思うか」
トレンチもその意見に賛同する。「そういえばそうですよね。偶然にしては出来すぎていますねえ」
「ではなんですか。お父様を放っておいても構わない仰るのですか、あなた方は。もう弱ってしまって、起き上がることも喋ることも、できないのですよ」
トレンチは居心地悪そうに身じろぎした。「そ、そういうわけではないですけれど」
エリアスの瞳には怒りの炎が燃えていた。車を引くフォーは逃げるし、荷役夫は自分の荷車にひかれて首を折った。雇った道案内は慣れているはずの道で行方不明。食料はなくすし、今度はモンスターの襲撃。そんな不運のオンパレードにもめげずに、父のために伝説の秘蹟の遺物を追い求めるエリアスは、実は恐ろしいほどの芯の強さを持っている。
普通、「古代遺物を探す」などという計画を大真面目でぶち上げるやつは、ペテン師扱いされるか、嘲笑されるかのどちらかだ。その危険を敢えて犯すエリアスの強さに気づかないほど、カリカは鈍感ではなかった。むしろ、自分よりも強靭な精神力の持ち主なのではないかとも思い始めていた。
「どうすれば遺跡に同行してくださいますか? そうです、ヨウだって、命を助けた私たちに恩義を感じて、一緒に同行してくれます。そうですよね」
「おいおい、あたしらこいの命なんか救ってないぞ」とカリカが冷静につっこむが、エリアスは無視する。
エリアスにいきなり尋ねられたヨウは、何かモゴモゴと言っている。言葉がわからないのだ。
「意思疎通が問題ですか? では――」立ち上がったエリアスは、背嚢に手を伸ばした。
「エリアス様、まさか」「エリアス!?」
「これを使えば私たちの言葉がわかるでしょう。超越した場所にまします古の神々よ、汝アテナよ、我マギにバイパスを開きトラクトを活性化させたまえ」
エリアスが彼女独特の言い回しで呪文を唱えると、劇的にエリアスの魔力が増幅され、長い髪が逆立った。体表から熱が放出され、上昇気流が甲冑の端からのぞく袖先をはためかせた。
「ここで使っちゃうんですか!?」トレンチは信じられない、と首を振った。
一方、カリカはわずかに躊躇して、意を決する。「仕方ないわね。さあ、トレンチあんたも手伝って」
「え、俺も?」
「そう、早く。こんな慣れない魔術、エリアス一人じゃ心もとないでしょ」
テルミヌスが管轄するところのサポートの術を立ち上げて、“超越した場所”とのバイパスを安定化させる。次いでトレンチの及び腰のサポートも加わった。カリカは、自分の魔力がエリアスの魔術が果たす役割の一部を果たし、僅かずつ消費されるのを感じた。
ゆらり、とヨウに近づいたエリアスの手に握られる小さなトラクト。今やそれは鈍く輝いていた。逃れようとするヨウの背中に、発光しはじめたトラクトが叩きつけられた。
吸い込まれるように、ヨウのTシャツに輝く卵型の物体が溶けてゆき、ヨウは震えながら膝を折って地面に跪いた。