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□39 スリミア攻囲戦

 帝国の首都までテクサカが押し寄せてくるなど、この100年なかったことなのだから仕方ないのかもしれないが、避難民たちは落ち着きなく周りを気にしている。彼らの不安が伝染したのか、元々のスリミア市民までもどこか浮き足立って見えた。

 避難民が町に流入したために、皇帝は数度にわたって一般市民に空いている部屋の供出を命令していた。当然、どこの馬の骨とも知れない薄汚れた避難民が家に上がることを快く思う市民などいない。元々のスリミア市民の不満は相当なものだった。

 スリミアに流入する避難民たちは、食料配給クーポンと引き換えに、塹壕や仮設トイレの建設に動員された。また、健康な若い男女は根こそぎ歩兵連隊に編入される運命にあった。

川に面した船着場には、河川ネットワークを通じ続々と歩兵や避難民、軍需物資が運び込まれている。今やスリミアは雑多な歩兵が150個連隊(約20万人)もたむろする軍事都市に変貌していた。

 10月。帝都スリミアだけを目指し、槍のように突進してきたテクサカ軍は、スリミアの外郭要塞を包囲するに至っていた。

 スリミアという都市は、大きな川の屈曲部に建設されている。東側を川、西側を強固な街壁で守られており、ここに都市の基礎が置かれた年代は記録に残るよりも遥かに過去に遡る。つまり、いつから人が住んでいるのかは歴史の闇の中ということだ。この古い都市が陥ちれば、帝国の命運は決まったも同然だ。同心円状に広がったオムニ帝国の、交通と経済の結節点であり、政治と宗教の中心地が、ここスリミアなのだから。スリミアこそ、アルファにしてオメガなのだ。

 外郭要塞から等間隔で聳える監視塔には、ヨウが設計したものを改良した、射程2トエルの改良型放射砲が設置されている。監視塔下部には揚水ポンプ、頂部には放射砲用冷却水を蓄えた木樽と、放熱用の銅管が絡み合うように増設されていた。

街壁の内側には、石造りの壁から充分な距離を置いて、仰角が固定された大口径の臼砲、そのプロトタイプが数門設置されている。西側を向いたその巨大な砲は、ニシミヤ法で鋳造された最初の大砲であった。もちろん、従来型の攻城砲――カタパルトも多数設置されている。こちらは貴重な黒色火薬ではなく人間の筋力だけが動力源だから、玉切れの心配はない。1門につき100人がロープを引くことで、10kgの砲弾を140~160エル程度飛ばすことが可能だ。

 街壁の上には、魔術師が攻撃魔法を詠唱している間にも敵の攻撃から身を守れるように、充分な奥行き空間と、等間隔に置かれた切り石が配置されていた。切り石は、そのまま歩兵の楯として利用できる。今や城壁の上には、量産がはじまったマスケット銃を構えた歩兵――銃兵が待機していた。

 ドゥーガル皇帝が居城に使っている建物の尖塔には、木炭を熱源に用いた熱気球が結わえ付けられ、間近に迫ったテクサカ軍の航空偵察に出動しようとしている。もちろん、この熱気球もヨウの発案だった。また、すぐ近くに聳えるオムニ教会の尖塔には、にかわで保護された空中線が渡され、まだ帝国の旗の下で戦う諸領からの、火花通信を受信していた。

 数々の新しい仕掛けの中には、あきらめなければならないものもあった。鉛-硫酸電池を直列でつなぎ、15ボルトの電圧を食塩水にかけることで電気分解する。マイナス極から生成する水素で爆轟手榴弾を、プラス極から生成する塩素で毒ガス兵器が実現するはずだった。しかし現実は甘くはなく、水素のような気体を大量に蓄える容器の製造で不具合が発生したのだ。塩素の方はともかく、水素を閉じ込めておくのは容易ではない。

 また、試作していた接触式地雷は、燃焼速度が速い雷管の製造がどうしてもできず、諦めざるを得なかった。ないにもかもが足りないファンタジー世界で何ができて何ができないのか。できないことなど多分ないだろう。充分な時間と資金さえあれば。だが、今は時間がどうしようもなく足りなかった。



 ヨウ発案の防衛作戦――ホライズン作戦は皇帝によって直接裁可され、軍の将校が詳細を詰めて実行に移された。ホライズン作戦の骨子はこのようになっている。

 ①放射砲でテクサカ軍を城壁から2トエル以上遠ざける。

 ②街壁に近づいたテクサカ軍を火器で攻撃する。魔法攻撃も併用。

 ③内郭防衛線で歩兵を投入。

 作戦の成否は、ひとえに防御火力にかかっている。テクサカ軍前衛と外郭要塞の間の距離は、約2・5トエル。この空間でテクサカ軍を少しでも減らさねばならない。一度テクサカ軍がスリミア攻略に着手したら、もう放射砲は無用の長物だ。わずかな時間では放射砲のX線ビームは敵を傷つけられないからだ。だが、魔術師たちが交代で放ち続けているサンダーの雷鳴とそれに伴う不可視の毒は、いまのところ頼もしい魔除けの効果を発揮していた。

 やがて。秋の色も濃くなったその日、テクサカ軍陣地の奥深くで動きがあった。決戦がはじまるのだ。



 ドゥーガルが御前会議を開かなくなって久しい。近頃では、皇帝に親しく接するのは、ほぼ側近の数人に限られていた。帝国行政府や等族議会からは度々面会の要請があったが、それらはほとんど謝絶されていた。愚鈍の仮面は、非常時には邪魔過ぎるからだ。やるべきことはうずたかく積みあがり、片時もドゥーガルの心が休まる時はなかった。

 「今朝の戦時法に基づく簡易裁判の結果です。夜間外出禁止令違反の罪で処刑21名。買い溜めの罪で処刑8名。特別防衛税未納の罪で処刑4名。暴行や盗み等の重犯罪による処刑36名になります」

 「・・・・・・」ドゥーガルはサクス・ブランクの報告を全く聞いていないかのように、テーブルに開いた戦域地図をにらんだままだ。もちろん、皇帝陛下が一言逃さず理解し、数字を吟味していることに、サクスが疑問を挟む余地はない。

「明日から処刑はなしだ」唐突にドゥーガルが処刑の中断を命じた。規律の維持のために、積極的に犯罪者を処刑するように命じたのはドゥーガルのはずだった。例え、空腹に耐えかねてコーン1個をくすねた子供でも、容赦なくニシミヤ式断首台にかけるようにと。その効果か、膨大な避難民が押し寄せているにも関わらず、市内の治安は今のところ保たれていた。

 サクスの躊躇を感じ取ったのだろう、ドゥーガルは地図から視線を話さずに説明した。「安心しろ、私がにわかに慈悲心に目覚めたわけじゃない。私に対する、お前の内なる評価をわざわざ上方修正するには及ばんよ。少なくとも、慈悲深いニシミヤ式断首台で死なせてなどやらないということだ。明日からは街壁の外に放り出せ。射撃訓練の的くらいにはなるだろう」

 サクスは寒気を感じたかのように首をすくめた。恐ろしげな異形のモンスターどもの前に放り出されるくらいなら、断首台の方がどれだけマシか知れない。

ちなみに、“ニシミヤ式断首台”は、その名の通り、ニシミヤ中尉が提案した新しい処刑法だった。これまで主流だった絞首刑や斬首刑は、苦痛を伴い、しかもしばしば処刑に失敗していた。下手な処刑吏の手にかかると、何度も首に斧を振り下ろしても死ねず、受刑者が「ちゃんと殺してくれ!」と悲鳴をあげる惨事になる。それに比べ、ニシミヤ式は確実かつ瞬間的に命を奪ってくれる、実に人道的な処刑具だった。この道具、彼の世界では“ギロチン”と呼ぶのだそうだ。

 「確かにその方がみせしめになりますな・・・・・・そういえば、明日の裁判で都市同盟の豪商の特別防衛税未納事案が裁かれるはずですが」

 ドゥーガルは、今日はじめてサクスに視線を向けた。「そいつはクワナから逃げてきた商家だ。戦争を待ち望んでいた連中の成れの果てだよ。しつこく戦争をせがんでおいて、いざ負け戦となったら戦費を負担したくないと泣きごとを言うなど、人間としてどうかと思わないか?」

 「ははあ、なるほど。陛下は執念深い」苦笑交じりに、サクスが評価した。

 「記憶力は良い方だからな。さて、今日はあの青年の新兵器をみせてもらうのだったか」

 「さようです。正午までの3時間確保しています」

 「そうか。よしもう出発するぞ。朝食は歩きながらで良い」 

 サクスがあからさまに嫌そうな表情をみせた。市内に張り巡らされた、汚泥でべたべたした地下トンネルは、ドゥーガルお気に入りの移動路だ。どういうわけか、薄暗いトンネルにいるときの皇帝陛下は上機嫌になる。しかし、そこを移動しながら食事までもとなると、もはやサクスの常識の外にあるとしか言いようがない。トンネルの天井といわず床といわず、びっしりはびこるカタツムリその他の湿った蟲どものうごめく様が、サクスの脳裏にフラッシュバックした。

 サクスは猫なで声で誘惑する。「たまには輿で優雅に移動しては?」

 「なぜだ。暗殺者に狙われるのは嫌だぞ」

 「薄暗くて逃げ場がないトンネルの方がよほど危険だと思いますが・・・・・・」

 「いいではないか。議論している時間はないぞ」そう言い放つと、ドゥーガルは常にない機敏さで、テーブルの上で冷めつつある質素な鶏肉のコーン包みをひっつかみ、地下通路に続く階段へ向け走っていった。



 テクサカ軍の主力は知性の限られたモンスターたちだったが、彼らはアクターボ――突然変異原――から何百トエルも隔たったオムニ帝国中心部では、目に見えて弱りつつあった。魔王自身による傀儡化を施してもなお、モンスター種族の意気は上がらなかった。

それに、食料も不足していた。どれだけ抑えこもうとしても、広く拡散したテクサカ軍占領地のあちこちでは、モンスターが人を襲い、食べたという報告が上がっていた。決戦を急がねばならない。この認識は、テクサカ軍のどのノードも感じていることだった。

 その日、スリミアの硬い門をこじあげるために集結していたテクサカ軍約60万のうち、エルモ直隷軍33万が一斉に遮蔽物から飛び出し、スリミア外郭要塞に向かって突進した。魔王支配下のモンスターたちは一瞬遅れて、テクサカ人や亡命した人族・ドワーフ・エルフたちに続く。

 こうしたモンスターとの混成突撃は、バーサーカー状態のモンスター種族の突進に巻き込まれる可能性があるために、通常はとても危険とみなされていた。だが、戦場にあっては特に気になるほどの危険度ではなかった。今日の食べ物もないのに、明日着る服を気にするようなものだからだ。

 遠雷が散発的に響き、敵監視塔の放射砲が目に映らない毒を垂れしているとあっては、多少の危険など誰も気に留めないだろう。固定式の放射砲は有効範囲が限られている。その射程の内側へと一刻も早く滑り込むために、全テクサカ兵は必死に走っていた。大柄なために、他の種族を置き去りに突出していたギガスが、バリバリという大音響と共に地面にめりこみ、怒りの叫びをあげる。ほぼ同時に、あちこちで落とし穴に落ちるギガス。彼らがひっかかったトラップを迂回して、なお街壁に迫るテクサカ軍。その雑多な集団は、灰色の奔流のように、かつては豊かな農地だった茶色の大地をふみつけてゆく。

 と、低い地響きのような音響が戦場を駆け抜けた。街壁の上に広がる青空に、小さな黒点が生まれた。その点は急速に大きく成長して、テクサカ兵が充満する地面に激突した。土くれが飛び散り、それでも運動エネルギーを失わない弾丸は後続するテクサカ兵をなぎたおす。街壁まであと1・5トエルほど。まだ攻撃魔法の射程ではないと油断していた。敵の新兵器だった。次々と飛来する砲弾の着弾と同時に、土砂やかつては生き物だった破片が飛び散る。砲弾はテクサカ兵が満ちた場所を狙って落下する。落とし穴によってテクサカ兵の進路が変わることを予測して、着弾点が計算されていた。

 スリミア周辺は平坦な土地柄で、丘陵もほとんどない。平地に設営されたテクサカ軍本陣からは、突撃する自分たちの兵の状況がつかめなかった。最前線で駆ける下級ノードたちが、独自の判断で健闘していることを、今は祈るしかなかった。

 一方スリミアの市街上空では、さらに次のガジェットが動き出していた。帝国では貴重な綿織物――そのきれっ端で作られた巨大な熱気球が、聳える塔の先端から解き放たれ、西に向かって漂ってくる。テクサカの兵は緊張した。空に浮く見慣れぬ球体が、彼らにとって友好的な存在であるはずがないからだ。

 太陽を翳らせ、地上に影を落としつつ、テクサカ兵の頭上に浮く気球。そのゴンドラに、重し代わりに搭載された、大きな酒瓶に似た物体が、地上にばら撒かれた。地上に落ちた瓶の割れ目から緑色のガスが噴出する。塩素ガスだ。猫の目のようなきれいな緑色。木々の緑とは異なる禍々しい色の塊はゆっくりと形を崩してゆく。塩素ガスは空気より重い。なかなか風に吹き散らされず、地面を這うように、ガスは広がっていった。 そして、緑色が触れた瞬間……。テクサカ軍の兵たちは顔を覆って苦しみだした。ガスに犯され視力を失い、苦痛でパニックになったモンスター種族が手当たり次第に周りの友軍をぶん殴っている。

一方、毒ガス弾を投下して重しを失った気球は、留めようもなく、空気が薄い領域目指してぐんぐん昇っていった。やがて熱が失われて地上に降下するだろうが、着陸地点は選べない。

 テクサカ軍が街壁まで200エルまで接近したそのとき、おなじみの魔法攻撃がはじまった。一人の魔術師が防御魔法を唱え、一人が攻撃魔法を準備する。テクサカへの亡命者から成る魔術師も、同様に攻撃魔法を構成した。

その間もテクサカ兵は街壁をひたすらに目指す。そして、あと100エルに近づいたところで、轟音と共に帝国軍の新兵器、マスケット銃が火を噴いた。すぐに、第1列の後方で待機していた第2列が前に進み、街壁の上から射撃を加える。このあたりの手際は、魔術戦闘と似ていると言えよう。

質の悪い黒色火薬が燃焼したことによる白煙が、高い街壁を覆い隠した。銃兵の幾人かは、前ぶれもなく銃身が暴発したことで負傷し、悲鳴をあげて転げまわった。加工技術に問題があるようだ。

 またある銃兵は、テクサカ軍が放った弓矢が命中して倒れた。負傷者はすかさず後ろに引きずられてゆき、彼の銃をすぐさま別の者が手に取った。銃1丁に対して常に5、6人の予備銃兵が待機しているのだ。

予備の銃兵たちは、出番が訪れるまで遊んでいるわけではない。陶磁器製の容器にアルコールと硫黄を詰め、布で栓をした “テクサカ・カクテル”を街壁の向こうに投擲する。このお手軽な焼夷手投げ弾は、地上で割れてテクサカ兵を効率よく火達磨にする、何とも厄介な贈り物だった。

木製の枠に設置された何本もの物干し竿のようなものは、黒色火薬ロケット。その弾頭部には、花火と食用油脂を組み合わせた、消火困難な焼夷弾が搭載されている。折をみては、それら焼夷弾はヒューンと軽快な音を撒き散らし、敵が集中した場所に発射される。

 いまや役目を終えた放射砲が設置されている監視塔からは、サンダーに代わりモノプティックと思われる攻撃魔法が激しく火を噴いている。同時に臼砲とカタパルトの砲弾が、街壁を超えてテクサカ兵の頭上に降り注ぎ続けていた。

 ヨウの故郷を幾度も焼き尽くし、荒廃させてきた火薬と鉄の饗宴は、いまファンタジー世界にも飛び火した。地獄の炎は無数の命を燃料にして燃え盛っている。一度着火したこの炎を消すことは、もはや誰にもできないであろう。


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