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□38 鉄

 地平線を這うゆらめきは、蜃気楼によるものではなかった。

 それは、テクサカの無数の軍勢が生み出す土ぼこり。それに加えて、もしかしたら勝利への強烈な決意が、ゆらめきとなって立ち上っていたのかもしれない。

 テクサカ軍がスリミアに迫るに従い、恐れおののいた地域住民が住居を捨てて逃げ出した。避難民が大量にスリミアに流入し、市内の人口は大幅に増大していた。幸いにして夏の暑さは過ぎ去りつつあり、人口の過度の集中による疫病の蔓延は抑制できそうだったが、食料の不足はどうしようもなかった。

 また、東部アムール領では反乱軍が頑強に戦い続け、帝国国内の物流に悪影響を与えていた。

 ヨウの発案した“放射砲”は、帝国の商都クワナの防衛戦に投じられた際に、初めのうちはバードガースの際と同じように大きな効果を上げたが、ある日・・・・・・魔王の使い龍が闇夜に急襲し、クワナの放射砲は粉々に破壊されたという。ヨウがそこのとを知ったのはかなり後になってからだった。彼は、その事実に含まれた重大な含意を見逃すほどに、忙しく働いていた。

 無線機の製造については、ヨウの指導で製造法を学んだ職人たちが、ヨウのオリジナル無線機のコピーを量産していた。帝国中からかき集めた銅像が溶かされ、銅線製造にあてられた。無線機製造のために、時には電導性が良い銀の食器が溶かされて使われた例まであった。

 ヒレンブランド工廠で着手した製鉄法の改良についても進展があった。鉄の製造についてはじっくり腰をおちつけて技術開発するのが本来の姿だったのだろうが、とりあえずこの世界では一般的な、鉄鉱石と木炭を混ぜて加熱するだけの原始的な製鉄法からは、早急にオサラバする必要があった。

 帝国産の炭素分が多い鉄鉱石は、一般的に各地の製鉄所の木炭炉で加熱処理されてきた。木炭炉は加熱されたまま密閉状態にされ、木炭から一酸化炭素が発生する。この一酸化炭素と酸化鉄中の酸素が結合して、鉄鉱石は還元されるのだった。

 この過程で木炭炉の温度を更に上げれば、半溶融状態の鉄ではなく、地球における高炉のように溶融状態の鉄を作ることも可能だった。だが、溶融状態になった鉄は炭素をよく吸収するため、木炭炉の炭素を吸収してすぐに炭素分の多い鋳鉄(銑鉄)になってしまう。いちど鋳鉄になってしまうと、それを鎚で叩きながら脱炭するのは多くの工数が必要な作業になった。だから、鉄を完全に溶融させてしまうことは、地球でも中世までは嫌われてきたのだ。

 地球では19世紀にベッセマー法が開発されたことで、高炉で生産された鋳鉄を簡単に鋼に変えられるようになった。これは非常に重大な製鉄技術の飛躍だった。ふいごでベッセマー転炉に空気を送りこむことで、鋳鉄中の炭素を二酸化炭素に酸化し、同時に酸化熱で溶融状態を保つ。この製法によって、鋼鉄の値段は従来の6分の1まで下がったのだ。

 この製法が誕生するまでに地球では何世紀もの時間が必要だったわけだが、ヨウはそんなに時間をかける気はさらさらなかった。ドゥーガル皇帝が帝国造兵廠の改良をヨウに命じたのは、今すぐに大量の鋼鉄が必要だったからだ。だが実際のところ、地球にあったようなベッセマー転炉を製造する時間も技術もない。だが、人海戦術でベッセマー転炉と同じ原理を用いた製鉄設備を造るのは可能だった。

従来型の木炭炉は、簡単に高温化してミニ高炉にすることができる。造兵廠の製鉄技術者――というか鍛冶職人が、作業上最も気をつかっていたのは、もともと木炭炉の温度が上がり過ぎないようにすることだったのだから。出来上がった銑鉄は、蒸気機関を用いた送風機ではなく、代わりに何十人もの人足がふいごを踏むことで作動する、代用ベッセマー転炉で鋼鉄に変えられた。

 溶けた状態の鋼鉄を大量生産する。この19世紀レベルの技術をモノにするのにわずか2ヶ月で成功したことは、ヨウにとっても驚くべきことだった。溶けた鋼鉄があれば、型に流し込むことで思い通りに大口径の大砲を鋳造することもできる。マスケット銃を鋳造で作ることも可能かもしれなかった。

 新しい製鉄法は“ニシミヤ法”として、帝国各地の鉄加工業者に無料でライセンスが提供された。この新しい技術の吸収にあたっては、帝国西部に点在していた帝国都市同盟の鉄ギルドの職人が、戦火に追われて大勢スリミア周辺に流入していたことが幸いした。彼ら腕利きの職人たちは、ヨウが説明する鉄の秘密を吸収し、ヨウが期待した通りに、次々と新しい実用的な製造技術を生み出していった。

 ヨウが彼らに耳打ちしたのは、ごく基本的な鉄の秘密――即ち、鉄に炭素を浸み込ませれば鋼となり、鋼から炭素を奪えば鉄になるという事実だった。これまで、鍛冶職人が一生を捧げてきた作業―― “鍛造”とは、鋳鉄や錬鉄の表面を加工して、炭素の含有率や結晶構造を変えることだったのだ。

 この、言葉にすればほんの数行の知識を得るまでに、地球ではゆうに1つのミレニアムの時間を要したのだ。


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