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□37 魔術と科学の融合

 バードガース城下を一望にできる小高い丘。その頂上に設置された“放射砲”の傍らでは、重厚な甲冑を身にまとった、黒髪の男が解体工事の指揮をしている。

 彼はオムニ氏族連合帝国辺境領北部タイル防衛軍・ヒレンブランド連隊本部付武器掛少尉ニシミヤ・ヨウ。現在はヒレンブランド第2連隊本部付臨時中尉でもある。

 「中尉、ここにいたのか。攻城戦を見てなくていいのか」

 ヨウは汗を拭い、まだ20代前半の若い大尉に笑みを浮かべた。つい2ヶ月前に生まれたばかりの、臨時編成の第2連隊には、敬礼のような定式化した表敬方法を、割と無視する家族的雰囲気があった。

 「ベルモント大尉、ご足労ありがとうございます。ああ、私には攻城戦は専門外ですし、将校の邪魔をしないようにひっこんでいます」

 「そういえば中尉は七月に攻城戦がはじまった頃からから、ぜんぜん観戦していないな。気遣いは無用なのに」 

 「放射砲の保守が忙しくてつい・・・・・・」

 本当のところ、ヨウはバードガース包囲作戦の途中で気分が悪くなり、みっともなくも倒れる寸前だったのだ。必要なこととはいえ、自分がやろうとしていることの恐ろしさが、じわじわとヨウをさいなんでいたからだ。

 卒倒するような醜態を兵の前で見せるなど最低最悪――だと、親切な同僚が教えてくれたから、ヨウは倒れる前になんとか逃げ出すことができた。以後、何も考えずに済むように、ヨウは一日中休むことなく働いていた。働くことで、考えずにいられた。

 沈鬱な表情を浮かべるヨウに対し、ベルモント中尉は朗らかだ。「バードガース攻略の手柄は中尉の貢献に帰せられるだろう。臨時の中尉から正式な中尉に昇進は間違いないぞ」笑みを浮かべたベルモント大尉が、何気なく“放射砲”の小屋に近づいた。

 「大尉、柵を超えてはいけません!」ヨウは慌てて制止する。

 小屋を囲むように定間隔で地面に刺さる杭、その内側には限られた者以外は入ることを禁じていた。丸太組みの頑丈な小屋は、目に映らない毒が内部から外に漏れるのを防ぐために、中古の方盾で隙間なく覆われている。解体工事が終わったら、それらの盾も念のために一定期間隔離保管することにしていた。ターゲットやターゲットホルダーは、もちろんひどく放射化しているだろうから、線量が減衰するまで厳重に隔離する。ヨウが危惧している生成核種は、鉄の同位体Fe59、他にはCu64やMn54が考えられた。2、3年放置すれば、数十ナノシーベルトまで線量は下がるだろう。

 「大尉も“毒”に侵されてしまいます」

 大尉は飛びのくようにあとじさる。「そうなのか。中尉、君も危ないんじゃないのか」 

 「充分注意していますから。この鉛コーティングしたプレート・アーマーを着ていれば、ごく短時間なら近くで作業しても問題ないのですが、生身ではいけません」

 “放射砲”の小屋の内部では、職人たちがターゲットをアース線から切り離している。小屋からうねうねと伸びる、冷却水配管を切断するのは次の工程になる。小屋の中央に置かれているのは、数十キログラムの純金の塊、そしてサンダーの電気を外に逃がすための極太の銅線の束。銅線の先端は丘のふもとを流れる小川に浸してあった。

 「にしても、あのからくりは何だったんだ。何度説明を聞いても、よくわからん」

 「X線放射砲ですよ」  

 「違う、どういう仕組みなんだ」

 ヨウは上官に対して失礼にならないように説明できない、と思った。地球の少なくとも中学レベルの教育がなければ理解は難しいに違いない。

 「神の見えざる手、といいますか……実は私にも充分に説明することができないのです」心底残念そうに語るヨウ。

 この“放射砲”は、地球では19世紀末に発見された“X線”を利用した兵器だ。もちろん、医療用のX線の強度とは雲泥の違いがある。地球でも、このような兵器を作ろうとしたことはあった。1980年代にアメリカのスターウォーズ計画で、設計されはしたが実用化しなかったミサイル迎撃兵器、もしくはフィデス母艦のX線レーザー砲の、親類にあたるようなビーム兵器だ。

 それが、このファンタジー世界では“サンダー”のような攻撃魔法があるおかげで、ごくあっさりと実現してしまった。仮に地球のテクノロジーを使っていたら、巨大な電子加速器か小型原爆が必要だろう。

ヨウが作った放射砲とはつまり、サンダーを斜めに切断した金塊にブチ当て、強烈なX線ビームを生み出す兵器だ。このアイデアの元になったのは、ヨウが高校1年の頃のある会話。クラスメートだったあるミリタリーオタクと仲が良かったおかげだった。

 ヨウは、平和が失速しつつあった、一昨年秋の昼下がりを回想した。場所は東京都立川市にある都立高校1年3組。いつも唐突なのが、この友人の悪い癖だった。

 「雷からはX線が出ているらしい。ってことはさ、雷を耳にするとき、僕たち被爆してんじゃねえか?」

 もっとも、この悪癖にヨウはとっくに慣れていた。素早く友人の言葉の意図を読み解き、如才ない答えを返した。「雷の電位差って、たしか数ギガ電子ボルトだったよな。でも、空気分子みたいな軽い元素から、X線なんか発生すんのか?」

 友人いわく。「窒素原子の電子軌道の最外殻はL殻だろ。特性X線が発生してもおかしくない。それに原子核の質量が小さくても連続X線は発生するだろ。ああ、制動放射かわいいよ制動放射」

 最後のほうが意味不明だが、とりあえず言いたいことは理解した。物理はヨウの得意分野だったから、友人には負けたくなかった。割と意地だけで反論する。

 「なるほど。でも大気による減衰があるだろう。、強度Io の線源から放出されたβ線の、距離xでの強度I は、I = Io exp(-μx)になるだろ。つまり距離に対して指数的に減衰するはずだ。地表まで仮に2キロメートルあると仮定すれば、地表でのX線照射密度は発生位置でのIoに対し――」

 そんな会話をする変わり者だったけど、ヨウも友人も、楽しんでそんなキャラクターを演じていた。そうやって訓練していたマッドサイエンティスト的思考実験の成果が、ついに表にでるときが、出てしまうことが――信じがたいことに――来てしまったのだ。

 あの日以来、ヨウの支援者となっていた領主フレート・ヒレンブランドとの会話の中で、何気なく攻撃魔法サンダーの話になった。その夜、魔が差したとしか説明できない。ヨウは、サンダーが切り裂いた空気分子からX線が出ているのか疑問が湧いた。かつて高校時代に友人との会話を思い出して、その可能性は十分に根拠があるものに感じられた。完全に変人の考えではあるが、これが兵器に使えるのではないかと思ったのだ。

空気中での電圧差による絶縁破壊は一般的に30kV/cmである。ということは、仮に60mの飛距離があるサンダーの電位差は、180MeVにもなるだろう。つまり、攻撃魔法から生まれる電子は、電子加速器並みの180メガ電子ボルトもの電位差を有するということになる。

 こんな高エネルギーの電子流を、魔法が事もなげに創り出していること自体は驚異だが、とりあえず魔法の原理は忘れるしかない。現実に応用できるならば、原理などこの際どうでもよかった。サンダーが切り裂くターゲットを、空気に代わって原子番号が大きい金にすれば、サンダーによって強烈なX線ビームを効率よく生み出してくれるはず。それに金は熱伝導性が高い。排熱も容易なはずだった。

 ヨウの依頼により、領主がみつけてきたのが、とある教会に飾られていた“フェニックス黄金胸像”だった。悪趣味の極みといえるそれは、台座に接する部分が平らになっていて、ターゲットとしてあつらえたようにぴったりだった。こうして、かつて有志によってつくられたまでは良かったが、イウビレオ作戦のみじめな失敗と共に、その魅力を失っていた黄金の胸像が、バードガース討伐戦の切り札として再利用されることになったのだ。

 胸像は中が数トエルの空気中を渡り、城壁の上を飛び越え、バードガース兵(と市民)の頭上に降り注ぐように設置された。バードガース兵が監視塔だと誤認した塔は、そのための砲台だったのだ。塔の上には、雨風を防ぐほったて小屋が建設された。もちろん、放射面に正対する方向には壁がない。その穴からは、何もさえぎる物もなく、バードガース城がよく見えた。

また、黄金のターゲットに、ローテーションでサンダーを放つ魔術師たちを、危険な後方散乱線から守るために、厚さ10cmもの鉛板を用い、遮蔽板とした。それでも、魔術師が多少被爆するのを完全に防ぐことはできなかった。だが、その好ましからざる影響が、ただちに現れることはないだろう。

 8月17日夜、バードガース城に近い寺院から強烈なオーレオールを照射して城兵の目を眩ませているスキに、突貫工事で建設した“放射砲”の試射を実施した。

 魔術師がフェニックスの胸像にサンダーを放った瞬間、バードガース城の方向に、小屋の開口部から、ぼんやりとした青い蛍光が夜空に伸びた。フェニックスの胸像から、凶悪な怨念のごとく放たれた不可視のビームによって、イオン化した空気が発光しているのだ。

 このかすかな軌跡を利用して照射角度を修正、ヨウは後方散乱線も考慮に入れた立ち入り禁止区域を微調整した。そして、翌日からは休みなくサンダーが放たれることになった。 

 狡猾なある将校の発案で“放射砲”と同じ外見の小屋がダミーとして建設され、城からの遠距離魔法攻撃に備えた。もっとも、数百エルも離れてモノプティックを任意の目標に命中させるのは至難の業だから、城から放射砲が直接攻撃を受ける可能性は低かった。

 何も知らないバードガース兵に、推定4グレイの重度被爆線量を浴びせるのに要する期間は約2週間。これは半数致死量LD50に近い線量だ。これだけ浴びせれば、仮に死なないとしても戦闘は不可能のはずだ。

 いくら迅速な勝利のため、そして帝国存続のためとはいえ、バードガース城下の数千人を、ゆっくりとした苦痛の多い死に至らしめることは許されるのか。誰もがヨウを賞賛するなか、ただ一人ヨウだけが、自分の非情な行いに恐怖していた。 

バードガースの人々を襲う死神は、時間差で訪れるだろう。体中の穴という穴から血を垂れ流し、瞳は白濁し、髪は抜け落ちる。そして、若い兵士もうら若き少女も等しく、体の奥深くをえぐる光によって、永久に傷を受けるのだ。最悪のタイミングで被爆した妊婦のことなどは、考えたくもなかった。

 ヨウは確かに北部辺境の反乱平定に活躍した。昇進もするだろう。それでも、自分がした行為に恐れおののいていた。流れる汗もそのままに働くヨウ。ズニー丘から望むバードガース城の内部では、どんな地獄絵図が展開されているのか。考えたくはないが、それでも考えてしまう。これは人間である以上、仕方のないことだ。

 ――この兵器は神の見えざる手なんてものじゃない。これは、むしろこれは、悪魔の見えざる手なんだ。

 そして、ふと思い出した。このファンタジー世界では、“悪魔”とは、魔王とその手下を指す言葉であるということを。ヨウは背中を丸め、手を休めることなく一心に仕事に打ち込み続けた。



 ヨウは、北部タイルの安定化の功労者として(また、軍の損耗が余りにも急激なために)ヒレンブランド歩兵連隊の武器掛り中尉の職を拝命していた。自分がバードガースで成した怖気をふるうような業績は、ヨウの名声を高めてはくれた。だが、ヨウは自分を褒めたいという気持ちにはなれないでいた。荒削りな科学が、ファンタジー世界にとっては強烈な刃となることが十分にわかったからだ。

彼が戦功を携え、久しぶりにヒレンブランド城に戻ると、さっそく領主フレート・ヒレンブランドからのお呼びがかかった。戦功のお褒めの言葉もそこそこに、領主は本題に移った。

 「バードガースを始末する前に加工を命じた“黒色火薬”の試作品ができている」

 顔をほころばせ、ヨウがごますりを言おうとした矢先、領主はそれを遮った。「礼ならよい。それより帝国西部の焦土作戦については作戦会議で聞いただろう。皇帝陛下は刈り入れが間に合わない小麦畑を焼き捨てた。教会領のものも含めた広大な面積をだ」

 この話は何度もヨウも聞いていた。幸い北部諸領は全ての小麦を収穫することができた。だが西部は、不幸にも、テクサカ軍に収奪された分を含めて収穫は全滅だろうという話だった。

 「この機会に、皇帝陛下は大規模な土地改革と増税を計画しておいでのようだ。なに、民が今以上に困ることなどない。搾り取ろうとしている対象は、専ら教会や商人など既得権益者になるだろう」まるで自分がその“既得権益者”ではないかのように、他人事の語り口であった。

領主は片頬をひきつらせるようにして嫌な笑い声をあげた。「この国難に際して、何十年もできなかった改革を全部済ませる気らしい。学生のような顔をして大したものだよ、皇帝陛下は。あの坊や、やってのけた。念願の改革をやってのけたわけだよ。ニシミヤ中尉、わかるか」

 これほど興奮した領主を、ヨウははじめて目にした。

 没収し私有地を貧民にあてがい、代わりに軍役を課すというやり口は、歴史的に多くの国や地域でみられた方法論だ。この世界においても、目に見え、手で触れられる現実的な利益によって、国民の士気を誘導する――その効果は折り紙つきだろう。これまでは、トラクトの原料になるか小作人で一生を終えたはずの帝国市民が、自分の土地を耕して生きてゆけるかもしれないのだから。これは貧困にあえぐ小作人や農奴にとっては、巨大なエサだ。混乱した今の状況だからこそできることなのだろう。

 「これで大量の歩兵を動員できますね。この歩兵に火器をあてがえば……」ヨウが濁した語尾は共犯者の笑みを誘った。領主もうれしそうにしている。彼が心に描く構想を正しく理解できる者は、中世風ファンタジー世界においてはあまり多くないからだ。

 「そういうことだ。先の大動員でも集め切れなかったほどの歩兵が湧き出すぞ。」領主は手元に置いた木箱の蓋を取り去り、厳重に収められた、黒光りする物体を手に取った。現れたのは、パイプというには余りにも肉厚の鉄でできた中空管2本を、同じく鉄のバンドで強引に束ねた無骨な物体。極めて原始的なものではあったが、それは明らかに火器だった。

 「連発銃ですね。もう出来ていたんですか。すごい」

 領主は別の箱を開けた。「量産タイプは、こちらの単発式だ」

 ヒレンブランドの職人が自前で造り上げた武器に、領主が誇りを抱いているのが察せられた。本来はあまりしてはいけなかったのかもしれないが、ヨウは無遠慮に立ち上がると、領主の手から“銃”を受け取った。

 それは、地球では16世紀レベルの、原始的なマスケット銃。とても、大きい。そして重い。重い方が良いのだ。強度と加工精度の問題から、このファンタジー世界においての銃は、必然的に大口径にならざるを得ない。そして、重いが低速の銃弾を発射するためには、銃本体も重い必要があるのだ。なぜなら、仮に軽く造れば発射時に銃身が破裂する危険性があるし、銃弾発射時の反動は射撃する兵の手に負えないほど強烈なものになるからだ。だから、重く頑丈でなくてはならない。物質が持つ自然の慣性――止まっている物体はいつまでも止まった状態でいようとする性質――が、反動を弱めてくれる。

 「中尉がいない間に試射を済ませておいた。いや、実に見物だった」

 「銃身の強度が心配だったんですが、成功しましたか。ほっとしました。あとは肉厚をどこまで減らせるか再設計の基礎データが必要です。明日からでも実験をしたいと思います」

 領主はまあまあ、とでもいうように手を振る。「それは武器掛の優秀な将校に任せておきなさい。それより重要な任務がある」しばし沈黙したのち、領主はこう切り出した。「ニシミヤ中尉はスリミアを訪れたことはあるかな。実はスリミアで一仕事してきてもらいたい」

 「は、はあ」

 「君にはスリミアでドゥーガル皇帝に面会して欲しい。この銃の試作品と、こいつを献上するのだ」領主は、ヨウが書いた火薬製造仕様書を一部取り上げ、指で弾いた。

 ――皇帝? 面会?

 「え、僕が?」

 「そう、君が。私と一緒に来るのだ。皇帝陛下も君に興味があるそうだ」

 「ええと、それは光栄? です、はい」混乱の余り、ついつい語尾が疑問形になってしまうのを抑えることは、ヨウには到底できなかった。20世紀末の世界に生まれて、“皇帝陛下”に謁見できる人間がどれだけいるだろう? このままでは、“数奇な運命”と書いてヨウと読むようになるのではないかと、ヨウは思った。

実は日本国の天皇陛下は、世界唯一の現存するエンペラーだったりするのだが、それはおいといて。気を引き締めて、領主の言葉に意識を集中させた。

 「これからの仕事は、この小邦でやるにはちと荷が重い。そこで、皇帝陛下に中尉を預けることにした。国のカネで存分に暴れてくるがいい」領主はからかうような笑みを浮かべ、事務机の引き出しから書状を取り出し、そこに火薬製造仕様書を重ねた。封筒のへりに蝋燭の蝋を均等に滴らせ、そこに印章指輪を押し付け、丁寧に封をする。「これを皇帝陛下か、陛下の侍従長に渡すように」

 その書状はずっしりと重かった。


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