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□30 運命論

 激戦の末、中央軍集団第2軍で奮闘するヒレンブランド連隊は、兵の1割が永遠に失われ、更に1割が傷を負っていた。幸いというべきか、失われたのは専ら歩兵であることが救いではあるが、連隊の戦力は大きく毀損していた。損耗が激しい中隊のなかには、近隣の生き残りをかきあつめた臨時編成の中隊になるまでに損耗していた部隊もあった。

 ヒレンブランド連隊の、傭兵ばかりから成る第101中隊(傭兵部隊は100番台を割り振られていた)も大きな打撃を被っている。そこにカリカがいた。そこここに、死んだり死にかけていたりする帝国兵や敵のモンスターが、折り重なって倒れていた。いま、テクサカ軍の猛攻はやや遠くに去っている。嵐のさなかに思いがけず訪れたような無風状態に、兵の多くはむしろ不安げな表情をみせていた。

 モンスターと近接戦闘でも演じたのか、カリカの片手剣は血に染まっていた。攻撃魔法だけで片付かない戦いのせいで、カリカは手足がひどく重く感じられた。彼女の体を撫でる焦げ臭い風は生暖かく、体は奥から燃えているかのように熱かった。

 地にあお向けて倒れた男は、苦しそうな息遣いでカリカを見上げ、切迫した様子で話しかけた。

 「はは、最初からヤバイ配置だと判っていましたよ、姉御。あからさまに傭兵小隊ばかり、攻撃序列第1列に配置されているんだから。は、はは」 

 「連隊長の心中はあたしらの知ったことじゃないよ。いいからここで大人しくしていろ」カリカはそう言うと、部下の頭を半身に開いた甲冑の上にそっと乗せた。最近はカリカよりも年下の傭兵が増えてきているために、“姉御”などと呼ばれている。いまカリカと話していた男も、少年と表現して良い年齢だった。トロールの巨大な棍棒にアーマーを叩きつぶされ、外見的には傷一つないが内臓をやられていた。

 アテナをブートして治癒魔法をかければ助かるかもしれない。しかしカリカにそのつもりはないし、死にゆく男も「命を助けて」とカリカに懇願する空しさを知っていた。これからカリカが放つ攻撃魔法のために、魔力を温存した方が、結果的にもっと多くの仲間の命を救えるかもしれないからだ。

 戦闘開始から3時間、テクサカ軍は包囲されてもなお、頑強に抵抗している。今回の戦いにおいて、テクサカ軍は少数ながら魔術師を戦闘に投入して帝国軍を翻弄していた。そのために苦心惨憺を強いられつつも、帝国軍は敵本陣に着実に迫っていた。

 カリカのイメージカラーである明るい赤色で塗装されたプレート・アーマーは、ところどころ暗い色の赤で汚れている。カリカがふと息苦しさを覚えて甲冑を指で探ると、みぞおちのあたりが大きくへこんでいた。いつできた傷かはまったくわからなかった。カリカは自分の耳もとを、死神がかすっていくような戦慄を覚えた。彼女と部下の運命を分けたのは、単なる偶然だったのだろう。

 アーマーの凹みが、体にもたらす重苦しい圧力は、一度不快に感じると、耐え難いものに思えた。プレート・アーマーを貝が開くように蝶番を支点に開け、内側に着用したリネン・アーマーの胸元を確認する。汗が染みたリネン・アーマーは重く濡れていたが、どうやら怪我はしていないようだった。

 そのとき、ふとある人物が目に留まる。ハム魔術同盟でも見知った魔術師の一人が、焼け焦げた倒木に、ぐったりと座っていた。隣に、カリカは足をかけた。「どう、休憩はとれた? もう一発、連中にかましてやろうじゃない」 

 魔術師は弱々しく答えた。「カリカあんた元気だな。無茶なトラクトの使い方をするなよ」

 「使わなくても、モノプティックをお見舞いするくらいはできる」

 「じゃあ俺も休んでいられないな。でも、ちょっとだけ、ちょっとだけ……」カリカに背を向け、その魔術師は転倒するように横になった。ときおり身を震わせ、気ぜわしく咳を連発する。

 「本当に大丈夫? どこか負傷していないか……」カリカの気遣いは無視された。カリカも余計な干渉をしないで立ち去った。今はこれ以上の日常的感情を抱いている暇はない。手近にいる虚脱した歩兵たちを委細かまわずせきたて、戦いに駆り立てなくてはならない。

そのとき、遠く法螺の音が聞こえた気がした。耳を澄ませて数秒、気のせいかと思った直後、背後がカッと明るくなった。次いで轟音が追いかけてくる。

 「攻撃魔法だな。同士討ちか?」と誰かがつぶやく。「違うぞ、ほらあっちでも」

あちこちで人が宙に吹き飛ばされ、あるいは松明のように燃えていた。「ちくしょう、後ろから敵が来てるじゃねえか!」

 恐怖に満ちた断言を誰がしたのかはわからないが、カリカはそれに心の中で同意した。口では違うことを叫んでいたが。「落ち着け、敵本陣は向こうだ。各員武器をとれ、休憩は終わりだ」

 かすかだがはっきりと、後方から地響きと鬨の声が聞こえる。なぜかはわからないが、敵は魔王直隷の2部隊だけではなかったのかもしれない。カリカには思い当たることがあった。テクサカの斥候、頑なに口を割らなかった亡命者。

 地平線に視線を転じると、数トエル東の森と草原の境目あたりに動きがあった。そして、閃光が網膜を焼いた。円い光輝が視野いっぱいに膨れ上がる。

 ――攻撃魔法!

 カリカはとっさにテルミヌスをブートする。こんなことは並の魔術師には離れ業だが、カリカは並より早くデフレクトを構築することができる。エリアスほど早くではないが。デフレクトを自分の周囲に張るのと、周囲が焼け爛れるのはほぼ同時だった。シールドの外側が白く輝き、熱い空気が烈風となってカリカの頬をかすめた。リネン・アーマーのすそが激しくはためき、圧力に一瞬よろめいた。本当にぎりぎりで間に合ったのだ。

 ――危なかった。それにしても、かなりの遠距離なのにこの威力……トリプティック? 

 カリカの心臓が痛いほど脈打ち、自己主張していた。炎の壁が晴れたとき、付近の地面はカリカの立つ足元を除き、ことごとく焦土と化していた。数歩先にあった焼け焦げた倒木は、衝撃波のために渋々といった風情で位置を変えていた。攻撃魔法の通り道に居合わせた不運な帝国軍将兵が、そこかしこでくすぶっている。遠く離れたこの場所でこの威力なら、近くで食らった者は跡形も残らず吹き飛んだに違いない。

 そのとき、カリカは意地悪い感想を抱いた。

 ――あたしらの背中を楯にして及び腰の戦いをしていた貴族の子弟も、これで戦場の空気をたっぷり味わえただろうよ。

 そんな皮肉を感じられることに、カリカは今更ながら驚いた。傭兵という仕事は、実際のところあまり人死ににでくわすことはない。仕事をしているあいだ、人を殺しまくっているわけではぜんぜんない。ほとんどの時間が、待機と訓練――もしくは怪しげな副業――の連続といっても良い。カリカにとり、今回の戦役のような大戦争ははじめての経験だというのに、大勢の人死にに触れて、これほど自分の心が平静な理由がわからなかった。

 ――これが運命論ってやつなのかな。

 戦場に身を置いた者は等しく運命論者になりやすくなる。肩を並べて戦う戦友の右隣が矢傷で死に、左隣が一生不具になるような傷を負ったりするのを経験すれば、生き残った者が自分の力だけで生き残ったのだと考えはしないだろう。

 周囲の多くの兵は呆然自失の状態だった。このままでは、次の瞬間に我さきに逃げてもおかしくない。このフェータルな局面で敵に背中を見せれば、帝国軍20万は戦力としての価値を失い、壊乱するだろう。カリカはデフレクトを解き、大きく息を吸う。そして腹の底から声を出した。「聞け! 動ける者は密集隊形で円陣を組め。攻撃魔法はすぐに息切れする。ここに集まれ!」

 パペットと化したかのように、空虚な目をした帝国軍将兵が、カリカの方を向く。彼らは危機に直面した人間の動物的な素早さで、カリカを値踏みした。緊迫した一瞬を経て、この褐色の肌をした大柄な女性に、兵たちは希望のかけらを見いだしたのだろう。震える足で焼け焦げた地面を踏み、前後によろめきながらもなんとか平衡を保ちつつ、彼女のもとにふらふらと集まっていった。(中略)


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