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□26 斥候

 遠くの山ぎわを染める朝焼けが、徐々に白さを増してゆく。山裾から続く平野には、まだ朝靄が薄く漂っている。アクターボの植生は多様性に乏しく、雑草の種類は限られているが、それでも樹木の間におびただしく湧き出たように茂り、朝露に濡れている。奇妙な形の木々は怪しく節くれだち、張り出した枝からは、気根がカーテンのように垂れている。

 密に茂った草の隙間から、身を低くした男たちの目が煌めくのが見えた。テクサカ軍の男たちが潜んでいたのだ。1人のドワーフが、押し殺した声で言う。

 「俺たちは斥候だ、こらえろ」

 「でも、でも――」パペットが抗議の声をあげた。

 それを、豊富なヒゲが生えた……いや、正確を期すなら、ヒゲに手足が生えたようなドワーフが、小声で制した。「落ち着け。斥候の任務は連中の監視だってことはよく分かっているだろう。俺たちは手出しできない」

 エルモから施されたセンティア処置から間もないパペットは、得たばかりの知性で感情を制することに苦労していた。ほとんど骸骨のような外見のパペットは、オムニ帝国の常識では、知性のないモンスターに過ぎない。だが彼は、魔王自らの魔術により、言葉のないボンヤリとした感覚だけの世界から引き上げられた、選ばれしモンスターの一人だった。

 「小隊長、あんたにとっちゃパペットだけどさ、オレにとっちゃ仲間だよ。助けてくれよ」  

 ドワーフの小隊長は苦虫を噛み潰したような表情だ。「今のは聞かなかったことにしておくぞ。いいか、テクサカでは俺たちは皆仲間だ。パペットだろうが他の種族だろうが関係ない。お前にとっての仲間は俺にとっても仲間だ。助けたいのは俺も同じだ。わかるか」

 小隊長の言葉を噛みしめるのに少し時間が必要だったようだ。パペットはたっぷり10秒は黙ってから、地面を向いて頭を小刻みに揺らした。これは、パペット流の恥ずかしさを現す表現だった。「ごめん小隊長、オレ、間違ってたみたいだ」

 「構わないさ。サガン、お前がこいつについていてやれ」

 浅黒い肌の人族がパペットの肘をつかんだ。

斥候隊は隠密行動が基本だ。命令を全うすることが困難になる可能性が少しでもあれば、敵に自らの存在を暴露する行為は軍法違反だ。しかし、知性を得てあまり時間がたっていないパペットが、我を失うのも無理はない。眼下で展開される光景を目にすれば。

ここはテクサカ領の外縁で、帝国がアクターボと呼ぶ地域だ。そして斥候たちが見守る先には、センティア処置されていない普通のパペットの集落があった。集落といっても、知性のない薄汚れた黄色いパペットが数十体集まり、あちらに数人こちらに数人、散在しているだけなのだが。そんな無害なパペットたちが、幸せそうに地の精を体一杯に吸収する、薄気味悪くも平和な光景に、侵入者が現れた。オムニ軍だ。

 事前に計画した経路を離れ、食料と、おそらくは故郷で吹聴するための冒険談を求めて周辺を嗅ぎ回っていたのは、オムニ氏族連合帝国軍・南部タイル都市連合拠出連隊。つまり、傭兵を中心に都市の浮浪者や、食詰めた無宿人をかき集めた、明らかにゴロツキ成分過剰の軍隊だった。

そんな品のない歩兵たちを従える魔術師は、やはりというべきか品がない男だった。メトセラ処置で何歳だかは不明だが、善良高潔とはおよそかけ離れた顔つきをしている。おそらく金持ち商人相手に、自分の領地で違法トラクトの製造でも請け負っているクズ貴族というのが有力な線だ。その証拠に、魔術師はゲハゲハ、ヒャッハー! と笑いながら無駄にサンダーを放ち、パペットたちを干からびた麦藁のように燃やしていた。そんな光景を、情けないほど猫背の魔術師や、親を相手取って訴え出れば損害賠償を勝ち取れそうなほどブサイクな魔術師が、狩りの良い余興だとばかりに、喜んで手を叩いて眺めている。

 隠れ潜むテクサカ斥候隊から、危険なほど近くをそれたサンダーが過ぎる。それは大気の緊張を高め、ツンとした奇妙な匂いが空気中に漂う。右往左往するパペットに、数人のオムニ歩兵が槍を突き立て、追い立てた。魔術師の命令で、その哀れなパペットたちは手近な木に打ちつけられた。傷口からは血も流れない。なにしろパペットたちは、帝国のあらゆる基準に照らして、死んでいるのだから当然だった。

 魔王が統べるテクサカの民が、忌み恐れるオムニ帝国。斥候の小隊長は、かつて自分が生まれ、一度は忠誠を誓った国を、恥ずかしく思った。なぜなら帝国軍のこんな痴態は、恐ろしい無知と差別、そして貧困に由来する野蛮さだと、わかっていたからだ。

 テクサカ斥候隊の眼下では、木にくくりつけられたパペットがむなしくもがき、それに歩兵たちが嘲笑を浴びせていた。自らの力を存分に奮えるのはさぞ楽しいだろう。数人の魔術師たちが進み出てウォルカをブートし、それぞれの呪文を詠唱していた。派手な攻撃魔法の準備だ。

 小隊長が、眉毛と長髪で半ば隠れた目をつむった直後、閉じたまぶた越しにでもはっきりとわかる程の、強烈な閃光が走った。間を置かずに轟音。小隊長の傍らでは、知性あるパペットの部下が涙を流していた。小隊長がパペットの肩に手を置いた。斥候隊の全員が、パペットの乾いた肩に触れた。

 小隊長が諭す。「あいつらはは無知なだけだ。そうだ、彼らには不運にも魔王様がいらっしゃらなかったんだから。彼らはアクターボの、いや、突然変異原の真実を知らない」

 パペットは小さくうなづいた。「わからない、わからないけど、オレたちは仲間。わかっているのは、こんなことは間違いだってことだけです」

 「そうだな」じわじわと吐き気を感じた小隊長は、こみ上げたものをかみ殺した。この時ばかりは自分の表情が、先祖譲りの豊富な毛で隠されていることを有難く思った。ここと同じような悲劇が、アクターボのあちこちで無数に起きているはず。もしテクサカがオムニ帝国に蹂躙されたら……そんなことは考えるのも恐ろしいことだった。


(中略)


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