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□22 旅立ち

 オムニ歴(聖歴)3696年末。来るべき大侵攻作戦“イウビレオ”を控え、帝国全土に慌しい、地に足がつかないような雰囲気が満ちていた。10月はじめに“第21代スリミア領主にして第4代人族王にして第6代帝国皇帝ドゥーガル・トータイル・スリミア”の命令により、帝国執行令が発せられた。ヒンブランドも含めた全ての領主に“兵よ集え”の号令が下されたのだ。

 ヒレンブランドにも、西方の帝国都市同盟からの武器商人が訪れ、甲冑や武器の商談が進められていた。ヒレンブランド連隊の武器掛将校が中心となって、武器の購入や糧食の備蓄、傭兵の雇用契約が行われていたが、それらに要する軍事費の大部分は、都市同盟からの借り入れに頼っていた。そのためか、肩で風切って歩く商人たちは貴族以上の有力者の風情だ。そんな風雲急を告げる帝国の片隅で、ヨウはこの世界にいくつかの変革をもたらそうと奮闘していた。

 事の発端は、鍛冶屋のオヤジのぼやきだった。「鉄さえあれば、余所者の強欲商人なんかから、武器を買わなくてもいいんだがな。連中からバー・アイロン買うときの契約条件に、“この鉄で武器を製造・販売しない”って付帯条項があるんだ。バー・アイロンの製法がわかればなあ……」

 鉄さえあれば。数日後、エリアスを引き連れてヒレンブランド領主と会見したヨウは、一つの肩書きを手に入れていた。それは、“オムニ氏族連合帝国辺境領北部タイル防衛軍ヒレンブランド連隊本部付武器掛少尉”というものだった。そして、彼に与えられたはじめての任務は「領内での兵器生産計画の推進」であった。

外部から買っていた鉄の、領内でのインハウジング、つまり内製化を図ろうというのだ。日本ではアウトソーシングという言葉があったが、それの反対語だ。そして早くも11月には、鍛冶屋の隣の建物を買い取り、慎ましく“ヒレンブランド工廠”が誕生したのだった。

領主はダメ元で任せてくれたのかもしれないけれど、ヨウは本気でこの世界の役に立つつもりだった。もちろん、これほどの信頼に報いなければダメ人間の烙印を押されても仕方ないだろう。

 とはいえ、鉄のことはほとんど何も知らなかった。ヨウは博学な方だったが限度がある。そこでヨウは、この世界の武器製造技術と総合的技術レベルの研究をはじめることにした。つまり何をしたのかと言えば、“放浪”だった。この世界のことを薄く広く知らなければ、何から手をつければいいのかもわからないからだ。とりあえず、大学があるという帝国都市同盟の大都市クワナには行ってみたいところだった。この世界の農業には改良点がありそうだったし、帝国領内に散在する遺跡にも興味があった。ヒレンブランドに比べれば先進地域の都市のにおける工業や財政、物流の流れ、商業のありかた――実際にみなければ分からないことだらけだ。どこに改良点があるかなど、わかりはしない。この世界の有り方を変えるような何かが、どこかに埋もれているかもしれないのだ。

 ヨウの旅立ちの日、“ヒレンブランド連隊の傭兵を厳しく鍛え、無許可離隊した傭兵を更に厳しく追跡し捕縛する鬼女”ことカリカが姿を見せた。相前後して、エリアスも現れた。領内外の商事移動許可証を手渡すために来てくれたのだった。

 「これをお使いになれば、どの検問でも通過できるはずです。それに、魔道教会と魔術同盟の公式宿泊施設も利用できます」

 こうして、ヨウはすっかり冬の装いとなった城壁の外へと旅立っていった。



 帝国のこのあたりでは、小麦の種を秋にまき、小さな種子は春の訪れを待つ。そして、冬の数ヶ月を幼穂のまま過ごし、4月頃に出穂・開花する。小麦は米とは違い、6月には収穫だ。ヨウはイラスト付きで小麦の生長過程をノートに記した。

言語学習のために取り込まされたトラクトの人格が、理解を手伝ってくれた。デニスは元々農民だったため、小麦の全成長過程の姿を脳裏に描くこともできた。真冬にする麦踏みの凍える寒さ、指先の痛み、乾いた麦わらの香り、そういった付随する記憶が、次々と蘇った。

 農民たちの農機具や脱穀装置、石臼の構造や調理の方法。どれも物珍しく、それらの動力は大抵の場合、人間が担っていた。動物はせいぜいターパンを利用する程度で、機械化などないに等しい。この世界の農業は非効率的だ。それは充分に理解できた。それでも、実際に土を耕してきた農夫たちの、数世紀にわたる改善の積み重ねを凌駕するすごいアイデアが、ヨウからポンと出てくるわけでもない。

 旅の途中、農家も兼業する宿屋の親父から聞いたところによれば、地球で18世紀に開発された輪栽式農業のようなものはまだ広まっていないらしい。じゃがいもという優れた根菜類は、この世界に存在しないようだし、休耕地の草を食べてくれる牛や馬、羊のような家畜は存在しない。中世ヨーロッパで見られたような三圃式農業よりも、更に遅れた農業技術レベルにしか達していないのだった。ライ麦のような夏穀、小麦に代表される冬穀の交互栽培や堆肥の施肥は広まっているが、この世界に草食家畜が少ない以上、牧草地の設置や夏穀・冬穀とのローテーション栽培は実現しそうになかった。    

また、史実ヨーロッパとは異なり、畜力による農耕に代わって、帝国では安くて大量にある人的資源が農業に投入されている。この農耕スタイルは、黒死病流行以前の中世西ヨーロッパや、もっと言えば東アジアの労働集約的農業に通じるものがあるように思えた。

 宿の親父いわく。「遅くても5年に1回は農地を休ませないと土地が痩せてうまく小麦が育たねえんだ。ほら、最近キナ臭いだろ? 小作人も集まらん。だから、来年の休耕を今年に回したんだ。俺が宿の経営に専念できるようにな。宿なんかぜんぜん儲からねえが、このところ商人連中がよく泊まってくれるから助かっているよ」

 丸々とした頬をテカテカさせている親父を見ていると、言葉とは裏腹に、宿屋の方がけっこうもうかっているんじゃなかろうか、とヨウは疑惑を覚えた。親父は店の商品のワインを何の躊躇もなく自分で飲みながら、農業の辛さをぼやいていた。「休耕しないで何か栽培できればいいんだがなあ」

 不快な酸味がある薄いビール(だと思う)を、小ジョッキからチビチビと口に含んでいると、隣の席でいい感じにほろ酔いの男たちが、店員の子を呼び止めた。「姉ちゃん、リッパー3人前ちょうだい」

 それは、リッパー肉の燻製をほぐした食べ物だ。

 「えーと、塩茹でのソデ豆なら直ぐ用意できますけど」

 男は顔をしかめた。「あんなの馬の餌だろう。なんだそれしかないのか。まあいいや、ソデ豆くれ」

 ――ソデ豆?

 この世界にも豆はあるようだ。「豆か……」

 ――根粒菌。窒素固定。土壌改良植物。代用クローバー?

 いけるかもしれない。ヨウは何事かメモすると、手製の羽なしペンを鞘に戻した。


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