□2 降下
田舎の道なき道には、道沿いのイトスギやレジノーラの影が長く伸びていた。道の右手側のなだらかな斜面は小ぶりな湖につながっている。草原を渡る涼しい風にリクニスの小さな花が揺れて、夕暮れに沈みゆく草原に、純白のアクセントを添える。
そこに、ものものしく武装した男女の集団が通りかかった。集団の中央を歩く少女だけは、他の者たちよりいくらか軽装のようだった。月光のように淡い金髪と、リクニスの花弁に劣らぬ白い肌の少女を、二人の先導者と一人の後衛が挟むようにしている。
少女が、誰にともなく言った。
「ここまでくると誰も住んでいませんね」
先導する柔和な表情をした男が答えた。「この辺りはもうアクターボ領域ですからね。今世紀中にオムニ教会が浄化に着手することはないでしょうね」
「それもいいかもしれませんね。こんな美しい場所ですもの」
「そうですねえ、エリアス様」
ふと、先導者のうちいくぶん小柄な方が、急に視線を湖に向けた。エリアスは気になってたずねた。
「どうしたの、カリカ」
エリアスより少し年上だろうか。カリカと呼ばれた女性は赤髪、瞳も赤みを帯びた褐色だ。帝国では珍しい色だった。肌色は、野外に長時間いたためだろうか、小麦色に焼けていた。カリカは歩みを止め、わずかに目を細めた。「エリアス、この感覚……」
エリアスも、肌がぴりぴりするような感覚に怪訝な表情を浮かべた。それは、魔術師なら誰でもわかる――魔術発動時特有の力の感覚。
ただならぬ気配に、男たちも剣の柄に手を伸ばしかけた。
そのとき、湖の方から「ポン」という音が響いた。全員が湖の方に視線を向け、それが現れるのを目撃した。100エルほど離れた湖の上空に、ひと部屋ほどもある大きな物体が現れるのを。
それは宙に一瞬静止したあとで速やかに湖面に落下、盛大にしぶきをあげて水中に没した。大きな波が生まれ、岸に向かって同心円状に押し寄せてくる。
鍛えられた動体視力を誇るカリカは、きれいな半球の形をした白っぽい“岩”の上に、中腰の人物が立っていたのを、見て取っていた。
「なんだ、あれは」
カリカのどこか呆れたような、醒めた声でエリアスたちも我に返り、湖面を揺らす波紋の中心に向かって草原を下っていった。走るエリアスの背後を、後衛の大柄な魔術士ゲントが大股でついてきた。
カリカが湖の縁に立つと、寄せては返す波にさらわれて、湖を縁取る草が上下に揺れていた。間もなく泡立つ水面を割り、烏の濡れ羽色の髪が現れた。カリカは油断なく身構えて、岸辺から見守る。
水から充分距離をとった上で、エリアスが代表して問いを発する。「あの……大丈夫ですか?」
それはまだ少年といってもよい男だった。混乱しているらしく、大げさな動作で水をかく。やがて足が水底に届くことに気付いたらしい。水を滴らせ、最後の数エルをよろめき歩くと、男は地面に倒れ伏した。
カリカは、男に向かって手を伸ばそうとするエリアスを制した。「危険だ。得体の知れないモノに触るなと教えられなかったのか。空から落ちてきたんだぞ、珍しい種類のモンスターかもしれない」
「まさか、だって彼は服を着ていますし」領地から外にはあまり出ないエリアスでも、アクターボに棲息するモンスターについての知識をある程度持っている。岸辺で倒れた黒髪の男は、人間にしか見えなかった。
ゲントがずぶ濡れの男に近づき、つま先でつつく。次に体を仰向けにして怪我を探る。やがて満足したらしく、彼はエリアスの方を振り向いて告げた。「傷はないようだ。気を失っている」