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□19 ホワイトノイズ

 「にしても、僕に何ができるのかねぇ」

 前の世界では、ヨウは自衛軍最下層の兵士だった。兵士といっても、やっていたことは若干の座学をのぞけば、生屍感染者を処分するという、陰鬱な肉体労働だけだった。自分が何のスキルもない若造に過ぎないのはよくわかっていた。

 やがてメイドが自室に夕食を持ってきた。ヨウはもうそんな時間かと驚いた。知らずに長いこと考え込んでいたらしい。給仕をするメイドの後ろから、アルティマが油脂ランプを携えてついてきていた。何か声をかけたかったけど、彼女の小さな背中は、話しかけられるのを拒絶しているように思えた。

アルティマが一礼して去ると、ヨウはランプの石英ガラスをずらし、ペーパーナイフの先で芯をほぐした。ランプの炎が大きくなり、ゆらめく光が安定するのを見届けてから、机に向かった。今はなんでもいいから、何かをしたかった。

 「やはり数学か。数Ⅰはともかく基礎解析とか思い出せるかな」この世界では高価な紙に、覚えている限りの公式を記入してゆく。高校物理で学んだ基本的な運動方程式や生物、化学の主要な知識。表がいっぱいになると、紙を裏返して更に小さい文字で、裏側にも書き込む。細かい作業で疲れた目をぎゅっとつぶると、奥の方がじんわり沁みた。

 ヨウは伸びをして小さな机の引き出しを開けた。なにげなく、電源を切ったままの携帯電話を取り上げ、電源を入れた。“Please wait...”の文字が表示され、小さな砂時計が回転した。圏外なのは当たり前、わかっているんだけど、メモリーに記録された故郷の断片を確認したくなったのだ。

画面の中では、辛抱強く時計が時を刻んでいた。着信履歴を呼び出し、一番上の発信元に何気なく電話をかけた。中継アンテナを懸命に探す携帯、その小さなスピーカーから、プップッという探信音と、その背景を成す、サーッという微弱なホワイトノイズの音が漏れる。

 と、そのとき、ドアが小さくノックされた。

 「ああ、そうだった」 携帯を机に置いた。すぐに来客予定の人物を思い出した。カリカと会う約束をしていたのだ。そういえば掃除はしていないけど、それでよかっただろうか。ヨウはちょっとした不安を感じたが、今更どうしようもない。「どうぞ」と招いた。

 そこに現れたのは、エリアスだった。フェルトの質素な貫頭衣が顔を半ば隠してはいたが、口元に香る気品だけで彼女だとわかる。この城の者なら誰だってエリアスだと見破れただろう。お忍びで来るにしても、それは意味のない偽装ごっこだといえた。

 「エリアスじゃないですか。どうしてここに?」 

 貫頭衣の裾が、着用者の精神的動揺を反映して小さく揺れた。「え? もうバレましたか?」

 「それはもう」ヨウは苦笑した。

 エリアスはフードをめくり上げ、顔をあらわにした。

 「どうしたん――まさか、人生相談があるとかじゃないですよね」とヨウはおどけて言った。

 ヨウの冗談が意味不明だったからか、エリアスは笑みも浮かべず、思いつめたようにヨウを見つめる。彼女は、足音もなく椅子に座るヨウの近くに寄り、腰を下ろした。ヨウがエリアスを眺めると、エリアスは落ち着かない感じに目を伏せた。長いまつげで、目がすっかり隠れてしまう。

やがて彼女は大きく呼吸して視線を戻し、ヨウの手元にあるものに注目した。「それ、なんですか」

 「これ?」それは、机に放置された、公式や定数が書かれた紙。「この世界で役立ちそうな知識を忘れないうちに、書き出していました。いつまでもプラプラしてお世話になるわけにもいかないし。困ったことに、高校の教科書の内容をほとんど忘れちゃってて、まいりましたよ」

 「では、思い出したのですね」ほとんどかすれたようなその声は、事実を確認するかのような響きだった。「あなたがわたしたちのもとにつかわされたのは神のご意思ですか?」

 話が、先日にも暴走した方向に、またもや向かおうとしていることを悟ったヨウは、慌てて否定した。「とんでもない。僕はごく普通の人間です。向こうで役立つ知識を思い出そうとしてただけですよ」

 エリアスはゆっくりと繰り返した。「人間」首を小さくかしげて、言う。「本当にそうかしら」

 「それってどういう……」ヨウは言葉尻を濁らせた。

 エリアスは電磁誘導の法則を小さな文字で書き記した部分を指差し、こんな事を口走った。「この記号、これは呪文ですね」

 「……はい?」ヨウの声が若干裏返る。

 エリアスは数学の公式を列挙した部分を指差した。「あなたは古代の魔術を知っている。これは、未だ解読されていない古代文書の文字に似ている。遺跡から、ときどきそういうものが出土するの。わたしたちの専門家ですら知らないものを、普通の人間が知っているはずはないわ」エリアスの視線は微動だにしない。「さあ、本当の力をみせてください。それとも本当に自分のことがわかっていないのかしら」

 「僕は本当に――」 

 「これで思い出すと良いのだけれど」と性急にエリアスが言う。彼女が瞳を閉じるとほぼ同時に、燐光のような光が腕から発し、魔力の高まりと共に全身がハローをまとう。上昇風がまきおこり、重いフェルトの服の合わせ目がはためく。「いまウォルカをブートしています。次に“超越した場所”とのバイパスを開いて――」落ち着いた口調で説明しながら、エリアスは挑むような視線でヨウをみつめていた。


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