□18 原料
ここは街の大衆食堂。困った時のカリカ頼みとばかりに、まだ午前中なのに誘い出して昨日の夜のことを相談していた。
「酷いね、そりゃ」カリカは肉が突き刺さったナイフをヨウに向けて言った。ちなみに、この世界にフォークはない。
「いつもよく働く感じのいい子なんだ。よくわからないけど、あの子に悪いことしちゃったのかな」
「あーあ。やっぱり知らなかったか」ふう、と溜息をつくカリカ。「そうだな。ヨウはさ、トラクトをどうやって作るか知っているか」
「そりゃ、そこらの工房で……えと、どうするんだっけか」
カリカは窓の向こうをぞんざいに指差した。「あの角にあるのエド爺さんのピュアセレクト工房知っているよな。さっき通った時、荷車があっただろ」
「確か、あったと思う」
「積荷は人間」
「まさか。死体が積んであるのか?」
なにを馬鹿なことを、とでも言うようにカリカは首を振る。「生きた人間。死んだ人間は役に立たない。もっとも、工房から出る荷車が運ぶのは死体だけどな」
事もなげに彼女が言ったことがヨウの中で意味をなすのに、心臓の一拍以上、時間が必要だった。
「ってことは、トラクトの原料は生きた――」
「そ、多くは人間。純血のエルフやフェンリルはほとんどいない。大抵は食うに困って売られた人族の農民の子とかね」
カリカもエリアスもトラクトを何個も使っていたはずだ。そして、ふと思い出した。トラクトはとても高価だということを。
「回復に使うトラクトは、若い肉体の持つ魔力と生気の結晶だ。生気はあたしたち魔術師の体内で魔力の補充になる」
「まさか、あの結晶はそんなものだったのか」ヨウは辛うじてそれだけ言えた。しばし経過して、ヨウは重い口を開く。「やっとわかったよ。魔術で使うトラクトは、つまり人間の命そのものだ。だから高価だ。でも、人一人の命にしてはいくらなんでも安すぎるだろう」
「安いって? そんなことない、多分、売る決断をした本人とその家族にとってはな。あたしの家も貧しかったからわかるよ」
人間の命がそんなに安いだなんて。貧しい兄弟のため、口減らしに望んで志願する若者の気持ちは想像することもできなかった。
「魔術をサポートするトラクトの全てが人間を元にしているわけじゃない。ただし、ヨウが使った転写トラクトは人の頭から特別に取り出したものだ」
「転写、か。たぶん、アルティマの親類にもおそらくそういう境遇の人がいたんだ……」
「たぶんな。って、お前泣くなよな」
ヨウが言い返さないでいると、カリカのからかうような笑みが、戸惑いと共に消えた。
「ヨウがいた世界ではトラクトはなかったんだよな。でも、農奴や小作人が辛いのはどこでも同じだろ? こればかりは時代が移り人が変われど不変の真理だって、教会も教えているし」
「農奴なんていなかったよ」少なくとも日本や他の先進諸国にもいなかったはずだ。農奴や小作人が辛いのは永久不変だって? この世界では、それがウソだと検証しようもないし、教会の言うがままを信じるしかない。だからといって、全ての不公平が我慢可能だとでもいうのだろうか。きっと、マヤの神殿で供物に選ばれた子も、心臓を抉り取られるのを、名誉なことだと己に無理やり納得させていたのだろう。(中略)
「そう深刻になるなよ。お前にも、もちろんあたしにも何もできないのだからさ」そう言うカリカも、手に持ったグラスの液面を揺らす波紋に、何らかの重要なメッセージが含まれているかのように、それをじっと眺めていた。その顔は無表情だ。深刻に考えないようにしているのは、ヨウよりもむしろカリカなのかもしれなかった。
「うん、そう。なんとなくそうかもしれないとは思っていたよ。ヨウ、あんたの世界はあたしには天国のように思える。こんど、小作人が不幸じゃないというヨウの故郷、その話をしてごらんよ」
「あの地獄の話を? ……わかった。なんだかいまは、地獄に果てがないような気がしてきたところだよ」
「そうか、ここだけが地獄じゃないのなら、慰められる話だな」カリカはヨウの台詞に失望を感じ取ったのか、疲れたような微笑を浮かべた。「あたしの弟も売られた。妹は14で結婚したけど、もう便りもないよ。はは、いき遅れの姉と違って、あいつは堅実だったからな」
まだ幼いといってもいい齢で結婚するのは、社会が3つの要因のどれか、もしくはいくつかを抱えている場合だけだ。一つは、環境が良い開拓地が近くにたくさんあって、努力次第でいくらでも自分の農地が得られるとき。一つは、技術的ブレークスルーや画期的な食料源により、限られた土地でより多くの人口を養える展望が開けたとき。最後は――人口の消耗が激しくて、常に補充が必要なときだ。そんな社会では、できるだけ多くの子をなすのが最適の繁殖戦略になる。高い学歴や技能は必要ない。教育を施し、大切に子育てするのは、そういう時代の要請ではないのだ。
そして、母親が若ければ、例え平均寿命が短くとも、子供が成人するまで親が生き延びる可能性も高くなるというわけだ。高出生高死亡。この世界は、まさしくその典型だった。
「こんどゆっくり説明するよ。僕の世界の歴史を、エリアスも知りたいと言っていたからね。そうだ、また3人で一緒に会おう」
カリカは心もち沈んだ声音で言う。「実は、あたしはそろそろ城からおいとましようと思っているんだ。教練所に近い場所に魔術同盟の紹介で部屋を借りた」
「え、カリカが城を離れたら、僕の無駄飯喰らいぶりが際立っちゃうじゃん」
「知るか」
「だよね」
二人して笑った。
「そうそう、今夜、領主様のもとに参上するから、そのあとお前の部屋に寄る。よく片付けておいてくれ。それに、その女の子を困らせないように、早めにランプ油を補充しておけよ」
「いつもきれいだろ。僕の故郷の話を聞きたいなら、今ここでもいいけど」
「いい、いいよ。午後は買い物があるから忙しい」カリカは勢いよく席を離れ、さっさと立ち去っていった。
ヨウはその後ろ姿を見送った。
――片付けねえ。勤勉なメイドがいるから必要ないのに。何を言ってるんだか。