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□14 エリアスの書庫

 エリアスによると、このひと月で城内の雰囲気はとても良くなっているらしい。もっとも、領主のフレート・ヒレンブランドは、コントレーラスに盛られていた毒の効果が残っているのか、未だ本調子ではないそうだ。一方、次期領主の可能性もあるエリアスはすっかり健康を取り戻した。封建社会においては、領主の世襲が安泰なのは住民とって基本的には喜ばしいことなのだろう。エリアスはこちらの言い回しで「100万セツルの卵」のように大切に扱われていた。もしくは――敬遠されていた。

 例の事件のあと、城内のコントレーラス派の粛清の嵐が吹き荒れた。早朝暗いうちに、何人もの使用人が夜陰に紛れて逃亡した。逃げ切れず捕縛された者は、尋問の末ヒレンブレンド領を追放された。その影響で、城内には新人召使の姿が多くなっていた。

 「ほら、もうすぐ始まりますよ、エリアス様」そう明るい声で告げたのは、中堅メイドのノエ。

 「あら、もう?」

 「こちらのテーブルにお飲み物を置いておきますね」

 「ありがとう、ノエ」エリアスは丁寧な発音で礼を言った。

 エリアスはノエに対して他人行儀だった。いや、誰に対してもおおむね一定の距離を保っているようだった。貴族の威厳を守るため? 身分が違えば心もすれ違う、そういう社会だからだろうか、とヨウは考えた。もっとも、ノエはエリアスの打ち解けない態度をちっとも苦にしていないようだが。

 ヨウの視線に気づいたエリアスは、安心させるように微笑んだ。「ちょっと待っていてくださいね」

 エリアスは隣の寝室に小走りに入っていった。長い髪が楽しげに揺れる背中を見送り、ヨウは良い香りが満ちた部屋を眺め回した。実は、ヨウがエリアスの個室に招かれるのは、これがはじめてだった。というかむしろ、17年間近く生きてきて、同年代の女性の部屋に招かれた経験というものが、残念ながらヨウにはなかった。緊張するのも仕方がないというものだろう。

 ヨウは3部屋から成るエリアスの部屋の中央、扇形に広がるホールに、まずは通されたわけだった。壁際には本棚がしつらえられている。重厚な黒っぽい色の木を材料にした本棚は、同じ色をした木釘が使ってあった。本棚の大きさに比して、本の数は多くない。時の蓄積を感じさせる、革で装丁された本の背表紙はクリーム色に色褪せ、そこに金色の飾り文字が麗々しく配されていた。幾冊かの本は新しく、ヨウの世界の印刷物に似た簡素なデザインをしている。

 ヨウがそれらの本に顔を寄せ、背表紙の文字を読もうと目をすがめていると、背後から「その本は『黒の祓魔師』ですよ」と説明された。ノエが気を利かせ、教えてくれたのだ。

 「わたし、少しだけですけど字が読めるのですよ、ニシミヤ様」と微笑む。

 「そうなんだ、すごいね。じゃあ、こっちの本は?」ヨウが隣の本を示す。

 「それはドラコスイポティス著『八日目のひぐらし』、その隣はイヴァ・ヌラーハ著『好きなだけ食べて寝るだけ超ダイエット法』ですね」

 「ちょ、何を教えているの!?」エリアスがドアの枠に顔を出して言った。手を振ってノエをヨウから引き離し、頬を染めて否定する。「そ、その本は違いますから。本屋さんの、そう、製本ギルドの方が、どうしても献上したいというので、枯れ木も山の賑わいというし、本棚の肥やしとして仮置きしていたのです」

 「……なるほど」

 「わかってもらえましたか?」伸ばした両手指の先を合わせ、もどかしげにヨウを見上げていたエリアスは、ほっと胸を撫で下ろした。

 「それ以上痩せることないと思いますよ、僕は」

 「うっ、ですからわたしの本では――ええと、ふくよかな方がお好みですか?」

 そのとき、「明かりを消しますから、ニシミヤ様もバルコニーへお早く」とノエが手招きした。ノエが影のように部屋の壁沿いを移動し、手回し良くランプの明かりがフッと消えてゆく。すぐに窓から差し込む青白い月明かりだけが、足元を照らす明かりになった。

 「では私はこれで」エリアスの部屋から辞去しようとするノエ。

 エリアスが呼び止めた。「もう。ノエ、あなた今日はもういいわ。休息日を楽しみなさい」とエリアスがちょっと怒ったような口調で命じた。縦方向に長大な飾り扉の前で、ノエは一礼して去っていった。

 ヨウはノエの姿を見送りながらエリアスの使用人に対する態度について考えていた。

 ――すれ違うというより、エリアスが自ら人を遠ざけていて、メイドも主人の意思を尊重しているのか。

 「さあ、どうぞ」エリアスが、カーテンがそよ風に揺れる窓の方に、ヨウをいざなった。

 「あ、はい」ヨウはトコトコとついてゆく。

 半円形のバルコニーは、肌寒くなりかけた夜風がよく通る。この高い位置からは、城下の街路を行き交う人影がよく見えた。いや、行き交ってはいない。多くは夜空に視線を向けているようだった。

 彼らの遥か頭上では、そろそろ秋の気配を感じる高い空に、切り抜いたような凍月が青白く浮かんでいた。


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